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今日は胃の調子が悪いようです



 『 朽木白哉の場合 』
 

 ズキ、と、本日何度目かになる鈍痛を響かせる内臓に、白哉は誰もいない執務室で、無言ながらもわずかに眉間に皺を寄せる。そして、思わず漏れそうになったため息を呑み込み、今朝から妙に不調を訴えてくる身体を厳しく叱咤した。……痛みを発しているのは、おそらく胃だろう。理由に見当のついている白哉からしてみれば、推測は容易なことだった。

 長きを生きる死神にとっても、新年とはそれなりに意味を持つもの。貴族たちがここぞとばかりに宴を開いては朽木家の威光をわずかでも借り受けようと擦り寄ってくるのは、もはや毎年恒例の光景だった。家の名が高ければそれだけ招きを受ける数も増え、如何に毎年のこととはいえ、それらを往なす白哉に疲労が溜まらぬという方が無理な話である。

 それでも、いつもならばこの時期の白哉の疲労はあらかじめ見越している浮竹と京楽が屋敷に押しかけ、如何にも無理やりといった風を装って白哉を晩酌に付き合わせつつ適当に愚痴を吐かせてくれるのだが、今年は浮竹の体調が思わしくないようで京楽も仕事のあとは浮竹のそばについている。白哉も顔を出したい気持ちは山々なのだが如何せん上手くいかない。今日はこの通り日がどっぷり暮れても終わらぬ残業であるし、明日は定時で上がるがその後は貴族の集会がある。苛立ちが募るのも致し方ないことだろう。

 ちなみに、現在の白哉の苛立ちにはもうひとつ原因がある。
 本来ならば白哉とともに執務室で仕事に勤しんでいなければならないはずの副官―――恋次の不在である。

 書類と睨み合うのに疲れたのか「ちょっと茶でも淹れてきますね」と言って席を立ってから、すでに半刻は経っている。茶を淹れてくるにしても、そのついでに厠に行ったにしても、さすがに長すぎるだろう。いったいどこで油を売っているのかと、白哉の眉間のシワは一向に消える気配がない。行方不明の相手が恋次でなければ、いますぐ霊圧で位置を特定し般若を披露することも厭わない勢いだった。

 雑念に気を取られ過ぎだと、そこまで考えてから白哉は仕事からすっかり逸れている己の思考に小さくため息をつく。気にしたところで仕方がないと恋次のことなど頭から追い払い、改めて書類に集中しようと視線を手元に落としたところで、ようやくこちらに近づいてくる霊圧を感じた。

「すいません、隊長。お待たせしました」

 へらりと相変わらず気の抜けた笑顔で戻って来た恋次に、白哉はひそめた眉を広げもせずに顔を上げる。

「遅い。どこで何を―――」

 しかし、叱りつけようと開いた口は、恋次が持っている盆に目を留めたことによって声を途切れさせてしまった。盆の上でほかほかと湯気を立てる器に、白哉は訝しげな顔をする。

「……なんだ、それは」
「粥っスよ。これ作ってたら思ったより遅くなっちまって」
「…勤務中に夜食作りに精を出すとは」
「仕事はちゃんと終わらせますから大目に見てくださいよ〜」

 そう笑って言えば、何だかんだと言いつつも自分が許してしまうことをこの男は自覚しているのだろうな、と、白哉は恋次に対する自分の甘さを見抜かれているようでため息をつきたくなる。

「……遅れは許さぬぞ。食したらすぐに―――」
「はい、どうぞ、隊長」

 仕事に戻れ、と続くはずだった言葉は、恋次が躊躇いもなく白哉の机に盆を置いたことによって途切れてしまった。……この男は、私を戸惑わせ仕事の手を止めさせるのが生き甲斐か何かなのだろうか。

「…なぜ私の机に置く」
「え? そりゃ隊長に作ったモンだからですけど?」

 何を当然のことを、と言わんばかりに返され、白哉はますます眉間に皺を寄せ、困惑を強める。

「…は?」
「だから、これ、隊長の分です」

 どうぞ、と繰り返して告げられ、そっと器の中身を窺い見れば、なるほど確かに白粥の上に鎮座しているのは恋次が好まぬ辛子明太子で、白哉の味覚に合わせて作られたものだとわかる。米はともかくなぜ辛子明太子が都合よく隊舎にあったのかという不自然さは無視するとしても―――…

「……なぜ、私に」

 唐突な恋次の行動の意味がわからず、白哉が粥と恋次を交互に見やりながら訝しげに問うと、恋次はあっさりと言った。

「え、なんか、今朝からずっと調子悪そうだったんで、あったかいモン腹に入れればちょっとは良くなるかなって思って」
「……なぜ、不調なのが胃だと」
「ああ、それは、この時期は貴族との宴会続きで隊長いっつも胃がやられるんだって聞いたんです、京楽隊長から」
「…彼奴、余計なことを……」
「まあまあ。俺から聞いたんスよ、隊長の調子が悪そうだから、何か理由に心当たりねえかって。……えと、要らなければ下げますけど」

 先ほどまで意気揚々と作ってきた粥を見せていたくせに、白哉の反応が芳しくない様だと見るや尾を垂らした子犬のような顔になる恋次に、白哉はゆるりと首を振った。

「……そうは申しておらぬ」

 筆を置き、汚さぬよう書類を端に避けると、白哉は恋次が持ってきた粥をそっと手に取る。何時ぞやの病室のときと同じように蓮華で辛子明太子を崩しながら、立ち上る湯気とともにゆっくりと口に運べば、作り手ゆえか、辛味とともにどこか優しい風味が口の中に広がった。

「……美味い」

 ぽつりと、そうつぶやけば、途端に恋次は満面の笑顔になる。相変わらず至極わかりやすい性格で、良かった、と思いっきりその顔に書いてあった。

 苛むように鈍痛を繰り返し訴えてきた臓腑が、喉を通り落ちていったもののあたたかさに癒されたのかわずかに痛みの和らいだ感覚に、白哉は重く感じる肩から力を抜いて今日はじめての落ち着いた息をつく。

「……世話をかけるな」
「いいんスよ、好きでやってることだし。隊長はその申し訳なさそーな顔すんのやめてください。どうせなら嬉しそうな顔がみてえな〜、なんて」
「…善処しよう」

 つい心配をかけたことに対しての申し訳なさが優ってしまうが、もちろん、感謝もしている。自分の不調にこうも目敏く気づくのは、幼少期からの付き合いの面々を除けばこの男くらいだ。たまに異常ではないかと思ってしまうくらいに、恋次は当たり前のように白哉の不調も心も読んできた。

「…おまえは、良いのか」
「ああ、俺は作ってる最中に食って来たんで。大丈夫です」
「そうか」

 納得した白哉が二口目を蓮華で装うのを確認すると、恋次は仕事に戻るために己の机の方へと足を向ける。世話を焼くだけ焼いて満足したのか、嬉しそうな顔をしてほしいと言ったのはそちらのくせに、冗談だったのかそれを見ようとする様子もない恋次の行動に、白哉はほんの少しばかり物足りないような心地になる。

「……恋次」
「はい? 何スか?」

 すぐに振り返る恋次から、白哉はわずかに目を逸らす。

 いつも、素直に礼のひとつも言えず、嬉しいのだと伝えるのも不得手で、まったく愛情の与え甲斐のない恋人だと思う。自覚ははっきりとあるのにずっと直せずにいるのだから、余計にタチが悪いだろう。

 それでも、そんな性格を知っているからこそ白哉から無理に形のある愛をねだろうとはしない恋次の行動に、身勝手なことだが安心とともに少しばかり寂しさを覚えるのもまた事実で。

 明け透けな言葉はどうしても肌に合わないから、自分なりに、精一杯の言葉を、白哉は静かな執務室の空気に押し出した。

「………次は、たまご粥がいい」

 こんな、わがままを言うのなんて、おまえにだけだ。
 
 
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