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コキアの枯れる前に【朽木白哉生誕祭2019】


 
「…ッ…あ――――ッ! ダメかあ!!」

 からん、と落ちた木刀が床を鳴らす音とともに、恋次は叫ぶ。見事に叩き落とされた腕はまだ鈍い痛みを主張していたが、恋次の意識はすっかりと今回呆気なく敗れた新技の不備へと飛んでいた。

 後ろに回り込むまでは上手くいったのだ。しかし、やはりこの人の瞬歩を捉えつつ一撃を入れるのは並大抵なことではない。大体どこにも隙がないのにどうやって打ち込めばいいのだ。今回は、純粋に斬術を鍛えたくて斬魄刀ではなく木刀での手合わせを頼んだのだが、これが蛇尾丸だったら千本桜に華麗に打ち返されて恋次の頬に傷のひとつやふたつ付けていただろう。木刀だったから打ち落とされるだけに留まったのだ。

「羽織の裾くらいには当たると思ったのに!」
「……随分と珍妙な目標だな」

 今日も相変わらず息ひとつ乱していない白哉を見やり、恋次はがっくりと項垂れため息をついた。自分はいつになったらこの人に追いつけるのだろう。

 ―――やっぱ、鬼道が全然使えねえってのは痛ぇよなあ…

 自他ともに認める鬼道暴発装置である恋次では、当然のことながら戦闘中に相手の隙をつくりだす鬼道など放てるはずもない。戦闘のほとんどを斬術に頼っている自覚はあるが、やはり不得手なものは不得手なのだ。練習していないわけではないが、残念ながら今のところ目に見える上達の兆しはない。

 そんなことを考えながら、恋次は何気なく壁にかかった時計を見やる。そして、その針の示す時刻が白哉の提示したそれから大幅に過ぎていることに気がつくと、仰天して大きく目を見開いた。

「…って、あ! すいません! もう二時間も経ってる!!」

 白哉が恋次に許可したのは「一刻」である。よく倍の時間が過ぎるまで何も言わず付き合ってくれたものだ。恋次は慌ててバッと白哉を見やったが、しかし白哉は実にあっさりとした口調で言った。

「構わぬ」
「え? でも……」
「鍛錬に身が入るのは悪いことではない」

 どうやら本当に気にしていないようなので、恋次は拍子抜けした気分になりながらも「ありがとうございます」と礼を返す。

 乱れた死覇装の襟を整えると、恋次は屈んで落とした木刀を拾い上げた。そして、空いている片手を白哉の方へと差し出すと、恋次の意図を察した白哉はすっと己の手にある木刀も恋次の方へと寄越す。道場のすぐ横に備えつけられた備品室に木刀を片付けてしまうと、恋次は駆け足に白哉のもとへと戻って来た。

「つーか隊長、ほんと毎度のことながら全然汗かきませんね」
「私はあまり動いておらぬからな」
「俺に無駄な動きが多いんだって言ってくれていっスよ…」

 部屋の隅に置いておいた手拭いで首筋を拭いながら、恋次は苦笑する。しかし、白哉は不思議そうな顔で言った。

「兄と私では戦闘手法が違うだろう」
「あーまあ…。遠距離型かと思ったら接近戦ばり強えんだから、反則っスよねー。そういや隊長の踵落としなら食らってみいたいって言ってる奴いましたよ」
「………どういうことだ……」

 珍しく感情を表に出し、意味がわからないと盛大に眉をひそめる白哉に、恋次はくすくすと笑う。確かに、この人が足を高く蹴上げる姿など見たことがないしあまり想像がつかないため、そんな風に言われるのだろう。

「……先ほどは、そのようなことを話していたのか」

 ぽつりと、いつもならばあまり興味を示さない恋次と部下たちの会話の内容について尋ねてきた白哉に、恋次はやや驚きつつ頭を掻く。

「え? あー…いや、さっきのは別に……単に俺が一方的にぎゃあぎゃあ文句言われてただけで……」
「なぜ」
「…えっと……その………告白をですね、断ったんで……」

 どうして自分は上官であるこの人にまでこんなことを話しているのだろう、と恋次はふと思ったが、どんなことであろうとこの人と会話が続くのは素直に嬉しいので、敢えて気にしないように違和感を頭の隅に追いやる。

「あんな美人の告白を断るなんて、って覗いてた奴らに散々に言われてたんスよ。好きじゃないんだから仕方ねえだろって返したら、好きな相手としか付き合わねえなんて霊術院生じゃあるまいしって。ひどくないっスか?」
「…………」

 白哉はぺらぺらと語られた話の内容にどう反応すればよいのかわからないのか、何とも言えぬ顔で沈黙を落とす。……確かに、よくよく思い返してみれば、恋愛事の話など間違ってもこの人に振る話ではない。

 しかし同時に恋次は、彼には妻がいたのだということを遅れて思い出す。……そうだ、この人は、誰かを好きになったことがあるのだ。それも、厳しい家の掟を破ってまで添い遂げることを望んだ、そんな強く激しい想いを。

「……あの、隊長」

 恋次がそっと躊躇いがちに声をかけると、白哉は視線だけで応じてくる。先ほどから自分は何を話しているのだろう、とは思ったが、なぜか無性に聞いてみたくなって、恋次は言葉を押し出した。

「その……人を好きになるって、どういう感じなんスかね」
「……………」

 予想外の質問だったのか、こちらを見やる白哉の顔にやや驚きの色が浮かぶ。そりゃあそうだろう。戦術や鬼道の相談ならともかく、間違っても上官が部下から受ける質問ではない。やっぱりそうなるよなあ、と納得はしつつも、恋次はさらに重ねて言った。

「どういう風に思ったら、相手のことが好きだってことなのか、よくわかんねえんスよ。ダチや仲間とは違うんでしょう?」

 もちろん、友人である吉良や先輩である檜佐木から、想う相手について相談や愚痴は何度も聞いている。当然、好きとはどんな気持ちなのか、二人に聞いてみたこともある。返ってきた答えは『相手のことを考えるとすごく幸せな気持ちになれるんだよ』やら『一目見ただけでその日一日はずっと幸せなんだ』やら。二人がよく口にしていたのは『幸せ』という言葉だった。他にも、部下から惚気を聞くこともあり、彼らも同じような言葉を口にする。

 だが、そこで恋次は首を傾げてしまうのだ。

 好きな相手はいない。しかし、恋次はいま「幸せ」である。家族同然の幼馴染との仲を戻せて、背を預け合える友人もいて、それに―――憧れで目標である人との距離も、以前よりずっと近くて。

 いったい、彼らの口にする『幸せ』と、何が違うのだろう。

「………難解な問いだな」
「難解、っスか」

 およそこの人が口にしたとは思えない言葉に、恋次はやや目を瞠る。厳格な完璧主義者で、雲よりも高い自尊心の持ち主だから、難しい、なんて、そんな言葉を口にするところを、恋次はいままで見たことがなかったのだ。

「人により様々だ。感じ方も違ってこよう」
「じゃあ、隊長は、どんな感じですか? 人を好きになるって、どういうことだと思います?」

 気楽な調子で尋ねてみると、反対に白哉は何やら難しげな顔をしてふつりと黙り込む。難解だ、と言いつつも尋ねられるとはっきりとした答えを出さねば気が済まないのか、いつもより眉間のシワが深くなっていた。

「……――――愚かな、ことではないのか」

 長い沈黙の末、ぽつりとつぶやくように返された答えに、恋次は驚く。あまりに予想とかけ離れた答えだったから、驚かずにはいられなかったのだ。

 ――――愚か。

 それは、恋次がいままで聞いてきた答えの中で、極めて異色で、そして唯一、負の感情のようなものを纏ったものだった。

『幸せな気分になれるんだよ』

 誰もが、等しく、そう言っていたのに。

 好きだという相手のことを話すとき、誰もが、笑顔であった。嬉しそうで、楽しそうで、それこそ、幸せそうな。

 ―――それなのに。

 どうして、この人は、こんなに悲しそうな顔をしているんだろう。

 そりゃあ、奥さんを亡くしたことは、この人にとってきっと言葉に尽くせぬほどの辛い経験だったのだろうけれど、一緒に過ごした日々は、この人にとって『幸せ』な時間ではなかったのか。

「……すいません、もうちょいわかりやすく言ってもらえると……」

 しかし、まさかそんな踏み込んだ質問ができるはずもなく、恋次は困ったように首筋を掻きながら返す。すると、再び白哉はわずかな沈黙を挟んだ。

「………相手の幸福だけを願うことができず、己の願いを押しつけたいと望む。相手のもっとも心深くに根差すのは己でありたいと、自分勝手な願いを抱く。そして、愚かしくもその願いを捨てられぬ」
「…ああ! 独占欲ってヤツっスか? けど、意外っスね、隊長そういうのはあんまりなさそうなのに」

 恋次が首を傾げながらそう返すと、白哉はわずかに睫毛を震わせる。そして、すっと恋次から視線を逸らし目を伏せると、自嘲するかのようにつぶやいた。

「……、…―――であれば、妻を、朽木の家などに迎えたりはしなかっただろうな」
「ッ、あっ、すいません…っ!」

 恋次は己の失言に気づき、慌てて謝罪を口にする。

 軽率だった。

 この人の傷を抉っていることにも気づかず、自分は何と無遠慮な質問をしてしまったのだろう。

 しかし、白哉は恋次の謝罪に対し、実に不思議そうな顔をした。

「何を謝る」
「え、いや、だって……」

 本当になぜ謝罪を向けられたのかわかっていない様子の白哉に、恋次は困ってしまい口籠もる。

 自分が傷つけられたこともわからないのか、この人は。

 それが何だか、無性に悲しく思えて。

「…いえ……何でもないっス」

 結局、恋次は、どこかもやもやとしたものを抱えながら、ただそう返すことしかできなかった。

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