花は散りぎわ
「―――ッ……嘘、で、すよね…っ……?」
しんと静まり返った室内で、悲痛に叫んだ声の主は、へなへなとその場に頽れた。小さな身体が、いつもよりもさらに小さく見える。その理由を、この部屋でたったいま告げられた話を聞いていた面々は痛いほどに理解していた。
「…………ごめんよ、ルキアちゃん」
亡き師から総隊長の座を継いでまだ間もない京楽は、いつもの余裕ぶった笑みを消して、床に座り込んでしまったルキアを見下ろしていた。
そして、その視線は、ゆっくりと白哉の方へと移される。
いますぐにでも耳を閉ざしてしまいたい気持ちを無理やり捩じ伏せ、白哉は震える拳をわずかに強く握りしめた。
しかし、長い付き合いの京楽には、その仕草で十分すぎるほどに白哉の心情が伝わってしまったようで。
ひどくゆがんだ顔で、ぽつりと沈黙に声を落とした。
「…――――僕たちには、阿散井くんを助ける術が、ないんだよ…」
* * *
事のはじまりは一ヶ月前まで遡る。
その日、恋次は、いつものように出現報告の入った虚討伐に向かった。書類仕事を主とする六番隊にしては確かにそれほど回数は多くないが、しかし隊士の腕が鈍らぬようにと、定期的に虚討伐の仕事も回ってくる。
だから、その日舞い込んだ討伐要請も、ごく普通の日常的な風景に過ぎなかった。ただひとつ、いつもと違ったことと言えば、その日は業務が立て込んでいて、討伐には恋次ひとりを行かせたことだ。隊士たちだけで行かせるには未確認情報が多く、しかし副隊長が編成した班を率いるほどの大物だとは思えないとのことから、恋次が単独討伐に向かうこととなったのだ。
いつものように、明るい笑顔で「行ってきます」と告げて出て行った恋次の顔を、声を、つい先ほどのことのように覚えている。
しかし、白哉の元に伝えられたのは、無事に虚を討伐したという恋次の報告ではなく、阿散井恋次と思しき姿をした人物が流魂街で多量の魂を食い散らかしている、という、青天の霹靂のような事実だった。
すぐに直属の上官である白哉に招集がかけられ、それから不測の事態ゆえに調査員として涅マユリも動員されて、向かった先で見たのは、報告にあった通りの光景。しかし一目見て断言できたのは、あれは決して白哉の副官である「阿散井恋次」などではないということ。
マユリの見解によると、身体を乗っ取られたのだろう、ということだった。……ちょうど、例えるならば、志波海燕のときと極めて類似した症例だと―――そう言った。
解析はしてみるが、たった一度の接触しか成功しなかった上、戦うこともなくすぐさま逃げたところを見るに、相手の目的は恋次の身体を利用した死神たちへの攻撃ではなく、生き残るのに好都合な肉体を得ることだと推測される。よって、これ以上多岐に渡る接触は望めない、よって情報も圧倒的に足りない、つまりは原因究明及び阿散井恋次の救出確率は極めて低いと、マユリはそう無慈悲に断じた。
それから、数十日あまり。
隊長格自らが交代で恋次の所在を探し回ったが、依然として行方は掴めないまま。白哉は貴重な接触者としてそれ以上危険な動きは認められず、落ち着かぬ心でただ報告を待つことしかできなかった。
神頼みなど、柄でもないけれど。
必ず助ける術はあると、あの男は必ず自分のもとへ戻って来ると、そう信じようと必死だった白哉に。
マユリが叩き出した結論は、あまりにも惨いものだった。
『虚と呼ぶのも気持ち悪い相手だネ。相手の心臓に寄生する亜種だヨ。阿散井恋次の救出を試みれば、今度は別の奴が餌食になるだけだネ。おそらく身体を殺しても、すぐさま近くにいる別の奴に寄生するだろうから仕留めるのは困難だ。これだと、外から大掛かりな封印鬼道で囲うしか方法がないだろうネ』
それは、つまり、藍染のときのような―――悠久の封じによってしか解決できない相手であると、そう告げていて。
寄生木となっている恋次は、その媒介として犠牲にせねばならないと、そう言っていることに他ならなかった。
身を切り裂かんばかりのルキアの叫び声が、耳から離れない。それを、誰も無礼だとは言わなかった。―――虚に取り込まれた海燕の最期を、ずっと己のせいだと責め続けてきた彼女の嘆きであれば、なおさらに。
だから、きっと、白哉の表情の変化に気づいた者など、京楽ぐらいしかいないだろう。
己の歯で唇を切ったことなど、それこそ、誰も。
「…――――朽木、隊長」
白哉のいる執務室の戸を叩く音とともに、入室の許可を得て入って来た隊士の呼び声が部屋に響く。
気づけば、外はすっかり日が落ちていた。そんなことにも気づかないほど、意識が飛んでいたらしい。らしからぬ失態だ。
恋次への裁定が下されたあと、どう帰って来たかもわからぬ六番隊の執務室で、白哉は机に溜まった仕事をいつものように手際よく片付ける気力もなく、ただ煩悶と時を過ごしてしまっていた。
「……終業、です」
「………そうか」
ほとんど手についていない書類を、目障りだとばかりに横に退け、白哉は緩慢な動作で立ち上がる。……それさえも、きっと副官でなければ気づかない程度の違いしかないのだろうけれど。
「…、…あの……」
いつもならば、事務的な用事以外では白哉に話しかけることのない隊士が、おそるおそるといった様子で口を開く。ちらりと視線をやれば、そこにいるのは、確か、行木理吉という恋次を慕って六番隊に入った新人隊士だった。
「…、……恋次さん……大丈夫、ですよね……?」
「……………」
平隊員たちには、混乱を避けるため、まだ恋次の処遇については伝えられていない。あの場にいたのは隊長と副隊長のみだ。一般隊士たちにはただ、恋次が虚に身体を乗っ取られたという事実だけが伝えられていた。
不安に押し潰されそうになるのを必死に押さえているかのような瞳を向けられて、白哉の方が顔をゆがめそうになる。
恋次がこの六番隊から姿を消してから、一ヶ月。
その時間は、あまりにも長かった。
そして、白哉に決断を下させるにも、十分すぎるほどに。
「………ああ」
白哉は、気休めでもなく、嘘偽りを述べるつもりでもなく、理吉に短く応えを返した。静かに、確固たる意思をこめて。
「―――彼奴は、必ずここへ帰って来る」
その言葉に、理吉はあからさまにほっと顔を緩ませる。彼からしてみれば根拠のまるでないはずの言葉も、それを白哉の口から聞くだけで、これほどまでに安堵を覚えるものなのか。以前、どこか呆れたような顔で『あんた、それこそ神様か何かみてえに、熱烈に部下に慕われてること、ちょっとは自覚してくださいよ』と笑っていた恋次の顔が脳裏をよぎる。
「そう、ですよね! あの人、ずっと朽木隊長のこと追いかけて来たんですから、またすぐに、朽木隊長のおそばに戻りますよね!」
「……………」
わずかな安堵を糧に心を奮い立たせたのか、無理やりつくった笑顔でそう言った理吉から。
白哉は、そっと視線を外した。
嘘をつけぬ己の性格は、こんなところにも出るらしい。
それを、理吉が察することができないことに、白哉は感謝した。
―――私は、もう二度と、
ここへ戻って来ることはないだろう。
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