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ひかり降る朝に


 
「……―――じ……、………ん、…じ……」

 かすかな声を聞きとめて、恋次はうっすらと瞼を持ち上げた。ぼんやりとした意識をゆっくりと浮上させる。

 あたりはまだ暗い。夜半の刻のようだ。

 肌に冷たい夜気から守ってくれている寝具を跳ね除け、静かに上体を起こすと、恋次は自分の横で眠っている人を見やった。

「……れ……ん、…じ……、………恋…次……」

 背けられた顔の向こうから、ぽつり、ぽつりと、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。規則正しい呼吸の音から、どうやら寝ているようだと察すると、恋次は伸ばしかけていた手を止め、じっと白哉の背を見つめた。

 ―――寝言……

 珍しい。普段は、寝ているときでさえも隙は見せぬと言わんばかりに、呼吸の音さえ潜めているかのような、そんな眠り方をする人なのに。

 夢でも見ているのだろうか。

 苦しそうな声に、それが決して良い夢ではないのだろうと、恋次は察する。
 辛いと、苦しいと、そう言葉にはできない人だ。それならば、せめて夢の中でくらい、誰かに縋ってほしいと思うのだけれど。

「…ん、……じ、………恋……次……」

 恋次を呼ぶ声は、一向に途切れる気配がない。

 いないのか。自分は。この人のそばに。

 きっと、夢の中だから、この人はいつもより素直に、自分を求めて手を伸ばしているのだろうに。
 その手を、自分は取ってやれていないのか。

「…―――隊長……」

 小さな、ほんとうに小さな声で、恋次はつぶやく。
 その声に、華奢な背は反応を寄越さなかった。

 悪夢のときは眠りが深くなると言うが、やはり、この人も、悪夢に囚われているから、この程度では起きないのだろうか。

 起こした方がいいのか、起こさない方がいいのか、どちらがいいのかわからなくて、恋次はしばらく動けずにいる。明日は二人揃って遅番の珍しい日だが、だからといってこんな夜中に起こすのは忍びない。だが、このまま何もせず放置することもできない。

 しばらく考え込んでいた恋次だが、やがて、ゆっくりと布団から這い出てみる。案の定、白哉はそれでも起きる気配を見せなかった。

 恋次はぐるりと静かに白哉の正面に回り込むと、畳敷きの上に直接横になる。そして、ゆっくりと手を伸ばし、白哉の頭を抱えるようにして己の肩にうずめさせると、そうっと抱きしめた。

「―――大丈夫」

 わずかに震えているように思える身体を、恋次は何者からも護るように抱き込む。

 夢の中のこの人に、聞こえるはずがないけれど。
 それでも、言葉が口をついて出た。

「大丈夫ですから……ゆっくり休んで」

 自分に、この人を護れる強さがあったなら、と恋次は心の中でため息をつく。自分は何もかもがこの人よりも下で、まだまだ未熟な発展途上の身。彼の性格を鑑みるにしても、頼りなくて甘えてもらうことすらできていない。

 ―――いつか、

 夢の中からだって、あんたを助け出せるくらい。
 強くなれたらいいのに。

 自分の高い体温を白哉に移しながら、抱える腕はそのままに、恋次は重たく感じる瞼をそっと閉じた。
 
 
 


   *  *  *
 
 

 やわらかな朝日の射し込む部屋で、ゆっくりと意識を浮上させた白哉は、ふと、身体が妙にあたたかく、そして身動きが上手く取れないことに気がつく。まだ重く感じる瞼を持ち上げると、なぜか見覚えのある刺青の模様が視界いっぱいに映った。何拍か遅れて、白哉はそれが恋次の肌蹴た着流しの合わせから覗く胸の刺青であることに思い至る。そして同時に、自分が恋次の逞しい腕にしっかりと抱き込まれていることに気がついた。

 ―――あたたかい……

 なぜかはわからないが、恋次から伝わってくる自分よりも高い体温と力強く脈打つ鼓動に、白哉はひどく安堵を覚える。先ほどまでは強ばっていたように思える身体から、ゆっくりと何かが解けるように力が抜けた。

 ―――夢を、見ていた気がする。

 思い出せないが、ひどく、心の寒くなるような夢を。

 白哉はそっと手を伸ばすと、おそるおそる恋次の胸に触れる。指先が当たった瞬間、ぴくりと恋次は身体を揺らしたが、起きる気配はなかった。

 手のひらから心音が伝わってくる。

 よかった、と思った。なぜか、無性に。

 白哉はそっと身体を動かすと、恋次の腕の中に抱き込まれた己の腕を持ち上げる。そして、壊れ物を包み込むかのように自分に回された腕に応えるように、白哉は広い背に自分の腕を回した。

 そこで気がつく。

 恋次が、横に並べた布団の上ではなく、なぜか畳敷きの上に直接横になっていることに。

 かろうじて白哉の布団が掛かっているとはいえ、これでは冷えてしまうだろうに。そんなことは関係ないと言わんばかりに高い体温にわずかに笑みを漏らしながら、白哉は腕を持ち上げしっかりと恋次にも布団をかけてやる。……男二人で使うにはやや小さいだろうが、まあ、たまには良いだろう。

 恋次が何を思って、わざわざ移動したのかはわからないけれど。
 それが、おそらく自分のための行動だったのだろうということは、何となくわかる。

 白哉は今度こそ、恋次の大きな身体をそっと抱きしめる。

 大切な、大切な、己の半身。

 こうしてともに朝を迎える度に、白哉の心にあたたかな喜びと安堵をゆもたらしていることなど、この男は知らないのだろう。
 たったひとりで目覚める朝の虚しさと切なさを、この男はあっさりと吹き飛ばしてしまった。

 孤独の冷たい闇の中から、いとも簡単に白哉を救い出して。
 そして、ずっと、この朝のしあわせを与えてくれている。

 この腕に護られている、優しい時間が。何よりも愛おしいと、そう告げたら、この男は果たしてどんな顔をするだろうか。

「…………隊長…?」

 ふと、頭の上からぼんやりとした声が降ってきて、白哉はぴくりと身体を跳ねさせる。どうやら起きたらしい。

 急に気恥ずかしくなってきて、ぱっと恋次に絡ませていた腕を離すと、顔を合わせた恋次は残念そうな表情になった。

「やめなくたっていいのに」
「………うるさい」
「おはようございます、隊長」
「……ああ」

 いつも通りの、朝のやり取り。それが嬉しい。

 それに、今日は二人揃って遅番だ。慌ただしく起きる必要もない。白哉は恋次の顔から視線を逸らし、そっと額を恋次の胸板につけた。

「隊長?」
「……あたたかい」

 ぽつりと、つぶやけば、くすりと笑う声が振ってくる。

「ああ、よく言われます。体温高いって」
「………」

 そうではなく、おまえの存在が、あたたかいと。
 そう、言いたかったのだけれど。

 頭の中までぽかぽかとのどかな陽気に溢れているこの男には、どうやら上手く伝わらなかったようだ。

 心の安らぎをくれる、陽だまりのような場所。
 寄りかかると、支えてくれる。

「隊長」
「なんだ」
「よく寝れました?」
「…ああ」
「そっか。よかった」

 額を離し、顔を上げると、ふにゃりと笑う恋次が目に映る。その顔がなぜか妙に嬉しそうで、白哉もつられるようにして表情をやわらかく崩した。

 すると、頭を抱え込むように回されていた腕に不意にぐっと力がこもり、引き寄せられた白哉に恋次の顔が近づく。そのまま流れるように落とされた口づけに、白哉は慣れた仕草で目を閉じた。
 戯れるように何度か唇を啄まれ、触れるだけのやわらかな感触を楽しむと、白哉はゆっくり目を開ける。

 ひどく嬉しそうに破顔した恋次が、こちらを見つめていた。

「……どうした」
「いや、なんか、しあわせだなあって」

 急にしみじみとつぶやいた恋次に、白哉はやや目を瞠る。

「夜が明けて、朝になったら、ほっとしました」
「……詩歌にでも目覚めたのか?」

 恋次らしからぬ物言いに、白哉は不思議そうに尋ねたが、しかしなぜか恋次も同じように不思議そうな顔をしたので、どうやら通じていないようだと察する。そんなつもりはなかったらしい。妙に詩的な言い回しだと思ったのだが、特に他意はなかったのか。

「夜が怖いのか」
「いや……うーん…まあ、でも、そうとも言うかも」

 夜が怖いなどと、そんな幼子でもなし、すぐさま否定してくるだろうとの予測のもと放った言葉に、しかし恋次は予想外の答えを返してくる。

 白哉は驚いて尋ね返した。

「なぜ」
「…だって、夢の中じゃ、あんたを護れないから」
「……夢?」

 またわけのわからぬ物言いを、と思ったが、恋次は先ほどからずっと大真面目な顔で言っているので、本気なのだろうとは察することができる。

 ―――そう。確か、夢を見ていた、気がした。

 なぜか、ひどく、心の寒くなるような夢を。

 白哉は恋次を見上げる。……昨晩、何かあったのだろうか。思い出せない夢の内容と、朝になったら移動していた恋次の行動が、そう仄めかしている。よく眠れたか、などと聞いてきたのも、もしかしたらそのせいなのかもしれない。

 殊勝なことだ。夢の中でまで、護りたいだなんて。
 他の誰かに言われれば屈辱だと怒りそうな言葉も、それが恋次の口から出てくるだけで、胸の中に甘く溶けるような心地良さを感じる。

「恋次」
「はい?」

 ぱちりと、白哉の呼び声に反応するように瞬かれた恋次の目をまっすぐに見やり、白哉は少しおかしそうに告げた。

「そのようなこと、せずともよい」

 ゆったりと、恋次に微笑みを向けるとともに、思い出す。

 かつて、毎日のように悪夢に魘され疲れ果てていた、孤独の日々。目が覚めれば、そこには誰もおらず、手のひらに触れるのは冷たい朝靄ばかり。烟るほの暗い空気に重ねるように、その日見た悪夢は鮮明に後を追ってきた。

 ―――それが、いつの間にか。

 この男の隣りで目覚めるようになってから、いつの間にか、目覚めたときにはもう、悪夢は白哉の中にはいなかった。

 白哉の心の中にあるのは、ただ、恋次のぬくもりに触れるしあわせだけ。

 これ以上、どう護られる必要があるだろうか。

「おまえは、朝、私の隣りにいてくれれば、それで充分だ」
 



 ひかり降る朝に、目が覚めて。
 そのとき、おまえがそばにいるだけで。
 たとえどんな悪夢だろうが、私の中からは忽ち消えて失せるのだから。

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