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スイセンの毒



「いや〜〜しっかし、まさか寝て起きたらいつの間にか十日も経ってるとかな! いやあビックリだわ!」
「…………」

 相変わらず耳によく響く大声でへらへらと笑う、おそらく一応自分の上官に当たるはずの男の呑気な言い草に、白哉は思わず手中の林檎に沿わせていた小刀を無言でぐさりと深く押し刺した。

 ―――この男は……

 怒鳴ればいいのか、それとも呆れればいいのか。どう反応すれば良いのかわからずに、白哉はひっそりと深いため息をつく。

 今回の事件の原因であるという虚を討伐した、と思ったら、突然目の前で倒れ意識を失った『阿散井恋次』を、ここ四番隊の救護詰所まで白哉が担いで戻って来たのがだいたい数刻前のこと。目覚めるや否や「おお白哉! はよ〜。つかここどこだ? 救護詰所? あれ? 俺、自分の部屋で寝てなかったっけ?」などと言い始めるものだから、白哉は、彼が元いた場所に帰ったのだろうということと、自分の本来の上官が戻って来たことを知ったのだった。

 目覚めた恋次には主治医の卯ノ花も交えて状況を説明し、卯ノ花は今回の事件を「別の時空で虚に手傷を負わせた『阿散井恋次』が、こちらに魂だけ引き摺られ、いままで彼に取り憑いていたのだろう」と解釈した。そして、恋次の身体のどこにも異常がないことを確認すると「お大事に」とだけ言って先ほど去って行ったのだ。恋次が神妙な顔をしていたのはそれまでで、部屋に自分と白哉しかいなくなった途端にこの調子である。白雷の一発や二発打ってもバチは当たらないのではないか、と白哉は割と本気で考えた。

「白哉〜? 俺いつになったら林檎食えんの?」

 いつの間にか手が止まっていた白哉に、恋次の呑気な声が届く。それに応じるように、白哉はいまさらな問いをつぶやいた。

「……そもそも、おまえ相手に切る必要があったのか?」
「いや別に丸かじりでもいいんだけどさ、折角俺が剥き方教えたんだし、白哉だって林檎のひとつくらい剥けねえとこの先色々と困っ―――っぶねえ!」

 すらっと林檎に突き刺さったままの小刀を無言で恋次の方へと突き出すと、恋次は大袈裟なまでに驚いて見せる。

 白哉はふんと鼻を鳴らした。

「隊長如きに心配される謂れはありません」
「ちょっ、仕事以外ではその気持ち悪い敬語やめろっつっただろ!」
「失礼しました、阿散井隊長」
「俺がそう呼ばれんの嫌だってわかっててやってるだろゴラァ!」
「当然。何年の付き合いだと」

 あっさりとうなずいて、白哉は憐れにもとばっちりを喰らって刃の餌食となった林檎からゆっくりと小刀を引き抜くと、とりあえず解体を再開する。もしその出来栄えを不格好だと笑おうものなら、そのときは遠慮なくこの男に白雷を放つことにしよう。

 やはり、これでこそ自分の知る『阿散井恋次』だと、言葉には決してしないけれど、心でほっと安堵の息をつけば。もう二度と逢うことはないだろう、もうひとりの恋次の姿が思い起こされた。……とは言っても、容姿も性格も限りなく本人と同じだったのだが。

 まさか始めから白哉に見抜かれていたなどとは思いもよらなかったようで、驚いたような顔をしていたことを思い出し、白哉はひとり呆れ混じりに小さく息をつく。
 いまのように、公の場や部下たちの前以外で敬語を使えば即刻不機嫌そうに噛みついてくるはずのこの男が、ぽかんとするか居心地の悪そうな顔をするかのどちらかの反応しか見せなかったのだから、本人だと思うはずがないだろうに。

『……俺は、六番隊副隊長、阿散井恋次です』

 ほんのわずかつつかれただけで、あっさりと自分の正体を明かすことを躊躇わなかった恋次の言葉が、白哉の耳にはずっと残っている。彼と別れてからまだ数刻しか経っていないはずなのに、なぜか、妙な懐かしさを感じた。顔も、声も、目の前の男と何ら変わりはしないのに。

 ―――私が、隊長である世界もあるのだな……

 まっすぐな目で、はっきりとした言葉で、あの男は、自分は一生『朽木隊長』の副官だと言った。その姿が、不覚にも白哉には自分と重なって見えてしまったのだ。

 自分は四大貴族、それも筆頭である朽木家の当主。本来ならば、隊長となり誉れを得ることこそが、家を負う身の務めなのだろう。いまは若さゆえと見過ごされているが、すでに卍解を会得済みだと知れれば、いずれは―――…

 白哉はわずか、唇を噛む。

 ―――それでも、私は。

 ここに……この男の隣りに、いたい、と。
 誰にも告げたことのない望みが、もうひとりの恋次と出逢ってから、その存在をひどく主張している。

 迷いなく、堂々と己の意思を言い放つ自由さを持つあの男が。
 少し、羨ましかった。

「白哉〜〜? 林檎まだ〜?」

 こちらの心中など知りもしないで、先ほどから、いつ林檎が自分の口に入るのかとそればかり気にしている恋次に、白哉は睨みを飛ばす。……少しは静かにできないのか、この男は。真剣に悩んでいる私が馬鹿みたいではないか。

「うるさい」

 最後は乱雑に切り分けた林檎を、不機嫌そうな顔で皿に乗せて突き出せば、恋次はわかりやすくぱっと顔を明るくする。

「おっ、結構上手く剥けてんじゃん。やっぱおまえ器用だな〜」
「…………」

 不格好だと、笑ったら。
 白雷をお見舞いしようと思っていたのに。
 ――――当てが、外れた。

 そんな些細なことひとつ取っても、負けたような気がして。
 人を怒らせるのは得意なくせに、どうあっても嫌わせてはくれないところが――――ひどく、憎らしくて、腹立たしい。

「そーいやさあ、白哉」
「……なんだ」
「そこの黄色い花って、おまえが持って来たのか?」

 あっという間に皿を空にし、不思議そうに恋次が指差した先を見た白哉は、ぎくりと肩を揺らす。あの執務室の窓台から連れてきた一輪の花は、病室でも変わらず静かに、その目に鮮やかな色彩を振りまいていた。

「……それが、どうかしたのか」
「ん? いや、見たことないやつだったから。おまえが執務室にちょくちょく飾ってる花はだいたい覚えてんだけど、これは初めてだなあと思って。病室にも飾るってマメだな〜おまえ。何つー花?」

 私が飾った花など一々見ていたのか、とか、どうしてそんなところだけ律儀に反応するのだ、とか。色々と言いたいことはあったけれど、それらはすべて呑み込んで、白哉は平静を装って恋次の問いに答える。

「………水仙」
「あ〜…なんか聞いたことあるかも。たぶん。どっかで」
「適当な…」

 曖昧な反応に呆れた声を漏らしつつ、白哉は小さくため息をついた。……恋次にではなく、自分へと向けて。

 ―――馬鹿馬鹿しい……

 その花が、自らの咲く姿に秘めた言葉に縋るなど。
 そんなものに、頼りたくなるほど。
 私は、不安だったというのか。

 いまになって自分の行動の情けなさに嫌悪と羞恥が湧き起こってきて、白哉はわずかに拳を握る。

「あ、そういや、前におまえ、花には全部意味があるとか何とか言ってたっけ? 確かえーと…花何ちゃら……? 忘れちまったけど、これにも何か意味あるのか?」
「………知らなくていい」
「なんだよ〜自分で調べろってか。まあ暇だしそれでも―――」
「調べたら散らす」
「なんでっ?!」

 理不尽だとばかりに叫ぶ恋次に、白哉はふいっと視線を逸らす。……別に、水仙の花言葉自体は知られてもあまり問題はないが、しかし、この色は駄目なのだ。もし万が一この男が『黄色の』水仙の花言葉にまで目を留めたら、今度こそ白哉はその脳天に白雷をお見舞いしなくてはならなくなる。

 白哉は意識を逸らせようと早口に言った。

「花など気にしていないで、少しは睡眠も取らぬか。魂に直接負担がかかっていたのだぞ。休息の意味を履き違えていないだろうな、阿散井」

 いま、このときだけは、隊長に向かって、ではなく、古馴染みに向かって、そう言えば。

 恋次は少しばかり目を見開いて、それから、ふっと嬉しそうに笑った。……かと思った矢先、すぐに不満そうな顔になる。

「なあ〜白哉〜〜。そろそろ俺のこと名前で呼んでくれてもよくねえ?」
「寝言は寝て言え」
「口が悪い!」
「ああ、どこかの上官のせいで」

 しれっと返して、白哉は唇を尖らせる恋次に続けて言った。

「浮竹や京楽を超えてから言うのだな」

 あれだけ古くからの付き合いである二人とて、名で呼んでなどいないだろうと、そのような意味を込めて告げた何度目かになる言葉に、しかし恋次はがっかりするどころかぱっと顔を明るくする。そして、思い出したように言った。

「あっそれなんだけど、おまえ、昔は浮竹隊長とか京楽隊長のこと名前で呼んでたって言うじゃん! それなら俺も――んどぅふ!」

 いったいどこで聞き出して来たのだか知らないが、いつの間にか暴露されていたらしい話が終わる前に、白哉は恋次の頭に無言で手刀を振り下ろす。……おそらく言ったのは当事者のどちらかだろう。後で問い質さねば。

「殴った! 上官殴った!!」
「…破道の―――」
「うわっ鬼道はズルいだろ!」

 隊長格でありながら情けないことに鬼道を大の苦手とする恋次は、白哉のすうっと細められた眼差しと発動しかけた言霊に待ったをかける。

 白哉はわずかに間を挟み、それからすっと口を閉ざした。……困ったことに、これがいつものやり取りなのだ。

 それを見た恋次は、一瞬で先ほどまでのやり取りを忘れてでもしたのか、けろりとした顔で再度話を振ってくる。

「なあ、退院したら後で久々に手合わせしようぜ〜」
「断る。寝ろ」

 にべもなくぴしゃりとそう言って、ふいっと顔を背ける白哉に、しかし恋次はまったくめげずに言葉を続けた。

「いいじゃん、俺だっておまえの卍解と戦ってみたい」
「…ッ…?!」

 あれだけ慎重に秘匿してきたはずなのに、あっさりと告げられたその言葉に驚愕が隠せず、白哉はばっと恋次を見やる。

 確かに、今日、七番隊士らの前で止む無く使う羽目にはなったが、この男は目覚めてからまだ一度だって病室の外に出ていない。たとえ噂になってしまったのだとしても、恋次がそれを聞くのは不可能だ。

 信じられないと目を見開いて固まる白哉に対して、恋次は腹立たしいほどに自信ありげな顔でにやにやと笑っていた。

「もうとっくに卍解習得してんのに、それずーっと隠して俺の副官でいてくれる白哉、ほんとまじ好きだぜ〜〜」
「………黙れこの万年常春頭」

 いつから気づかれていたのだ、とか。
 それならこの男は、私がどんな想いでいるのかを、ずっと前からわかっていたのか、とか。
 穴があったらいますぐにでも入りたい気分で、白哉は掻き集められる精一杯の冷たさを装った睨みを恋次に向けて飛ばすが、当然ながらそんなもので怯むような相手ではない。

『おまえの隊長は、絶対におまえのこと好きだよ』

 あの男の言葉を、鵜呑みにするわけではないけれど。
 この男の言葉を、そのまま受け取るほど単純でもないけれど。

 ―――少しだけ、

 水仙の花が、咲いているから。

 少しだけ、信じてみたいと―――…そう、思った。

 己の愚かさを知らなかった自分と、決別を誓うかのように。

 いつまでもそばにいられると思っていた。自分が副官を辞めない限り、この男は、いつでも自分の隣り―――わずか半歩前にいるのだと。

 それが、どれほどのうぬぼれであったか。

 あの男が教えてくれた。

「ったく、相変わらずつれねえな〜白哉は」

 文句を言いつつも大して気にしていない声で、恋次はひょいと肩を竦める。これだけ素気無く扱っても動じる素振りひとつ見せないのだから、ある意味この呑気さも才能なのかもしれない。

「……相手をしてほしいなら、執務室でしてやる」

 立ち上がり、恋次に背を向けながら、白哉はぼそりと告げる。

「げえっ! 仕事山積みってか?!」
「当然だろう。十日も怠けていたのだから」
「俺知らねえ!」
「問答無用」
「鬼〜!」

 仕事の話になると途端に情けない声を上げる恋次に、白哉は静かにため息をついた。……まったく、どうして、この男なのだろう。もう少し、惚れ込むに相応しい相手が他にいたのではないか。

 それでも、もう、後の祭りだ。

 四大貴族の家の名も、周囲の期待も、己の誇りも。
 そのすべてと、引き換えにしてでも。

 自分は、この男の副官で在りたいと。

 その願いは、すでに形を成してしまっているのだから。

『そろそろ俺のこと名前で呼んでくれてもよくねえ?』

 馬鹿を言うな、と白哉は心の中で反論する。
 どうして、私がずっと、頑なに、その要求を撥ねつけてきたか、知りもしないくせに。

 もし、名を呼んだら。
 これ以上、おまえの近くに立ってしまったら。

 私は、もう二度と――――この場所を諦められない。


「わかったら、今日は大人しく睡眠を取ることだ。明日からは馬車馬の如く働いてもらうぞ、…―――――恋次」
「…ッ、?! お、おい、びゃく―――」

 驚いた恋次が自分を呼び止める前に、白哉はすでに開けていた扉をぴしゃりと勢いよく閉める。そのまま廊下に出た白哉は、はあ、と深くため息をついた。

 明日には水仙の花も枯れているだろう。

 花の持つ意味のことなど、あの男が忘れていてくれるよう祈りながら、白哉は病棟を後にした。
 


  * * *


 
 自惚れに気づかせてくれたなら、その先に望むのは。

 
 
 ―――――『私の元へ帰って』
 
 
 


 そして、

 私の隣りで、変わらない笑顔で、もう一度――――…
 



 『もう一度、愛してほしい』

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