スイセンの毒
―――どう、しよう……
四番隊からの帰路、終始無言で恋次のわずかに後ろをついて歩く白哉に、恋次は何と言ったものかと頭を悩ませていた。いっそ向こうから切り込んで来てくれれば、こちらも何もかもぶっちゃけられるものを。
卯ノ花曰く、原因となる虚を退治しなければ、おそらくこの現状は変わらないとのこと。とはいえ、その虚がどこにいるのかもわからなければ能力の詳細も未だ不明という状態での迂闊な行動は厳禁、こちらから指示があるまでは何もせず大人しくしていること、とのお達しをもらった。
なので、しばらくは彼とも上手く付き合って行かねばならない、のだが。
―――なんでずっと無言なんだ?!
普通、色々と言いたいことが出てくるものだろう、たとえば「よくも騙したな」とか「怪しい行動をしたら即刻散らす」とか。一応、卯ノ花からも白哉からも敵だとは認識されずに済んだものの、しかし恋次が絶賛怪しい人物であることに変わりはない。てっきり、彼らにとっての本物の「阿散井恋次」ではないということが明るみになった以上、何かしらの反応が来るものだと思っていたのだが。
「…え―――っと……」
沈黙に限界を感じていた恋次は、とうとう自分の方から口を開く。しかし何を言えばいいのかわからず、結局言葉を詰まらせてしまった。うんうんと頭を悩ませていると、そういえば、と恋次は先ほどの会話を思い出す。
『――――事実であると、考えます』
恋次の言葉は真実だと思うかと、そう問いかけた卯ノ花に対し。
はっきりと、この人はそう答えた。
なぜ恋次を庇ってくれたのか、その理由はわからないけれど。あの言葉がなければ、卯ノ花とてここまで恋次を信用してはくれなかっただろう。特に何の拘束もなくそのまま六番隊に帰してくれるなど、破格の待遇である。
彼には礼のひとつでも言わねば、あまりに失礼だろう。
「あの、ありがとうございました」
もう正体はバレてしまっているので、恋次は遠慮なくいつも通りの口調で白哉に礼を述べる。胡乱げな眼差しを向けてくる白哉に、続けて言った。
「俺のこと、庇ってくれて」
「………庇った覚えはない」
わずかな間を置いて返された言葉は、まったくよくあの人に似ているもので。恋次は少し目を見開いて、それから、なるほど彼が自分に敬語を使う理由はもうなくなったのだと察した。
「私は、事実を答えたまでのこと」
ああ、そんな物言いまで、そっくりだ。
おまえのためではないと口では言うけれど、あの人もまた、その行動の端々に恋次のためのものが潜んでいた。
「それと、私にその物言いは止せ」
「え? だって、もう隠す必要ないでしょ?」
「いつまでこちらにいるのかもわからぬというのに、隊の者に余計な不安を与えるな。少なくとも部下の前では、阿散井隊長と同じように振る舞え」
「朽木隊長にタメとか俺死にそう……」
さらりと無茶な要求をしてくるところまで、似ていなくてもいいのに。
少し若いだけで容姿も名前も性格までそっくりなのだから、違うとわかっていてもどうしたってあの人の姿を見てしまう。
「……つーか、あんたは平気なんス…だな。俺とあんたの隊長も、顔とか声とかはまったく同じなんだろ?」
「…………」
わずかに目を見開き、それから押し黙ってしまった白哉の反応に、恋次は何となく事情を察した。
「あー……まあでも、こっちでも俺どうせあんたに迷惑かけまくって怒らせてるんだろうし、なるほど、こんなときくらいタメ使いたいとかあるよな。うん、俺が敬われるとかあり得ねえしな。…あ、何なら俺いま違う方の恋次だし、日頃の愚痴とか言いまくって発散してもらっても」
「………そうではない」
恋次はばっと両腕を広げて受け入れる体勢を見せたが、白哉は静かにため息をつくと、意外にも否と返してきた。
「あの男とは、入隊以前からの付き合い故……」
「…ああ! 最初はタメだったんスか?」
「口調」
「うっ……すいません…」
「直っておらぬ」
方向性はやや違うがあの人と同様手厳しい白哉に、恋次は情けない声で反論した。
「いまは二人なんだしいいじゃないスか! 俺にとっては朽木隊長って、そりゃもう強くて遠くて憧れの人なんスからね! 無茶言わんでください!」
そりゃあ、こっちの「朽木白哉」はあの人よりも若くて、割と感情も見えやすくて、たぶんいまの自分より歳下なんだろうな、ということはわかるのだけれど。
それとこれとは、話が別だ。
「………兄にとって、朽木白哉は憧れなのか」
ぽつりと。なぜか驚いたような声で尋ねてくるものだから、恋次は首を傾げつつも大きくうなずいて、息を吐くのと同じくらい自然に言った。
「そっスよ。もう何十年も追いかけてるんです。めっちゃ歳上だし、戦闘も仕事も未だに全然敵わねえし、とにかく世話になりっぱなしなんスけど、いつか―――あの人を超えるくらい強くなって………そんで、認めてもらうのが、俺の目標なんです」
「…………そう、か」
本人だけど本人じゃないから、こんなにあっさりと言えたのだろうか。あまりにさらっと言ってしまったことに恋次は少々気恥ずかしくて視線を逸らしたが、しかし、どんな世界の住人だろうと恋次の話している相手はあの朽木白哉である。であれば、こんな雰囲気で終わるはずもない。
「しかし、兄の言い分は理解したが、その口調は困る。私と違い、兄は慣れておらぬのだろう。それではすぐに怪しまれる」
すぱっと放たれた言葉に、恋次は力なく笑いを浮かべた。
「いや〜…もう五日もこんな調子なんスから手遅れなんじゃ…」
「口調」
「手遅れなんじゃないかな副隊長殿?!」
もはやヤケクソの域でそう叫ぶと、白哉の目が見開かれる。その反応で、恋次は彼が京楽に向けて言っていた言葉を思い出した。
『あまつさえ、私を『朽木副隊長』などと呼ぶ始末―――』
それは、つまり、こちらの恋次は少なくとも彼のことを「朽木副隊長」とは呼んでいなかったということだろう。というか、顔も声も同じで、この上性格までもが同じというならば、仮にも一応部下に対し、そんな堅苦しい呼び方をするとも思えないが。
「そういや……こっちの俺って、あんたのこと何て呼んでたんだ?」
「―――おまえ」
「へ?」
「あんた、ではなく、おまえ。それから―――」
そこで一旦ふつりと言葉が切られ、なぜか白哉の眉間にぐっとシワが寄る。そんなに顰めたらまるであの人みたいじゃないか、と恋次が目の前の白哉から一瞬消えて見えた若さの影に目を見開いていると、白哉は恋次に向かってさらに大きな爆弾を落としてくれた。
「名を、勝手に呼び捨てにしている」
「……………」
当然のことながら、恋次は沈黙を落とした。
確かに、予想していなかったわけではない。だってあの人は恋次のことをそう呼んでいたのだから、立場が逆になったこちらでは自分が―――
―――いやいやいや無理!!
そんな恐ろしいことができるはずがない。恋次はぶんぶんと頭を振った。
「ッ、無理です!」
「無理でも呼んでください。―――『阿散井隊長』」
一瞬にして切り替えられた口調と、呼び名。
いまは『阿散井隊長』になれと、そう、彼の目が語っていた。
それが、他の誰でもない恋次のための行動であることくらい、朽木白哉という人物をよく知る恋次にはわかってしまうから。
「………びゃ、くや」
たどたどしい口調で、精一杯に、その一言を押し出した。
すると、白哉は、ほんのわずか、目を見開き。
そして―――ほんとうに、わずか。
何かを堪えるような―――見間違えでなければ、悲しそうにも見える色を瞳に浮かべ、それから、さっと恋次から顔を逸らした。……背けられたその顔に、果たしてどんな表情が浮かんでいるのか、恋次にはわからないけれど。
「……行きますよ。阿散井隊長」
すっと爪先を六番隊の方向へと向け、さっさと歩き出す白哉の背を見やり、恋次はぐっと心の奥底から湧き出てきた衝動を抑える。
それはきっと、たったいま彼が顔を背けたのと、同じ感情。
『―――恋次』
たった一言。
敵と対峙した瞬間も、書類の受け渡しのときでも、何気ない会話の中でだって、いつも。―――いつも、聞いていたのに。
聞こえない。
自分を呼ぶあの人の声が、聞こえない。
その一言が、どんなに得難いものであったのか、なんて。ずっと、気づかずに過ごしていた。いつしか隣りに立つのが自然なことになっていて、そして、同じように、名を呼ばれることさえも。
あの人が自分の名を呼ぶことが、当たり前、だなんて。
ああ、なんてひどい――――…
うぬぼれ、だ。