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もう一度きみに逢いに行く



「あら?」

 いつも通り代わり映えのしない仕事に追われていた乱菊は、連絡もなしに急に十番隊舎にやって来た来訪者にぱちくりと目をしばたいた。

「一護! 一護じゃな〜い! やだ、倒れたって聞いたけど、もう大丈夫なの?」

 書類そっちのけでぱたぱたと駆け寄ると、隊首室に入って来た一護は軽く手を上げて応える。

「ああ、大丈夫。ありがとう。…元気、そうだな、乱菊さん」
「もちろん。今日はどしたの?」

 にっこりと笑って、乱菊は一護にうなずく。その問いの意味を察せないほど、馬鹿ではなかった。

 彼は、あのときの自分の涙を知っている。

 あれから、周りに随分と迷惑をかけてしまった。空元気と言われようと、いまはこうするのがきっと最善だ。心配してくれる人々が自分の顔を見る度に心が痛めていることを、当然ながら知らないわけではなかった。

 乱菊は笑顔のまま、日番谷を振り返る。一護の来訪にも微動だにしない仕事の鬼に、乱菊は茶化すように声をかけた。

「隊長ぉ、何してるんですか、一護が来ましたよ。そんなとこで書類と睨めっこなんかしてないで、こっち来てくださいよ〜」
「…黒崎が俺に用とは限らねぇだろ」

 はあ、とため息をつきながら応える上司は、今日も人生楽しくなさそうな顔で眉間にシワが寄っている。

「ええ?六番隊や十三番隊じゃないんですし、こんなところに来るのなんて、隊長に用事があるくらいしか考えられないじゃないですか〜」
「こんなところで悪かったな」
「やだぁ拗ねないでくださいよぉ〜」
「誰が」
「…相変わらずだな」

 はは、と乱菊と日番谷のやり取りを笑う一護は随分と慣れたもので、乱菊は日番谷をからかうのを早々に切り上げ、一護を振り返った。

「で? どしたの?」
「ああ、ちょっと乱菊さん借りたいんだけど」
「へ? あたし?」
「おう。悪ィけどいいか? 冬獅郎」
「…日番谷隊長だ」

 もう無駄だから諦めればいいのに、めげずに何度も訂正する日番谷に、乱菊はぷっと笑いを漏らす。ぎろりと睨まれたが、ちっとも怖くなかった。

 日番谷はようやく書類から手を離し、一護を見やる。はあ、と吐いたため息は、言葉よりも如実に彼の心境を表していた。

「……まあいいだろう。その代わり、溜まった仕事は六番隊に回すが、文句はなしだぞ」
「……俺あとで白哉に何て言やあいいんだよ」

 さあっと青くなって冷や汗でもかきそうな顔になる一護に、乱菊はその横でひたすら首を傾げる。日番谷は何か聞いているようだが、何の話だろうか。仕事に厳しい日番谷が職務を放って抜けることを良しとしている時点で何だか妙だ。

 ―――まあ、一護っていつも何か巻き込まれてるからね……

 今回も何かに巻き込まれて、その助っ人が必要なのかもしれない。しかしそれなら恋次やルキアを頼れば良さそうなものだが、なぜ自分なのだろう。

「知らん。元々おまえたちが持ってきた案件だろ」
「白哉は黙っててくれてるだけなんだけど」
「馬鹿野郎。あいつの根回しと口添えなしに、てめぇの無茶な希望がすんなり通るかよ。立派な共犯だ」
「……マジか」
「マジだ」

 大真面目な顔でうなずく日番谷に、驚く一護。
 乱菊はわけがわからない。

 ―――朽木隊長も関わってるの?

 しかし、それなら余計に恋次たちの方が動かしやすいだろうに。おそらく日番谷は同じ隊長格の白哉に何らかの頼み事をされて仕方なく自分を貸すことを了承したのだろうが、なんだってそんな回りくどいことを。

「いいからとっとと行け。仕事の邪魔だ」
「あ、ああ。ありがとな冬獅郎。白哉には俺から謝っとくよ」
「だから、日番谷隊長だと―――」
「じゃ乱菊さん。ちょっと来てもらえるか」
「無視か。おい黒崎」
「えっと……それじゃ隊長、ちょっと行って来ますね〜?」
「…おう。もう帰って来るな……」

 どっと疲れたと言いたげな日番谷を置いて、乱菊は一護に続いて隊首室を後にする。書類仕事から解放されたのは嬉しいが、果たして一護の用事とは一体何なのだろう。

「で、どこ向かってるの?」
「えーと……白哉の屋敷?」
「なんで疑問形なのよ。ていうか、朽木隊長ならまだ仕事中だろうし、六番隊舎にいるんじゃない?」
「や、違う違う。白哉に用があるわけじゃねぇんだ。なんか…別宅?だって言ってたとこなんだけど、他に頼める奴いなかったから場所貸してもらっただけ」

 あの天下の大貴族に軽々しく屋敷を貸してくれなどと言える一護も相当にすごいと思うが、いまの疑問はそこではない。食いつくと話が逸れる。乱菊は流すことにした。

「なに、会議室代わりにでもするつもり? ていうかあんた、何であたしを借りたいのよ。そこから説明しなさいよ」
「着いてから説明するって」
「も〜〜しょーがないわねぇ」

 煮え切らない態度の一護に、乱菊はわざと大きなため息をつく。しかし、悪ィな、と一護に言われてしまえばそれ以上聞くこともできない。

 それにしても随分といい笑顔だったような気がするが、何か良いことでもあったのだろうか。もしかしたら事件のために呼ばれたのではないのかもしれない。

 ―――でも隊長がおっけー出すなんてよっぽどよねぇ…

 結局、黙ってついて行って辿り着いたのは、まあそれはそれは大きく立派なお屋敷だった。あの朽木白哉所有の屋敷なのだから、別宅だろうが何だろうが規模が違うのは当たり前だった。こじんまりとしたものを想像していた数時間前の自分を吹っ飛ばしたい気分である。
 しかし、そんなことよりも気になることがひとつ。

「なぁにこの家。結界張ってあんじゃない」

 ピリピリとした感覚の正体を知り、乱菊は目を見開く。それもかなり強力なものだ。この中に一体何があるというのだろう。

「ああ、一応、念の為だよ」
「何それ。厳重ねぇ」

 一護が門に手をかけるのを、乱菊は黙って見ている。どうやら予め許可の与えられている人間に対しては効力を発揮しないらしい。

 広い敷地に反して、中には人っ子一人おらず、しんとしていた。しかし、門番どころか使用人のひとりもいないのはどう考えても不自然ではないのかと乱菊が訝しんだ瞬間、聞きなれた声がする。

「おう、来たか」
「…恋次ぃ?」

 この時間ならば六番隊舎で仕事をしているはずの副隊長が奥から姿を表したことに、乱菊は驚いて目をしばたく。

 恋次は笑って軽く乱菊に会釈をした。

「ども。早かったな、一護」
「ああ」
「な? 隊首会で伝えといてもらってよかっただろ?」
「結果的には、な。じいさんから何とかオッケー貰えたからよかったものの、そうじゃなかったら自殺行為だろ。危ねぇことすんな、オメーらも」
「隊長に言ってくれ」
「言えるかよ」

 ぽんぽんと軽口が飛び交うのを、乱菊は何だか置いてけぼりを食らった気分で眺めるしかない。

 そんな中、驚愕の瞬間はやってきた。

「……なんや、えらい早かったなぁ」

 声が、聞こえた。

 嫌というほど、聞きなれた声が。
 もう、二度と―――聞けないはずの声が。

 四肢が硬直したように感じたのは、きっと気のせいではない。まるで縛道でも食らったかのように動かない身体を、乱菊は何とか首だけ動かした。

 ヒュッと、息を呑む。

 銀髪の青年が、そこに立っていた。

「ボク、こっちに戻って来たん昨日なんやけど」

 懐かしい、飄々とした声が、あたりに響く。飄々としていて、けれど、いつも乱菊のそばにいた―――いつか聞いた、やわらかい声。

「早けりゃ早いほどいいに決まってんだろ」
「相変わらず無茶言いよるわぁ」

 くつくつと笑う姿に邪気はなく、それは紛うことなき、乱菊が求めた姿。

『―――ご免な』

 それは、あのときと、同じ―――…

「……――――ギ…ン……?」

 まるで狐のようだと、昔よく揶揄った目が、乱菊を捉える。
 ふっと、やわらかな笑みが口の端を彩った。

「なんや……えらい久しぶりな気ィするなぁ? ―――乱菊」

 もう一度、あなたが、私の名を呼んだ。

『乱菊』

 優しく、困ったように、けれどどこか―――嬉しそうに。

 止める間もなく、気がついたときには、頬をあたたかいものが伝っていた。零れていく大粒の涙たちに、目の前に立つギンはぎょっとする。

「ちょっ、な、泣かんでもええやろ?!」

 そして、後から思えば滑稽なくらいに、狼狽えて見せた。

「……ギン…」

 何も言えずに、乱菊は呆然と名を口にする。おろおろと乱菊の顔を覗き込むようにして背を丸めるギンに、まだ信じられない想いで言葉を吐いた。

「…ギン……ギンなの…? …ほんとうに…?」
「こない変な顔しとる奴が、ボクの他に居てるわけないやろ」

 ああもう、困ったなぁ、と頭を掻くギンに、乱菊は何だかおかしくなって、腹の底からこみ上げてくる衝動のままに、笑い声を漏らす。

「ほっ…ほんと、ほんとに……そうね…」

 ぼろぼろと泣きながら、くしゃくしゃになった顔で笑って、乱菊は目の前にいるギンの胸に飛び込んでみる。幻かと思ったら、確かに、受け止めてくれた。

 ―――あたたかい…

 温もりが伝わってくる。心臓の音が聞こえる。
 生きているのだ。ほんとうに。

「……乱菊? おーい乱菊? きみ、そこに人が居るの忘れとらん?」

 頭上から、それはもう困ったような声が降ってくる。乱菊は無視を決め込んで、ギンの身体を抱きしめる両腕にさらに力を込めた。

 少しくらい、困ればいいのだ。

「あーお気になさらずー」
「俺も何も見てないっスよー」
「きみらなぁ…」

 ギンのため息が、あたたかい陽射しの中に、溶けて消えた。
 
 
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