もう一度きみに逢いに行く
どうにもこの身体では霊圧感知はできないらしい、とギンが察したのは、浦原でもなく黒猫でもなく、あの少年でもない、新たな二人が部屋に姿を現すまで、まったく何も感じ取れなかったからだった。
「…―――お久しぶりです、市丸隊長」
二人がちらりとお互いを見やったあと、困ったような顔をして、それから仲良く口を揃えて告げた挨拶に、ギンは思わず笑ってしまった。
「ボクはもう隊長やないやろ」
「は、いえ、そうなのですが……」
畏まって視線をうろうろさせる少女に、ギンはさらに告げる。
「きみは一番、ボクに色々と言いたいことがあるやろに。…きみ、ボクに殺されるところだったんやで? ルキアちゃん」
「それは……」
ルキアは何と答えたものか困っているようだったが、隣りに立つ赤髪の幼馴染がとんと軽く背をたたくと、ほっとしたような顔になった。
「私は……生きておりますから」
まるで、あの少年のような物言いだった。
「そら六番隊長さんのおかげや。あの人が助けに入らんかったら、ボクはホンマにきみを殺してた」
「はい。おっしゃる通り、兄様のおかげで私は無傷です」
「………きみら、一体どういう思考回路しとんの」
あくまでルキアが主張を変える気がないようだということを察したギンは、ぽりぽりと頬を掻く。これはもう甘いとか…そういう話ではない気がする。大丈夫だろうか、この子たちは。
「市丸隊長こそ…以前とは随分と雰囲気が違って見えますが」
おや、言い返されるとは思わなかった。ギンは笑う。いつも彼女に向けていた蛇の笑みではなく、ただ、気の向くままに。
「うん。あれ、わざとやったから」
「…へ?」
「ボクのこと、怖い思てたんやろ? それ、わざとやっとったんや。ボクがそうきみに思わせてん」
「そ、それは…なぜ……」
「藍染隊長の命令でなぁ。自分が動きやすくなるためにな、ボクはそれなりに怪しく見えるよう振る舞え言われてたんや。きみに何かあると、六番隊長さんがすぐ反応して動くやろ? あの人の影響力は大きい。ええ位置におったんよ」
「兄様が……」
すでに兄の心の内を知っている彼女ならば、納得のいく理由のはずだ。あのとき、身を呈して妹を守った白哉が、ギンはほんの少しだけ羨ましかった。
自分は、ごめんな、としか言えなかったから。
「ははぁ、ウチの隊長利用してたんスか。怖いっスね」
ようやく口を挟んできた恋次に、ギンはくすくすと笑った。
「何言うてんの。きみはボクのこと怖いなんて思てへんかったやろ。きみみたいな性格の子には、ああいうの効かんのや。六番隊長さんも、こんな自分と真逆な子副官に選ばんでもええのにと思いながら、仕方なしにルキアちゃんの方にしたんやで」
「まあ、どっちかってーと隊長の方が怖ェしなぁ」
「こら恋次!」
「違いないわ」
恋次が茶化した物言いをすると、すかさずル横にいたキアが窘める。その様子を眺めながら、でも、とギンは付け加えた。
「ボクがルキアちゃん怯えさすから、六番隊長さん、きみと一緒にいるときはボクの霊圧わざわざ避けとったんやで? さみしかったわぁ」
「そ、そのようなことが…」
驚きに目を見開くルキアを、面白いなぁと思いながら見ていたギンだが、がらっと音を立てて空いた襖に視線を移した。
「…おう。随分と楽しそうだな」
「一護! 貴様、学校はどうしたのだ」
振り返って驚くルキアの視線の先には、あの少年が立っていた。
「今日は早いんだよ。ちょうどよかった、俺、ちょっと尸魂界に行って来るけど、おまえらどうする? できれば地獄蝶持ってるおまえらのどっちかが一緒に来てくれるとありがてぇんだけど」
「そりゃ別に構わねぇが……確か、浦原さんの穿界門はもう尸魂界から正式に使用許可が下りてるだろ? 流魂街に出るのは面倒かもしれねぇが、こっちの穿界門をくぐると一々申請手続きとか面倒だぞ」
恋次が不思議そうな応えを返すと、少年はがしがしと頭を掻いた。
「それは、そうなんだけどな……」
「何だ、まさか拘流に追われるのが怖いとでも言うのか?」
からかうように言ったルキアに、少年はむっとする。
「……うるせぇな、一々走り抜けるの面倒なんだよ」
「なんと図星か! かーッ情けない! あんなもの、今の貴様の実力ならば追いつかれることなどまずないだろうに。ああなんと情けない!」
「うっせぇって言ってんだろ! 二度も言うな二度も! もういい!」
「まあ待て待て、恋次、一緒に行ってやれ」
「え? いいのかよ。市丸隊長の目が覚めたからって、ついて来てくれっつったのおまえじゃ痛っえ!」
恋次の言葉を遮るようにして、ルキアの見事なボディブローが決まった。彼らの様子を見るに日常茶飯事らしい。
「やかましいぞ! 貴様も行って、兄様に口添えして来い。一護ひとりでは何かと粗相があるだろう」
「いや隊長に手伝ってもらいてぇなら俺よりおまえの方が…」
「い、い、か、ら、行って来い!」
「……行くぞ一護」
「お、おう…」
ルキアに流されるようにして、男二人は部屋から出て行った。随分と無防備やなぁと、それを見送ったギンはちらりとルキアを見やる。
「……ええの? 追い出してしもて」
「大丈夫でしょう。あれは何かと兄様が絡むと自分を過小評価しがちなのですが、兄様はあやつを買っていますから」
「いや、そうやのうて。きみが大丈夫なんかて聞いとるんやよ。これじゃボクと二人きりやで?」
検討外れなことを言うルキアに、ギンは笑う。しかし、意外なことに、いつも自分を前にすると怯えていたルキアの表情に揺らぎはなかった。
「もう大丈夫です」
「……そない無理せんでええよ。ほら、あの元十二番隊長さんのとこ、行ったらええ。黒猫さんでもええけ―――」
「―――声を、聞きました」
ぽつりと。こちらの言葉を遮って零された言葉の意味を図りかね、ギンは首を傾げる。
「大切な人を、呼ぶ声を」
「…!」
それが、自分の意識のないときのことであると、ギンは瞬時に悟った。彼女の表情が、そう言っていた。
『―――乱菊』
意識が遠のく中で、何度も、何度も、呼んだ名だった。
それは、きっと、意識をなくしてからも。
それに、とルキアの言葉が続く。
「私たちは一護の仲間です。一護の味方をするのは当然です」
きっぱりと言い切ったその目は、あの少年とよく似ていた。
―――この子も…あの子と同じなんか
まぶしい、オレンジ色の、人間の少年。その少年と、まるで同じことを言い、まるでギンが味方であるかのように振る舞うルキアの姿は、自分とはあまりにも違う。
ギンは静かに笑った。きっと、力のない笑みだっただろう。
「……それでもきみは、ボクを許したらあかんよ」
その事実は決して変わらず、そして、もしまたギンの進む道に、この心優しい少女の命が立ち塞がるのなら。
そのとき、ギンは再び彼女の命を刃に掛けるだろう。
守りたいものは、たったひとつ。たとえ、それ以外を、この牙に掛けることになろうとも。
それが、ギンが己に誓った覚悟だった。
向けられる心を、心地よいなどと、思ってはいけない。
「……、強いですね……市丸隊長は」
「は?」
唐突に、まったく予想外の言葉を告げられて、ギンは困惑した。まったく、彼らには困惑させられっぱなしだ。いつも飄々としているはずの自分のこの様を見たら、彼女は一体何と言うだろうか。
「私はずっと、許されたいと、解放されたいと、自分の罪から逃げ回っていました。だから、そのように言える市丸隊長は、強いと思います」
ギンは、彼女の所属する十三番隊の、副隊長だった男を思い出した。あれは、絵に書いたような正義の男だった。そして―――彼の死因の片棒を、自分は確かに担いでいた。あの男の話に、自分が踏み込むべきではない。
だから、ただ、ギンは笑うだけだった。
「…―――だから、ボクはもう隊長やないよ」
その言葉に、ほんの少し救われたなんて、きっとただの錯覚だ。