もう一度きみに逢いに行く
チッ…、チッ…、チッ……
静けさに包まれた中で、古時計の音が聞こえる。
その、無機質に時を刻む音に、ゆっくりと意識が浮上するのを感じた。重く鉛のような瞼を持ち上げ、ぼんやりと景色を見つめる。茶色く煤けた天井が見えて、それから、部屋に射し込む陽の光を感じた。妙にあたたかい。腕を動かそうとして、上から布団をかけられていることに気がつく。
―――何や、これ……
困惑は声にはならない。嗄れているのか、わずかに開いた口から音は出なかった。
「―――目が、覚めたか」
不意に、どこからか聞こえてきた声に、驚いて視線をやる。細目とからかわれ続けたこの顔が、きっと今は驚きに染まっているに違いない。
「きみは…」
声が、出た。ひどく小さいものだったけれど。
「黒崎一護だ。さすがに、名前くらいは覚えてるだろ。―――市丸ギン」
「……そないなこと、聞いてるんとちゃうよ」
ひどく重い身体を起こすことは諦めて、視線だけを動かせば、あの随分と目立つオレンジ色の少年がそばに座っていた。こちらを見下ろす眼差しは静かに凪いでいて、あのとき確かに、信じて託せると思った姿だ。
ギンは、ようやく、現状を理解した。
「まさか、敵さん助けるなんて……これまた随分と甘いことやね……」
ギンは力なく笑った。しかし、百年以上にも及ぶ復讐のため身に付いた演技力はそれなりだと自負があるものの、果たして今の状態で意図した通り口元に笑みが浮かべられていたかどうかは定かではないが。
笑う以外にどうしろと言うのだ。
「―――敵じゃねぇよ」
ぽつり、落とされた言葉は、部屋に溶けていくようだった。まるで確信を持っているかのように、この少年の言葉には揺らぎがない。
「敵やない? …おかしなこと言わはるね」
「別に、何もおかしなことは言ってねぇよ。藍染は封印された。―――もう……終わったんだよ」
封印された。
その一言に、ギンはさらに目を見開いた。ああ、そうか、と悟る。
―――やってくれたんや、この子は
間違いではなかった。信じて託してよかった。
ギンの纏う空気が変わったのを感じたのか、少年は言った。
「……藍染のところへ辿り着く前、俺は途中で、藍染の霊圧がすげー揺れを起こしたのを感じたんだ。尋常じゃねぇ揺れだった。まるで、死に直面したかのような…そんな揺れ方だった」
「………」
「それで、藍染のところへ俺が着いたとき、あんたが倒れてた」
なるほど、この少年の言いたいことを理解したギンは、それでもやはり甘いと思った。
「やったのは、あんただろ、あれ」
その言葉には、なぜか確信が宿っていた。
この少年はギンのことなど知らない。知っているはずはない。それなのに、どうしてこうも信じられるのか。
「……倒したんはきみやろ」
ボクは、何もできひんかったよ。
―――乱菊が取られたもん、取り返すはずだったのになぁ…
実にくだらない感傷で口から滑り落ちそうになった言葉を、ギンは慌てた様子を隠しながら胸の内にしまい込んだ。
―――綺麗なもんやね
敵ではないとの確証もなく。それが得策と呼ばれる判断でもなく。せっかくつくり上げた尸魂界との信頼を手放しかねない選択をするほどの理由が、果たして彼にはあるのだろうか。
たったひとつ、唯一を守るためにすべてを捨てた、何もかもを切り捨ててきた自分とは正反対だと、ギンは思った。それは実に笑い話にもならない滑稽さで、最高に笑えない駄作の物語のようだ。
安心して逝けると思った。最期に逢えたから満足だった。あのとき謝っておいてよかった、これで未練はない、これでいい―――そう、思った。
―――それが何や、情けない
こんな姿に、なってまで。
敵討ちひとつ、できんかったくせに。
この身はまだ生を望むのか。醜く這いずる蛇のように。
『乱菊が、泣かんで済むようにしたる』
そう言ったはずなのに。
そのために生きてきたはずなのに。
それがどうだ。彼女を泣かせたのは、自分だった。
「―――よかった」
「へ?」
不意に聞こえた言葉に、ギンは困惑する。それが顔に出ないだけ上等なものだが、しかし驚いた拍子に声は漏れてしまった。
「あんた、もしかしたら認めないかもって、思ってたから」
変な意地とかありそうで、と告げる無遠慮さが、どうにもギンの笑いを誘った。
「…認めてはあらへんよ」
「同じようなモンだ」
聞きたいことが聞けたからか、少年はすっと立ち上がる。それを見たギンは身体を起こそうとしたが、ちっとも言うことを聞いてくれなかった。
「それ、浦原さんに作ってもらった義骸で、上手く連結してまともに動けるようになるまではもう少しかかるらしいぜ。なんでも、霊圧を遮断しながら、中にいる奴の霊圧を回復させるんだと」
それと、ここは現世の浦原商店だと、聞いてもいない情報も与えられる。
「ええの? ボクの霊圧なんて回復させて」
「浦原さんに頼んで、必死こいてぎりぎりで繋ぎ止めたんだ、そう簡単にくたばってもらっちゃ困る」
「ほんまにおかしな子ぉやね。…ボクがきみを殺そうとしたん、忘れたわけとちゃうやろ?」
「俺は死んでねーよ。それに…」
障子を開けた手を止めて、少年はこちらを振り返る。何やら些事など吹っ切れたとでも言いたげな、そんな顔だった。
「あんたの殺気、結局偽物だったじゃねーか」
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