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バレンタイン


 
「…ん、よし。いい感じ」

 やわらかく朝日の射し込む居間の奥、台所で慣れた手つきで炒め物の音を響かせていた恋次は、箸で摘んだものを口の中に放り入れて味を確かめると、満足げな笑みを浮かべてそれを皿に移した。

 昨晩なかなかに無理をさせてしまった白哉は、まだ寝ている。

 お許しを得たとはいえ、喜びやら興奮やらで昂った感情のままに激しく抱いてしまったのは、やはり無理がかかったのだろう。

 それでも、朽木邸ではこうしてゆっくりと眠ることさえしてくれないから、大半は自分のせいだとはいえ自分よりも遅くまで寝ている白哉の姿を見られることに、少しばかりの優越感と喜びがあることもまた事実だった。

 もともと、立ち位置的にどうしても負担が白哉にかかるので、せめてもと恋次はこうして朝食を用意したりと、出来うる限りのことはしている。これもその一環だ。

 そんな恋次のもとへ電話がかかってきたのは、あらかた朝食のメニューを作り終えた頃だった。

 こんな早朝にいったい誰だと画面を見やれば、そこには幼馴染の名前が表示されている。

 ―――ルキア…?

 何の用だろうかと首を傾げつつも、恋次は脇に置いていた伝令神機を手に取り、通話ボタンを押して応答した。

『もしもし』
「おう。ルキア。どうした?」
『どうしたとはまたご挨拶だな、恋次。貴様、兄様からありがたい贈り物を頂いたのだろう。そちらに泊まられたようだが、粗相はしていないだろうな? きちんとお礼は申し上げたか?』
「はあ? ンなもんおまえに言われなくたってちゃんと礼くらい……って、なんでおまえ、隊長がウチに泊まってんの知ってんだ?」
『なぜって、昨日の昼にお会いしたとき、今日は貴様のところに泊まると言っておられたからだが』
「えっ…マジで?」

 意外すぎる返答に、恋次は電話越しに目を見開く。

 それは、つまり―――…あのとき恋次がねだらずとも、白哉は泊まって行くつもりだったということか。

 意外なところから漏れた事実に、ぐぐぐ…と恋次の口の端が持ち上がる。こんな締まりのない顔、ルキアに見られたら飛び蹴りを食らわされそうだ。

 しばらく緩む口元を抑えるのに忙しかった恋次だが、ふと、ルキアのおかげで自分の過去の一端が暴露されたのだということを思い出す。

「そういやおまえ、俺がチョコ駄目なの隊長にバラしたろ」
『…む。仕方なかろう。私が答えずとも、兄様はすでに気づかれておいでのようだったし……』
「まあ、そりゃそうなんだが…。犬吊のこともだけど、トラウマの話とかあんますんじゃねえよ、カッコ悪ィだろ」
『貴様が兄様の前で格好良かったことなどあったか?』
「い、一度くらいはあるだろ! …たぶん!」
『どうだか。……まあ、その、貴様の気持ちもわからんではないが、しかし下手に隠すよりもお話した方がよいと思ったのだ』
「………」

 不意に真面目な声音になって、つぶやくように付け加えて言ったルキアに、恋次はわずかに沈黙を落とした。

 被害に遭った当事者である恋次よりも、慌てて助けに来たルキアの方が心に負ったダメージが大きいのだろうということは、恋次にもわかっている。

 だから、仕方ないとばかりにため息をひとつこぼして、この話は終わらせることにした。

「…ま、いいや。気ィ遣わせちまったな」
『なんだ、しおらしい恋次など気味が悪いぞ』

 恋次の言葉から的確にこちらの心情を読んだのか、途端に冗談めいた口調に切り替えるルキアに、恋次は「うっせ」と言い返す。それとともに笑い声を伝えれば、もうルキアもこれ以上気にすることはないだろう。

『……それで、恋次。貴様のことだから、いただいた花の名など調べもしないだろうと思って連絡したのだが、図星か?』
「えっ、花の名前? つか何で花貰ったことまで知って…」
『だから、言ったろう。私も昼に屋敷へ戻っていたと。兄様がわざわざその花を選ばれた理由を、貴様では察せぬだろうと思ってな』
「俺の髪の色みてえだからじゃねえの?」

 不思議そうに尋ね返してみれば、次の瞬間、呆れを示すようにこれでもかというほど盛大に大きなため息が耳元で聞こえた。

『ああもうこれだから貴様は…。いいか、花の名は教えてやる。あとは自分で調べろ。花言葉で調べればわかるはずだ』
「なんだよ教えてくれたって―――」
『莫迦者! 兄様が御心を込められた言葉を、私などが口にできるものか! 自分で調べろこのたわけが!!』

 キ―――ン!と鼓膜を壊す勢いで響いた大声に、恋次は思わず伝令神機を耳元から離す。

 恋次は宥めるように言った。

「わかったわかった…」
『…まあ、とは言っても、貴様が資料室などに足を向けるとも思えん。速攻で眠気に襲われ寝落ちるのがオチだろう』
「おまえ人を何だと…」
『そこでだが、恋次。貴様、この前私と一緒に浦原から試しにと貰った新型の伝令神機があっただろう』

 堂々と遮られ無視されるのは最早いつものことなので、恋次は慣れたものとすぐに頭を切り替えて該当するものを脳裏に思い浮かべる。

「ああ、あのスマホ型伝令神機な。割と使いやすくて便利だぜ、現世の調べ物も簡単に……、…ああ、なるほど」
『そういうことだ。手軽だろう』

 恋次が理解したことを察すると、恋次から見えはしないが、ルキアがうなずく姿が見えた気がした。

「で、何つー花なんだ?」
『…アネモネ、と打てば出るだろう』
「ん。了解。けど、何でわざわざそんなこと俺に教えるんだ?」
『……バレンタインではチョコ作りに付き合ってもらったからな。悔しいが私ひとりではできなかった。だから…、その礼だ』

 くれぐれも兄様に告げ口するでないぞ、と念を押すことは忘れずに、用件を無事に済ませると、ルキアは「ではな」と簡素な挨拶を残して通話を切った。

 礼、と言うからには恋次を喜ばせようとしているのだろうが、花に込められた言葉とやらが、それほど恋次にとって嬉しいものなのだろうか。

 ―――まあ、でも、あの人そういうの詳しそうだし…

 ルキアがわざわざ反応するということは、おそらく白哉もわかった上であの花を選んだのだろう。そう思うと、確かにどんな意図があってのものなのか、知りたくはなってくる。

 恋次はできあがった朝食を台所の端に寄せると、手早く調理器具を片付け、それからルキアに言われた通り浦原から貰ったスマホ型伝令神機を棚から引っ張り出す。非番の日は意外と私用と興味本位で使うが、仕事がある日はほとんど使うことがないので棚にしまいっぱなしだったのだが、充電はまだ十分あるようだ。

 教えられた通りの操作でネットを開くと、恋次はルキアに教えられた通りに花の名と、それから花言葉と検索欄に入力した。

 これで大抵の調べ物の答えは得られるというのだから、まったく便利なものである。

 ―――何だろうなあ…、俺っぽい言葉なのか…?

 自分に当てられる言葉で肯定的なものというと、明るいとか、お喋りとか、そんなところだろうか。

 これを見れば、白哉が自分のことをどう思っているのか少しばかりはわかるのかもしれない、と思うと、わずかに伝令神機を持つ手に力がこもる。
 ほんの数秒ためらってから、恋次はピッと検索をかけた。

 ほうほう、同じ花でも色によって込められた言葉が違うのか、なんて呑気に眺めていたのも最初のうちだけ。
 表示された答えに、恋次は思わず目を瞠る。

「…………」

 いやいやいや、さすがに出来すぎではないか、と恋次は我に返ってひとり頭を振ったが、しかし添えられた写真に映っている花は、確かに昨日白哉が贈ってくれたものとまったく同じものだ。

 恋次は伝令神機を片手に、そうっと寝室へと戻った。

 まだ眠っている様子の白哉の横を通り、昨晩窓台に置いた箱詰めの花束を覗き込む。そして再び、伝令神機の画面を見やった。……間違いなく、この花だ。見間違えようがない。

 次いで、恋次は布団に包まる白哉を見下ろした。わずかに身じろぎをする様子を見るに、もうすぐ目覚めるかもしれない。……と、思っていた矢先。白哉の長い睫毛が小さく震えた。

「…!」

 恋次は伝令神機を懐にしまうと、音を立てないよう気をつけながら白哉の枕元に膝をつく。そのままそうっと顔を覗き込むと、薄らと瞼を持ち上げた白哉と目が合った。

「おはよう…ございます…、隊長」
「…ああ」

 まだぼんやりとした眼差しを向ける白哉に、恋次はふと、昨晩彼が恋次に向けて言い放った言葉を思い出す。

『―――好きにしろ』

 この人は、わかっていたはすだ。
 あのときの恋次が、いつもより余裕がないことくらい。あそこで許せば、ほんとうに制御が利かなくなることくらい。
 それでも、白哉はそう言った。
 何もかもを受け容れるように、それを許した。

 次いで恋次は、礼だ、と言っていたルキアの言葉を思い出す。……なるほど、これは確かに、とんでもない礼だ。

「隊長」

 まだ身体がだるいのか、身を起こそうとはしない白哉に、恋次はぐっと顔を近づける。ゆっくりとこちらに視線を向けた白哉の唇に、恋次は己のそれを重ね合わせた。
 長く、深く、呼吸を奪い尽くすような口づけに、目覚めたばかりの白哉はすぐに息苦しさを感じたのか恋次の胸板を叩く。

 恋次は名残惜しさを感じながらも、白哉を解放した。

「―――好きです、隊長」

 昨晩も伝えた言葉を、今度は爽やかな朝日とともに告げる。息を乱した白哉を、鼻が触れ合うほど近くで見下ろしながら、恋次はさらに重ねて言った。

「一昨日より、昨日より、隊長が好きです。明日はもっと好きになります。ずっと、あんただけが好きです」
「……どうした、急に」

 唐突な恋次の言葉に、白哉は驚いたのかわずかに目を瞠り、不思議そうな顔になる。

 恋次は笑って返した。

「いま、言いたくなっただけです。もう朝飯できてますよ。身体は大丈夫っスか? 食えます?」
「……ああ。頂こう」

 身体を起こした恋次につられるようにして、白哉も褥から身を起こす。自然と差し出した恋次の手を迷いなく取る白哉の行動に、心の中にあたたかな灯が灯ったような気がした。

 ―――伝わりましたよ、隊長

 わかりにくくて、でもまっすぐな、あんたの想い。

 伝わったことは秘密だけれど、ただほんの少し、いつもより頬を緩ませるくらいは構わないだろう。

 白哉のあとをついて行くように寝室を後にしながら、恋次はこの上なく愛おしい想い人の半歩後ろで、密やかに微笑んでいた。
 
 
 



   * * *
 
 

 アネモネ
 『 君を愛す 』

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