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バレンタイン



「隊長〜、これって花瓶とかに活けた方がいいんスかね〜?」

 夕餉をともに食し、その後、先に湯浴みを済ませた白哉は、自分のあとに湯浴みに向かった恋次が居間へと戻って来たことを響く声から察した。

「あれっ? 隊長?」

 次いで、白哉の姿が見えないことに気づいたのか、恋次の不思議そうな声が聞こえてくる。いつもならば居間で寛いでいるはずの白哉が、今日ばかりはそこにいないのだから、もっともな反応だろう。

「たいちょ…って、え?」

 ひょっこりと顔を覗かせた恋次が手をかけているのは、居間から寝室へと続く扉。その片手には、白哉の予想通り先ほど贈ったばかりの箱詰めの花束がしっかりと抱えられていた。

「……それは、そのままでよい」
「え、あ、はい。それは、いいんスけど……」

 驚いたように目を瞬く恋次に、白哉はふいと視線を逸らしながら問いに答える。しかし、恋次の意識はすでに花束にはないようだった。

 恋次は、意外そうな顔をしながらも褥の上に座り込んでいた白哉のすぐそばに膝を折り、唇を掠めるようにして呼吸を奪う。触れるだけで離れた感触を追うようにして閉じた瞼を持ち上げれば、すでに欲を灯した瞳と目が合った。

「どうしたんスか? ……隊長が、自分から寝室で待ってるなんて」

 嬉しそうに尋ねられ、白哉はさっと視線を逸らす。改めて指摘されると、やはりどうしても顔に熱が集まるのを抑えきれなかった。

 今日の祭りのことなど、白哉は恋次に聞くまでまったく知らなかったが、知ってしまえば最後、甘ったるい匂いとともにあちこちで嬉しそうに微笑み合う者の姿が、自分でも驚くほどに目についた。

 雰囲気に呑まれるなど自分らしくもないが、けれど、ほんの少し。
 今日は祭りのある特別な日らしいから、ほんの少しだけ、らしくないことをしてみても、きっと許されるだろう。

「バレンタインにはこんな綺麗なモンくれたのに、まだ追加でくれる気なんスか? 隊長、太っ腹っスね」

 恋次はからかうようにそう言って笑うと、一旦白哉から離れて、大事そうに抱えていた花束を寝室の窓台にそっと置いた。蓋の開けられたそれは真っ赤な花弁を惜しげもなく魅せつけ、部屋に彩りを添えている。

 白哉は、それをぼんやりと見つめた。

 花の名など、この男は知らぬだろう。
 なぜ、自分がその花を選んだのか、なんて。

『…―――恋次は、その、ちょこれいとという菓子が嫌いなのか』

 庭先でこの花を見つける少し前、屋敷の者に恋次の家から引き取ったチョコを配るため昼休みに戻っていたルキアに、白哉はそう尋ねた。尋ねられたルキアといえば、驚いたように目を見開き、途端におろおろと慌てるものだから、応えを聞かずともその是非は容易に知れることとなったのだが。

 犬吊での話を聞き、白哉の知らない世界で二人がどれほど苦労をしてきたのか、それを改めて痛感しながら、白哉は恋次の贈り物に頭を悩ませることとなった。

 ルキアから話を聞かずとも恋次には何かを贈ろうと思ってはいたが、しかし、話を聞いたことによって、その想いはなお一層固い決意となってしっかりと白哉の胸の中に鎮座したのだ。

 過去の痛みを、無かったことにはできない。
 その痛みに、自分が寄り添えるのかどうかもわからない。

 ただ―――ひとつだけ。
 いまの自分に、できることがあるとすれば、それは。

 ―――この想いを伝えること…

 花束を飾り終えた恋次は、満足そうに白哉のそばへと戻って来る。同じように褥に腰を下ろした恋次の両頬を、白哉はゆるく捉えた。そのまま、覗き込むようにして恋次に顔を近づけると、熱を込めた口づけを贈る。

「……隊長」

 唇を離した白哉を、恋次は静かな声で呼ぶ。視線を上げれば、穏やかに笑う恋次と眼差しが絡み合った。

「俺、確かに未だにチョコは食えませんけど、だからって別に傷ついてるわけじゃないんです。だから、あんま気にしないでください」

 白哉の心を読んだ気でいるのか、困ったように笑みを浮かべる恋次に。
 白哉はわずかな呆れを覚え、逸らせた指でぴんと恋次の額を弾いた。

「あだっ!」

 軽い痛みに大袈裟に驚く恋次に、白哉はため息とともに告げる。

「おまえは何やら思い違いをしているようだが」
「え? 違うんスか? だって、いつにも増して積極的だから、気遣われてんのかなって……」
「なぜ、私がそのようなことをせねばならぬ」

 気遣いだけで、このようなことができるものか。
 このような―――…露骨に、誘うような素振りなど。

「下手な慰めなど私はせぬ。私が嘘や偽りを嫌うことは、おまえがもっともよく知っているはずだ」
「そりゃ、知ってますけど…、……え?」

 ようやく白哉の言わんとしていることを察したのか、しゅん、と耳を垂らした子犬のような顔をしていた恋次は、ゆっくりと目を見開く。

 白哉は、羞恥を押し殺して、続く言葉を押し出した。

「……ここにいるのは、他の誰でもない、私の望みだ。今日が、本来は恋人のための日だと私に教えたのは―――…恋次、おまえだろう」

 そう、白哉が言い終わるのとほぼ同時に、恋次の手が白哉の肩にかけられた。抵抗することなくそれを許せば、そのまま褥に縫いとめられる。覆い被さるようにして顔を近づけた恋次は、貪るように白哉の唇に己を重ねた。

「ん…っ…」

 瞼を落とす瞬間、視界の端に、赤の花弁が見える。

 ふと、昼間のことが、思い起こされた。

 昼の休憩の時間を使って何とかチョコレートを扱う老舗は見つけることに成功したが、それ以外に何かを、と言っても、そう簡単に相応しいものが見つけられるはずもない。残りわずかに迫る時間の中で、けれど恋次に贈るに相応しいものを見つけられず、あのときの白哉はひたすらに焦燥に駆られていた。

 恋次に何を贈ればよいのか。限られた時間の中で可能なものを考えていた、そんなとき、白哉の目に映ったのが、あの赤い花の姿だった。庭先で静かに咲くその花を、己の華道の心得を用いれば贈り物に相応しい姿になるのではないかと、急拵えにしては上出来であろう形まで整えた。

 それでも、果たして花を愛でる趣味が恋次にあるのかどうか、それを確かめることもなく贈った贈り物ではあったが、恋次は予想外にも目を輝かせて喜んでくれた。

 思わず安堵の息をついたことは、気づかれずに済んだだろうか。

 今日は泊まりに行きたいと、そんなことを思っていたことまで見透かされたかのような誘いの文句を吐いた恋次ならば、有り得てしまう話だ。思わず顔を背ける羽目になった白哉だったが、恋次が嬉しそうな顔を崩すことはなかった。それだけで、見抜かれているのだ、と察せずにはいられない。

 ただ、ひとつ。
 見抜かずにいてほしいと、思ってしまうのは。

 白哉が選んだ花の、その―――…秘められた言葉。
 自分の色に似た花だと、それだけを喜んでくれればいい。隠された言葉を知られるのは、やはり、ひどく―――羞恥に耐えかねるから。

「…っは…、…んう、…っふ……」

 何度も、何度も、いつもより執拗に、そして深く繰り返される口づけに、白哉は呼吸のすべてが奪われてゆくかのような感覚を覚える。息を封じられる苦しさにさえ甘美を感じて、白哉は喘ぎとともに恍惚の表情を浮かべた。

「…―――隊長」

 ようやく白哉を解放した恋次が、燃えるような熱を孕んだ瞳でまっすぐに白哉を射抜く。それとともに落とされた声は、それだけで白哉の身体に火をつけるかのような激情を秘めたものだった。

「好きです」
「……知っている」

 息を整えつつ何とか一言そう返せば、恋次は嬉しそうに顔を綻ばせる。陽のひかりのような快活な笑みと、夜の獣のようなぎらりとした欲の笑みがひとつに混じりあったかのような表情に、白哉の背をぞくぞくとした感覚が伝った。

「隊長のことも、貰っていいですか?」
「……もう随分と前から、おまえのものなのだがな…」
「煽らないでくださいよ」

 困ったような顔に絆される自分も、大概莫迦だと思う。
 ここまで来てもまだ、わざわざそう尋ねてくる恋次の意図を、察せぬわけがない。

 ここで勝手を許そうものなら、いつもよりも激しく抱かれることなど、容易に想像がつくのに。
 白哉の手は、ゆっくりと恋次の首へと回った。

 そうして、引き寄せた恋次の耳元に、白哉が放ったのは。

「―――好きにしろ」

 何もかもを受け容れる、その許しの言葉だった。

 途端に夜着の合わせが肌蹴られ、恋次は鎖から解き放たれたかのように白哉の胸へと顔をうずめる。すぐに這わされた舌の感触に身体を跳ねさせ、襲い来る性感に身悶えながら、白哉は落とす瞼とともに理性を手放した。
 
 
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