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バレンタイン


 
 ―――あーあー、嬉しそうな顔しちゃって……

 ルキアの霊圧がある程度遠ざかってからようやく席に座ったと思ったら、今度は渡されたチョコレートを目を細めて眺めている白哉に、恋次は窃笑する。こういうところを妹にも見せればいいのに、とも思ったが、それができたら苦労はないのでわざわざ言うようなことはしない。

 何はともあれ、無事に成功してよかった。昨晩、ルキアのチョコ作りに散々付き合った甲斐があったというものである。

 白哉に渡すものも含めて、チョコを作りたいとルキアが恋次を頼ってきたのは数日前のことだ。朽木邸の厨房を借りれば気づかれてしまいそうだからと、前日に恋次の自宅の台所を貸してほしいということだった。

 それは別に構わなかったのだが、問題はルキアの手際の悪さ―――もとい、不器用さにあった。毒なのではないのかと疑いたくなるようなものばかりを生み出していた酷い流魂街時代とは違い、いまでは料理はそれなりに作れるようになったようだが、しかし、どうやら菓子はまた別物らしい。

 どうしてチョコが爆発するのだろう、と大破した電子レンジを呆然と見やる羽目になったり、かと思えば今度は湯せんで溶かすはずのチョコと水を混ぜて台無しにしたりと、まあ色々とやらかしてくれたが、何とか夜までに完成させルキアを自宅に返すことができた。

 いくら残業で遅くなると誤魔化していたとしても、さすがに泊まり込みともなれば、心配した白哉が浮竹に様子を尋ねかねない。そうなればその嘘も呆気なくバレてしまう。夕飯は恋次の家で取って行ったが、ルキアをその日のうちに帰すことは絶対条件だった。

「恋次」

 昨晩の己の苦労を密かに労っていた恋次は、不意に声をかけられ、白哉の方を向く。先ほどまで熱心にチョコレートを眺めていた視線を、白哉はいつの間にか恋次の方へと向けていた。

「どうしたんスか?」
「先ほどの、鍵とは何の話だったのだ」
「はい? …ああ、さっきのっスか」

 何の脈絡もなく放られた問いに、恋次は一瞬首を傾げたが、すぐにそれが自分とルキアの会話に出てきたものを指していることを察する。

 それで誤解をするような人ではないが、純粋に気になっているようだったので、恋次は笑ってわけを説明し始めた。

「俺ん家の鍵っスよ。実は、隊長のはビターなんで別枠で最初に作ったんスけど、慣れてねえせいかそれにえらい時間かかっちまって。そのあとで作った普通のチョコは、ルキアが帰るまでに固まりきらなかったんです」

 そこまで話すと、白哉の目に理解の色が浮かぶ。どうやらこれ以上詳しい説明は必要なさそうだと、恋次はさっさと話を締め括った。

「なんで、しょうがねえから今日取りに来るって言われてたんスよ。ちょうど隊長にそれ渡しに来る予定あったし。……ほら、いまルキア、俺ん家の方にいるでしょ?」

 不得手とはいえ慣れた相手の霊圧、それほど手間をかけることなく感知した恋次がそう言えば、白哉もすぐにルキアがどこにいるのかを察したようで、理解の旨を示すようにうなずく。

「…しかし、それでは、兄は自分の作ったものを受け取ることになるのか」
「へ?」

 ぽつりと、白哉がこぼした言葉に、恋次は思わず目を瞬く。その反応が意外だったのか、白哉は不思議そうに言葉を付け加えてきた。

「ルキアに手を貸したのだから、そうだろう」
「あ〜…いや、俺はルキアからチョコ貰いませんよ」

 あっさりと言った恋次に対し、白哉は驚いたような顔をする。当然ながら受け渡しがあるだろうと思っていたことが容易に察せる表情だった。

「なぜ」
「え、だって、一緒に作った奴にそれを渡すってのも何か変じゃないスか。だから、俺はほら、さっきこっち貰いました」

 恋次が屈んで脇から取り出したのは、馴染みの店の鯛焼きの紙袋。ここへ来る道中、ルキアが恋次の要望通りに買ってきたものだ。

 当然、恋次と四六時中一緒にいる白哉にとっても、それは見慣れたものだろう。やや呆れたような顔になったのは、恋次の見間違えではないと思う。

「……いつもと変わらぬな」
「いいんです〜俺はこれが好きなんスから」

 やはり予想通りの返しを受け、恋次は表情を崩すことなく笑って返した。……嘘は言っていない。ただ、ちょっと、黙っていることがあるだけで。

 ―――まあ、フツーは想像つかないわな

 甘味が大好物であると公言している自分が、まさか―――この甘ったるい香りを全面に振りまく菓子が、苦手、などと。
 そんなこと、きっと、思いもつかないだろう。

 ―――いや、美味そうだとは思うんだよ、ちゃんと

 それでも、食べようと手が伸びないわけを知っているのは、自分の他には、ルキアくらいのものだ。

 もう随分と昔の話である。

 流魂街の底辺のひとつ―――犬吊。
 そんな、腐ったごみだめのような街で、それはごくごく普通にある出来事のひとつだった。

 恋次たちが甘味の味を知ったのはいつの頃だったか。初めて口にしたのが、小さな小さな金平糖だったことは覚えている。それ以来、恋次もルキアも、他の仲間たちも、再び甘味を口にすることを密かに夢見て生きてきた。

 そんな恋次が、甘い匂いにつられて見たことのない茶色の菓子に手を伸ばしたこと自体は、自然の行動だったとは思うのだが。

 たまたま手にしたそれが、チョコレートという現世で流行り出していたばかりの珍しい菓子で、そして、それを使って商売をしていた奴らが、決して純粋に菓子を売っていたわけではないことに、あのときの恋次たちは気づけなかった。

 犬吊のような、盗みを働く輩ばかりがうろうろしているあの場所で、あんな無防備に菓子を売るなど、盗んでくれと言っているようなものだ。そして彼らは、その言葉通りの狙いで菓子を恋次たちに「盗ませた」のだった。

 中に仕込まれていたのは何てことはない、売り飛ばすのに手間のかからない意識を奪う類いのありふれた薬物ではあったが、しかし、それが霊力を持った恋次には予想外の作用を起こし、意識の混濁だけではなく痙攣や麻痺、全身の痛みとなって現れたのは、仕込んだ側にも予想外のことだっただろう。まさかこんな流魂街の底辺に、それだけの霊圧を持った子どもがいたとは夢にも思わなかったに違いない。

 ―――あれは結構、キツかったな……

 その後、一緒にいた仲間は目覚めてすぐ何の問題もなかったため、恋次が先に逃げるよう指示し、ルキアや他の仲間を連れて戻って来た彼らの手を借りて、何とか恋次も逃げ出すことに成功したのだ。

 以降、まあ、いわゆるトラウマというやつで、残念ながら恋次はチョコレートを食べることができなくなってしまっていた。

 予想外にも広がりを見せたバレンタインのせいで今年はえらい量になってしまっているが、おそらくやちるあたりの胃袋の中に収まることになるだろう。戴きものを他人に渡すことに申し訳なさを感じないわけではないが、しかし、食べられることもなく駄目にしてしまう方が恋次としてはよっぽど失礼だと思うので、そこは堪忍してほしいと思う。

「恋次」
「はい?」

 白哉の呼び声を受けて、ぼんやりと過去へと飛ばしていた意識を恋次はさっと引き戻す。そろそろ仕事に戻れ、ということか、と白哉から次いで飛び出る言葉を予想したが、意外にもそれは外れることとなった。

「昼の休み、私は少し屋敷へ戻る」
「へえ? 何でまた急に」

 聞いていなかった予定に恋次がぱちくりと目を瞬くと、白哉はいつも通りの淡々とした口調で答える。

「私用だ」
「そっスか…」

 その一言で、内容の詳細を伝える気はないのだということを恋次は的確に察した。おそらく貴族の方の用事か何かなのだろう。

「問題があるか?」
「いえ! 特にないっスよ。わかりました」

 あるとすれば、今日は一緒に飯食えないのか、なんてことくらいで。

 午後一に重要な会議などが入っているわけでもないので、昼休みに白哉が不在となったところで特に問題はない。そもそも休みは休むものだ。……この人の場合、向こうで仕事を片付けるだけ片付けて、時間がないから昼飯は抜き、なんてことも平気でやりそうだが。

「昼飯はちゃんと食ってくださいよ?」
「……わかっている」

 あまり信用はできないが一応念押しをして、恋次はようやく手元の書類に手を伸ばす。少し寂しいが仕方がない。今日の昼に一緒にいられなかった分は、明日の昼に存分に一緒に過ごして取り戻せばいい。

 そんなことを考えていたせいか、すぐ横で白哉が何かを考えるように黙り込んでいたことに、そのときの恋次は気づかなかった。

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