バレンタイン
「あっ、阿散井副隊長〜〜!」
「いたいた〜! はいこれどーぞ〜!!」
臨時の隊首会からの帰り、六番隊の門の近くまで差し掛かった白哉の耳に聞こえてきたのは、上機嫌な女性隊士らの賑やかな声だった。
会話の相手が恋次のようだったので、白哉は自然と耳を傾ける。
「おー。ありがとな」
副隊長という肩書きにも関わらず気さくな恋次の人柄は、多くの隊士から慕われる所以でもあった。以前よりも賑やかしくなった六番隊の雰囲気を、白哉も口にこそしないが良い傾向だと思っている。
しかし、今日はそれが随分と派手なように感じるのは何故だろうか。
「って、おまえら、まとめて渡すなよ、まとめて」
「え〜。だって副隊長、意外と忙しくて渡すタイミングが」
「意外とって。つうか俺いまちょっと外に用が……」
「いっぱい抱えて人気者ですね〜! それじゃ!」
「あっ、ちょっ、こら!」
「ホワイトデーは三倍返しですよ〜!」
「みんな期待してるのでー!」
「破産宣告!!」
冗談めいた会話は恋次の叫びを無視して去って行った女性隊士たちの行動によって途切れ、白哉はゆっくりと門から顔を覗かせる。
すると、恋次はすぐさまこちらに反応した。
「あっ隊長! お疲れ様です!」
「ああ」
うなずきつつ、白哉は駆け寄って来た恋次が腕に抱えているものを何とはなしに見やった。目に鮮やかな包み紙に彩られた小さな贈り物たちは、恋次の腕の中でがやがやと各々にその存在を主張している。
それらを抱えながら、器用にもひょいと白哉の顔を覗き込んできた恋次は、おや、と言わんばかりに目を瞬いた。
「なんか、機嫌よくないっスね? 隊首会で何か……っていうよりは、どこもかしこも甘ったるい匂いで嫌になったとか?」
「……なぜわかった」
あっさりと見抜かれたことに、白哉はわずかに目を見開く。
そう。なぜか今日は、瀞霊廷中が白哉の苦手とする甘ったるい匂いに包まれていて、浮竹も京楽も仕事中だというのに菓子を袖に仕込んでは総隊長や他の隊長に与えようとしているものだから、白哉は逃げるようにしてその場をあとにしたのだ。あの二人から菓子を勧められること自体はいつものことなのだが、しかし今日は妙に匂いの気になるものを持ち歩いていた。
「そりゃまあ、今日、バレンタインっスから」
「…馬簾……?」
衣装の仕様と甘味に果たして何の関係があるのかと白哉が首を傾げていると、恋次はおかしそうな笑みを浮かべる。
「何思い浮かべてるのかは知りませんけど、絶対違うってことだけはわかりますよ。バレンタインです、バレンタイン。現世の祭りっスよ」
「……またしても黒崎一護か」
尸魂界に現世のおかしな風習を伝えてくるのは、もっぱらあの男だ。聞き覚えのない呼称にもしやとは思ったが、やはりそういうことか。
もはや、見慣れぬ騒ぎはすべてあの男が持ち込んだ現世の祭りと言っても過言ではないほど、一護のもたらす影響はあらゆる意味で大きくなっていた。
「まあ、一護っちゃ一護かな。教えたのはあいつだし。けど、ここまで本格的に広めたのは乱菊さんっスよ」
「……それで、いったい何の祭りなのだ」
「ああ、今日は、大切な相手にチョコを贈る日なんだそうです」
「…猪口?」
「あ、違いますよ、酒飲む方のやつじゃないです。菓子の名前っスよ。隊長がさっきっから顔しかめてる匂いの正体っスね。ほんとはチョコレートって言うらしいんスけど」
そう言って、恋次は腕の中に収まっている箱のひとつを手に取った。そして、目の前でかざすようにしながら説明を続ける。
「普通は恋人とか好きな人に贈るモンらしいんスけど、それが何か膨らんで、ダチとか普段世話になってる相手とかにも贈るようになったらしいです。えーと……確か『義理チョコ』だったかな。あ、ダチのは『友チョコ』だっけか?」
「…また面妖な……」
「まあ、そういうわけで。こんなことに」
「破産とはどういう意味だ」
「え? ああ、あれは……今日から一ヶ月後に、今度はホワイトデーってのがあって、その日はバレンタインにチョコを貰った人がそのお返しをする日なんです。で、三倍にして返すってのが現世では流行ってるらしくて」
「……なるほど」
「まあ、半分は冗談で言ってるんで。気にしねえでください」
からりと笑うと、恋次は手に持っていた箱を再び抱え直した。わずかに包み紙たちが揺れ、落としそうになるのを逞しい腕がしっかりと支える。
「……それにしても、多いな」
「そっスねえ。ウチは女性隊士割と多い方だし、みんなから貰うとこんな感じになりますね」
恋次が副隊長として就任する以前は、このように賑やかしい騒ぎが六番隊に起こることはなかったのだが、随分と変わったようだ。常々雰囲気から感じ取っていたとはいえ、恋次の腕の中にあるものの数に、白哉は改めてそれを実感する。
「つっても、これ、半分は隊長のせいなんスよ?」
「……意味がわからぬ」
そこへ、恋次の唐突な言葉を受け、白哉は訝しげな顔になった。……なぜ、今日このときまで騒ぎの理由を知らなかった自分が関係しているのか。
白哉の表情を見た恋次は、自ら説明を加えた。
「みんな本当は隊長にも渡したいけど、隊長こういうイベント事とか嫌いだし、あと甘いモンも苦手だから、余計俺の方に集中するんです」
「………」
嫌い、というか、あくまでも隊の風紀が乱れることを案じているだけなのだが、確かに騒がしいことも甘味も好まぬ性格であることは事実のため、白哉は何とも言えず黙り込む。
恋次は、そんな白哉の心情を読んだのか、助け舟を出すかのようにあっさりと話を切り上げて言った。
「それじゃ、戻りましょっか」
そうして、恋次は白哉をうながすようにして外へ向いていた足を執務室の方へと向ける。
それを見た白哉は、不思議そうに問うた。
「外に用があったのではないのか」
「ありましたよ。隊長の出迎えしようと思ったんで」
「………」
当然のように告げられた言葉に、白哉は思わず緩みそうになった頬を慌てて律する。こうした意図しない恋次の行動に一喜一憂させられることが、腹立たしくもあり嬉しくもあるのだから、自分も大概莫迦だとは思う。
そんな白哉の胸中など知らぬであろう恋次は、踏み出した一歩を何故かすぐさま止め、思い出したように白哉を振り返って言った。
「あっ、そうだ、隊長。ちょっと霊圧消してくれません? まだ気づかれてないと思うんで」
「……何の話だ」
「いいからいいから」
わけも説明せず催促ばかりを繰り返す恋次に、白哉は首を傾げながらも素直に言われた通りにする。そうして恋次のあとをついて行くようにして執務室の前まで来ると、恋次は扉の前で人差し指をそうっと口に当て、しばらくここで待っているようにと無言で示すと、ひとりで中へと入って行った。
「遅いぞ恋次!」
すると、中から遠慮のない声が恋次へと向けられる。その声はもちろんのこと、恋次の不可思議な行動を受けて白哉はすでに霊圧感知をしていたので、予想通りの来客だった。
それにしても、いまや副隊長である彼女が十三番隊からわざわざここまで来るとは、何かあったのだろうか。
「へーへー。すいませんでした」
「…また貰って来たのか、貴様は」
「あ〜、さっきな。まあ、それはいいんだけど」
「まったく…。こんな面白マユゲが人気など、信じられんな。いったいこれのどのあたりがいいのだ」
「おまえそれ、隊長の趣味が悪いって言ってんのと同じだぞ」
「失礼な! 兄様の広い御心を趣味が悪いなどと抜かすか貴様!!」
「おまえが言ったんじゃねえか」
閉められた執務室の扉の横で、白哉は恋次に言われたまま廊下に立ち、相変わらず遠慮のない物言いがぽんぽんと続く様を黙って聞いている。
恋次の意図が察せぬほど白哉は鈍物ではなく、何か聞かせたい事柄があるのだろうと推測を立てるのは容易だったが、しかし、さすがにその内容まではわからなかった。
「まあいい。それで恋次、鍵は」
「ん、ほらよ。失くすんじゃねーぞ」
「失くすか、たわけ」
チャリ、という独特の金属音とともに鍵と思わしきものが手渡される音がして、白哉は首を傾げる。……恋次が所持している鍵など、彼が住処としている六番隊の副官室―――もとい恋次の自宅のものしか思いつかないが、仮にそうだとして、何故それをルキアに手渡すのだろうか。
「ではな」
「ちょっ、おま、ちょい待てこら」
鍵を受け取ったルキアがあっさりと言った言葉に対し、恋次がやや慌てたように引き留める声が聞こえる。それはそうだろう、扉のすぐそばには白哉がいるのだから。もちろん、白哉が瞬歩を使えば悟られることはないのだが。
「おっまえ、昨日あんだけ人を付き合わせといて、やっぱりそのまま帰る気かよ。その手に持ってるやつ、ちゃんと渡してけ」
「し、しかし……やはり迷惑では……」
「だーもう!! その押し問答は昨日散々やったろうが!」
「だっ…だが! まさか六番隊に、こういった類いのものを兄様には一切お渡ししないという不文律があったとは知らなかったのだ!」
「いいから! おまえだけは例外だから!」
「たわけ! 十三番隊だからと例外にしてもらうわけにはいかんだろう!」
「そういう意味じゃねええー!! おまえあの人が妹と部下を同列に考えるとでも思ってんのか?! 阿呆か!!」
途端にぎゃあぎゃあとうるさくなった会話の内容を何とか拾いつつ、白哉はようやく恋次が自分にここにいてくれと言った理由を察する。
今日は何とかという現世の祭りの日で、恋次曰く、恋人や世話になってる相手に甘味を贈る日らしい。そして、それを伝えたのは黒崎一護で、その黒崎一護ともっとも親しいのはルキアである。であれば、彼女もまたこの賑やかしい祭りに興じようとするのはごく自然の流れと言えるだろう。
しかし、どうやらいざ白哉に渡すという段階で踏鞴を踏んでいるらしい。そうさせる原因の一端が自分にあることは否めないため、やや申し訳なくも思ってしまう。彼女の自分に対する過剰なまでの遠慮は、これからゆっくりと時間をかけて解いていくしかないのだろう。
そして、どうやらそんなルキアの行動をあらかじめ予測していた恋次は、白哉にこっそりといまの会話を聞かせることでルキアの努力を実らせようとしているらしい。幼馴染ゆえか、ルキアのことをよくわかっている。
恋次の意図は理解したし、すでに成功もしているので、そろそろ入ってもいいだろうか、と白哉は執務室の扉に手をかけた。
「に…ッ、兄様…っ?!」
瞬間、視界に映ったルキアは、突然の白哉の登場に大袈裟なまでに慌てる。その横で、恋次は呑気な顔で白哉を振り返った。
「あれっ、隊長」
「もう良かろう。兄の意図はわかった」
「あっ、ちょっと、言わないでくださいってば。たまたま、さりげなーく聞いた感じで済ませてくださいよ」
「己の隊舎内でわざわざ霊圧を消す隊長などおらぬぞ」
「……うーん、まあ…それもそうか」
違和感しかないと指摘すれば、ふむ、と考え込んで納得する恋次。その横で、ルキアは遅れて二人の会話の意味を察したのか大きく目を見開き、次いでキッと恋次を睨みつけた。
「……恋次! 貴様!!」
「しょーがねえだろ、おまえこうでもしないと引っ込めそうだったし。ていうか引っ込めようとしてたし」
「兄様を廊下に立たせたままとは何事だ!!」
「え、そっち?」
ぱちくりと恋次が目を瞬くのを横目に、白哉は扉を後ろ手に閉めると、ゆっくりルキアの方へと歩を進める。そして、途端に困り果てたように身体を硬直させるルキアを覗き込むようにして、努めて穏やかな声で尋ねた。
「……貰えるだろうか」
「えっ、いや、あのっ、兄様、しかし、その……」
「往生際が悪いぞ〜ルキア」
「ッうるさい黙れ恋次! 貴様っあとで覚えておけ!!」
「はいはい」
横から茶々を入れた恋次に怒鳴りつつも、おかげで肩から力は抜けたのかルキアはそうっと白哉の方を見上げ、おずおずとした様子で後ろ手に隠していた贈り物を差し出してくる。
恋次が抱えていたものと同様見慣れぬ様相ではあったが、ルキアらしく清楚な印象を与える包み紙に包まれた箱を受け取ると、白哉はわずかに目元をやわらげる。このような小さな喜びが、また再び味わえるとは思っていなかった。
甘味は確かに苦手だが、こればかりはたとえ毒であったとしても食し切るだろう。目の前でその様子を見せた方が安心するかと考え、白哉はルキアの前で丁寧に掛けられた紐を解くと、箱を開いて見る。
そして、驚きにわずかに目を瞠った。
箱の中に収められていたのは、桜の花弁を思わせる姿をした、深みがかった焦茶色の菓子。差し出されたということはこれが例の「ちょこれいと」というものなのであろうということは察しがついたが、しかし、漂う香りは白哉がずっと逃げてきたあの甘い香りとはまた違うものだ。
小さな箱の中に収められた花弁を象った菓子の姿は、実によくできたものだと素直に思った。
「あ、あの…、…兄様……」
ルキアがおそるおそるといった様子で声をかけてきたので、それほど沈黙が長かったかと白哉はすぐに視線を移したが、白哉が口を開くよりも前にルキアは申し訳なさそうな顔で告げてきた。
「…その……甘さは控えめに作りましたが、やはり甘味には違いありませんし……無理に食べる必要は……」
「……作った?」
驚きの言葉を耳にして、白哉は思わず問い返す。
ルキアはぱちぱちと目を瞬き、それから小さくうなずいた。
「あっ、はい。そこの恋…いえ、莫迦の手も少々借りまして」
「待って何で言い直したのおまえ」
「そうか…」
「うわー無視された。もうヤダこの兄妹」
横でわざと拗ねたような声を上げる恋次を揃って無視しつつ、白哉は再び視線を手元の菓子へと落とす。手ずから作ったとは思えぬほど整った形は、白哉に素直な感嘆の一言をこぼさせた。
「―――見事だ」
ルキアが驚きに大きく目を見開くのを見やりながら、白哉は菓子のひとつを手に取ると、そのまま口元へと運ぶ。
しかし、白哉の予想に反して、口の中で溶けた味は静かなものだった。あの、甘味独特の、強烈に存在を主張するようなものではない。
「どっスか? 甘くないでしょ?」
聞きたくとも聞けずにいるルキアの代わりなのか、恋次は飄々とした声音で白哉の心中を言い当てた。白哉はちらりと恋次へ視線をやり、溶ける感触に不快を覚えることなくうなずく。
「ほーら、だから大丈夫だって言っただろ」
からかうようにルキアに告げる恋次の声とともに、白哉は視線をルキアへと向ける。そして、不思議そうに尋ねた。
「甘味と聞いたが、このようなものもあるのか」
「はい、兄様。チョコの中にも、ビターチョコというものがありまして、それはあまり甘くないのです」
白哉に無事に食べてもらえたことで気が抜けたのか、ルキアの表情は先ほどまでの緊張したものではなく、安堵を宿した嬉しそうなものに変わる。
白哉もまた、わずかに表情をやわらげた。
「礼を言う、ルキア」
「いえっ、そんな! 私の方こそ……」
「確か、返礼をするのは一月後だったか」
先ほど恋次に教えられた知識に頼りながらつぶやくと、ルキアはきょとんとした顔になる。その数秒後、白哉の言葉が何を示しているのかを察したようで、慌てたようにぶんぶんと首を横に振った。
「あっ、いえ! お気になさらず!」
「そうはいかぬ。良いものを貰った。何か考えよう」
「に、兄様……」
ぽっぽっと顔を赤くして言葉を詰まらせるルキアを見下ろした白哉は、徐に箱を菓子に触れた手の方へと持ち替えると、空いた片手でルキアの頭をぽんと撫でる。
少しでも、この感謝が伝わればいい、と思った。
それから、ふと顔を上げた先に時計の針が映り、そういえばいまは勤務時間なのだと白哉は遅まきながら思い至る。真面目な彼女のこと、仕事に関して特に問題はないだろうが、あまり引き止めては支障が出てしまうだろう。
「ルキア。時間はよいのか」
「あっ…そうでした」
ルキアもはっと気づいたようで、白哉と同じように時計を見上げる。離した手に残るぬくもりがわずかに名残惜しさを訴えたが、白哉は瞬きひとつでそれをそっと心の奥に隠した。
「それでは兄様、私はこれで失礼します」
すっと一歩下がり、丁寧に頭を下げるルキアにうなずきを返すと、白哉は執務室の外へと出て行く背を見送る。
ぱたん、と閉じた扉からゆっくりと霊圧が遠ざかってゆくのを見届けると、白哉はようやく椅子に腰を下ろした。
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