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はなのあめ ― 花の雨 ―



「ねえ〜〜隊長ぉ〜」
「………何だ」

 本日もまったくやる気なくソファーに寝転び、すっかりだらけきっている副官に、日番谷は苛々を隠しもせぬ不機嫌な声で応じた。もはやいつものことだと自分に言い聞かせて平常心を保っている時点で何かが間違っている気がする。

「ちょっと聞きたいんですけどぉ〜」
「俺はてめえに今日中に決済するはずの書類について聞きたいんだがな」
「あはは、後でちゃんとやりますって〜」
「そう言っていッつも俺が片付ける羽目になってんだろうが…!」

 簡単に想像できてしまう未来に、日番谷は額に青筋を浮かべる。しかしこの副官はとにかく図太い。日番谷がどのような態度を取ろうともけしてペースを乱さず、ひたすらにはた迷惑な我が道を往くのだ。

「たとえばなんですけどねー?」
「無視か。いい度胸だな松本」

 相変わらずこちらの話をまったく聞かない乱菊に、日番谷は怒気を隠そうともせずに刺々しく咎める。しかしそんなことで大人しくなるような相手ではない。わかっていても繰り返すのは、これをなあなあにされては敵わんという日番谷なりの小さな意地だ。誰かこの副官のサボり癖を何とかしてほしい。

 しかし、そんな切実な日番谷の願いも虚しく、乱菊は今日も今日とて通常通りにさらりと、しかし特大の爆弾を落としてくれた。

「あたしが隊長のこと好きだ〜って言ったら、隊長どーします?」
「…………は?」
「あ、モチロン恋愛対象的な意味でですよ〜!」

 にっこりといい笑顔でそう付け加えた乱菊に、いきなり何を言い出すのかと日番谷は訝しげに眉根を寄せる。その顔に、動揺とか照れとかそういった類いの色はない。それはもう一切ない。表情に浮かんでいるのは、ただひたすら「何言ってんだコイツ」という怪訝のみである。

「何の話だ。厄介事は御免だぞ」
「え〜? ちょっとは動揺してくれてもよくないですかぁ?」

 やはり多少はからかう気持ちがあったらしく、まったく動じないどころか迷惑そうな顔さえする日番谷に、乱菊は不満そうに唇を尖らせる。人は愛嬌が大事だと言うが、正直日番谷は副官にそんなことは求めていない。そんなものより、無口だろうが無愛想だろうがとにかく仕事をしてくれる副官がほしい。

 日番谷はもともと釣り上がっている目をさらに持ち上げ、ギロリと乱菊を睨んだ。

「テメーん中にいるのが誰かくらい、俺だってわかってんだよ。くだらねえことを俺の口から言わせんな」

 キツネのようだと揶揄われていたあの男は、もういない。
 何も遺さずに逝った男だという。
 けれど、その影は、記憶は、確かに今も彼女の中に。

 乱菊は少し目を見開き、それから仄かに笑った。さみしそうな、けれどどこか、嬉しそうにも見える笑みだった。
 そんな顔をされては怒るに怒れない。

 日番谷はため息をついて、筆を持つ手を止めた。

「……で、何の話なんだ」
「えっ? あ〜いえ…」

 日番谷が聞く姿勢を整えると、途端に乱菊の歯切れが悪くなる。聞いてほしかったのではないのかと日番谷は訝しんだ。

「うーん…そうよねぇ……考えてみれば、あたし女だし、隊長も結婚してないし、あたしと隊長じゃ全然違うか…」
「何をぶつぶつと言ってる」

 日番谷などそっちのけで自分の世界に入っている乱菊に、日番谷は、いったい何をどうしてほしいのだと面倒さに再びため息をつきたくなる。くるりとこちらを振り返った乱菊は、奔放なまま話し相手を自分から日番谷に移した。

「いえね、部下にそういうこと言われたら、やっぱり困るかな〜…と」
「はあ?」
「だから、やっぱり部下からそういう告白をされたら、隊長としても困るのかな〜と。おっけーならそれでいいですけど、まあ…凄まじく可能性低いし、断った場合、後で仕事しづらいとか、ギスギスするとか、何なら副隊長から外される―――…なんてことも、やっぱり有り得るのかなあ、と…」
「おい待て、話すならきっちり最初っから順序立てて話せ。言ってる意味がわからねえ。いったい誰の話をしてるんだ」
「えっ? や、やだな〜隊長。たとえば、ってちゃんとあたし言ったじゃないですか! 誰がどうとかいう話じゃないですよぉ」
「火のないところに煙は立たねえだろ」
「立ちます立ちます! いまあたしが立てたんです!」
「………、何でもいいが、結局何なんだ」

 どうやら話は聞いてほしいものの深く突っ込んでほしくはないようだと察した日番谷は、さっさと頭を切り替える。しかし既にかなりのヒントを零していたように思えるが、詮索はしない方がいいのだろう。

 日番谷の問いに、乱菊は珍しく落ち込んだような顔でぽつりと言った。

「……想いを伝えずに押し殺すのって、それでいいんですかね…。思い切って言ってフラれちゃった方が、むしろ楽なんじゃないかなって…」
「………おまえがどうして恋愛事の相談相手に俺を選んだのかは聞かねえでおいてやるが、相手を間違えてることくらいは教えといてやる。助言が欲しいなら他を当たれ」
「隊長なら口固いじゃないですか」
「おまえは俺に何を求めてるんだ?」
「適切な助言がほしいとかじゃないんですよぉ〜。もうあれからずっとこのことばっかり考えちゃって、全然仕事が手につかないんです!」
「てめえは普段も碌に仕事してねえだろうが」
「ひどい!」
「俺の台詞だ馬鹿野郎! 毎度毎度てめえの尻拭いするコッチの身にもなれってんだ!」

 日番谷は常からの蓄積もあってついに声を荒らげたが、やはりこの副官にはまったく効かないようだった。

 思えば、前十番隊長であるあの志波一心の自由奔放な言動及びセクハラを日常的に受け流してきたのだから、彼女のメンタルは相当に図太いものとなっているはず。尚且つ日番谷のことは己で流魂街からスカウトしてきたのだから、その言動に慣れていても仕方がないものだった。

 日番谷はため息をひとつついて心を仕切り直す。

「……で、何の話だったか。吉良のことか?」
「え? 違いますけど。なんでイヅルだと思ったんですか?」
「おまえが告白どうのとか言うから」

 予想外だったのか吉良の名にきょとんとした顔をしていた乱菊は、日番谷の言葉を聞くとおかしそうにけらけらと笑った。こういうところは本当に切り替えが早くてすごいと思う。…自分は大抵の場合それに振り回されることが多いのだが。

「違いますよぉ。イヅルのは別に、進展しようがしまいがあたしがそんな悩むことじゃないですし」
「…薄情な奴」
「いいんですよ! ああいう可愛いのは!」
「何が違うんだよ」
「あれはいくらでもアプローチとかできるじゃないですか! ……イヅルがヘタレのせいで全然できてないけど…」
「………」

 できればフォローしてやりたいとも思うが、残念ながらこれについてはどう足掻いても否定できないので、日番谷は沈黙を通す。雛森の幼馴染として言わせてもらうと、憐れな話だが、そういった対象にすら上がっていないように思える。彼女から吉良の話が出る時は決まって恋次も一緒で、つまり同期の友人としてしか見られていないということだ。頑張れ、と言うのも複雑な立場なので、彼に何を言うわけでもないのだが。

「そうじゃなくて、好きになっちゃいけない人だって最初から諦めて、それどころか自分を責めてるのが心の健康に悪いって言ってるんです! 吉良はあたしたちに相談とか愚痴とか言えるけど、あいつは馬鹿みたいにひとりで抱え込んじゃって……あれじゃ恋次、そのうち参っちゃ―――あっ!」
「………聞かなかったことにしてやるよ」

 先ほど『吉良』と推測で名を出したばかりの身でこんなことを言うのもおかしいかもしれないが、乱菊はこの会話が始まる前からほとんど答えを零していたのだ。先ほどはそれを失念していた。あまり深く聞かれたくはないのだろうと察して、敢えて脳の外に追いやっていたからだ。
 しかしそれを思い出し、かつ乱菊の失言を聞きとめるよりも前に答えに辿り着いてしまっていた日番谷は、失言は何も今の言葉だけではないと指摘する。

「そもそもおまえ、さっき独り言で、俺は結婚してねえから違うとか何とか言ってただろ。その時点でアウトだ」
「……あっ」

 ぶつぶつと日番谷の前で漏らしていた独り言の内容を思い出したのか、乱菊はすぐに思い至ったように目を見開き、口元に手を当てる。

 そう。あれが致命的な発言だ。

 なぜなら―――

「既婚の隊長格なんざ、ひとりしかいねえんだよ」

 聞き出してみたらとんでもなく厄介そうな事案に、日番谷はやはり聞かなければよかったと深くため息をつく。しかしそれも後の祭り。何とも嬉しくないことに、すでに乱菊を悩ませる大方の事情は把握できてしまった。

 別段、同性というのは尸魂界では珍しいことではない。女だてらに長らく副隊長を務めている乱菊などが珍しい事例なのであって、護廷十三隊に女性隊士が増え始めたのはここ最近のことなのだ。前二番隊隊長を務めた四楓院夜一や、現二番隊隊長の砕蜂などはさらに上を行く例外だろう。とは言えあそこは家系も深く関係している。京楽と縁ある、八番隊副隊長の伊勢七緒も同様だ。

 そう、だから、日番谷が厄介だと思った理由は同性という点ではない。そういったものを苦手とする者も確かにいるにはいるが、日番谷は特に気にする質ではない。他人様の恋愛事情など当事者同士で好きにすればいいという考えの持ち主だ。

 しかし、今回ばかりは、相手が悪い。

 さすがに無茶だろう、と思った日番谷を誰が責められようか。

「相手が、あの、朽木か……」

 当然、ここで日番谷の言う『朽木』とは、恋次と仲良しこよしな幼馴染のことではない。厳格で無表情で貴族で当主な麗人の方である。

 改めて言われてさらに気分が落ち込んだのか、乱菊もまた大きなため息を漏らす。はあ、と二人分の息が部屋に溶けて、空気を重くしていた。

「も〜〜恋次のあの顔見たときのあたしの居た堪れなさって言ったら…!」
「その居た堪れなさを俺に分けるんじゃねえよ」
「お酒入ってる分ストレートで、めちゃくちゃ心臓に悪かったんですよぉ!」
「おまえは俺の嫌がることをするのが趣味なのか?」

 どうして聞いてしまったんだろう、と日番谷は何度目になるかわからない後悔の念を抱く。やっぱりまともに取り合わなきゃよかった。この副官が持ち込む話は毎度のことながら厄介事に満ちている。

 しかし、ふと我に返って部屋の外から感じた霊圧に、日番谷は己の後悔云々など一瞬にして吹き飛ばすこととなり、そればかりか、さっと顔を青くした。……まずい、どうして気づかなかった、この霊圧は―――…

 日番谷は椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、ダッと駆けて執務室の扉を乱暴に開ける。そこに立っていた人物に、やってしまったと心の中で呻いた。

「あ、の……その、日番谷隊長……」

 すみません、と謝辞を述べるのは、いったい何に対してか。あまりのタイミングの悪さか、それとも。

「……朽木…」

 日番谷は手のひらで顔を覆い項垂れた。

 当然ながら、ここで言う『朽木』とは、たったいま日番谷たちの話題に上っていた六番隊隊長の兄の方ではなく、その妹であり十三番隊副隊長の恋次の幼馴染―――朽木ルキアである。

 さしもの乱菊も、この事態にどうしていいかわからない顔をしていた。できれば日番谷も同じ表情で呆けていたいが、それでは扉の前で狼狽えているルキアがあまりにも憐れだ。たまたま聞いてしまった彼女に非はない。

 ため息を呑み込み、日番谷はすっと身を引いて言った。

 「………とりあえず、入れ」

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