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かたしぐれ ― 片時雨 ―



 京楽と夜一、そして少し遅れて到着した一護とルキアなどという面々が揃えば、如何に主催者が白哉といえど賑やかしいどんちゃん騒ぎになるのは容易に予想がつく展開だった。しかも、白哉の傍らにいるのは恋次である。彼もまた酒盛の席などで派手な盛り上げを得意とする性格であるため、意図せずしてこの騒ぎに拍車をかける結果となったのは必然の理だった。

 そんな騒ぎの片棒を担いだ京楽は、食後の茶と共に運ばれてきた酒を次々と空にしてゆきながら、心地よい半酔の中で白哉たちを待っていた。色直しのため二人が部屋を外してから、すでに数十分。もうそろそろ出て来てもよい頃合だ。ゆっくりと近づいてくる霊圧に、京楽は頬を緩ませる。

「おかえり〜」

 すっと開いた襖から現れた白哉と恋次に、京楽はにこやかに笑って手を振った。二人が揃って纏っているのは、先ほどまでの厳かな黒紋付羽織袴ではなく、裾からやわらかな桜色の染めが階調に散らばる色付紋羽織袴だ。

 はじめは、色直しの由来である『相手の色に染まる』というところから、白哉は赤の、恋次は白の羽織をそれぞれ予定していたのだが、いつの間にか制作に加わっていた夜一が恋次にバッサリと「お主、驚くほど白が似合わんな!」と言い放ったことによりその案は却下され、代わりに、互いの色を合わせた桜色を用いようという運びになったのだった。ちょうど白哉の斬魄刀である千本桜を思わせる色合いであるし良いだろう、と話は纏まり、また、薄色が似合う傾向にある白哉と濃色が似合う傾向にある恋次の双方に合わせるため、階調を取り入れることが追加で決まり、このような仕様になったというわけである。裾に染め抜きで描かれた桜の模様は、二人にとてもよく似合っていた。

 ルキアが感激の言葉を口早に兄に捲し立てているのを、京楽はのんびりと眺める。さっそくちょっかいをかけようとする夜一をまあまあと止め、少しばかり若い者たちだけで談笑を楽しませてあげようと宥めた。

「いやしかし、まったく、貴様がそのような優しげな色合いのものを着ておると、実に違和感が拭えんな」
「悪かったな」
「少しは兄様の美しさを見習わんか」
「どう見習えっつーんだよ。この顔は生まれつきだ」
「まあ、あれだろ、見慣れてねえだけでそこまで似合ってなくは……」
「下手に慰めなくていいぞ一護、俺だって落ち着かねえ」
「誰も似合っておらぬとは言っておらんだろう! 兄様が直々にお見立てくださったのだぞ! 薄色の中でも貴様に最大限似合うよう誂えられているに決まっておるではないか!」

 やはり予想通りぎゃいぎゃいと賑やかになった四人の様子を見守りつつ、京楽は隣りで酒のつまみをひょいひょいと腹に収めていく夜一を見やる。ちょっかいをかけるのはしばらく止めにしたのか、どっかりと京楽の隣りに腰を下ろしている夜一は、同じように四人を眺めながらくつくつと笑っていた。

「賑やかじゃのう」
「そうだねえ」

 夜一からつまみを少しわけて貰いながら、京楽は穏やかな気持ちで猪口に注いだ酒を飲み干す。本人は先ほどからずっと黙っているが、賑やかな三人に囲まれ満更でもない様子の白哉の姿に、ほっと安堵の息が漏れた。

 纏っているのは、桜色。
 もう、あの―――哀しみを啜ったような、黒ではない。

 この喜ばしい日を迎え、あれからずっと手放そうとしなかった喪服を脱いだ白哉の行動に、ようやく彼の傷が癒え始めたのだと京楽は知った。……そして、同時に、自分の胸の中で血を流す、ひどくさむしい心の穴も。

『―――なあ、京楽』

 未だに、亡き親友の声は耳を離れない。

 それでも、前へ進もうとする若い子たちの姿を見れば、自分もまた足を踏み出さなければならないのだろうと―――そう思った。

 あのときと同じように。
 
 
 



「―――なあ、京楽。俺さ、死ぬんなら、おまえを……みんなを守って死にたいな。病気なんかじゃなくて。あのとき死ぬはずだった俺が、誰かを守るためにこの命を使えたら―――…もう、なんの不満もないのに」

 そう、浮竹が言ったのは、いつのことだったか。

 もう何度目かもわからない、発作で倒れた日の夜のこと。

 あのときの自分は、ひどく沈んだ顔をしていた。浮竹はそれを自分のせいだと思ったのだろう。そんな顔をしているとき、京楽に下手な元気づけは却って逆効果になる。浮竹はそれを長年の付き合いで理解していて、だからこそ、珍しく吐かれた本音は少し弱々しかったのだろう。もちろん親友の容態は気になったし安定するまでちっとも心が休まらなかったが、そのとき京楽が暗い顔をしていたのは、実は浮竹だけが原因ではなかった。彼がそのことを知ったのは、それから少しあとのことだ。

 どうして言わなかったんだ、と責める声に力無く笑って。
 君が無事ならいいよ、と安堵と共に返した。
 そのとき、京楽の心の穴を埋めてくれたのは、確かに浮竹だった。それをきっと、彼は理解していなかったのだろうけれど。

 ―――兄が死に、そして義姉が死んだ。

 みんな、自分を置いて逝く。重苦しいのは嫌いなのに、みんな、自分に何かを託して。
 大切なものばかり、この手に預けて逝って。

 だからこそ、そんな言葉は、聞きたくなかった。

 身を切るような切ない願いと共に託された、あんな小さな子どもひとりさえ、自分では守り切れるかどうか不安で仕方がないというのに。

「………勘弁、してよ」

 ぽつりとこぼした言葉には、自分の思った以上に、力が籠っていなかった。浮竹の何倍も弱々しい声音に、情けないと自嘲する。

「…頼むから……君までボクを置いて逝かないでよ……」

 託されたものが重すぎて、自分などが背負いきれるのかと不安になる。髪に挿した簪が、不意にひどく重く感じる。それは、放り出してしまうには大切なものすぎて、けれどひとりで抱えて生きるにはあまりにも息苦しかった。

「置いて逝かれるのは、もうたくさんなんだ……」

 だから、はやく元気になってよ、と。
 いつものように笑って、そのときは弱音を誤魔化した。

 けれど、当然ながら浮竹にそんな小細工が通じるわけもなく。置いて逝かれるのが嫌だとこぼしたその夜からしばらく経ったある日、浮竹は、あるひとりの子どもと自分を引き合わせた。

 それが、当時六番隊隊長を務めていた朽木銀嶺の孫の、白哉だった。

 はじめは、子どもは苦手だった。自分は、浮竹のように一緒ににこにこと笑って遊んでやるのが好きなわけでも、得意なわけでもない。心は捻くれているし、子どもの純粋さにはどうしたってそぐわない。だから、苦手だった。

 ただ、何となく、浮竹と一緒にその少年と会うことが増えて。

 初めこそ礼儀正しい少年だったが、付き合う内に次第に化けの皮が剥がれたのか自分や夜一に咆えて息巻く様を眺めながら、生意気だなあ、なんて思いもしたわけなのだけれど。

 その小さな身体に秘められた霊圧と才能は、すぐに京楽も知るところとなって。銀嶺が目をかけるのもわからなくはないと思った。

 生意気で、世間知らずで、すぐにムキになって。

 ただ、誰よりも努力家で、周りから押し付けられた期待に応えようと背筋を伸ばしていることも、表には出せないけれど愛情深い子であることも。

 接するうちに、何となく、わかっていった。

『ねえ、白哉くん』

 だから、浮竹を介さずとも、次第に自分から彼を訪ねることが増えて。また、些細なことで自分から話しかけることが増えていった。

『剣を振るうとき、左手にちょっとした癖があるから、直した方がいいよ。隙になるからね。ボクは両刀だけど、利き手じゃない方の訓練はしてる?』

 昼間から酒を飲むな、衣服を整えろ、仕事をしろ、などなど、色々と物申しては来たが、真面目な指導を始めると、白哉は意外にも素直に応じてきた。その分、意気込んで手合わせを申し込まれる回数もぐっと増えたのだが、困った態度は見せつつも、それはそれで楽しかった。

 そんな様子を見ていた浮竹は、満足そうに笑って。

「―――きっと白哉は、おまえを置いて逝かないよ」

 そう言って、京楽の抱えた痛みに寄り添おうとしてくれた。

 そのときこそ、そりゃあ歳がいくつ違うと思ってるのだと言い返したかったものだが、護廷隊では歳は関係ないことを京楽は嫌というほどに知っている。若い命が何度も散る様を、自分はずっと見てきたのだから。

『息子が生まれたんです』

 そう言って嬉しそうに笑っていた、六番隊の副隊長の顔を、いまでも覚えている。父には似なかったのか、穏やかによく笑う青年だった。あまりにも若くして戦死した彼の一人息子を、まさか自分が可愛がるようになるとは思ってもみなかったけれど。

「白哉だって、おまえと同じで、たくさんのものを失ってきてるから」
「…………」

 あの子には、もう、父も、母もいない。哀れなほど早くに亡くしてしまった。京楽が兄と義姉を喪うよりも、ずっと、ずっとはやく。
 母の記憶はなく、父を亡くしたのは物心のつき始めた一番甘えたい盛りのころ。心を許せる肉親は、もはや祖父の銀嶺ひとりだけ。けれどそれさえも、四大貴族という立場ゆえに迂闊に甘えることも許されない。厳しい掟の中で、たったひとり、誰に寄りかかる術も知らず、重責と戦わなければならない。

 まだ、ほんの子どもなのに、と。
 白哉の性格ならば哀れみなど強気に突っ撥ねられるだろうが、そう思わずにはいられなかった。

 自分には、師も親友もいて、ずっと支えられているのに、それでも肩が重いと、歩くことを苦しいと感じてしまう。

 それなのに、この子は。

「白哉を見てるとさ、俺も頑張らないとなあって思うんだ。あんな小さな身体で、もう、あんな重圧と戦ってるんだから」
「……そうだね」

 ほんとうに、まったく、その通りだ。

 自分たちでは手を差し伸べることができない無力さを知り、それでもひとりで立つことを恐れぬ少年の姿に、愛おしさを知った。

 何でもいい。肩書きを代わってやれなくとも、その重荷を軽くしてやれるわけでもなくとも、ただ。
 ただ、これからこの子の歩む道の、わずかでも標になれたなら。苦しくなったとき、迷ったとき、進む方向がわからなくなったとき―――そんなとき、顔を上げた先に、自分の背を見つけてくれたなら、と。

 弱く脆い自分を隠して、この少年の真っ直ぐさに恥じぬ先達であろうと、そう決めた。

 それからずっと、京楽たちは時間を見つけては二人揃って白哉の元を訪れ、彼をまるで自分の息子か何かのように可愛がった。斬術から花言葉まで、自分の知り得る様々なことを教え、その成長を見守ってきた。そもそも長く生きる死神のこと、子どもが生まれるということ自体少ない傾向にある。幼い白哉は、京楽たちにとって、戦死した蒼純が遺してくれた大切な光に他ならなかった。

 京楽や浮竹、さらには夜一も、白哉を目当てに頻繁に朽木邸へとやって来るものだから、朽木邸は以前と比べて大層賑やかなものとなっていた。それもこれも、白哉が生まれたからだ。朽木邸は自然と京楽たちの集まる場となって、その中心にはいつも白哉がいた。

 そこには、いつも明るさや希望が満ちていて。
 少年の成長に、大人になって忘れかけていた綺麗事や、守るべき信念など、多くのことに気づかされた。そして、元気づけられていた。

 居心地のよい、陽だまりのような、その場所で。
 京楽は確かに、その存在に救われていたのだ。
 
 
 



「―――京楽?」

 不意に訝しげな声が聞こえて、京楽はハッと我に返ると、珍しく完全に過去にすっ飛んでいた意識を現実へと戻した。すると、不思議そうな顔をこちらを覗き込んでいる白哉の顔が目に移り、京楽はぱちぱちと目をしばたく。

「もう酔ったのか」
「え? いや……まだかな?」

 見当違いな推測を立てる白哉に、京楽は曖昧な返事を返す。確かに多少酔いは回っているが、しかし問題視されるほどではない。

「ならば何を惚けている」

 いつの間にか京楽のすぐ目の前に腰を下ろしていた白哉は、京楽が空けた杯を見て京楽の言っていることが間違ってはいないと判断したのか、質問の文句を変えた。その隣りには誰もいない。ちらりと視線を移すと、彼の新たな伴侶は幼馴染や友人に囲まれ何やらわいわいと騒いでいた。京楽がぼんやりとしていた間に若者たちの談笑は終わったらしく、ほんの少し前まで京楽の隣りにいたはずの夜一もいつの間にかその輪に加わり、先ほどよりも一層の賑やかさを見せている。

「おい、一護。貴様、そんなに飲んで大丈夫なのか」
「おまえいつまで俺のこと未成年扱いする気だよ。大して飲んでねーだろ。つうか京楽さんのとこの空瓶見ろよ」
「莫迦者! 総隊長と自分を同列に考えるなど何と失礼な」
「まあまあ。面白そうじゃ、ほれ一護、次はこの徳利ごと、ぐっと一気にいってみい」
「いや、夜一さん、さすがに徳利ごとはやらせねえ方がいいんじゃあ…」
「あ? てめえ恋次、馬鹿にすんじゃねえぞ。楽勝だっつの」
「ンだとコラ、誰がいつ馬鹿にしたってんだ。やれるもんならやってみろ! 後で吐いても知らねーからな」
「ああいいぜ! やってやろうじゃねーか!」
「おお! よいぞ一護、その意気だ!」
「なぁに、白哉坊が手ずから用意した酒じゃ、悪酔いはせんじゃろ! それ一気じゃ!」

 はじめこそ止める側だった恋次もあっさりと煽る側へと回り、現世の法で酒が飲めるようになってからまだ日の浅い一護に皆で一気をうながす鼓騒とした状態に、京楽はちらりと白哉を見やり、彼がわざわざひとりで自分のそばに来た理由を言い当てた。

「………白哉くん、逃げて来たね?」
「……言うな」

 もともと騒がしい空気は好まない質だ。如何に彼らが気を許している面々だとはいえ、あの中に居続けるのはなかなかに気疲れしてしまうのだろう。そういうことなら、と京楽は手元に確保しておいた徳利を持つと、猪口と一緒に白哉に勧める。たまには盛り上げる方ではなく、彼の避難場所になるのも悪くはないだろう。

 京楽から猪口を受け取った白哉は、大人しく酌を受けると、それから空いた片手で京楽の徳利を取り上げる。白哉の意図を察した京楽が手元の猪口を差し出すと、そこへなみなみと酒が注がれた。

 かつん、と軽く猪口を搗ち合わせて、互いに猪口に口をつける。辛口ではないが甘口というわけでもない独特の風味が、ふわりと口の中に広がった。

 そうやって、何度目かの酌み交わしを過ぎたころ、京楽は穏やかな調子で白哉の名を呼ぶ。きっとこの心地よさは、酔いのせいだけではないだろう。

「白哉くん」
「何だ」
「ありがとう」

 さらりと告げた言葉に、白哉は驚いたのか動きを止める。今日のこの席で彼に告げるのに相応しい言葉は、やはり「おめでとう」なのだろう。実際、二人が部屋に入って来たとき、京楽はその言葉を惜しげもなく贈った。

 ただ、やはり、この言葉も伝えたくなったので。
 ちょうど二人きりなのだし、言ってみたのだ。
 いまの自分の心を的確に表すのは、やはりこの言葉だから。

 ―――きみが、いつでも、

 前を向いているから。
 だから、僕も前を向かなくちゃって、思うんだよ。

 ちゃんと、君の前で、君に背中を見てもらえるような、そんな存在でいなきゃ、って。

 託されたものを、本当に自分なんかが守り切れるのか、そんなことばかり考えていた自分に、君の真っ直ぐさは少し目にまぶしくて。
 どんなときだって戦う覚悟を失わない君が、僕を支えてくれたんだ。

 ―――だから、

 ありがとう。
 守り切れたのは、きっと君のおかげだよ。

 あの日、託された少女は大きくなって、いまでは僕を支える副隊長にまでなった。あの子を守り抜けたのも、きっと、僕の後ろで君が僕を見ていたから。

 重責に押し潰されずにいられたのは、自分などよりももっと、凄まじい重圧とひとりで戦う小さな君を見たから。

 ―――そして、いま。

 心から誰かのしあわせを祝えるのは、君が哀しみの衣を脱ぎ、前へ進もうと歩き出したから。

「………なぜ、兄が礼を言う」

 訝しげな顔でこちらをじっと凝視する白哉に、京楽は機嫌よさげに笑った。

「うーん、しあわせのお裾分けに、かな?」

 彼の纏う桜色の衣が、目に優しい。
 あのとき散らなくて本当によかったと、改めて、心の底から安堵した。

『―――きっと白哉は、おまえを置いて逝かないよ』

 別に、その言葉を無条件に信じたわけじゃないけれど。
 強くなって戻って来てくれたこの子なら、と少しだけ思う。

 京楽がそんなことを考えているなど露知らず、告げられた言葉を大真面目に受け取った白哉といえば、何やら納得のいかなさそうな顔をしていた。

「礼を言うのは、私の方だ」
「え? 白哉くんからのお礼ならもう貰ったよ?」

 会合の帰り、京楽たちが用意した祝いの酒の席で、いまとなっては幻級に貴重な微笑みとともに。

 しかし、白哉は京楽の言葉にわずかに首を振る。そして、猪口に視線を落としたまま、ぽつりと、つぶやくように言った。

「……何度、言おうと、足りぬ」

 口下手で、表情に出すこともあまりないから、誤解されやすいけれど。本当は誰よりも情に厚い性分だから、そんなことを気にしていたらしい。京楽からすれば、あの笑顔でお釣りがくるほどの充分すぎる礼だったのだが、白哉にとってはそうではないようだ。まったく、生真面目な性格はちっとも昔から変わっていない。

 不服そうな白哉に、京楽は笑って言った。

「それじゃあ、たまにでいいから、また笑ってよ」

 それが、僕にとってはお礼だからさ、と茶目っ気を含んだ声でそう言えば、白哉はやや面食らった顔になる。しかし、それもやがては穏やかな表情へと変わった。随分とやわらかい顔をするようになったと、京楽は心の中で安堵を漏らす。

 そして、いまは亡き親友へ、胸の中で語りかけた。

 ―――ねえ浮竹。見てるかい。

 あんな小さかった子がさ、いつの間にか立派になって。
 笑わなくなって久しかったあの子が、また、笑ってくれたんだよ。ほんの少しだったけど、それはもうしあわせそうに。
 何だか、嬉しくて、泣きそうになっちゃったなあ。

 そして、いまも、こんなに穏やかな顔を見せてくれている。

 君が教えてくれた宝物。
 本当の子どもみたいな、なんてくさい台詞は言わないけど。

 ―――まるで、父親みたいな気分だよ。


「隊長!」

 あちらで先ほどまで騒いでいた話題に区切りがついたのか、派手な赤の青年が白哉の方へと近づいて来る。顔を上げた白哉の瞳に優しげな色が灯るのを、京楽は微笑ましい気持ちで眺めていた。

「一護潰れちまいました」
「……夜一の悪乗りのせいだろう」

 その場を離れて避難はしていても、会話の内容にはきちんと耳を欹てていたのか、白哉はやや呆れの混じった声で応える。ちらりと視線を一護へとやり、なるほどしっかりと泥酔している様子を確認すると、襖越しに待機していた侍従に、水を、と手早く申し付けた。

「白哉くん」

 何だかんだと若い子たちの世話を焼くのに慣れた様子に笑みをこぼしつつ、京楽は白哉の名を呼ぶと、くいくいっと手招く。そんな京楽の仕草を受けた白哉は、不思議そうに首を傾げつつも特に警戒することなく京楽に顔を近づけた。その行動が今日の空気のせいなのかどうかはわからないが、京楽はにこりと悪戯めいた笑みを浮かべる。

「はぁ〜〜い、出血大サービス〜〜」

 そして、おちゃらけた言葉とともに、京楽は白哉の若い頬に軽く口付けた。

 何してるんスか?!とすぐ隣りで恋次が仰天するのを横目に、驚いたまま固まっている白哉に向かって、京楽は笑う。

「―――蒼純くんの代わり、なぁんてね」
「…!」

 父親のような気分だと、そんなことは言えないから。
 少しだけ、彼の本当の父親の名を借りる。

 久しく耳にしていないであろう父の名に目を瞠る白哉に、京楽は目一杯の心を込めて、それこそ、これ以上ないほどに喜ばしい笑顔とともに言った。

「しあわせになるんだよぉ、白哉くん」

 息子のような君が、どうか、今度こそ、微笑みを失わない世界であるように。
 友の守った世界で、今度こそ、しあわせであるように。

 そう、祈りを込めて。


「浮竹と一緒に見てるからね」

 瞬間、やや目を見開いたあと、白哉がゆっくりと微笑んだ気がした。

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