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かたしぐれ ― 片時雨 ―



 急遽入った大学の補講を終えた一護は、慌ただしく自宅へと戻るや否や教えられた通りに穿界門を開き、全速力の瞬歩で朽木邸へと向かっていた。わざわざこちらの都合にも合わせた日取りにしてもらったというのに、休日に補講が入るなどまったくついていない。

 道中、何故か気持ち悪いほどに機嫌のいいルキアに出迎えられ、二人揃って朽木邸に辿り着いたのは、間もなく昼という時刻だった。何とか昼前には到着できたようだと、一護は安堵の息を吐く。

「おいおい、バテバテじゃねえか。大丈夫か一護」
「ッ、恋次?!」

 今日の主役であるはずの人物が出迎えに現れ、一護は驚いて目を見開いた。しかもその横には白哉までいる。てっきり、いつも定例報告で尸魂界に来たとき同様、使用人の誰かが案内してくれるのだとばかり思っていたのだが。

 二人の装い―――特に、ただでさえ浮世離れした白哉から発せられるこの世のものとは思えぬ雰囲気に一瞬ばかり惚けてから、一護はハッとする。……いやいや、恋次ならわかるけど何で俺まで見惚れなくちゃなんねえんだ。

「悪い白哉! 遅くなった」

 一護は、今回の式の主催者にパンッと手を合わせて謝ったが、白哉は特に気にした様子もなくあっさりと言った。

「よい。それに、遅れてはおらぬ」
「いや、でも、ほんとは午前中からなんだろ?」
「ひろめの宴ははじめから昼の予定だ。化けね…夜一が好き勝手しておった故、支度が済んだのも先ほどでな」
「何したんだよあの人」
「着付けをさせろと部屋に押しかけて来た」
「……相変わらず自由だな」

 はは、と一護は笑う。

 けれど、その夜一を今回の席に呼ぶために、現世の浦原にこの日は彼女に用事を頼まないよう伝えてくれと、わざわざ一護に頼んできたのは白哉だ。口では何だかんだと言いつつも、彼女には深く思い入れがあるのだろう。とはいえ、そんなことを馬鹿正直に口にしようものなら散らされるのは必至である。そこはあまり突っ込まないようにしようと、一護はちらりと視線を白哉から逸らす。そして、何やら騒いでいる恋次とルキアを見やった。

「つーかおまえ、その格好で迎えに行ったのか?」

 恋次の言葉に対し、ルキアはむっと唇を尖らせている。なんだか妙に立派な服を着ているからかいつもより男前に見える恋次にそんなはずはないと理不尽な腹を立てつつ、一護は恋次の指すルキアの格好を改めて見やった。正直、何がおかしいのかさっぱりわからないのだが、恋次はおかしそうに笑っている。

「しっ、仕方なかろう。あの格好では瞬歩ができぬと思って……」
「別に瞬歩使わなくてもよかっただろ」
「莫迦者! 兄様をお待たせするなど言語道断だ!」
「俺はいいのかよ。つかそんな待ってねえって」
「ええい、小袖は着ておるのだからよいだろう!」
「着てるっつーかギリギリ引っ掛けてるだけじゃねーか」
「朝っぱらから着流し着崩して隊舎をうろうろするような貴様にだけは言われたくないわ!」
「……なあ、何かダメなのか? ルキアの格好」

 二人の会話を聞いていても結局わからなかったので、一護はそっと白哉に尋ねた。恋次とルキアのやり取りを特に咎めることもなく黙って見ていた白哉は、一護の質問を受けて、ああ、と応える。

「正装ではない。動き難い故、一度脱いだのだろう」
「さっぱりわからねえ……」

 とはいえ、白哉や恋次がいま着ている服はどこからどう見てもきっちりとした格式を感じさせるものであるので、おそらくはルキアも似たような格好をしていたのだろうとは予想がつく。いまの格好も別に浴衣か何かのように見えて別におかしいとは思わないのだが、そのあたりは細かい決まりがあるのだろう。現世では着物を着る人間などすっかり見なくなってしまったため、残念ながら一護に彼らのような着物の知識はない。

「恋次」

 一護の横で、白哉が徐に恋次を呼ぶ。大して大きな声ではないが、恋次が白哉の呼び声を聞き逃すはずはなく、ぱっとルキアから白哉へと視線を移した恋次に白哉は静かに言った。

「ルキアに付き添って来い」
「えっ、俺? あの、隊長、俺あんな豪華な服の着付けの仕方とかわかりませんよ?」
「兄にそのようなことは期待していない」
「あ、そうスか…」

 ばっさりと言い切られしょんぼりとする恋次に構わず、白哉はルキアへと視線を移す。そして、努めて穏やかな声で告げた。

「急がず支度を済ませて来るように」
「あっ…はい! ありがとうございます、兄様」

 ああ、ルキアが慌てて支度をするようなことがないように、見張り役として恋次に付き添えと言っていたのか、と一護が理解する横で、ルキアは兄の気遣いに感激してすでに天にも昇りそうな顔になっている。……自分を迎えに来たときもこれと似たような顔をしていたから、どうせまた白哉が何か彼女を感動させるような発言をしたのだろう。まったくこの兄妹は、と一護はこっそりとため息をつく。ルキアとも家族のような付き合いである恋次のようにはなれないし、それに死神として随分と長い間生きている彼らと違って自分はまだ精々二十年ほどしか生きていないのだから、悟れと言われても無理な話だ。

「じゃあちょっと行ってきますけど……一護、隊長に迷惑かけんなよー!」
「これから案内してもらうのにどう迷惑かけんなっつーんだよ」

 軽口に軽口で返しながら、一護は恋次にひらりと手を振る。組み合わせとしておかしいとは思ったが、残念ながら自分ではまだルキアのストッパーにはなれないし、この屋敷の勝手も知らないのだから仕方ないだろう。

 一護はちらりと隣りにいる白哉を見やる。やはり見栄えのするその姿に、しみじみとつぶやいた。

「いや〜しかし、似合うな、白哉。そういうの」

 自分と同類だろうと思っていた恋次も腹立たしいことに意外と似合っていたが、やはり白哉が着ると貫禄というか、存在感が圧倒的だ。同じ男としてこういったものを難なく着熟す姿には憧れたりもするが、残念ながら彼に憧れたところで同じようになるのは不可能である。

 一護の言う、そういうの、の意味がわからなかったのか、白哉は不思議そうな顔になる。一護は、彼の纏う立派な衣装を指差しながら付け加えて言った。

「だから、そういう、しっかりした和服。正装、って言えばいいのか? やっぱ白哉が着るとかっこいいわ」

 普段はあまり意識していないが、思い返してみれば目の前にいるのはまったく反則級の高スペックをこれでもかと揃えた人物なのだ。妹があれだけ兄に陶酔するのも、よくよく考えれば自然なことなのだろう。

「…………」

 しかし、こんなありふれた褒め言葉などそれこそ腐るほど向けられ慣れているであろう白哉は、なぜか一護の言葉に何とも言えない表情になって沈黙する。まさか自分相手に照れるような性格ではないだろうし、どうしたのだろうかと一護が首を傾げていると、やがて白哉はぽつりと言った。

「……兄もいずれ着ることになる」

 その言葉の意味をわずかに間を挟んで察した一護は、ぱっと顔を赤くする。慌ててルキアが去って行った方向を横目に見やり、それから、いやいやいや、と頭の中から妄想を追い払った。

 ―――えっ白哉ってそういうこと言うの?!

 どう返したらいいのかわからず、ぶわっと全身のありとあらゆる場所から滝汗が噴き出ているのではないかという心地で一護が無言のままでいると、白哉はふいっと視線を逸らす。そして、一護と同じようにルキアの去って行った方向を見やりながら、まるで独り言のような小さな声音でつぶやいた。

「……あまり待たせてはやるな」

 この上さらに追い討ちがあるのかと、一護はぎょっとしたように目を見開く。これはあれか、いわゆる、場の雰囲気というやつか。今日の雰囲気と、白哉が身に纏う婚礼衣装がそうさせているのだろうか。なんという威力だ。

「つか、それ、白哉が言うかぁ?」
「………経験者の言葉だ」

 恋次を三年近く待たせたままにしていたのはどこの誰だったかと思わず口にすれば、白哉は居た堪れない様子を見せつつも言い返してきた。……なるほど、自分のようにはなるなと、そういうことか。

 しかし、まさか兄である白哉からそんな言葉が出てくるとは、と意外に思っていた一護の横で、白哉が先ほどよりも小さな声で何事かつぶやく。

「……私は、その倍でも待つと決めていたというのに、彼奴……たった一日で返事を寄越しおって……」
「…………」

 どこか悔しそうにも聞こえるつぶやきに、一護は何とも言えぬ顔になった。彼の幼少期を知る人物曰く負けず嫌いらしい性格ゆえに、恋次と自分を比べて気持ちで負けたような気分になっているのだろうか。……あれだけあからさまなアプローチを恋次から受け続けていたというのに、どうして返事に何年もかかると思ったのだろう。変なところで鈍感だよな、と一護は他人事に思う。しかし、どうやら本人は大真面目なようなので、一応フォローはした方がいいだろうかと一護は口を開いた。

「…まあ、その、白哉は、何か色々と大変だったんだろ? 貴族とかそういうの、俺はよくわかんねえけど……」

 すべてがきちんと丸く収まったあと、結局何がどうなったのだと置いてきぼりを食らっていた一護に事の次第を教えてくれたのは、夜一だった。要は法律を変えさせたようなものだと、現世に詳しい夜一は一護にもわかりやすいように例えてくれたのだ。しかも、それだけの行動を起こした理由が、たったひとり恋次の想いに応えるためだというのだから驚きも一入である。この静かに凪いだ表情の下で、いったいどれほどの想いを抱え込んでいるのか。

「すげえと思うぜ、ここまでできるって」
「…そうか?」

 意外にも、白哉はきょとんとした顔を返してきたので、一護はやや驚く。一護にしてみれば白哉の行動は相当に突飛で凄まじいものだったのだが、白哉にとってはそれほど驚かれることだとは認識されていないらしい。むしろ恋次に負けているのではないかと思うほど評価も低いようだ。この男の価値観はいったいどうなっているのだろう、と一護がひたすらに首を傾げていると、白哉はあっさりとした口調で言った。

「兄が申したのだぞ」

 俺が何だって、と唐突な言葉に困惑するも、しかしそう言った白哉の表情がひどくやわらかなものであることに面食らってしまい、一護は口に出そうとしていた言葉を思わず飲み込む。

 白哉は、麗らかな陽射しの見せる錯覚なのではないかと思うほどに穏やかな顔で、はっきりと一護に告げた。

 「――――掟と戦え、と」

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