かたしぐれ ― 片時雨 ―
「うむ、よし。これでよかろう」
「………」
着せ替え人形か何かにするように己の誂えた衣装を白哉に着せ終わると、夜一はそれを見上げて満足そうに笑った。白哉は、いまさらながらに何とも言えぬ顔でつぶやく。
「……何をしに来たのかと思えば……」
ここは白哉の邸宅―――朽木邸の一室である。世間一般的な常識で言うと、四楓院家の者がそう易々と訪れるような場所ではない。
しかし、今日ばかりは、彼女をこの屋敷に招いたのは何を隠そう白哉本人であるので、彼女が屋敷にいること自体は問題ではなかった。そうではなく、白哉が言いたいのは、なぜこの部屋にいるのか、ということである。本来ならば、来賓として客間で大人しく白哉たちが来るのを待っているはずの立場なのに。
「何をしに来た、とは随分な言い草じゃな白哉坊。お主が言ったのじゃぞ、今回は朽木家の使用人ではなく、儂と京楽に任せると。衣装担当が最後の仕上げをするのに何の不思議がある」
「…衣装すべてを任せると言った覚えはないのだがな……」
己の纏う衣装を見下ろし、白哉はわずかにため息をつく。その視線の先にあるのは、朽木家の五つ紋の施された黒紋付羽織袴だ。―――この場合では、いわゆる、婚礼衣装と呼ばれる代物である。
晴天吉日。朽木家は、当主とその伴侶の婚儀の準備に慌ただしく追われていた。
そして、夜一の言う白哉の『任せる』との旨の発言は、此度受けた恩を忘れぬようにと、この婚儀に際して身につけるものをひとつずつ頼みたいという話だった。それがいつの間にやら、せっかくなら白哉の衣装すべてを引き受けると夜一が言い出し、結局、朽木家の紋の入った衣装を四楓院家の者が誂えるという前代未聞の運びとなったのである。いくら白哉が慌てて送った侍従も携わったとはいえ、まったく型破りにも程がある奔放さだ。それじゃあ僕は扇を、と言ってきた京楽が何だか可愛く見えてくる。……実際あの男も衣装の誂えには喜んで一枚噛んでいるのだが、そこは意図的に無視することにしよう。
あくまで内々の個人的な祝言であるとはいえ、四大貴族の当主に着せる正装だ、誂えるには手間もかかるしそれなりに値も張るだろう。だというのに、自身の衣装の一切が頂戴物とはさすがに申し訳ないと白哉ははじめ夜一の申し出を断ったのだが、相変わらず剛毅な物言いで夜一はあっさりとそれを却下した。
『お主は恋次の衣装のことだけ考えておれ』
珍しく揶揄いを含まぬごく純粋な言葉と共に、楽しそうに衣装を見繕う算段を話し始める夜一の姿を見た白哉は、ここで意固地に断るのは却って礼を失するだろうと彼女の申し出を受け入れたのだった。
「着心地はどうじゃ」
「……悪くはない」
「ははっ、お主からその言葉が出れば上出来じゃな」
白哉のことをよく理解している夜一は、気分を害することもなくからりと笑うと、何故かひょいと白哉越しに部屋の外を覗き込んだ。その動作を不思議に思っていると、夜一は徐に白哉の後ろに向かって声をかける。
「で、京楽。覗き見とは趣味が悪いぞ」
夜一の言葉に驚きぱっと背後を振り返れば、それまで隠されていた霊圧がふっと出現し、襖の影からひょっこりと京楽が顔を出した。その手には、白哉と約束した扇が握られている。
「やだなあ〜、そんな無粋なものじゃないって」
にこにこと笑う京楽に対して、どうだか、と夜一は笑った。
「お主は信用ならんからのう」
「いやいや、普通は逆じゃない? 普通は僕が白哉くんの着付けやって、夜一ちゃんが覗く役じゃない? いやそれも女の子的にはおかしいんだけど」
「襦袢姿しか見とらんから安心せいと恋次に伝えておけ」
普通こういった着付けは使用人に任せるものではないのか、と一応四大貴族と上級貴族であるはずの二人の会話を聞きながら思った白哉だったが、敢えて言う必要も感じなかったため沈黙を通した。
そもそも、この化け猫相手にいまさらそういった感覚はない。頼んでもいないのに勝手に裸で現れるわ、いつだろうと構わず覗きに現れるわ、その奔放さに呆れ怒りこそすれ、羞恥などいまさら湧くはずもない。
「まあ、儂は白哉坊の裸なんぞ見慣れておるがな」
「……いつの話をしている」
「その発言、阿散井くんの前ではアウトだよ〜」
けらけらと笑いながら、京楽はのっそりと部屋に入って来ると、手に持っていた扇をすっと白哉に向けて差し出した。
「はい、白哉くん。これで仕上げだね」
滑らかに仕上げられた木目の美しさを眺めながら、白哉は受け取った扇をぱっと開いて見る。すると、薄色でありながらも静かに存在を主張する赤椿が目に入った。白哉はわずかに目を瞠ると、すっと京楽を見上げる。その動作で白哉が察したことに気づいたのか、京楽は実にお茶目に笑った。
「君たちと言えば、それでしょ?」
椿は六番隊の隊花である。そして―――白哉の手元の扇の中で咲く色は、あの目に眩しい男を思い起こさせるもの。
「……私が、こちらか」
「そう。お互いに、相手の色に染まるように、ね」
「洒落たことを」
「いやあ、お褒めにあずかり光栄だよ」
やはり白哉の推測は間違っていなかったようで、京楽は大きくうなずき、それからわざとらしいまでに照れて見せた。道理で、せっかくなら恋次のものも任せてほしいと、夜一の勢いに便乗するかのように二本の扇を請け負ったわけである。
「なかなか似合っておるではないか」
改めて扇を持ち直した白哉に、夜一が珍しく褒めの言葉を口にする。いいねえ、綺麗だねえ、と鼻の下を伸ばす京楽が白哉に近づこうとするのをさり気なく阻止しつつ、腕を組んで白哉を見上げるその姿は、実に機嫌良さそうだった。
面白がりこそすれ、彼女がこのように穏やかで嬉しそうな顔をするとは思っていなかった白哉は、それに対して自分がどのような顔をすればよいのかわからずそうっと視線を彷徨わせる。
そうして落とした視線の先に映った扇に、すでにその面は閉じられているにも関わらずあの赤椿の姿を見て、白哉はちらりと京楽を見やった。
この男のことだから、どうせ、わかった上で選んだのだろう。俗めいたくだらぬことはもちろん、反面雅やかなことも、その多くを白哉に教えたのは京楽だった。酒を片手にというところは未だに関心せぬが、彼はかつて白哉に、四季折々の様々な花を指しながら、あの美しさには意味があるのだと―――そう楽しそうに語っていた。
隊花にと掲げられた言葉は『高潔な理性』。
そして、此度の席を祝うために誂えられた、この椿たちに込められた言葉は、きっと――――…
「おや」
不意に、京楽が部屋の外へと視線を向けてつぶやいたので、白哉の意識もまた回廊へと向かう。先ほどから移動しているようだとは察していたが、やはりこの部屋に近づいてきている様子の二人の霊圧に、白哉はほんのわずか、表情をやわらかくした。
「失礼致します、兄様。お支度は―――」
控えめながらも京楽が開けっ放しにしていた襖から顔を覗かせたルキアは、白哉の姿を見るなり言葉を途切れさせる。次いで幼馴染の頭の上から同様に顔を出した恋次もまた、白哉を見るなり目を見開いた。
そして、白哉もまた、妹と共に現れた男の随分と様になっている姿に、わずかに目を瞠る。白哉と同じ黒紋付羽織袴に、常の大雑把な括りではなく丁寧に梳かれしっかりと結われた髪。その大きな手に握りこまれているのは、すでに京楽が贈ったのであろう扇が一振り。常日頃の粗野な雰囲気がすっかり鳴りを潜めた、なかなかによい男振りであった。
白哉が感心しているそばで、恋次の横にいたルキアはひどく感激に打ち震えた様子で、白哉にまっすぐな眼差しを向けてきた。
「に……兄様…ッ、なんと麗しいお姿でしょう…!!」
震える手を口元にやり、ただでさえ大きな目をさらに大きく見開きながら、ルキアは大袈裟なまでに感動を顕にする。そんな彼女も、今日は朽木家の使用人たちが丹念に選び抜いた晴れ着を身に纏っていた。遅れても必ず行くと言っていた黒崎一護が見たら、間違いなく惚れ直すことだろう。
「あああこのように美しく素晴らしく尊い兄様が、よもやこのような悪人面の面白マユゲなどに……っ!!」
「……誰が面白マユゲだコラ」
その隣りにいた恋次が、いつもとは違う少し抑えた声音で文句をつける。この男でもやはり常とは違う心持ちであるのか、今日はこの二人の見慣れた言い合いの風景は見られなかった。
「さあて、それじゃあ、僕たちはそろそろ客間の方に戻ろうかな? 一応お招きされた立場なんだし」
「そうじゃのう、一応待つ体裁くらいは取っておくか」
客間から抜け出して支度中の白哉のもとへとやって来た二人は、そうぬけぬけと言って、ひらひらと白哉に向かって手を振る。いまさら多少白哉たちと時間をずらしたところで大して変わらないだろうに、とは思ったが、ちゃんと出迎えて祝いたいのだという二人の気持ちがわからないわけではなかったので、白哉は何も言わず二人を見送るために爪先を回廊へと向けた。
「二人で出て来るのを楽しみに待ってるよぉ」
「……わかったから早く行け」
にこにこと機嫌良さげに白哉と恋次を見やる京楽の背を、白哉はやや強い力で押して、そのまま回廊へと追い出す。特に何も言わずとも夜一がその後に続くのを見やると、白哉は視線をルキアへと移した。
「ルキア」
「はい、兄様」
「……あれのことは、おまえに任せる」
「はい?」
何のことだと首を傾げるルキアに、白哉はつい、と無言で視線を外にやる。穿界門の開く気配と共にこちらに近づいて来るかすかな霊圧を、白哉のその動作で遅れて察したルキアは、ぱっと顔を明るくした。
「あっ、で、では、私は彼奴を迎えに行って参ります! ひろめの宴までに必ず身支度を整えさせますので!」
こちらに来るときは必ず死覇装でふらついている姿を思い浮かべて、いや、と白哉はルキアに首を振る。
「そのままでよい」
「は…、ですが……」
「形式張ったものは苦手な質だろう」
現世では随分と生活の様式が変わったと聞くし、この屋敷に来るだけで微妙な顔をしているのを何度も見ている。白哉たちとて死覇装は仕事着として公に着用しているのだから、決して礼を失するような格好ではない。それに、こちらの都合で現世からわざわざ来てもらうというのに、さらに何かを押しつけるというのも酷だろう。白哉が構わないと告げると、ルキアは何故か少し唇を尖らせた。
「兄様は一護に甘いのです」
「そのようなことはないと思うが……」
たとえもし仮にそうであったとしても、それは偏にルキアを通じてのことであると、なぜ自覚がないのだろう。わかりにくい性格だ、と恋次には常々言われてはいるが、それにしたってもう少し察しがよくてもよさそうなものを。
―――思っていることを、言葉に……
困ったときに思い出すのは、やはりかつて言われた恋次の言葉で。難しいことではないだろう、と言わんばかりの顔に、それが容易くできれば苦労はないと心の中で反論するのはこれで何度目か。
―――しかし、今日くらいは。
「……ルキア」
「はい、兄様」
「よく似合っている」
一護に甘いとやや拗ねたようにも見えるルキアに、白哉は恋次の助言通り、いま思っていたことをそのまま率直に伝えた。瞬間、ルキアは今度こそこぼれ落ちてしまうのではないかというほどに大きく目を見開き、次いで林檎のように真っ赤になる。さすがに唐突過ぎたかと、たったいままで話に上がっていた一護とはまるで関係のない話題であったことに、白哉は言ってしまってから思い至った。
対してルキアは、何度かぱくぱくと口を動かし、しかしどれも言葉にはならなかったようで、震えながら白哉を凝視している。そして、やがて慌ただしく退室の言葉を述べると、白哉が止める間もなく回廊へと飛び出し、それこそ風のように去って行ってしまった。
呆気に取られてそれを見送るしかなかった白哉に、残された恋次は「……いまのは隊長が悪いっスよ」と呆れの混じった声で笑う。
「何故だ」
「なんでって、そりゃあ……あんたにそんな直球で褒められたらルキアが喜びのあまり発狂することくらい、そろそろわかってくださいよ」
「兄の申した通りにしたのだぞ」
「は? 俺?」
まったくの予想外の言葉を受けたかのような顔をする恋次に、白哉はやや憮然としてうなずく。そして、いつだったか恋次が自分に告げた助言を口にした。
「思ったことを口にせよ、と」
「あー……」
ようやく思い至ったのか、恋次は微妙な顔になりながらも理解の旨を示した。
「私が黒崎一護にばかり甘いと思っているようだった故」
「本当に甘いのはルキアの方だって伝えたかった、と。なるほど。効果抜群過ぎてえらいことになりましたね」
そう言って他人事のように笑う姿は、白哉がよく見慣れたもので。先ほどルキアと言い合いが勃発しなかったのは単なる偶然かと、白哉は思い直す。いつもより大人しく見えたのは、てっきり緊張でもしているのかと思っていたのだが。
「じゃあ隊長、せっかくなら俺にも言ってくださいよ」
「何を」
「だから、思ってること」
にこりと笑ってねだってくる恋次に、まさか本当に思ったことをそのまま伝えられるはずもなく、白哉はすっと視線を逸らす。……妹を褒めるのとはわけが違うのだ。よい男振りだと、そんなこと、言えるはずもない。
「………馬子にも衣装」
「あー絶対言うと思った! ルキアのことは褒めたのに」
「兄と距離を縮める必要はなかろう」
「えっ何それひどくないっスか?!」
あっさりと言った白哉に対し、恋次は大袈裟なまでに嘆く。……子犬が耳と尾を垂らしたように見えるのだが、これのどのあたりが野良犬だというのだろう。
それにしても意味が通じていないようだと、しょんぼりとした様子の恋次に、白哉はため息ひとつとともに言葉を付け加えた。
「……これ以上、どう近しくなれと言うのだ」
目の前で扇を広げて見せれば、恋次の目に映るのは鮮やかな赤椿。同じ黒紋付羽織袴を指し示してやれば、恋次はわずかに目を見開いたあと、ようやく白哉の言葉の意味を察したのか、ふにゃりとだらしなく頬を緩ませた。同じように開かれた恋次の扇に描かれているのは、やはり白哉を思わせる白椿。
「……ほんと、まだ、夢見てるみたいです」
己と白哉を交互に見やりながら、そうぽつりとこぼす恋次に、まだそのようなことを、と白哉は呆れる。けれど胸にあるのは、そんな姿をも愛おしく想う気持ちばかり。
互いにこの花を持つことの意味を、きっとこの男は知らぬのだろう。互いの色を持つ椿に、もうひとつ、京楽が込めたであろうその意味を。
「―――行くぞ、恋次」
あまり待たせると後でうるさかろうと、白哉は恋次をうながす。ともに回廊へと出ながら、白哉はふと、どこからか声が聞こえたような気がして、視線をわずかに動かした。向けた先は、亡き妻の遺影が安置された部屋の方向。…―――笑ったような、声がした、気がしたのだ。
―――もう、迷うことはない
私のしあわせを願うと、そう言って微笑んでくれたひと。
もう一度、しあわせになってもよいのだと、そう言って手を伸ばしてくれた男の手を取ったことを、きっと、いまごろ安堵した顔で見ているに違いない。
―――ありがとう、緋真
生涯、ただひとりおまえ以外に贈ることはないと思っていた言葉を、私はこの男に贈ろう。
たとえ再び喪う恐怖に苛まれようとも、けして悔いの残らぬよう、その傍らに最後まで居続けよう。
「隊長?」
不思議そうに自分を呼んだ恋次の声に、白哉すっと視線を前に戻す。やわらかな陽射しの降りそそぐ回廊が、まるでこれから自分の歩く道筋のようにも見えて、その明るさとあたたかさに、白哉はわずかに目を細めた。
隣りを見やれば、如何にも嬉しそうな顔をした恋次の姿がある。その顔を見た刹那、胸に広がった途方もない想いの波に、ああ、そうか、と白哉は思った。
私は、いま、これ以上ないほどに―――……
――――しあわせ、なのだ。