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かたしぐれ ― 片時雨 ―



「かんぱ―――い!!」
「………」

 盛大な文句とともに徳利を搗ち合わせ、上機嫌さながらに一気に酒を煽る二人組を、白哉はひとり静かに沈黙しながら眺めていた。普通、乾杯の音頭ならば猪口を打ち合わせるのが普通ではないのかとか、色々と気になるところはあるが、そんなことより。

「……兄らは、なぜすぐに飲むのだ……」

 呆れ混じりに嘆息を漏らすと、途端に二人の視線はぐるんと白哉の方へ向けられた。白哉は反射的に、わずかに身体を引く。うちひとりはすでに酔っ払いと言っても過言ではない状態であり、もうひとりは白哉を揶揄うことを生粋の生き甲斐にしているような性格なものだから、下手に絡まれれば面倒なことになることは容易に予測がついた。

 しかし、予測できたからといって、それが回避できるかどうかというのはまた別の話である。

「白哉くん、ノリがわるーい!」
「まったくじゃ! そもそも、さっきまで会合で好き放題に飲んでおったお主らと違って、儂はまだちっとも飲んでおらんのじゃからな!」

 たったいま目の前で銚子一本を空にしたくせに何を言う、と白哉は反論しかけたが、酒豪の彼女にそんなことを言っても意味がないと、早々に諦めて流すことにした。

 時刻は夜のはじめ頃。

 年に数度あるかないかという、貴族と名のつく者の多くが一堂に会する長期会合を先ほど終えたばかりの白哉は、同様に会合に列席していた京楽に引き摺られるようにして料亭へと連れ込まれていた。道中、待ってましたとばかりに夜一にも出迎えられ、いつの間に取りつけたのだか特等の個室へと案内された白哉は、結果こうして目の前で次から次へと酒瓶を空けていく二人を眺めている羽目になったのである。

 しかし、二人がなぜ急にこのようなところへ白哉を招いたのか、それを察せぬほど白哉は鈍物ではない。
 六日間に及ぶ長い会合の末、とうとう正式に認められた恋次の処遇に、白哉がほっと安堵に胸を撫で下ろしたのがつい先ほどのこと。乾杯、という掛け声は、すべてが丸く収まったことへの祝いと労いなのだろう。

 ―――本来なら、私がすべきことなのだが……

 このような面倒事に、一も二もなく協力を申し出てくれた二人に対し、今日ばかりは文句を言わずにいようと白哉は密かに心に決める。……まあ、主に夜一がいつにも増してちょっかいをかけてくるだろうが、それも甘んじて受けよう。彼女がいなければ、果たして自分は動いていたかどうか怪しいものなのだから。

 白哉は、早くも酔いどれめいた雰囲気になっている二人はひとまず放っておき、おそらく彼らの盛り上がりにはついて行けないであろう夕四郎を顧みる。見た目こそ少年ではあるが、会合の席で何度か酒を口にする姿は見ている。そこまで不安に思うことはないだろうが、一応、念の為だ。

「夕四郎。無理に飲む必要はないぞ」
「大丈夫ですよ〜白哉様! 僕、向こうではあまり飲んでないので」

 にっこりと笑う顔には多少の赤みが差していたが、概ね素面のようだと判断すると、白哉はうなずいた。そして、先ほどからうるさく酌をしろとせがんでくる大人二人を相手にすべく視線を移す。

「ほら〜白哉くん! 白哉くんも飲みなよぉ〜! 白哉くんが主役なんだからね! あっ、なくなっちゃった。白哉く〜ん、おじさんにおかわり注いで〜」
「……京楽。兄はすでに相当飲んでいるだろう」

 飲めと勧めてきながら酌もねだるという欲張りな京楽に、白哉は呆れ混じりに返す。普段から間延びした調子で話すせいで、この男の場合酔っているのかどうかがいまいちわからないのだが、昔それでいきなり目の前で昏酔状態になられたことがあるため顔色には注意が必要だ。……普段と比べると妙に白哉の名を連呼しているような気がするが、これも酔っているが故なのだろうか。

 しかし、京楽は意に介した様子もなくからからと笑った。

「だいじょーぶ大丈夫! 僕お酒強いからさぁ〜」
「………」

 確かに、大酒家である彼が強いことは白哉も知っているが、やはりこれは少し止めた方がいいのではないだろうか。今日の会合の席で、気持ちばかりしか酒に手をつけなかった白哉とは違い、京楽はまるで水のように酒を飲んでは御満悦な表情だった。それこそあの時点で酔っていると判断してもおかしくないほどだ。

 おそらく、無事に恋次の件が収束の目処が立ったことに加え、今日は会合の最終日だからと肩の力を抜いたのだろう。さすがにそれを責められるほど白哉は厚顔無恥ではない。散々に迷惑をかけたのはこちらなのだ。

 今回ばかりは素直に徳利を手に持ち、京楽の空になった猪口に酒を注ごうとした白哉だったが、しかし、それを妨害するように徳利を持った白哉の腕をぐっと掴んで引き寄せた褐色の手によって、白哉は慌てて動きを止めることとなった。……危ない。危うく徳利を落とすところだ。

「白哉坊! 酌をするなら儂にせんか! 其奴はたらふく飲んで来とるじゃろうが!」
「夕四郎にしてもらえ」
「かーッ! わかっとらんのう! 夕四郎のなぞいつでも受けられるではないか! 白哉坊からの酌なんぞ面白そ……貴重なもの、儂が見逃すわけがなかろう!」
「………」

 すでにかなりの酒が入っている状態の京楽と違い、まだ飲み始めたばかりの夜一がそこまで酔っているはずはないのだが、なぜか早くも酔っ払いめいた雰囲気を出している。……京楽とは違った意味で、彼女もまたどの程度酔いが回っているのか判断しづらい相手ではあるのだが。終始からかい調子を崩さないため、多少声の抑揚が変わった程度ではそれが酔いのせいなのかどうかがわからないのだ。

「酌をしろと言うならまずは器で飲め」

 そもそも、夜一はその手に猪口すら持っていない。がっと徳利を掴んではそのまま一気飲みをしている。いったいどこに酌をしろと言うのか。

 ため息を飲み込み、手を離せと告げながら顔ごと夜一の方を向いた白哉だったが、その先の光景を見てぴしりと固まった。視線の先には、先ほどまで机に隠れて見えていなかった空瓶が大量に床に鎮座している。

「……待て、夜一。まさか、それをすべて飲んだのか……?」

 確かに、白哉たちがこの部屋に入ってすぐ、大量の徳利が運ばれては来ていたが、まさかもうそれらを空にしたと言うのか。白哉は慌てて卓上に視線を戻し、置かれた徳利の数を数える。京楽が確保していた数本の徳利は無事だったが、先ほどまであったはずの酒の満ちた徳利たちの多くは忽然と姿を消していた。

 白哉が夜一から完全に目を離したのは、隣りに座る夕四郎と会話をしていたときくらいだ。京楽と話しているときさえ確かに夜一の姿は視界に捉えていたはずなのに、何という早業だろう。そうなると、すでに夜一は片手では足りぬ杯を空けたことになる。まさかもう酔っているのだろうか。

「儂がこの程度で酔うものか。のう、夕四郎」

 けらけらと笑う姿はいつも通りだったが、しかし多少なりとも隣りの酔っ払いの影響を受けているのか声の調子が高い。

 同意を求められた夕四郎といえば、姉そっくりの褐色の肌ゆえにわかりにくい顔色で、いつものように人懐っこい笑みとともに「はい!」と元気よくうなずいた。

「姉様はいつも樽ごとですもんねえ」
「………」

 実に想像したくない飲みっぷりである。どうしてこう自分の周りには酒好きな輩が多いのだろう、と白哉は心底不思議に思った。白哉とて気に入りの酒くらいはあるし、特別弱いわけでもなかったが、しかしここまで過激ではない。

 普段ならばもう少し抑えろと諌言するところだが、今日ばかりはその言葉をすべて飲み込む。白哉は夜一に猪口を押しつけるようにして渡すと、持っていた徳利から酒を注ぎ、空の猪口を満たした。

「おお」

 素で感動した素振りを見せる夜一に何やかんやといじられる前に、白哉は次いで手元を京楽へと移す。すっと徳利を差し出すと、上機嫌に空の猪口を差し出してきたので、同じように酒をなみなみと注いだ。

「わあ〜! 白哉くんにお酌してもらっちゃった〜」

 完全に酔いどれの仕草になりつつある京楽に、白哉は「大げさだ」と生真面目に返す。……酌くらい、いままでにだって、何度かはしたことがあるはずだ。たぶん。

 飲め飲めと二人が騒がしいので、白哉もまた己の猪口に入れた酒にそっと口をつける。少しばかり辛口の風味に、二人の気遣いが見て取れた。

「それで、白哉くん、プロポーズはいつするのぉ〜?」
「…ッふ」

 あわや酒を吹き出すという痴態を晒しかけた白哉は、慌てて猪口から口を離す。にっこにっこと実に機嫌良さそうに笑う京楽からのあまりに明け透けな問いに、白哉は酒のせいではなく顔をわずかに赤く染めた。

「そ〜じゃのう、あのヘタレがプロポーズなんぞできようはずもなし、白哉坊からするしかないのう」
「そんなこと言っちゃあ可哀想だよ。相手が相手だもんねえ。あれでも阿散井くん、毎日想いを伝えて頑張ってるんだってよ〜?」
「ほお〜? まあ、白哉坊を落としたのは見事じゃがな」

 完全に野次馬根性を剥き出しにして笑いあう二人に、白哉は心底居た堪れない心地で視線を己の手元へと落とす。……そもそも、この二人はどうやら勘違いをしているようだが。

「………恋次は、私を落としているとは知らぬぞ」

 ぽつりと、白哉が訂正を入れると、あれだけ騒がしかった二人が、一瞬にしてぴたりと口を閉ざした。……閉ざした、と言うより、呆気に取られて声が途切れた、と言う方が正確かもしれないが。

 この二人が揃って沈黙とは珍しい―――というより、むしろ恐ろしい、とも思っていた白哉は、次の瞬間、鼓膜に凄まじい衝撃を食らった。

「――――告白受けたんじゃないの?!」
「――――お主まだ恋次に応えとらんのか?!」

 ほぼ同時に発せられた大声に、白哉は思わず顔を顰める。しかし、うるさい、と告げる間もなく、ずいっと二人に詰め寄られた。

「それでは何か? お主は恋次に告白をされたにも関わらず、それに返事をしないまま此度の計画を立てたのか? え??」
「というより、あれからもう何年か経ってるよね? 浮竹から聞いてた話じゃあ、もうすっかり付き合ってるものなのかと思ってたのに……」
「…………」

 そんな風に見えていたのか、と白哉は沈黙の中で思う。どう返したものかと答えあぐねていると、どかっと空の徳利で卓上を揺らした夜一が据わった目で言った。

「お主、もしかせんでも馬鹿じゃろう?」

 散々な言われように、さすがに白哉の心中も穏やかとは言い難いものになる。しかし、続いた夜一の言葉によってその心の靄は霧散した。

「まったく……お主はいつもごちゃごちゃと考えすぎなのじゃ。ほれ、何をどう思ってそんなことになったのか、ちゃっちゃと吐いてみい。もう終わったことなのじゃから、いまさら隠し立てする必要もなかろう」

 白哉が何も考えずにそのような行動をするはずはないと、さも当然のように前提として尋ねてくる夜一に、白哉はやや目を見開いた。……そんな些細なことでつい絆されてしまうのは、飲んだばかりの酒のせいだろうか。

 白哉は、目を伏せたまま、ぽつりと答える。

「………無責任、だろう。気持ちだけで応えたところで……中傷を受けるのは恋次だ。私は、彼奴を守ってはやれない」

 おずおずと差し出される手を、取りたいと思った。
 向けられる言葉に、ひとつくらい、応えたいとも。

 けれどそれは、どこまでいっても白哉の我儘でしかなくて、その結果恋次がどうなるかなど、火を見るより明らかだった。
 それを知りながら、見て見ぬ振りをして自分の欲だけを優先するなど、そんなことができるはずもない。

「不器用もここまでくると一級品だねえ」

 白哉がゆっくりと顔を上げると、大きくため息をついた夜一の横で、猪口を揺らしながら困ったように笑う京楽の姿があった。

「夕四郎の方がもう少し上手くやるのではないか」
「ええっ?! ね、姉様、僕はまだそんな……」
「馬鹿もん。知っとるわ。そんなのが居ったらいまごろ儂の鉄け……いや、とにかく」
「………」

 途中で切れた言葉の先が気にならないわけではなかったが、何だかんだと言っても弟の相手にはそこそこ目を光らせているらしい。どうやら夕四郎の伴侶も苦労しそうだと、自分から逸れてゆく話を聞きながら白哉は密かに思った。

「そういえば、夕四郎くんのそういう噂は全然聞かないねえ。家が家だから仕方ないかもしれないけど。好みとかあるの〜?」

 面白半分で尋ねた京楽に対し、夕四郎はそれこそ即答と言うのが相応しい勢いで目を輝かせながら答えた。

「姉様のような方です!」
「………」
「………」

 京楽と白哉が実に複雑な顔をしたことにも気づかず、夕四郎はここぞとばかりに姉の魅力をつらつらと語り始める。……これはもしや、酔っているのではないだろうか。

「はっ! 儂のような上玉がそう居るわけなかろう」

 輝かしく崇敬を顕に語る夕四郎に、夜一はにやりと笑って言い放った。満更でもない顔をしているように見えるのは気のせいではないだろうが、ここはやはり黙って見過ごすべきなのだろう。化け猫も人の姉だということか。

「まあ、夕四郎の好みはさておき、いまは白哉坊じゃ」

 せっかく逸れた話題を、夜一は気まぐれな性格に相応しい唐突な一言で引き戻す。安堵の息をついていた白哉は、びくっと肩を揺らした。

「それで、プロポーズはどうするのじゃ。ん?」
「……聞いてどうする」

 嫌な予感がして、白哉はそろそろと夜一を見やる。予想通り、にやにやと実に面白い玩具を見つけた子どものような顔をこちらに向けている様子に、白哉の頭の中で警鐘が鳴った。

「それはもちろん、覗き見しに行くに決まっとるじゃろ」
「絶対に教えん」

 嬉しくない予測が当たり、白哉は憮然として言い返す。そうだった、こういう性格だったと、先ほど気の迷いで絆されかけた心をしっかりと律した。

「でも確か、阿散井くんって明後日非番なんだよねえ? 白哉くん、阿散井くんを休ませるために、明日までには絶対終わらせるって言ってたし」
「……それがどうした」

 京楽の発言の意図が読めず、白哉は訝しげに問い返す。警戒も顕な白哉に対し、京楽は変わらず機嫌の良さそうな笑顔で答えた。

「いやあ、それなら明日は白哉くんも忙しそうだし、時間取れなさそうかなあって。留守続きで無理させてるから、お詫びも兼ねてルキアちゃんと非番合わせてあげたいんでしょ? けど、白哉くんが無理しちゃダメだからねえ」

 まるで子どもをあやすかのような物言いはやや不本意だったものの、白哉は素直にうなずく。なぜ恋次とルキアの非番を合わせようとしていたことが筒抜けなのかは問い質したいところであったが、どうせ答えないのだろう。まったく、夜一にせよ京楽にせよ、いったいどこから情報を得てくるのだか。

「無理をするなと言うたところで、聞く奴じゃなかろう」
「ははは。でも言わないよりマシかなあと」
「……兄がもう少し真面目に仕事をしてくれると助かるのだがな」
「ぎゃー! そういう小言は七緒ちゃんで間に合ってるよぉ〜」
「かっかっか! 自業自得じゃな!」
「夜一ちゃんだって昔は僕と一緒でしょっちゅう執務室からいなくなってたじゃない! ねえ、夕四郎くん! お姉さん急にいなくなるよねえ?」

 酔いどれ二人が無駄に大きな声でぎゃあぎゃあと言い合う中、唐突に巻き込まれた夕四郎の方へと、白哉は視線を移す。

 そして固まった。

 いつの間にか夕四郎の周りに増えている空瓶に、白哉と京楽はなんとなく嫌な予感がして目を見合わせる。つい先ほどまではしっかりと受け答えをしていたはずだが、顔を覗き込むと妙に焦点が合っていないような気もした。

「……夕四郎?」

 白哉が控えめな声をかけると、夕四郎は白哉の方へとぱっと顔を上げる。そして、白哉と目を合わせると、ふにゃりと満面の笑みになった。

「はあ〜い、白哉さま」

 笑顔なのはいつものことにしても、そのまま嬉しそうに白哉の膝に寝転がったのは完全に予想外だった。驚きのあまり固まる白哉に、夕四郎は気にした様子もなく収まりのいい位置に頭を据えると、満足そうに目を細める。まるで猫だ。どこぞの化け猫を思い起こさせる様に視線を上げると、夜一は爆笑寸前だった。

「………酔ったのか」

 酒豪の夜一の弟にしては随分な泥酔振りだと、白哉は意外な心地で夜一と夕四郎を交互に見やる。げらげらと一頻り笑い終えた夜一は、まだ腹を抱えながらも夕四郎を指差して言った。

「ゆ、夕四郎は、あまり強くはないからのう…ッかははっ」
「笑うか喋るかどちらかにしろ」
「よ、よう似合っておるぞ、白哉坊…っくく」

 心底おかしそうに笑い転げる夜一に睨みを飛ばしつつも、白哉は夕四郎を放り出すようなことはせず、そのまま好きにさせてやる。

 暗躍と称し動いてくれた夜一の協力が大きかったとはいえ、実際に会合の席で公に四楓院の名を貸してくれたのは夕四郎だ。今回の件、彼にもまた多大な恩がある。膝くらい安いものだ。

 なんとはなしに、白哉は夕四郎のまだ少し小さな頭に手を置くと、そっと撫でてやる。すると、夕四郎はすでに半睡状態なのか、くすぐったそうに笑いながらむにゃむにゃと寝言のように言葉を漏らした。

「ふ…ふふ……夕四郎も、お役に立てて……嬉しいです……」
「…………」

 感じたことのないむず痒さが背筋を這い上がってくるのを感じ、白哉は落ち着かない仕草で視線をうろうろと彷徨わせる。……このような純朴な少年に慕われた経験などないため、どうしていいのかわからないのだ。まったく、事ある毎に弟を邪険に扱う夜一の気持ちが微塵もわからない。

「しかし、それにしても酒の回りが早いのう? 確かに夕四郎が酒を飲んどるところなぞ久しく見ておらんが、こんなに弱かったか?」
「はは。とりあえず自分は基準にしない方がいいと思うよぉ」

 どんどんと酒を注いでは飲むを繰り返しながらも平常運転の崩れない京楽の言葉に、同じく概ね通常通りに見える夜一は肩を竦める。

「ま、よいわ。とりあえず其奴の世話は任せたぞ、白哉坊」

 そして、実に軽い調子で言って、夜一もまた新しい徳利を掴んで己の猪口を満たした。

 白哉は、そんな二人から視線を落とし、膝上の夕四郎を見やる。すっかり夢の中へと旅だったらしい寝顔を見下ろし、ふと、もしかしたら、と思った。

 ―――疲れていたのやもしれぬな……

 ただでさえ貴族の世界に耐性がなく、自分以外の者に対する心無い言葉にまで一喜一憂するような純真な性格だ。白哉の投じた案件のせいで、結果増えに増えた臨時会合に参列し慣れぬ貴族の相手をするのは、彼にとって多大な負担になっていただろう。疲労が溜まっていても不思議ではない。

 ようやく気を抜けるようになったのなら、それこそ安らかな眠りを妨げるのは酷というものだ。

 後日、夕四郎には改めて何か礼をしなければ、と考えていたところで、白哉は自分がまだ目の前の二人にも何も言っていないことに気がつく。これだけ世話になったというのに、その労に対して何の対応もないとは、なんと無礼なことだろうか。白哉は慌てて顔を上げたが、気にするどころか考えつきもしていない様子の二人に、自分が普段どれほど彼らの厚意に甘えているのかを痛感する。

 しかし、そんな二人の態度に甘えるには、今回の彼らの尽力は大きすぎた。

「…――――夜一、京楽」

 静かに二人の名を呼ぶと、京楽は猪口を、夜一は徳利を片手に、何事かと白哉を見やる。そんな二人に、白哉は夕四郎を揺り起こさぬよう気をつけながらも居住まいを但し、まっすぐに顔を上げると、すっと鄭重に頭を下げた。

「―――済まぬ」

 何か返されればきっと自分は素直な言葉が吐けなくなるだろうと、白哉は二人が反応するよりも前にとやや早口に言葉を次ぐ。

「此度は、本当に世話をかけ―――」
「こらこら〜」

 しかし、白哉が意を決して押し出した言葉は、京楽ののんびりとした声にあっさりと遮られた。

「違うでしょ〜白哉くん」
「まったくじゃ。謝るなぞ筋違いじゃぞ」

 揃って呆れたような声を上げる二人に、思わず顔を上げた白哉はぽかんとする。

 二人の顔には、実におかしそうな笑みが浮かんでいた。

「そんな顔で謝られて喜ぶ輩が居るものか。のう、京楽」
「そうだねえ。こういうときは言う言葉が違うでしょ? 白哉くん」

 まるで子どもを見守り諭すかのような穏やかな笑みを浮かべている二人に、白哉は戸惑った顔になる。先ほどまで騒がしく酔いどれの振る舞いをしていたというのに、いったい酔いはどこへやったのだろうか。

「嬉しいならしっかりと嬉しい顔をせんか。その方がよっぽど、儂らも気分がよいと言うものじゃ」

 そう言って、夜一はにやりと笑うと、ほれ、とこちらに向けて手に持っていた徳利を突き出してくる。その意図を察した白哉は、己の空の猪口を夜一の方へと差し出した。一瞬にしてなみなみと注がれた酒を手元へ引き戻し、それから顔を上げて、夜一と京楽を見やる。穏やかに笑む二人につられるようにして、白哉もまた、わずかに頬を緩めた。

 夜一、京楽、と。再び名を呼ぶ。視線が己へと向けられていることを肌で感じながら、白哉は瞼を伏せ、ただ一言、かすかな微笑みに添えるように、静かに―――けれど確かな声で告げた。

 「――――礼を言う」

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