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かたしぐれ ― 片時雨 ―



「……喧嘩したいから力を貸してほしい?」

 場所はとある料亭の一室。仕事終わりに一杯、という、京楽にとっては実に至福な時間となるはずの状況で、しかし京楽は上機嫌に頬を緩めることもなく、向かいに座る相手からぽんっと告げられた言葉のあまりの似合わなさに困惑を顕にした。

 こくり、と静かにうなずくのは、京楽が浮竹と共に幼少期からその成長を見守ってきた現六番隊隊長―――朽木白哉である。彼から酒の誘いなどを受けた時点で確実に何かあるとは思っていたが、これはどうにも予想外の方向へ行きそうな話の流れだ。

 いつもならば、京楽がたまには飲みに行こうと誘って、それを白哉がにべもなく断るというのが恒例なのだが、今日ばかりはその逆―――と言っても、白哉からの誘いなどという貴重な機会を棒に振るような選択肢は端から京楽の中にはないのだが、そんなこんなで連れてこられた目の飛び出そうな高級料亭の個室で、京楽は困ったように頭を掻いた。

 ―――これはまた何か……厄介そうな……

 そもそもこの子『喧嘩』なんて言葉使うんだ、と、随分と似合わぬ俗っぽい言葉を口にした白哉の様子を意外に思いつつも、京楽はひとまず口を開く。

「えーと……ちなみに誰と喧嘩するの? ていうか僕の助けが必要な喧嘩って何? 僕は何すればいいのかな?」
「総隊長の肩書きと、京楽家の名を借り受けたい」
「……それはまた、随分と派手な装備だねえ」

 そんなものを引っ張り出して、いったい何をする気なのか。喧嘩という子どもが使いそうな言葉に対して、あまりに似合わぬ物々しい様子に、京楽はちぐはぐにも程があると思った。一瞬、その姿が、血気盛んに木刀を振り回していた少年が学んで間もない上級鬼道の詠唱破棄をして見せると息巻いていた姿と重なる。

 ―――いや、でも、断空は結構すごかったっけ

 さすが天才と褒め讃えては彼の血の滲む努力を貶してしまうような気もするが、しかしそれ以外に相応しい言葉が思いつかない、紛うことなき天賦の才だった。表向きは、精進せよ、なんて厳しい言葉をかけながらも、孫の成長をひどく喜んでいた当時の六番隊長の姿を思い出して、京楽はふっと笑う。それから慌てて我に返って、何でもない風を取り繕いながら応えた。

「まあ、いいよぉ」
「………」

 昔の自分のことを話されるのも思い出されるのも嫌がる白哉に悟られないようにしなければ、と京楽はいつも通りの笑みを浮かべてそう言ったが、なぜか白哉は戸惑ったような顔をした。

 ―――あれ? バレちゃった?

 白哉の表情の変化に心当たりがない京楽は、おや、と首を傾げる。

「……京楽」
「なに?」
「了解は話を聞いてから返すものだ」

 白哉のどこか呆れたような言葉を受け、京楽はぱちくりと目を瞬いた。それから、どうやらこちらの心の内がバレたわけではなさそうだと察すると、おかしそうに笑う。

「なぁに言ってるの。外でもない白哉くんが、わざわざ僕をこんなところに呼んでまでする頼みごとだよ? 僕が断るわけないじゃな〜い」

 普段は公私混同はよくないだろうと呼ばない愛称を口にして、へらりとしながら答えると、白哉はますます困惑の色を強めた。京楽としてはごく当たり前のことを言っただけなのだが、相変わらず甘えるのが苦手な子のようだ。

「……面倒事だとわかって言っているのか」
「面倒事じゃなきゃこんな場所使わないでしょ?」
「……ならば…」
「わかったわかった。じゃあ内容聞いてからもっかいちゃんといいよって言うから、とりあえず話してみなよ」

 とにかく人を頼るということを知らない少年に、京楽は穏やかな口調で告げる。……いや、もう少年と呼ぶには差し支えがあるだろうが、まあ、京楽から見ればいまも変わらずあのときの少年の姿が重なるのだから致し方ない。

 しかし、そう京楽が促したものの、白哉はどうしたことか押し黙ってしまう。そんなに言い辛いことなのかあ、と京楽は他人事のように思った。彼に告げた通り、内容を聞くのが後だろうが先だろうが京楽の返事は変わらないのだから別に急かすつもりはないが、しかし暇だなあ、と京楽は特にすることもなく辺りを眺める。二階の特等室なだけあって、目の前の壁一面の大きな窓から見える景色はそれは見事なもの―――

「か〜〜ッ! やはり白哉坊ではちっとも話が進まんのう!」

 ……だったのだが、唐突に窓ががらりと開き、そこからまるで猫か何かのように飛び込んできた人影に、おやあ、と京楽は驚いた。

「夜一ちゃんじゃないの」

 屋根の上にいたのかくるりと一回転して華麗に室内に降り立った夜一は、そのまま流れるような動作で白哉の背に抱きつ―――いや、どちらと言うとのしかかり、どっかりと己の豊満な胸を白哉の頭の上に乗せると、ふっと勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。しかしその表情も束の間、白哉の肩を肘置き代わりにしながらすっと京楽に向けられた眼差しは、実に不服そうなものだった。

「京楽。その気色悪い呼び方はよせと言っとるじゃろうが。呼び捨てでよいと何度言えばわかるのじゃ」
「……夜一。貴様の言えた義理か。ならば貴様も私のことをいつまでも坊と呼ぶなと何度言えばわかるのだ。そして退け。重い」

 唐突な夜一の登場にはやや目を見開き驚いていたものの、夜一の行動自体にはすでに慣れたものなのか白哉はまるで動じずに言い放つ。京楽からすればまったく羨ましい位置だが、白哉にとっては何も嬉しくはないらしい。

「かっかっか! お主はまだまだ可愛い坊じゃろう! ま、儂から一本取れるようになったら考えてやってもよいぞ」

 退けと言っていることに関してはスルーのようだと、相変わらず仲睦まじい―――と言うと白哉の怒りを買いそうだが、昔と変わらぬ様子が何だか懐かしくも嬉しくて、京楽は頬を緩める。微笑ましいことだ。

 そして何とも羨ましい。

「夜一ちゃ〜ん、せっかくなら僕のとこにも来てよ〜」

 酒は入っていないが酔っ払いのような口調で京楽が言うと、夜一は冗談だとわかっているのか、はっ!と笑い飛ばした。

「何を言う。お主にやったところで、ただお主が喜ぶだけではないか。つまらん。こういうのは嫌がるのを見るのが楽しいんじゃ」
「この化け猫……」

 それでも昔のようにいきなり斬りかかったりはしないのかと、彼にしては比較的辛抱強く耐えている様子に、京楽はこっそりと笑う。そういえば、ほんの少しだが二人の間に流れる空気が穏やかなものになったような気もする。面倒事を抱えているのだという白哉の元に、まるで事情はすべて把握していると言わんばかりの態度で夜一が現れたことを考えると、ひょっとしたら京楽の知らぬ間に二人の間には何かあったのかもしれない。もちろん、良い意味で、だ。

「それじゃあ、白哉くん、離してほしいなら喜べばいいんじゃないかな」
「喜んでおったら離せとは言わんじゃろう」
「おっと、それもそうだ」
「ふっ……つまりどうあっても儂の勝ちじゃな」

 何の勝負だかわからないが、すっかり白哉を負かしたかのような口振りで夜一がにやにやと笑うため、白哉の顳顬に静かに青筋が浮かぶ。……おっと、どうやらそろそろ限界のようだ。

 この化け猫をどうにかしろ、と白哉から無言の圧力を受けて、京楽は肩を竦めて苦笑しながらも、面白半分に夜一に話しかけた。

「ほら、夜一ちゃん、年若い青少年ばかり堪能してないで、おじさんのとこにも来てよ〜」
「だからその気色悪い呼び方と声をやめいと言うておろうが。髭面の狸なんぞに興味はないわ。砕蜂にその腕吹き飛ばされても知らんぞ」
「ここで問題。それではなぜ白哉くんは無事なのでしょう」
「儂の気に入りじゃからじゃな」

 手出しはさせんわ、と言いながらきゅっと白哉に腕を絡める姿は、さながら上機嫌にごろごろと喉を鳴らす猫のようだ。玩具扱いされている白哉は先ほどから一貫して迷惑そうな顔をしているが、夜一を崇拝する彼女からしてみればおそらく羨ましさと妬ましさに暴走しかねない様子である。

 しかし意外なことに砕蜂と白哉の関係は悪くない。別に良くもないが。顔を合わせる度に不愉快そうな顔をされる京楽と違って、とりあえず会話は普通に成立している。まあ、とはいっても業務連絡しかしないのだが。

「では質問。なぜ個人的に嫌われてもいないのでしょう」
「叩いても埃が出んからじゃろ。お主と違って」
「わあひどい」

 お互いにこにことしながら交わされる応酬に、ひとり置いてきぼりを食らった白哉といえば、困っているのかうろうろと視線を動かしながらも沈黙している。京楽や夜一と違って口の上手い方ではない―――むしろこういった場合は壊滅的に不得手な部類であるから、どう話を戻せばいいのかわからないのだろう。そういう仕草がまた京楽たちに子ども扱いされる所以であるとは、どうやら本人は気づいていないらしい。可愛いなあ、とは思うが、それを口にはしないのが京楽である。まあ、彼との付き合いが短い者が見れば、きっとただの無表情にしか見えないのだろうが。

「 ………兄ら、いい加―――」
「それでの、京楽。頼みというのは、白哉坊の婿取りの話なんじゃが」
「……はい?」

 唐突な上に衝撃性抜群の話の引き戻し方に、京楽の方がややついて行けずに不覚にもぽかんとする。それが白哉の言葉を遮っての発言だったことに気がついたのは、夜一に対して白哉が抗議の声を上げてからだった。

「…ッ、夜一!」
「何じゃ、お主がもじもじと焦れったく言い出さんから、代わりに儂が話してやろうとしておるのじゃろう」

 白哉が勢いよく振り返った拍子にぱっと腕を離して離れた夜一は、実に残念そうな顔をするも次の瞬間にはにやっと笑う。そんな様子を見ていた京楽は、珍しく驚きの感情をそのままに思わずといった様子で言葉を漏らした。

「―――白哉くん再婚するの?!」
「さ……ッ…」

 身も蓋もない京楽の発言に、白哉が言葉を失う。その横で、夜一はげらげらと豪快に笑った。腹を抱えて吹き出す様子に、ぎろりと白哉が睨みを飛ばす。

「そうじゃそうじゃ、合っとるぞ京楽。いやあ笑った。そら見ろ白哉坊、儂が話した方が何倍も話が早いじゃろう」
「……物事には順序というものが……」
「わかっとらんのう。こういうのはごちゃごちゃと言う前に、まずはすぱっと核心から言った方が話が円滑に進むんじゃ」
「そもそも、兄は現世に戻ったのではなかったのか」
「ん? ああまあ、戻ったぞ? 一瞬じゃが。喜助に、しばらく儂はこっちに居ると言いに戻っただけじゃからな」

 一方、ぽんぽんと交わされる二人の会話を黙って眺めていた京楽は、ふと先ほどの夜一の言葉を思い返して首を傾げた。

「……ん? 婿?」
「婿じゃ。のう、白哉坊?」
「………」

 こちらからはすっかり意識が逸れていたと思っていたが、夜一はあっさりと京楽の小さなつぶやきを拾ってそのまま白哉に同意を促す。白哉は気まずげに視線を逸らし、また若干の間を挟みつつも、無言でこくりと頷いた。

 ははあ、なるほど、と大方の事情を察した京楽は、にこりと笑う。

「阿散井くんだね?」
「…!」

 今度は白哉が驚きに目を見開くのを見て、やはり、と京楽は確信する。白哉の言う自分への頼みごととやらも、これで大体推測ができた。ふふふ、と思わず頬が緩む。

「いやあ、嬉しいねえ。奥さんのときは、白哉くん、結局僕たちのこと頼ってくれなかったから、ちょっと感激しちゃったよ」
「待て、京楽。どこから……」

 すっかり筒抜けであることが信じられないのか、白哉は困惑した顔のまま京楽に尋ねてくる。京楽はくすくすと笑うと、茶目っ気たっぷりに答えた。

「阿散井くんと大の仲良しの幼馴染は、さて、どこの副隊長だったかな〜?」

 瞬間、白哉がハッとしたように大きく表情を崩すのを、京楽は穏やかな心地で見ていた。―――彼が殉職してから、もう二年。けれど、京楽にとっては、まだ――――…

「………浮竹、か…」

 未だ彼のための喪服を脱ごうとしない白哉のつぶやきに、京楽は静かにうなずいた。……彼は、目の前の少年が心を許せる、数少ない人物だった。

「―――嬉しそうだったよ。あれからずっと独りでいた君が、また、誰かを好きになってくれたって」
「………」

 いまは亡きひとの面影に、白哉はわずかに目を伏せ押し黙る。

 京楽もまた、ほんのわずか、瞼を伏せた。

『京楽! 聞いてくれ、京楽!』

 白哉を実の息子のように可愛がり、彼に何かあるととにかく駆け足に自分に報告に来た親友の声が、脳裏によみがえる。喜怒哀楽の実にわかりやすい性格だったから、話を聞くよりも先に、その顔を見れば吉報なのかそうでないのかは一目瞭然だった。

 白哉が、流魂街の娘さんを妻に迎えたんだそうだ。

 ―――へえ。惚れた相手となんて、頑張ったんだねえ

 白哉が、妻の妹を探しているそうなんだ。

 ―――ふぅん。……特徴は?

 白哉が、妹を俺の隊に入れたいと言ってきたんだ。

 ―――良かったじゃない。可愛がってあげなよ

 なあ、京楽。

 ―――なんだい、浮竹

『最近の白哉は、すごく穏やかで、良い顔をしてると思わないか。緋真さんを亡くしてからずっと塞ぎがちだったが……朽木や、阿散井くんや、一護くんがあの子の周りにいるようになってから、すごく、毎日が楽しそうだ』

 ―――そうだね

 僕はいつも、白哉くんのことは、君から話を聞いてばかりだったけど、それは僕にだってわかったよ。

 ―――まあ……

 この子は、きっと自分のことが僕に筒抜けだなんて、ちっとも気づいていないだろうけれど。

 瞼を持ち上げると、どこまで感傷に浸りに行ってしまったのか視線の定まっていない白哉に、京楽は困ったような声を上げた。

「ちょっと、白哉くん、そんなしんみりした顔しないでよ。浮竹の名前が出るだけでこれじゃあ、困っちゃうでしょ。今日は阿散井くんの話をするんじゃなかったの?」
「……わかっている」

 さすが四大貴族の当主として常に気を張って背筋を伸ばしているだけあって、現実に戻ってくるのも早い。まだわずかに哀愁漂う瞳には、見て見ぬ振りをしてあげよう。それだけ彼が親友を慕ってくれていた証だ。京楽もまた、年若い白哉と違い心の内を隠すのが上手いだけで、その気持ちは痛いほどにわかるのだから。

 それにしても、夜一が何も言わず黙って見ているだけだったのは意外だと視線をやると、彼女もまた先ほどのにやにやとした笑みを引っ込めて、静かな眼差しを白哉に向けていた。……と、思ったのも束の間、白哉がその眼差しに気づくよりも前に、夜一は京楽の視線が自分に向けられていることに気がつくと、さっとその顔を引っ込める。

 ―――ありゃ

 彼女も大概不器用の部類に入るのではないかと、お節介ながらも京楽は思う。弱味を見せない―――否、見せられない、というのは、やはり四大貴族の名を背負ってきた重責ある身ゆえか。

「まったく、話が進まんのう」

 空気をがらりと変えるようにわざと陽気な声を出す夜一に、京楽は目線だけで密かに礼を述べつつ、それに便乗することにした。

「さてさて、それじゃあ、本題の話を聞こうとしようか。総隊長の肩書きをこれ見よがしに引っ提げて、僕は何をすればいいのかな?」
「さすが、話が早いわ」

 夜一は、どっかりと遠慮なく白哉の真横に腰を下ろして本格的に話す体勢を整えると、にやりと笑う。それから、ちらりと横にいる白哉に視線をやり、白哉が促すように視線で応えるのを受けると、口下手な彼に代わりぺらぺらと京楽を巻き込んだ大騒動の計画を話し始めた。
 
 
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