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かたしぐれ ― 片時雨 ―


 
 長である白哉が隊に戻った効果は凄まじく、その日、久しぶりに定時の解散ができたことに、恋次は一種の感動を覚えつつも同時に己の力不足を痛感させられ、情けないと密かに項垂れていた。諸々の力量の差はわかっているつもりだったが、ここまで顕著だとさすがに落ち込みたくもなる。

「阿散井副隊長。それでは、お言葉に甘えて、お先に失礼させていただきますが……」
「おう、お疲れ」

 隊長である白哉と話があるため、自分は少し遅れて帰ると告げ、恋次は他の隊士たちを先に隊舎寮へと帰していた。嘘ではない。ただ、おそらく内容が実に私的なことで、仕事とはまったく関係がないというだけのことだ。

 最初は良い顔をしなかった隊士たちだが、白哉がすぐに恋次を帰すと請け負うとひとまず納得して帰り支度を始めた。そんなに信用がないのだろうかと副隊長として色々と複雑な気分ではあるが、白哉不在の間に根を詰めすぎた自覚がないわけではなかったため、残念ながら反論できない。

「副隊長もすぐ切り上げてお帰りくださいね!」
「信用ねえなあ…。大丈夫だって。すぐ帰っから」

 再三に渡る釘差しに苦笑しながら、恋次は隊士たちを見送る。がらんと静かになった隊舎を見渡し、それから白哉のいる執務室へと戻った。

 扉を開けると、誰も座っていない執務室の椅子に、おや?と恋次は首を傾げる。そのまま視線を横に移すと、窓辺に佇む白哉の姿を見つけた。何をするでもなく、ただ静かに窓の外を眺めている。外はすっかり陽も落ち、特に何か見えるとは思えないが、何をしているのだろうか。

「隊長?」

 何してるんスか、と声をかけると、白哉はゆっくりとこちらを振り返った。霊圧でも扉の音でも、恋次が部屋に入って来たことにこの人が気づかないわけはないだろうが、声をかけるまで、まるでこの場には誰もいないかのような雰囲気だった。

「みんな帰りましたよ」
「……そうか」

 これも、白哉ならば霊圧感知で大体わかるだろうが、何となく恋次はそれを口にした。沈黙を落とすのが嫌だったというのもある。

「茶でも淹れましょうか?」
「…いや、構うな」

 何気なく告げた言葉と、それに返された言葉を聞いて、恋次はふと数年前のことを思い出してふっと笑った。

 白哉が訝しげな顔をする。

「……なんだ」
「いや、前とは逆だな、と思って」

 三年前、恋次が告白をしようとタイミングを量っていたときは、白哉が気を遣って茶でも淹れようかと言っていた。特に意識したわけではなかったが、不思議な偶然に思わず笑みがこぼれてしまったのだ。

 懐かしい。あれから、もう、三年も経ったのか。

「俺が隊長に告白したときは、隊長が言ってたんですよ、いまの俺の台詞。あのときは吐きそうなくらい緊張してたはずなんスけど、いやあ、意外と覚えてるモンっスねー」
「……そうだったな」

 予想外にも、同意を示す言葉が返ってきて、恋次はやや目を見張る。……まさか彼の方まで覚えているとは思わなかった。

 それだけ印象深い出来事だったのだろうか。

 ―――まあ、そりゃ、そうだよな……

 何を当然のことを、と恋次は心の中で思ったことに対し、同じように心の中で呆れて笑う。衝撃以外の何物でもなかっただろう。

「―――隊長」

 沈黙を落とした白哉に、恋次はできるだけいつも通りの、明るく見える笑みを浮かべた。それでも、白哉の目を見ることができなかったのは、勘弁してほしいところだ。

「遠慮も、気遣いも、いりませんから。……何の話か、わかってます。ちゃんと覚悟はできてる。だから、構うことはねえっスよ」
「………」

 ああ、やはり、今日の彼は沈黙が多い。

 心を痛めているのか。躊躇っているのか。申し訳ないと思っているのか。その優しさ故に。

「……恋次」
「はい」

 面は何でもない風を装いながら、大丈夫、と心の中で唱えた。

 大丈夫。この日が来ることを、自分はずっと、知っていた。待っていた。だから、何を言われても、大丈夫。

 しかし、白哉の口から出てきたのは、やや予想外の言葉だった。

「………私は、男だ」
「…? 知ってます、けど…」

 確かに女顔負けの美貌の持ち主ではあるが、しかしだからといって女と見間違えることはない。華奢ではあるが、体躯も背丈も、紛うことなき男のそれだ。

 いきなり何を言っているのだろう、と恋次は困惑した。

「おまえの好かぬ貴族で、多く、価値観も違う」
「…知ってます」
「………おまえに、刃を向けたこともある」
「? それなら、前にも言いましたけど……朽木家の当主としての役目だったんでしょう? 別に気にしてませんって、何度も―――」
「違う」

 恋次の言葉を遮った白哉の声は、なぜか、揺れていた。いつも凛としたはずの声が、今日はまるで、なにか不安を纏っているかのように。

「おまえの卍解を、破壊した」

 瞬間、恋次は目を見開く。

 脳裏によみがえるのは、はるか遠く思える、双殛の丘への道。
 超えさせてくれと、手を伸ばした、あのときの。

「あれは……牙を剥いたのは、俺じゃないスか」

 まだ気にしていたのか、と恋次は驚く。そんなことは、とっくに水に流してもらえたのだと思っていた。副隊長なのだからという言い訳を吐いて、そばにいることを許されたあのときから。

「おまえに刃を向けた、その事実は変わらない」
「……だから、それが何だって言うんスか」

 要領を得ない言葉の羅列に、恋次の困惑はすでにいっぱいである。

「………」
「……っああもう、俺は、まどろっこしいやり取りは苦手なんスよ。言いたいことがあンならすっぱりはっきり言ってください」

 再び落ちた沈黙に耐えきれず、恋次は早口に言った。しかし、白哉は何を気にしているのか次の言葉を吐こうとしない。

 刃を向けた、その事実は、いまの関係よりも重要なことなのか。自分がずっと伝えてきた、この想いの丈よりも。

 刃を向けた自分は、おまえに相応しくないとでも言うつもりなのか。そうなのだとしたら、その優しさはあまりにも残酷である。それならば、彼に刃を向けた自分もまた、彼を想うことは許されないということになるではないか。

 恋次は湧き起こった衝動のまま、白哉との間合いを詰めた。戸惑いを見せるも逃げようとはしない白哉を、そのまま腕に閉じ込める。驚いたのか硬直したその身体を、逃がしたくないと言わんばかりにきつく抱きしめた。

「色んな言い訳並べ立てて、何したいんスかあんた。言っときますけど、隊長が何をどう言おうが、俺があんたを好きな事実は何も変わらないんスよ」

 別に、振られるのはいい。……いや本当はよくないが、そうではなく、そうなったとしてもそれは覚悟があるということだ。ただ、あのときのやり取りを理由にこの想いを否定されるのは、納得がいかないし、我慢ならない。

「……振るなら、ちゃんと振ってください。気なんて遣わないで。じゃないと俺、鈍いんで、伝わりませんよ」

 言葉とは裏腹に、両腕にはこのぬくもりを手放したくないと力が込められる。最後まで往生際の悪いことだと、恋次は苦笑した。それでも、これで最後なのだろうし、少しくらい弱音を吐いてもいいだろうかと、口がすべる。

 初めてなんです、と恋次はつぶやいた。

「こんなに人を好きになるの」

 恋だの愛だの、そんなものは知らなかった。くだらないと思っていた。

 あんなごみ溜めのような世界で生きていれば、そう思うのもきっと仕方のないことで。だから、恋次はこの感情を前にしたとき、何よりもまず戸惑ったのだ。

「どうすりゃいいのか、わかんねえんです……」

 言えば、あなたは困るだろうと思った。
 だから、言えないと思った。
 それなのに、あなたはこの想いを口にすることを許してくれた。
 それがどんなに嬉しかったか。

 同時に、口説いても構わないと言うあなたに、果たしてどのようにすればいいのかわからず困った自分が、情けなくて。

「ただ、気持ちを口にすることくらいしか、できないんです」

 結局、ずっと渡してきたのは、言葉だけだった。
 あなたがどう思うかなんて考えずに、ただ、自分の中に湧き起こった想いを、抱えきれなくなって外に押し出しただけ。
 あなたの気を引こうとするわけでもなく、ただ。
 自分のために、伝えてきただけ。

 まったく、これで果たして口説くと言えるだろうか。

 恋次はゆっくりと、白哉を手放した。恋次の腕の中から解放された白哉は、すっと恋次を見上げる。その瞳のまっすぐさに、やはりどうしたって自分などが映ることが申し訳なくなって、恋次は逃げるように視線を落とした。

「……っとに、緋真さんはどうやってあんたを落としたんだか……」

 緋真、と名を出すだけで、白哉の瞳は揺れる。彼女のことを、いまも、彼は愛している。誰よりも深く、誰よりもまっすぐに。

 そんな姿が好きだ。そんな愛に惹かれた。
 だからこそ、きっと、この想いは叶えられない。

「…………何も、………」

 ぽつり、と。恋次から視線を外し、白哉はつぶやく。

「……何も、望まなかった」

 その言葉に、恋次はわずかに首を傾げたものの、すぐに、そこに込められた意味に気がついた。

 ああ、そうか、と思う。

 このひとは、いつも、周りから望まれるばかりで。
 きっと、何かを自分に求める者しか、いなかったのだ。
 その地位を。財を。力を。

 そんな中で、彼女は。
 何も、望まなかった。それゆえに。

 彼は、彼女を愛したのだろう。

 そして、彼女にこそ、もっと多くを望んでほしかったのだと、その伏せられた瞳から溢れる哀情が語っていた。

「……じゃあ、俺ダメっスね。欲しがってばっかだ」

 このひとを前にすると、どうしたって欲が出る。何も望まなかったという彼女は、いったいどうやってこの人の前で笑っていたのだろう。どうして何も望まずにいられたのだろう。自分では、こんなにも、抑えられないことばかりだというのに。

「……何を言う。おまえが、私に何を要求したと言うのだ」

 白哉の声が、訝しげな色を帯びる。

 恋次は不思議に思って、おそるおそる視線を上げた。やはり、白哉は、まっすぐに自分を見ていた。

「……おまえは、私に向けるばかりだ。想いを、言葉を、笑みを、熱を。私はそれを受け取るばかり。いつ、おまえが私に……」
「…――ッ、違うんです!」

 恋次は、慌てたように白哉の声を遮った。白哉の言葉に戸惑いつつも、誤解をされてはいけないと、わずかな逡巡を振り払って口を開く。

「俺、ほんとは狡いんです」

 このひとの前では、どうしたって情けない姿になってしまう。彼の気を引けるほど、元からそんな立派な男ではないと言われればそれまでなのだけれど。それがひどく、悔しく思えた。

「隊長の心の中にはずっと緋真さんがいるから、だから、もうあんたは誰のものにもならないんだって……」

 あなたの愛の深さを、知っている。
 情けなくも、だからこそ。

「そう、思って、安心してるんだ」

 どんなに手を伸ばしたところで、届かない。
 けれど、たとえ自分が届かずとも、このひとは誰のものにもならない。

 だから、正気でいられるのだ。
 だから、振られてもいいなんて、そんな嘘が吐けるのだ。

 情けない。

「………恋次」
「……何スか。すっぱりいくような、盛大なやつ、思いつきました?」

 振られてもいい、というのは、嘘だけれど。

『おまえは私に向けるばかりだ。想いを、言葉を、笑みを、熱を』

 その言葉を聞いたとき、ああ、わずかでも伝わっていたのだと、そう思えて、嬉しかった。今日までの時間も、決して無駄ではなかったのだと思える。

 白哉は、すでにわずかにしか空いていない恋次との距離を何故かさらに詰め、それからやや不服そうな顔で恋次を見上げた。

「……少し、屈まぬか」
「え? あ、はい…」

 いったい何故?とは思ったが、特に逆らう理由もないので恋次は素直に従う。すると、突然視界が暗く染まった。

 白哉に頭から抱き込まれたのだ、と理解するまで、およそ数秒かかった。驚きすぎてまともに声も出てこない。

「あ、の……隊…長……?」

 何とか無理やり押し出した言葉も、ひどく掠れてしまっていて、聞こえているかどうか怪しいものだった。

「……盛大な文句がよいと、言っていたな」
「え、あ……そう…っスね」

 なぜこの体勢で、とも思ったが、恋次に得こそあれ損なことなど何一つないので、賢明にも触れずに応える。……まさか、白哉の方からこのようなことをしてくれるとは、思っていなかった。

 これも、最後だから、なのだろうか。

「恋次」

 名を呼ばれると同時に、きゅっと、恋次を抱き込む腕に力が込められる。その細腕からは信じられぬほど、大きく自分を包み込んでいるように感じられた。自分の方が、彼よりもずっと小さくなったような気がする。

 そして、触れるか触れないかという距離まで耳元に近づけられた唇から、吐息と共に、その言葉は告げられた。

「――――婿に来い」

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