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かたしぐれ ― 片時雨 ―



「朽木隊長! おはようございます」
「おはようございます!」

 まだ早朝と呼んでも差し支えない時刻、久方ぶりに現れた長の姿に、六番隊の隊士たちはパッと表情を明るくしてあちこちから我先にと声をかけていた。六日ぶりに見る隊長羽織がなんだかまぶしいと、騒がしさに仮眠室から這い出て来た恋次はすっと目を細める。二階の回廊の欄干に肘をついて体重を支えながら、はあ、とため息をついた。

 ―――やべえ

 どうやら自分はかなり参っていたらしいと、今更ながらに自覚する。今日もいない、今日もいない……と、心の中で何度もつぶやくほど、彼のいない状態に耐えかねていたことは自分でもわかっているつもりだったが、まさかここまでとは。いままで、仕事という関係ではあったがそれこそほぼ毎日のように一緒にいたため気がつかなかった。

 ―――目にしただけで、これか……

 仮眠室が二階で助かったかもしれない。すぐ駆け寄れる場所にいたらどうなっていたか、想像するのがやや怖い。突発的に何か凄まじいことを口走ってしまったらどうしよう、とは思いつつも、恋次はたんたんと階段を下りて行った。

「恋次」

 すぐさまこちらの姿を見つけ、当然のように名を呼ぶ白哉に、恋次は自然と緩んだままの顔で駆け寄ると会釈をする。

「おはようございます、隊長。お疲れさまです」
「仮眠中だと聞いたが」
「ああ、まあ、はい。起きました」

 恋次はあっさりと笑ってそう言ったが、しかし、対して白哉はすっと眉を顰めた。一見すると不機嫌にも見えるその表情から、恋次は、まだ休憩時間内なのに仕事に戻ろうとしていることをよく思っていないのだと察して付け加える。

「大丈夫っスよ、結構寝たんで。それに、隊長を出迎えない副隊長なんて、ルキアに知られたら絞め殺されちまいますよ」

 茶化した物言いでさらりと流してみたが、白哉は納得がいっていないようだった。自分の方こそ連日の貴族の相手で疲労が溜まりに溜まっているはずなのに、これこそまさに、自分のことを棚に上げて、というやつである。

「疲労を軽んずるものではない」
「そンままそっくり返しますけど」

 呆れの滲む声で告げると、白哉はさらに顔を険しくする。これ、ほんと素人が見たら怒ってるようにしか見えないんだろうなあ、と恋次は苦笑した。眉を顰めていても秀麗さの一欠片だって損なわない美貌を眺め、やはり自分は面食いなのかもしれない、と恋次は議論から随分と離れたことを考える。すると、そんな恋次の様子をどう思ったのか、白哉は不意にふっと眉間の皺を緩めて怪訝そうな顔で恋次を見やってきた。

「……なんだ」
「いや、目の保養だなと」
「……話を逸らすな」

 素直な答えを返せば、再び白哉は不服そうな顔になる。困ったなあ、と頭を掻きつつ、恋次は身体を執務室の方へと向けながら、白哉を促すように言った。

「まあまあ。もう目ぇ覚めちまったんで。さ、行きましょ」
「待て、恋次」

 白哉の静止を聞かずに、恋次は執務室へと足を向ける。常に追従する立場であるはずの副官である自分の方が前を歩き、その後ろをまるで追うかのように白哉が来るというのは実に珍しい光景だ。しかし、足を止めたが最後仮眠室へと送り返されることは目に見えているため、恋次はそのまま執務室まで直行した。隊舎内だからと瞬歩を使わないところを見るに、白哉の方にもやや諦めの気分が入っているような気もする。

「恋次」

 しかし、やはりこの人は頑固なもので、執務室に入ってもまだ諦めずに恋次の名を呼んでくる。ぱたん、と執務室の扉が閉められるのを横目に、恋次はがしがしと頭を掻いた。

「あの、隊長。さっきから不用意にぽんぽんと名前呼ぶのやめてくれません? 俺の心臓がどんどんうるさくなってくんスけど」
「兄が止まらぬからだろう」
「だって、止まったら隊長、また俺のこと仮眠室送りにするじゃないスか」
「作業効率を考えれば当然のことだ」
「寝てるより隊長のそばにいた方が疲れ取れるんですってば」
「そのような事実があるものか」

 馬鹿にしているのかと言わんばかりの視線を向けられ、恋次はきょとんと首を傾げる。そんなにおかしなことを言ったつもりはなかったのだが。

「え? 割と一般的じゃないスか? ひとりでいるより、好きな相手のそばにいた方がそりゃ調子いいでしょう?」
「………」

 やはり恋次の言いたい意味が正確に伝わっていなかったようで、恋次の言葉を受けた白哉はやや目を見開いていた。

「……しかし、仮にそうだとしても、それでは肉体的疲労は解消されぬ」
「俺が体力あるってことは隊長だって知ってるでしょう? 元十一番隊っスよ、俺。むしろ隊長不足の方が深刻だったんで、これで解決っスね」
「どこが解決しておるのだ、そのような顔で」
「顔ぉ? 目付き悪ィのは生まれつきっスよ?」
「莫迦者。誰が目付きなどと申した。隈の話をしている」

 またこれだ。鏡を覗き込んでも恋次にはそんなに酷い隈などないように見えるのだが、いったい彼らには何が見えているのだろう。

「隈……隈なんてあります? 俺、鏡見てみましたけど、特に何も……」
「毎日同じ顔を見ていれば気づかぬだろうな」
「あ〜! なるほど」

 ここ数日の疑問が解け、恋次は納得してぽんっと手のひらを叩く。そういうことか。

「わかったら戻れ」
「まだ諦めてねえんスか?! いや、ほんと起きてた方が調子いいんですって。つーかいま戻っても絶対寝れねえし」
「なぜ」
「そりゃ、隊長のことが気になって」
「………」

 さらりと答えると、白哉はまたしても沈黙を挟む。今日は妙に多いな、と不思議に思いつつも、恋次は白哉の応えを待った。

「……ならば、他の方法で休息を取るがよい」
「仕事するなってのはナシっスよ」
「………」
「図星かよ! ちょ、やめてくださいよホントそういうの。あんたもうちょい上手く副官使ってくださいって」
「それでは休息にならぬ」

 引く気はないらしい白哉に、恋次は困ってどうしたものかと頭を捻る。まったくこの人は、何事に於いても厳しいことは厳しいのだが、それはあくまでも怠けることを許さないだけであって無理をすることは決して許さない。まあ、その思いやりが正しく相手に伝わっているかというと、残念ながらその不器用さと無表情のせいで空回っていることの方が多いのだが。

「うーん…そっスねえ……隊長に抱きついたら五時間分くらいの睡眠に相当するんで、疲れなんて綺麗にすっ飛ぶと思いますけど」

 これ以上まともに口論しても延々と平行線を辿るだけのような気がするので、恋次は敢えて悪戯めいた言葉を返す。案の定、不意打ちだったのか白哉は驚いたように目を見開いた。さて、揶揄うなと怒るか、巫山戯るなと呆れるか。どちらにしても、とりあえず話が逸れればそれでいいかと思っていた恋次は、しかし次の瞬間、耳を疑う言葉を受けることとなる。

「………仕方がないな」

 そう、ぽつりとつぶやいたかと思ったら、恋次の方へと軽く手を広げて見せる白哉に、恋次は思わず唖然とする。あまりに驚きすぎて、は?という言葉すら出てこない。………これは、もしかしなくとも…――――受け入れる体勢……と、いうことなのか……?

 恋次が目の前の光景の意味を処理できずに脳内ショートを起こしていると、白哉は怪訝そうな顔を向けてくる。

「……何をしている」

 それはぜひともこちらが尋ねたい台詞である。

 そんな恋次の心中を、表情から読んだのか、白哉は憮然として言った。

「兄が申したのであろう」
「……すいませんまさか本気にしてくれるとは思わなくて……」

 加えて、白哉の方から手を広げるなど、初めて見る行為である。記憶にある限り、恋次から抱きついたことはあっても彼から何かしたことはない。

 しかし、白哉が隊を不在にすること早六日。恋次の心はかなり摩耗していた。茶化した物言いで言ってはいたが、実際のところ、気を抜けば何を口走るかわからないような状態なのだ。そんな状態で、このようなことをされては、心が揺れぬはずがない。

 はあ、と恋次はため息をついた。
 勘弁してください、と心底参った声音でこぼす。

 そして、もう心変わりしても知らんと、素早く間合いを詰めるとそのまま白哉の身体を両腕に閉じ込めた。顔をうずめた肩から、ふわりと香の融けた薫りが鼻をくすぐる。これほど近くで感じたのはいつぶりだろうか。

「あ〜〜……隊長だ………」

 ぐり、と頭を擦り寄せてみても、白哉は何も言わない。しっかりと自分を受け止め支えている様子に、心が満たされてゆくのを感じる。

 やはり、この人がいないと、自分は駄目なのだろう。

 深く心の奥底に根差した想いを改めて痛感して、恋次は深く息を吐く。同時に、ゆっくりと優しげに背に回った細い腕に、今日はどうしたことか妙に甘やかされている気がすると不思議に思った。

「……隊長、なんか慣れてきてません? 全然動じてねえ……」
「そうか」
「つーか、ガキ扱ってるみてーな感じもする」
「そうか」

 淡々と返ってくる声さえ、なんだかいつもより穏やかに感じる。

「……それか、もしかして俺のこと犬か何かだと思ってます?」
「随分と大きな野良犬だな」
「ほらやっぱり……」

 わざわざ野良と付けるあたり、自分にぴったりだ。この高貴な人の手には似合わないなあ、と恋次はおかしくなって笑った。同時に、少し泣きそうになったのは、誰にも言えない秘密だ。

 欲しい、と思う心を、静かに腹の底に引き摺り戻す。

「恋次」
「…はい?」
「―――仕事を終えたら、話がある」

 そう、静かに告げられた言葉に、恋次は少し目を見開いて。

「……はい」

 それから、同じくらい静かに、応えを返した。
 それ以上は、何も言われずとも、何となく察することができた。

 ―――これが、最後、かもしれない……

 果たして、待ち望んでいたのか、はたまた永遠に来なければいいと願っていたのか、自分でもわからないその『返事』を、きっとこのひとは自分に与えようとしている。三年の月日を経て、とうとう。

 触れる白哉の低い体温を感じながら、恋次は、手放したくないとでも言うかのように、両腕にそっと力を込めた。

 待てと言われた。保留だと。

 口説いていい、触れてもいい。その言葉に、ただ、信じられぬ思いのまま、舞い上がってきたけれど。

 あなたに、好きだと、伝えるたび。
 あなたの、美しさに、触れるたび。

 この想いのままに、自由に振る舞うことを許されてから、改めて思い知らされた。どうしたって釣り合いはしない、自分の姿に。どう足掻いたって並び立つことなどない、このひとの孤高さに。

 このひとは、きっと、もう、誰のものにもならない。このひとの心を捉えたのは、ただ―――…幼馴染によく似た、あのひとだけ。やさしく、やわらかく、たおやかに微笑む―――彼が唯一、妻と呼んだひとだけ。

 頑なに彼女への愛を抱き守り、その妹のためには命を懸ける、そんな強く優しい愛を持ったひとだから、きっと自分はこのひとに惹かれた。その愛の深さを知るたびに、このひとを好きになった。その心のあたたかさに触れるたび、あなたの愛が欲しくなった。――――けれど、同時に。

 きっと、自分は、妻を愛するその姿ごと、このひとを愛した。

 ―――だから。

 このひとが、もう誰のものにもならないであろうことは、誰よりも知っているはずなのに―――…触れられる距離まで近づいてしまったいま、胸はあのときの何倍も強く痛むのだった。
 
 
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