かたしぐれ ― 片時雨 ―
「…はあ……歌、だと……?」
「……悪かったな顔に似合わねえこと聞いて」
ここは十三番隊舎。きっちりと副官章を腕に付けた幼馴染の副隊長は、頭でも打ったのかとでも言いたげな顔でこちらを見やるので、予想はしていたもののあんまりな反応に恋次は不貞腐れた声で返した。
「何を言うか、似合わぬのは顔だけではないだろう」
「喧嘩売ってんのかコラ」
「至極もっともな反応だと言え。昼休みに急に訪ねてきたと思ったら、何なのだいったい」
「……いいだろ別に何でも」
一々詳しく言うことでもないと、恋次はふいっと視線を逸らしたが、当然、長年共に過ごしてきたルキアにそれで気づかれずに済むはずがない。
「兄様か」
「うっ…」
十中八九確信した声で告げられ、恋次が言葉に詰まると、ルキアは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。
「相変わらず嘘が下手だな。隠すつもりならもう少し上手く隠さんか。見破り甲斐のない奴め」
「別に……オメーに隠すようなことでもねーし…」
それにしても、そんなに自分はわかりやすい性格をしているだろうかと恋次が心の中で唸っていると、まさか心を読んだのかと疑いたくなるようなタイミングで、ルキアは笑って言った。
「貴様が思い悩むことなど、大概が兄様か私か一護ではないか。私も一護も貴様と何かあった覚えはないからな。推測は容易だ」
「……図星なのが腹立つ」
ぐうの音も出ず恋次が顔を顰めると、ルキアはまた笑い声を立てた。しかし、それはすぐに親身な声に変わる。
「それで、何だ。まさか私に腹を立てるために来たわけでもないだろう」
ほれ、聞いてやるから話してみろ、と恩着せがましい台詞を吐きつつも、ルキアの瞳には純粋に恋次を案じる色がある。しかし、あまり色々と話して心配をかけるのも気が進まないので、恋次は状況などは伝えずに、ただ白哉が口にしていた和歌の意味を知りたいのだということだけ伝えた。
「うーむ……しかしなあ……」
恋次から用件を聞き出したはいいが、ルキアは何故か顔を曇らせてしまう。
「実を言うと、私もあまり和歌などは詳しくないのだ」
ルキアから告げられた意外な言葉に、恋次は驚いた。
朽木家に引き取られてからすでに五十年余り。てっきり、貴族界にて通用するため、ありとあらゆる教養を求められてきたのだと思っていたのだが。
恋次の顔から何を考えているのかを察したのか、何も聞かずともルキアは恋次の疑問に対する答えを返してくれた。その表情は穏やかで、また、どこか嬉しそうにも見えるものだった。
「兄様のご意向でな…。貴族の家に迎え入れたからといって、私に負担はかけまいと、そういった教育は一切強要せぬようにと厳しく申しつけておいでだったらしい。私自身が望んで、身の振る舞いなどの指南は受けたのだが……」
ルキアの表情がやわらかくなった理由を知った恋次は、つられるように笑みを浮かべる。あの人の不器用な気遣いを知る度に、ルキアと同じく、自分もまた心があたたかくなるのを感じた。
聞けば、貴族間の集まりなど、そういったものにもルキアは一切参加したことがないと言う。
当時は、あまりにみっともなくてとても外に出せないのだろうと勝手に思っていたと、ルキアが笑いながら言うものだから、恋次もおかしそうに笑った。白哉の妹に対する過保護ぶりが露呈して久しい今考えてみればとんでもない話だが、それを笑い話にできるくらい、もう、この兄妹の絆は確固たるものなのだ。それが、恋次にはまるで自分のことのように嬉しかった。
しかし、これでは求める答えは得られなさそうだと、恋次は思い悩む。どうしたものかと頭を悩ませていたところに、パンっと乾いた音が響いた。
「そうだ! 一護に聞いてみよう」
「一護?」
名案だとばかりに手を叩いたルキアに対し、恋次は予想外の名前に首を傾げる。
「……あいつ、和歌なんて知ってんのか? 確か現世じゃ、とっくに歌とか詠む習慣なんてなくなってんだろ?」
「らしいが、確か、学校で習うと言っていたはずだ」
「ふぅん…」
「まあ、期待はせずに、とりあえず聞いてみることにしよう。ちょうどいまの時間なら、彼奴も昼食で講義中ではないだろうからな」
伝令神機はどこにやったか、と立ち上がり執務室の棚をごそごそと漁り始めるルキアに、そうだな、と同意を示しながら恋次はにやりと笑って告げる。
「俺に託つけて電話もできることだしな」
「黙らんか」
揶揄われてパッと赤くなるも、ルキアはすぐに目当ての伝令神機を見つけたようで、恋次のそばへと戻って来た。
「そういやルキア、おまえ、昼飯はもう食ったのか?」
一護も昼食中だろう、というルキアの言葉を受けて、恋次は思い出したように尋ねる。案の定、ルキアはあっさりと首を振った。
「いや? まだだぞ」
「だろうと思った。時間なくなっちまうぞ。食いながらにしろよ」
「そういう貴様はどうなのだ、恋次」
「俺はもう食った」
「……兄様のご不在で、六番隊は昼の休憩もまともに取れぬほど多忙だと聞いているのだが? 今更だが、こんなところにいて大丈夫なのか」
「ああ…。それなら、昨日朽木隊長が来て残業してってくれたおかげで、仕事はある程度目処がついたんだ」
あのあと、恋次は白哉に帰ってもらう予定だったのだが、隊士らが持って来た案件で完全に仕事モードになってしまったらしく、恋次の進言も虚しくそのまましっかりと残業をしていった白哉の姿を思い出して、恋次はため息をつく。……あの調子では、本当にいつかぱたりと倒れてしまいそうだ。まったく、休むという言葉を知らないのかあの人は。
「そうか」
ルキアから返された静かで短い言葉に、恋次は意外と驚きで目をしばたく。てっきり、いつもの調子で「まったく情けない! それでも兄様の副官なのか! ただでさえご多忙な兄様に、これ以上ご迷惑をかけるでないぞ!」くらいは言われると思ったのだが。
「……な、なんだよ、気持ち悪ィぞ」
「なっ、失敬な!」
恋次が素直な一言を漏らすと、ルキアは不本意だとでも言いたげに叫んだ。
「いつもの勢いはどうした」
「たわけ! 貴様、一度鏡で自分の顔を見てみろ。そのように派手な隈を作られては、私とて言葉を選ぶわ」
「…隈ぁ?」
はて、と恋次は首を傾げ、目元あたりをぐいぐいと押してみる。確かに多少の疲れはあったが、別にそこまで酷い状態ではないだろうと高を括っていた。しかし、ルキアの表情を見る限りそうでもないらしい。
「そんなひでー顔してるか?」
「まだ付き合いの浅い部下では気付かんのだろうが、貴様の顔など嫌と言うほど見慣れた私の目には実に不細工に映っているな」
「オイ言い方」
「……まあ、兄様もそれにお気づきで、わざわざ残って仕事を熟されたのだろう」
「…!」
察したようにつぶやくルキアの言葉に、恋次は目を見開く。……言われてみれば、昨日の白哉の態度はやはり少し強引だったような気もする。それが、もし…―――恋次の虚勢と疲労を見抜いての言動だったのだとしたら。
恋次は思わずため息をついた。
「はあ…」
「なんだ、惚れ直したのか」
「…うっせ。情けねえだけだよ」
半分は図星だったが、恋次はそうとは言わずにルキアに返す。
たった一日二日、彼がいないだけで仕事がみるみる溜まってしまって、それを上手く捌き切ることもできず、自分でも気づいていなかった不調もあっさり見抜かれてしまって。それで白哉に佑助されてしまっていては世話がない。
「まったくだな。いつまでも兄様に助けていただくばかりでは、到底立派な副官にはなれんぞ」
「ここでは言うのか」
「言って欲しそうだったから」
「冗談。被虐趣味はねーぞ」
「たわけ! 激励と言わんか」
「どの辺がだよ。いいからオメーは早く一護に電話しろって」
「ふん、仕方がない」
口では素っ気ない物言いだが、一護の声が聞けるとあって見るからに嬉しそうなルキアに、恋次はこっそりと頬を緩める。
「おお一護か、すまんな急に。少しいいか?」
どうやら無事繋がったらしい電話に、恋次はルキアと同じように伝令神機に耳を近づけた。