かたしぐれ ― 片時雨 ―
「え、朽木隊長、今日お休みなんですか?」
始業の鐘が鳴り響く中、いつもならばとっくに執務室に姿を見せているはずの長の姿が見えないことを不思議に思ったのか行方を尋ねてきた理吉に、恋次は答えてうなずいた。
「ああ。今朝方、急な貴族会議が入ったらしくてな」
早朝に恋次の元へ飛んで来た地獄蝶が伝えてきた内容を伝えると、理吉は明らかに残念そうな顔をする。周囲で聞き耳を立てていた他の隊員たちも同様だ。
果たしてあの人がどう認識しているのかはわからないが、ただ恐れ多くて声をかけられないというだけで、こうして隊員たちからは熱烈に慕われている。隊長不在を喜び開放的になるような気風の輩は、六番隊にはいなかった。むしろ、今日は拝めないのか、とがっかりする連中の方が圧倒的に多い。
「最近多いですね…」
「そうだな。まあ、色々あったからなあ…。本当に落ち着くまでには、やっぱりまだ時間がかかるってことだろうよ」
恋次がしみじみとつぶやくのに合わせて、そうですね、と理吉もまたうなずく。こんな余裕が出てきたのも、ここ最近のことだ。
ユーハバッハとの戦いが終わり早数年。尸魂界史上最悪とも呼ばれる事件の影は、少しずつだが薄れを見せ始めている。亡き人への弔いや、瀞霊廷全土に及んだ被害の復興など、精神的にも肉体的にも多忙を極めた時期が過ぎ去り、恋次たちはようやく息をつく余裕を取り戻していた。
しかし、それに反比例するように増えたのが、六番隊における白哉の不在だった。
理由はごくごく単純だ。
甚大な被害を受けた護廷十三隊を立て直すため、白哉はここ数年、朽木家当主としての務めよりも六番隊隊長としての務めを優先して熟していた。それを不満に思う貴族もいたにはいたらしいが、護廷十三隊がいなければ文字通り尸魂界消滅の危機だったのだ、そう強くも出られまい。
そして、その護廷十三隊もようやく落ち着きを見せ、瀞霊廷もそれなりに復興の兆しを見せ始めると、途端に安全を確信した貴族たちは勢いを取り戻し好き放題に言い始めるものだから、白哉はその対応に追われる羽目になったのだ。
護廷隊の中で上級貴族を含む面々と正面からやり合えるのは、尸魂界随一の地位と権力を有した白哉をおいて他にいない。総隊長を継いだ京楽からは、毎度白哉に押しつける形になってしまっていることへの謝罪が六番隊にも白哉個人にも届いていたが、こればかりはどうしようもないことを恋次はよく知っていた。白哉もまた、普段こそ不真面目な態度が原因で京楽には厳しい言葉ばかりを投げかけてはいるが、この件に関しては京楽が気に病むことではないと珍しく率直な鼓励と労りの言葉を返している。
「ま、ある意味、隊長がいねえのは平和な証拠だとも言えるがな」
そう落ち込むなと恋次は茶化した物言いでそう言ったが、理吉は、そうかもしれないですけど、と唇を尖らせた。
「でも、恋次さんは、朽木隊長がいなくて寂しいんじゃないんですか?」
唐突に告げられた言葉に、恋次は驚いたように目を見開く。それから、ぐしゃりと理吉の頭を乱暴に撫でて困ったように笑った。
「ばっか。隊長には秘密だぞ。職務中にンなこと考えてるなんてバレたら、後でどやされちまう」
恋次が茶目っ気の入った返しをすると、理吉だけではなく周囲の隊員たちも揃っておかしそうに笑い声を上げた。
実は、恋次が無謀にも白哉に懸想しているという話は、すでに六番隊内では周知の事実となっていた。恋次が想いを隠すことをやめ、大っぴらに伝えるようになったからだ。
それでも公私混同はよくないだろうと部下たちが大勢いる前では極力避けていたはずなのだが、気がついたらいつの間にか隊全体に知れ渡っており、何故かあたたかく見守られるようになってしまった。こうして恋次が揶揄われるのも何も珍しいことではない。
白哉からの返事が気にならないと言えば嘘になるが、元が当たって砕けるつもりであったのだ、保留にされている現状に不満はない。あのあとすぐに滅却師との全面戦争が勃発し、戦後はその後処理に奔走する羽目になったのだから、落ち着いて考える暇などなかっただろう。それを重々にわかっているからこそ、こうして彼らのノリにも気儘に付き合っているのだ。加えて、いまの白哉はそんなことに余裕を割けるような状態ではない。
「そういえば、今日は一護さんがウチに来る日でしたよね?」
他にも何か連絡すべき事項はあったかと、まだ朝の眠い頭を揺らして恋次が確認していると、ふと思い出したように理吉が言った。
ああ、と恋次はうなずく。
「まあ、とは言ってもいつも通りあいつの相手すんのは俺だし、おまえらは別に気にせず過ごしてりゃいい」
「隊長ご不在ですが…」
「ま、構わねえだろ」
一護に形式ばった対応は必要ない。定例報告さえ無事に済めば特に何も困ることはないだろうと、恋次はあっさりと言った。
―――…あ、でもあいつ、確かいつも隊長ん家に泊まってたよな…?
死神代行とは言っても、あくまでも一護は現世に暮らす人間であるため当然ながら尸魂界に家などは所有していない。それゆえ、こちらに来てそのまま泊まるときは必ず白哉が自宅の客間を用意していたのだが、彼が不在にも関わらず自分が勝手に一護を朽木邸に送り出しても構わないものなのだろうか。おそらく一護は今回も泊まって行くだろうし、ずっと隊舎に置いておくわけにもいかないのだが。
―――伝令神機……いや、一応業務関係だし地獄蝶でもいいか…?
伝令神機は相手から気づいてもらわない限り連絡が届かないが、地獄蝶ならば到着したその場で強制的に相手に用件を伝えることができる。そのため警戒配備の伝達や戦闘時の連携以外にも各隊の連絡は基本的に地獄蝶を用いるのが一般的だ。とは言え、今回のは虚討伐などといった緊急性のある案件というわけでもない。地獄蝶は来たらその場で用件を受け取らなければならないため、何らかの重要な会議中にひらひらと割って入ってしまうかもしれないことを考えるとやや使用を躊躇う。
とりあえず、伝令神機で用件を送ってみて、しばらくしても返信がなかった場合は改めて地獄蝶を飛ばすことにしようと決めて、恋次は執務室に置きっぱなしにしていた伝令神機を取りに戻るため踵を返した。