はなのあめ ― 花の雨 ―
「………は?」
思わず間の抜けた声が漏れてしまったのは仕方がないだろう。ルキアは、あまりにも予想外の言葉を受けて、ぽかんとしていた。
確か、自分はここへ恋次のことについて相談に来ていて、それを受けた一護が口を開いたのだから、そこから出てくるのは恋次についてのことだと推測した自分の思考は間違ってはいないはずだ。
しかし、ならば一護の今の言葉は何なのだろう。
ルキアが疑問符をいっぱいに浮かべながら一護を見やると、一護は視線を床へと落として、居心地が悪そうに頭をがしがしと掻いていた。
「気づいてねえのがおかしいような気もするけど、まあ、改めて言うと死にそうに緊張すんな、これ」
「いや…え? ……は?」
「何だよ。こちとらおまえと違って思春期真っ盛りな男子高校生だぞ。好きだ何だと俺が言うのがそんなにおかしいかよ」
「…あ、ああ……正直…」
衝撃のあまり思わず本心をぽろりと口にしてしまったルキアだったが、一護は腹を立てる様子もなく「そうか」と応えただけだった。
しん…と沈黙が落ちる。
どうしよう、と視線をうろうろとさせながらルキアが困っていると、一護は先ほどまでとは打って変わって静かな声で、その沈黙を壊した。
「―――おまえは俺の世界を変えてくれた」
「…!」
はじめて会ったのは、あの日―――…
何も変わりはしないと疑わなかった、あの夜に、すべてが変わったのだ。己を人と疑わなかった一護も、そして彼と出会ったルキアも。
「おまえは、会ったばかりの俺を、俺たちの家族を、護ってくれた。俺に、護る力を与えてくれた。俺を『死神』にしてくれた」
「………」
私のせいで、おまえの運命を捻じ曲げてしまった。たとえ、一護が父から死神の血を受け継いだ、真性の死神だったのだとしても、その事実は変わらない。彼には人として生きる道もあった。彼の妹たちと同様に。
―――…それなのに、一護、
おまえは、そうやって私に感謝を口にする。
その言葉に、私がどれほど救われているのかなんて、おまえは知りもしないのだろう。
おまえの力を頼る度、おまえが強くなっていく度、私の心に宿る安堵を、おまえはどれほど知っているのか。
今だって、こうして、私はおまえを頼っているというのに。
「俺が立ち止まれば、おまえはいつだって俺の背中を押してくれた。だから負けずにここまで来れたんだ」
否。彼が負けずに在れたのは。
ただ偏に、護りたいという、彼の強い想いのおかげだ。
「おまえはすげえよ、ルキア」
―――違うぞ、一護
ほんとうにすごいのは、私などではない。おまえの方なのだ。
だが、そう告げたところで、この男は言葉を変えはしないだろう。彼の中で、ルキアはすでに『そのような存在』として認識されているのだ。
「だから、俺はおまえの横に立てるような人間でいたいんだ。……ん? いや違うか、この場合は人間じゃなくて死神か? まあいいや。とりあえず、おまえは俺の中で、特別だってこと。お年頃な男子高校生が特別と言う意味は……まあ、察せ。現代語の勉強はしたんだろ」
最後は何だかざっぱに纏めた一護に、ルキアは思わず笑った。手持ち無沙汰な様子でうなじを掻いている動作が、それが照れ隠しだと告げていた。
「……随分と、」
口が上手く動かないのか、言葉が途切れる。ひどく心があたたかい。しかし、それを素直に言うのは何だか悔しい。
「色気のない、告白だな」
そんな、可愛らしさは欠片もない返事に、しかし一護は予想通りだとでも言いたげに「そうか?」といつもの調子で返してきた。
「俺なんだから、こんなもんだろ。それに―――」
ふっと笑った一護は、すいっと窓の外へと視線をやる。何を見ているのだろうとルキアが不思議に思っていると、顔に似合わず友人想いな男はやや早口に言った。
「恋次も、案外こんな感じだと思うけどな」
「え…?」
一護の視線が、見えはしない尸魂界の恋次へと向けられているものなのだということを知ったルキアは、困惑の声を漏らす。たったいままで一護がしていたのは、恋次の話ではなく―――…
「それで、いまのおまえの気持ちが、白哉の気持ちなんじゃねーの」
「…!」
ルキアは大きく目を見開いた。
一護からルキアへ。
そして―――…叶うなら、恋次から白哉へ。
「白哉がどう思うかわからないから、素直に恋次の応援ができねえんだろ? どうだよ、俺から告白されてみて、おまえの気持ちは」
「わ、私の…気持ち…?」
「嫌だったか? 仲間だと思ってる奴からそんな風に想われてて、嫌だとか、失望したとか、距離を置きたいとか―――」
「ばっ、莫迦者! 誰がそんなことを思うか!」
反射的にルキアは叫ぶ。
「一護、貴様、私を侮っているのか? 私が貴様に渡した信頼も、預けた心も、そんなことで消え失せるような軽いものではないぞ!」
憤慨したルキアに、一護は少し目を見開いて、そして―――
「……そっか。よかった」
そう、ぽつりと零した。
その声は、顔は、ひどく安堵を纏っていて。
ああ、この男も不安だったのだなと、ルキアは初めて気づいた。
そうだ。想いを告げることに、不安が付き纏わないはずはない。ただ、それを一護が隠して話していただけだ。
―――…ありがとう。一護
また、おまえのその心に、助けられたな。
何だかんだと言って、やはりお人好しなことだ。
「なら、きっと白哉もそうだよ」
「……ああ、そうだな」
想いを伝えることが不安でないはすがない。
そして、想いを受けた側は…―――きっと、その答えが何であれ、その想いを厭わしくなど思いはしない。
ルキアも。……白哉も。きっと。
きっと、そうに違いない。
「…あ、ルキア」
「ん?」
何だか肩の荷が下りたような気分になったルキアは、何かを思い出したように自分の名を呼んだ一護に首を傾げる。まだ何かあるのだろうか。
「例え話じゃなくて、俺がおまえを好きっつったのは、ちゃんとした真面目な俺の気持ちだからな。勘違いすんなよ」
「………」
付け加えるように告げられた言葉に、ルキアはあまりに呆れたものだから、うっかり言葉を失ってしまった。
「たわけ! そこまで鈍くはないわ!」
「えっ? そうなのか?」
心底意外そうな顔をする一護に、ルキアはじとりと睨みを飛ばした。
「貴様は私を何だと思っているのだ。これでも私は貴様の何倍も生きているのだぞ!」
「言わなきゃ伝わんねえ時点で相当鈍いと思うけどな…。恋次には随分前からバレてんだぞ」
「む…」
それは初耳だと驚くルキアだったが、先日、甘味処で恋次が一護の名を出したことを思い出し、その言葉に嘘はないのだろうと察する。
『一護とはどうなんだよ』
あの男は確かにそう言った。あのときルキアが振ったのは確かに恋愛事の話だったし、一護の想いを知っていたということは、おそらく何かしらの進展はないのかと友人を気にかけたのだろう。
揃いも揃って、この男たちは何かと友人想いだ。
「まあ、返事は別に急がねーから」
「う、うむ…」
そうだった。告白というのは、受けたらそれに対する返事が必要なものだった。失念していたルキアは、ぎこちなくうなずく。
ルキアの首肯を見届けると、一護は徐に立ち上がった。
「一護?」
どこへ行くのかと、ルキアは一護を見上げて尋ねる。
一護は、いつも通りの笑みを浮かべてさらっと告げた。
「夕飯、食ってくだろ?」
「いいのか?」
ルキアは目を輝かせる。
正直なところ、滞在期間は明日までとなっているので甘える気は満々だったのだが、しかし、結果は同じでも、自分から言うのと一護の方から誘ってくるのとでは雲泥の差だ。
「昼飯一緒に食った時点で、もうおまえの分も頼んで作ってもらっといてるんだ、片付けてってもらわねえと困るんだよ」
「すまんな。馳走になる」
一護の手招きを受けて、ルキアもまた下の階に降りるため立ち上がった。
礼を受けた一護は、素直でない言葉を返す。
「別に。作ってんのは遊子だしな。白哉ん家で出るようなモンと比べられるモンじゃねーけど」
「そんなことはない。現世の食べ物は見たことがないものばかりで心躍る」
「白玉はねーぞ。おまえが連絡もなしに来るから」
「ほう。連絡を入れれば用意しておいてくれるのだな。楽しみにしているぞ」
「………」
ルキアとしては揚げ足を取ったつもりだったのだが、どうやら図星だったようで黙ってしまう一護に、ルキアは思わず吹き出した。少しばかり意地の悪い思いが顔を覗かせて、ルキアはにやりと笑って告げる。
「布袋屋の最高級のやつで頼む」
「ちょっ、おいこら、あんなの高校生の小遣いでばかばか買えるか。ンなもん白哉に買ってもらえ」
「なにっ?! このような些事に兄様のお手を煩わせようなどとは貴様、図々しいにも程があるぞ。そもそも貴様は兄様に対する敬意が―――」
「あ〜も〜! わあった、わあった! じゃもう親父に猫被って頼んで買ってもらえ。おまえのこと三人目の娘とか言ってるし楽勝だろ」
「お父君の財力に頼らねばならんとは何とも情けない…」
「うるせえぞコラ。テメーの舌が肥えてんのがいけねえんだろうが。普通の白玉なら用意してやるわ」
「仕方がない。今回は妥協してやる」
布袋屋の白玉は惜しかったが、その返事にルキアは内心ほくそ笑む。まったく、人のことを散々鈍いだの何だの言ってくれた割に、随分と鈍い。
一護が用意してくれると言ったのが嬉しかったのに、他の人間では意味がないではないか。
「お兄ちゃーん! ルキアちゃーん! ご飯ですよー!」
一護と喋っていると、下から遊子の声が聞こえてきた。ルキアは鼻歌を歌いながらそれに応えると、一護を置いて先にすたすたと階段を降り始める。後ろで一護の半笑いのため息が聞こえたような気がしたが、さらりと無視をした。
「……まったく。俺の一世一代の告白、おまえのために使ってやったんだから、しっかりしろよな。―――恋次」
扉を閉める音と共につぶやいた一護の声は、あいにくとルキアの耳には届かなかった。