はなのあめ ― 花の雨 ―
「………恋次」
「あ、やっぱり臭います?」
書類の決済を頼もうと今日一番に白哉に近づいた恋次は、その秀麗な顔がわずかに顰められているのを見やり、困ったように頭を掻いた。
「二日酔い対策で薬はちゃんと飲んで来たんですけどねぇ。頭痛の方は結構いいんスけど、やっぱり臭いでアウトかー」
「薬で臭いが消えるものか。なんだその薬は」
「十二番隊特性です」
「そのように怪しげな…」
ますます顔が曇る白哉に、恋次は声を上げて笑った。
「意外とフツーに出回ってるんスよ? まあ、さすがに臭いには効きませんけど。いまちょっと替えの服がなくて。すんませんね」
「…よい」
恋次から書類を受け取った白哉は、意外なことにそれ以上の文句は言わず、黙って決済のために書類に目を通す。それからふと思い出したように、読みかけの書類から顔を上げて恋次を見上げた。
「? 何スか?」
「…十番隊から詫び状が届いている」
すっと差し出された書状に、恋次ははてと首を傾げる。しかし、とりあえず受け取りその場でがさがさと開けた恋次は、すぐに納得の表情になった。
「ああ、昨日の! 律儀だな〜日番谷隊長。つか乱菊さん二日酔いで使い物にならねーって……あそこも大変だな…」
何だかんだと言いつつも日番谷隊長が甘いからそうなるのでは?と目の前の厳格を絵に書いたような上司を見やりやがら思った恋次だが、当然ながらそんなことは口に出さない。
何の話だと無言ながら気にしている様子の白哉に視線を移し、自分も意外にこの人の表情が読めるようになってきたようだと思いながら、恋次は昨晩吉良と乱菊の誘いを受けて飲みに行った話をした。
「……で、乱菊さん歩けねえくらいにべろっべろに酔っちまって。仕方ねえから隊舎まで送って来たんスよ。つーかそれ目的で呼ばれたっつーか。吉良じゃ乱菊さん背負って送れませんからね〜」
「……そうか」
特に興味のなさげな相槌はいつものことだ。今日も恋次は一方的に自分の話をして、それから決済の済んだ書類を受け取り自分の席に戻った。二人の間ではこれがごく普通の光景である。
慣れた日常。何も変わり映えのしない毎日。変わるのは、せいぜい恋次の口にする話の内容くらいだ。
まあ、それでいいだろうと、折り合いをつけたのはいつの頃だったか。
『ばっかねぇ〜〜! どうしてそこでもっとガッと行けないのよぉ〜!!』
昨晩の乱菊の言葉が脳裏を掠める。ぱっぱっ、と頭の中で泥酔した乱菊を追っ払いながら、恋次はちいさく息をついた。吉良の可愛らしい恋愛相談に対する応えにはそれでいいのかもしれないが、恋次にはとんと関係のない話である。
―――期待なんて、そんなことしねぇさ
このままでいいのだ。
自分が『これ以上』を望まなければ、きっとこんなに恵まれた生活もない。
いわゆる―――想い人のそばで、こんな風に毎日を過ごせるのだから。
仕事も案外悪くない。部下と称してこの人のそばにいることができる。雑談だって、恋次の一方通行であっても少しずつ増えてきた。とんとんと相槌が返ってくるようになっただけでも、一歩どころか三歩くらい距離が縮んだ気分である。それで満足だ。
―――あ、隊長の字
相変わらずきれいだなぁ、と記された署名を眺めて、恋次は思う。そう、想うだけだ。そこから何をするでもない。
自分は吉良とは違う。自分は、この感情の矛先を、どこにも向けられはしないのだ。
「恋次。この書類も加えておけ」
「ああ、はい」
軽い返事を返しながら、何でもない風を装って、恋次は白哉から書類を受け取る。さて、この整頓が終わったら、書類を届けに回らねばならない。