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はなのあめ ― 花の雨 ―



 恋次が泥酔してひとりで帰れそうにないので迎えを寄越してほしい、と部下が伝令神機で告げられているのを見たとき、自分が向かうと言ったのは、副官の痴態を部下に晒しては隊に示しがつかないという理由が大きかったと思う。

「う〜……たい、ちょお〜…」
「……恋次。ふらつかずまっすぐ歩け」

 夜中というほどではないが疾うに日はどっぷりと沈んだ時刻、ひどくきつい酒の臭いをさせて、白哉に支えられながら何とか歩いている恋次に、白哉はため息をつきながら律儀に注意を促した。……これほど泥酔していては注意したところで無意味なのだろうが、それでも口をついてでるのは日頃の癖だ。

「なんで、隊長、こんなとこにいんスか〜…?」
「……その質問は何度目だ」

 ここまで泥酔した者の相手などしたことがない白哉は、酔っ払いの戯言だと頭ではわかっていながらもつい応じてしまう。

 脇に抱えるでもして瞬歩を使った方が圧倒的に早く六番隊舎へ着きそうな気もするが、それをしないのは偏に恋次が泥酔状態であるためだ。普段の状態ならまだしも四肢の弛緩した今の状態では、白哉の瞬歩は相当な負担となるだろう。道中吐かれでもしたら困る。気絶させるという手もあるにはあるが、後のことを考えるとこちらもあまり使いたい手ではない。

 とはいえ、恋次に肩を貸している今の状態は白哉にとって慣れぬもので、先ほどから恋次の声がすぐ耳元で聞こえるというのもこそばゆく落ち着かない。まったく恋次でなければその辺に捨ておくものを、と妙に締りのない顔をしている副官を横目に、白哉は心の中で文句を並べ立てた。

「ふ、ふ……ふふ…」

 ぐり、とまるで甘えるように頭を擦りつけてくる恋次に、白哉はやや押されながらも均衡を保つ。この男は酔うとこんな風になるのか、と普段の様子からは随分とかけ離れた仕草に何となく毒気の抜かれる思いだった。

『恋次、いつもはこんなになるまで飲まないんですよ』

 ふと、先ほど居酒屋で恋次と同席していた、十番隊副隊長の言葉が脳裏によみがえる。

『だから、今日そんな風になったのは、何か悩みというか……聞いてないんであたしにもわかりませんけど、とりあえず、何かあったんだと思います。だから、ちょっと大目に見てやってください』

 ―――悩み…

 確かに言われてみれば、これまで恋次が白哉の副官を務めてきて、このような酒の問題を起こしたことは一度もない。多少死覇装から酒のにおいをさせることはあっても、翌日に二日酔いで職務が滞るといったこともなければ、当然泥酔して迎えが必要になったこともない。副隊長ともあろう者が何という為体、とテーブルに突っ伏した恋次を見たときは思わず霊圧が上がりそうになってしまったが、よくよく考えれてみれば彼女の言う通りなのであった。

 しかし、白哉の知る限り、それらしい素振りはなかったように思う。別段普段と変わらず、軽口を叩きながらもきちんと仕事を熟していた。
 だが、それがもし白哉の思い違いだったとしたら、自分は副官の不調ひとつ見抜けぬ至愚な上官ということになる。

 白哉はちらりと恋次の方を見やった。……この泥酔状態ならば問い詰めればあるいは素直に吐くやもしれぬが、しかし、本人の与り知らぬところで聞き出すというのはいかがなものか。

 睨むような眼差しを恋次に送っていた白哉は、不意に恋次の視線が自分の方へと向けられ、ぱちりと視線が合ったことに驚きたじろいだ。そんな白哉の胸中など露知らず、恋次は白哉を目にとめると何故か嬉しそうにへにゃりと笑う。ふふ、ふふ、と上機嫌な笑い声が夜の静寂に溶けていった。

「あー……おれ、隊長のゆめ、ばっか、見てんなあ……」
「……私の夢?」
「おれのゆめには、いっつも、隊長が出てくるんです」
「……なんだそれは」

 まさか自分は夢の中でまでこの男を叱り飛ばしているわけではあるまいな、とやや的外れな感想を抱く白哉に、恋次は少し困ったように笑った。先ほどまでの笑い方とは少し違って聞こえるその音に、白哉は何となく違和感を覚える。

「どうせ、ゆめなら、一度くらい…言っても……」
「恋次?」

 ぼそぼそと何やらつぶやく恋次に、白哉は訝しげな視線をやる。

 ぐいっ、といきなり身体が引っ張られたのは、その直後だった。思わず均衡を崩しかけて、白哉は慌てて足に力を入れる。支えていた片腕で引き寄せられただけだというのにこれほどよろめくとは、不覚―――

「好きです、隊長」

 耳に触れるか触れないかというわずかな距離で、ひどく熱を持った息と共に告げられた言葉に、白哉は思わず固まった。

「すみません……―――好きです。あんたが、好きです」

 静かに、耳に、染み透る。

 その声は、まるで、身を切り裂かれるような切なさを帯びて。
 そして、まるで、泣いているかのようにも聞こえた。

「…すみません……すみません、隊長……」

 まるで、懺悔でもするように、恋次はそう繰り返す。

 それは、何に対する謝罪なのか。
 白哉にはわからなかった。

「手を伸ばしたって、届かないのに、それなのに、どうしたってあんたが欲しくなる。あんたの隣りにいられるのが奇跡だって、俺は、知ってるはずなのに。それで満足しなきゃ、いけねえのに……」

 それは、何だか、子どもが助けを求めて泣いている声によく似ていて、白哉はそうっと恋次を見やる。その顔は、先ほどまでの上機嫌さながらの笑みはどこへやら、ひどく苦しげに眉根を寄せていて、困り果てているようにも見えた。

「…苦しい……苦しいんです、隊長。なんで、好きなのに、そばにいたいのに、あんたのそばにいると苦しいんだ」

 突然身体を引き寄せられたせいで止まってしまった足を動かすことも忘れて、白哉はこの大きな子どものような副官の吐く言葉を聞いていた。あまりに衝撃が大きすぎて、頭がついてきていないのが自分でわかる。肩を貸すというよりもはやしがみつかれているような状態で、しかも人気がないとは言えこのような往来で衝撃の告白を受けた自分は、いったいどうすればいいのか。

 ―――悩み……これが、此奴の悩みなのか……

 考えたこともなかった。気づきもしなかった。
 よもや、この男が、自分をそのように想っていたなどと。

 どうすればいい、と混乱したままの頭で白哉は自問する。そして、果たして自分はどうしたいのだろうかと、答えの見えない問いを抱える羽目になった。…―――そう。答えが見えないのだ。否、と断ずることは容易だというのに。

 何より、その事実に驚いた。

 白哉は混乱する思考を心底放棄したいと考えながら、ちらりと恋次を見やる。ぎゅっと、力の抜けた腕で自分にしがみつく恋次は、随分と心許なく見えた。その、あどけなくも見える仕草は、やはり普段の様子からは掛け離れていて、そもそも、と白哉は思う。

 そもそも、この男は現在ひどい泥酔状態にあるのであって、先ほどの言葉もおそらくはこの男の本意ではない。ただの推測でしかないが、吐露された内情を聞く限り、恋次は自分に想いを告げる気はなかったのだろうと考えられる。

 それならば、意図せずに恋次の心の内を知ってしまった自分は、どのような対応をすべきなのだろうか。

「……恋次」

 そっと、白哉は恋次の名を呼ぶ。しかし、それに対する応えは返って来ず、しばらくして聞こえてきたのは随分と安らかな寝息だった。がく、と急に身体にかかる体重が増えたような気がする。……どうやら、完全に眠ってしまっているらしい。会話が成立するのか確かめようとしたのだが、それ以前の問題だったようだ。

 白哉は、勝手に問題ばかりを放り投げて夢の中へと逃げていってしまった恋次の腕をぐっと掴むと、体勢を整え直し、それから深いため息をついた。

 兎にも角にも、ここまで泥酔した恋次に果たしてこの記憶が残るのかどうか、明日になってみなければわからない。それまでに多少心を整理する時間は設けられるだろうと、白哉は止まっていた足を再び踏み出した。
 
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