はなのあめ ― 花の雨 ―
『ごめんね恋次。朽木にはたまたま聞かれちゃったのよ。まったくの偶然で朽木に悪気は一切ないから、たぶん何かしら言ってくるとは思うけど、あの子のこと責めないであげてね』
乱菊に食事に誘われたあの日、恋次は帰りがけにそう言われていたため、ルキアからわざわざ甘味処への誘いを受けた時点でこれが乱菊の言っていたことだろうと予想することは容易だった。幼馴染がよりにもよって兄に傾慕していますなどと知れば、当然、それを黙って見ているような性分ではない。
「恋次」
時間が惜しいとばかりに足早に席につき、注文もどこか急ぎ足で済ませたルキアに、いざ、とばかりに名を呼ばれ、恋次は次に続くであろう言葉を予想した。そして、それに対してなるべく穏便に済ませるための返答を考え始める。
「一護に告白されたのだが」
「………は?」
だから、予想外の切り出しに、恋次はぽかんとしてルキアを見やった。
「……え、は? 何だって?」
「何度も言わせるな。一護に告白をされたと言ったのだ」
どうやらまったく違う用件らしい、と察したのも束の間、恋次は思いっきり目を見開き、ガタッと席を揺らした。
「ま…ッ、マジか?!」
「こんなことで嘘を言ってどうする」
もっともな返しを受け、それもそうだと心の中でうなずきながら、恋次は逸る心を抑えて尋ねる。
「そ、それで、何て返事したんだ?」
どのような状況で告白に至ったかはさておき、あのヘタレの一護が遂に思い切って想いを告げたのだと思うと、一種の感慨深ささえ感じる。色々と気になることはあるがそれはまあ後回しでいいだろう。出会ってからずっと、絆は深まっていくくせに何故かちっとも進展しないこの二人を見守ってきた恋次としては、兎にも角にもルキアの反応が気になるのは仕方のないところだ。
だから、あっさりと返されたルキアの言葉には驚いた。
「まだしていない」
「…はあ?」
是か否か、さあどちらだと意気込んで尋ねた恋次は、そのどちらでもない返事にぽかんとする。
すると、ルキアはキッと睨むように恋次を見やり言った。
「たわけ。簡単な気持ちではできぬだろう。しっかり考えねば」
そう、大真面目な顔で言うものだから、恋次は困惑して目をしばたく。…これはちょっと、予想外というか……
「何だそりゃ……嬉しかったんじゃねーのか?」
疎さゆえに自覚していないだけで、何かきっかけがあれば無事円満に解決すると思っていた恋次は、幼馴染の心境を見誤ったかと頭を掻く。しかし、どうやらそうでもないようだということは、続くルキアの応えでわかった。
「無論、嬉しかったぞ。驚いたがな」
「…? じゃあそれが答えじゃねーか」
「え?」
そう言った恋次の言葉に対し、驚いたようにルキアが目を見開くので、逆に恋次の方が驚いてしまう。鈍いとは思っていたが、まさか告白されても自分の気持ちに気づかないほどなのか。もしかしたら自分の見立ての方が間違っているのではないかという気さえしてきてしまう。
「好きだって言われて、嬉しかったなら、そりゃおまえも同じ気持ちだからだろ?」
「な…」
ただでさえ大きな目を更にいっぱいに開き、恋次の言葉を理解するまでの時間なのかわずかな間を置いた次の瞬間、ルキアの頬にカッと朱が走る。
それを見て、恋次は安堵の息をついた。
「何だよ、とっくに答え出てんじゃねーか」
やきもきさせやがって、と恋次はぼやくも、しかし幼馴染と友人が良い方向へと向かいそうなことを知って頬を緩ませる。
「ま、待て! なぜ嬉しいと同じ気持ちだと断言できるのだ!」
「…そういうモンだろ?」
はて、と首を傾げる恋次に、しかしルキアは否と返してきた。
「おかしい。貴様、私と経験の差があるわけでもなし、なぜそのようなことを断言できる」
「信用ねえなあ…」
やはりこれで円満に終了、というわけにはいかないのかと、恋次は仕方ないのでルキアが納得しそうな例を考えてみる。
「じゃあ、例えば、俺がおまえに一護と同じように『好きだ』っつったら、おまえどうだ? 一護のときと同じように嬉しいか?」
「な、何を言っている。貴様が好いているのは私ではなく兄さ―――」
ぷつん、と言葉を途切れさせたルキアは、両手で口元を覆いながら、慌てて謝罪の言葉を口にした。
「……す、すまぬ。その…実は……」
歯切れ悪くわけを話そうとするルキアを止めて、恋次はなるべくあっさりと聞こえるような口調で告げる。
「いや、いい。乱菊さんからもう聞いてんだ」
「なに? …そ、そうか……」
「ああ」
ほっとしたような、しかし同時に申し訳なさそうな顔をするルキアに、恋次はにっと笑って言った。
「それに、おまえにずっと隠し事してんのも、正直しんどかったしな」
「……そうか」
「ああ。だから結果オーライってことで。それに、オメーと一護のいい話も聞けたしな。報告してくれてありがとよ」
「あ、ああ…。…って、そうではなく!」
「へ?」
いい感じに纏まりかけた雰囲気を、持ち前のよく通る声で一撃にして粉砕したルキアに、恋次は何事だと目を見開き、忙しなくしばたく。
「違う! そうではないぞ恋次!」
「? 何が?」
「私の話はどうでもいいのだ!」
「はあ…? おまえから振ってきた話だろうが」
言っている意味がわからないと首を傾げる恋次に、どうやら今までの会話の流れは不本意だったらしいルキアは大きく首を横に振る。
「だから! そうではなく!」
もどかしげに机を叩くルキアに、恋次は落ち着けと宥めようとしたが、その隙さえなくルキアは言葉を次いだ。
「私は、嬉しかったのだ。一護からその……す、好きだと、言われて」
「? いま聞いたって」
「正直な話、私は一護のことをそのように意識したことがなかった」
「自覚なかっただけだろ。傍から見てりゃ丸わか―――」
「だが!」
「…聞けよ」
ルキアが何を言いたいのかわからないままに相槌を打っていた恋次だが、正直それがまったく相槌として成立していないようなので、苦言を呈するも口を閉じる。
「嬉しかったのだ。迷惑ではない。失望もしていない。間違っても、厭わしくなど思わなかった。だから―――」
息継ぎもせず、畳み掛けるように言葉を押し出していたルキアは、そこで一旦言葉を切る。ぐっと顔を歪めながら、続く言葉を恋次に投げかけた。
「だから、兄様も、きっとそのようにお思いになるに違いない」
「…!」
恋次は大きく目を見開く。唐突に出てきた名に驚きながらも、ああ、そうか、と思った。
ルキアは、これが言いたかったのだ。
恋次を呼び出したのは、最初から、自分の話などではなく、恋次のために。
だが―――その想いに、恋次は応えられない。
「……おまえと隊長じゃ、話が全然違うだろ。おまえは自覚ねえのかもしれねえが、おまえだってちゃんと一護のことを…」
「莫迦者!」
突然、言葉を遮られたかと思ったら、今日一番の大声で怒鳴られ、恋次はびくっと肩を跳ねさせる。
「確かに兄様と私などを比べるなど烏滸がましいが、見縊るなよ。貴様もまた兄様にとって大切な存在であるということは、いかに私と言えどもわかっている! わかっておらぬのは貴様だけだ!」
「いや、ルキア―――」
「それとも何か、仮にもし万が一私が貴様を好いていると言ったなら、貴様は私との付き合いをやめるのか? 私から遠ざかると言うのか」
「ば、馬鹿野郎! そんなわけ―――…ッ!」
恋次は仰天して、慌てて首を横に振る。
ようやく戻せたこの距離を。取り戻せた関係を。家族の手を。もう二度と、放すことなどありはしない。
たとえそれが『例え話』であったのだとしても、聞き捨てならない話だった。
「そうだろうとも。貴様はそういう男だ」
ふっと、ルキアが微笑む。
まるで、そう答えることなどお見通しだとでも言わんばかりに。
「そして、それはきっと、兄様も同じだ」
「………」
なぜそう断言できる、と先ほどのルキアではないがそう思う恋次の気持ちなど露知らず、ルキアは言葉を重ねていく。
「兄様に想いを告げたら遠ざけられるかもしれぬだと? 副隊長ではいられないかもしれぬと? たわけ! 兄様が貴様を副官としておそばに置いていることの価値を、貴様はまったくわかっておらぬ」
―――わかってるさ、そんなこと
それが、どれほどの奇跡であるのかを。
だからこそ、その場所を失うことが怖いんじゃないか。
その奇跡を知っているからこそ、あの人の部下で在りたいと思うんじゃないか。
「兄様は貴様を認めておられるのだ。貴様の代わりに兄様の副官を務められる者など、世界広しと言えどもどこにもいないのだぞ!」
恋次は困ったように笑った。…そして、笑えたことに、驚いた。やはり相手がルキアだからだろうか。
それにしても、どうにもこの幼馴染は自分を過大評価する。
彼の人が恋次に目をかける理由に、自分が含まれていることを、よもや知らぬわけではなかろうに。
「兄様が、貴様に告白されたくらいで、そう易々と貴様への態度を変えるものか。……私と一護の間に、そして私と貴様の間にあるように、貴様と兄様との間にも、誰にも代われぬ信頼と絆があるはすだ」
「………」
ない、とは言わない。ただ、ある、とも言えない。
わからない、というのが正しい。
こんなにそばにいても、あの人が自分をどう思っているのかは、わからない。
少しは認められているのだと思いたい。遠く届かない背を見ていたあの頃とは違うと信じたい。任される仕事も、雑談も増えた。先日の死覇装の一件のような、気遣いを受けるようにもなった。記憶がないため未だに信じられないが、泥酔した自分を迎えに来るという、そんなことまで、してくれたという。
それでも、あの人にとって自分がどんな存在なのかは、未だにわからないままなのだ。
「想いを告げるのに、不安がないはずはない。みな誰しもが抱く想いだ。叶わないなら、いっそ告げずにいようと思うのも最もな話なのかもしれぬ。だから、受け手の私が偉そうに言えることではないが…」
「……………」
ルキアが言いたいことはわかっている。
散々悩んで、色々と考えて、その上で、恋次の背を押そうとしてくれているのだろう。進めと、応援しようとしてくれているのだろう。
亡き姉を今なお愛している兄の姿を、知りながら。
その事実を嬉しく思う己を、律しながら。
そんな彼女を、強いと思う。羨ましいとも思う。ありがたいと思う。そして―――申し訳なく、思う。
後悔の少ない道を選んでほしい、と乱菊に言われた。
そして、自分にとって後悔の少ない道を、考えた。
あれからずっと。
よく、返事は要らないという、告白がある。
叶わないことはわかっている。
ただ、想いを知ってほしかっただけなのだと。
だが、そんなもの―――…ただの自己満足でしかないだろう。
告げられた相手がどう思うのか、断るためにどれほどの労力が必要なのか、なんて考えもしない、自分勝手で、自己満足な、一方的な話。
知らない方がいいに決まっている。
上司と部下、だけでは説明できない信頼を、実に都合の良い『仲間』という二文字で塗り固めて、自分の想いは『憧憬』なのだと貴方に嘘をついて。
それでこの距離が手に入るなら、それはきっと、見ようによっては何よりも贅沢な幸せだ。
あなたの横に立つことを許される、この場所が。
―――最期まで、自分の居場所だ。
そう、決めたのに。
「一護がな、そう言うものだから」
「……一護が?」
ルキアの口から出た友人の名に、恋次は訝しげな顔をする。……なぜ、ここで、一護の名が出てくるのだ。
ルキアはうなずいて言った。
「ああ。今のはほとんど一護の受け売りだ。私が、兄様がどのように思うかわからぬと悩んでいたら、あやつが言ったのだ。自分から告白を受けてみて、それで私が感じたものが、兄様が感じられるものなのではないか、と」
「なッ…」
恋次は唖然として目を見開き、言葉を失う。
それでは。一護は。
ルキアにそれを教えるために―――そのためだけに、告白したというのか。あれだけ踏み切りがつかずに躊躇っていた、あの男が。
―――自分の、ために。
馬鹿じゃないのか、と思う。
あれだけ大切に育ててきた想いを、そんなタイミングで。
もっといい具合の機会なんて、たくさんあったはずなのに。
「馬鹿だろ…あいつ……」
「そうとも。一護は莫迦だ。まったく、色気もへったくれもない告白だったぞ」
うなずいて、ルキアはくすくすと笑う。それでも、嬉しかったのだと、そう迷いなく恋次に応えていたから、この二人は大丈夫だろうと思えた。
「そしてな、私も莫迦だ」
「…え?」
にやり、と不敵な笑みを浮かべてそう高らかに宣言するルキアに、恋次は困惑の声を漏らす。
「いつまで小さく縮こまっている。恋次。貴様は、足を踏み出すのを恐れるような、そんな情けない男ではなかったはずだぞ」
「ルキア…」
「前へ進め。恋次。立ち止まるなど貴様らしくもない。なに、兄様は貴様とは違って大変に心の広いお方だ……貴様の想い程度、容易く受け止めてくださるだろう」
その言葉が、ルキアにとっての最上の思い遣りであることくらい、如何に粗野な恋次とてわかる。―――わかって、しまう。
恋次は顔を歪めた。
違う。あくまでも、俺は…――――副官だ。
副官でしか、ないのだ。
―――ああ、ダメだ
その奇跡を知っているくせに、どうしてそこに止まれない。
部下として、これ以上あの人に近い席はない。流魂街の出である恋次が、果てしなく雲上のあの人の隣りにいる。有り得ないことだ。奇跡と呼んでもまだ足りないほどの巡り合わせなのだ。それなのに。
どうして、その先を願ってしまう。
踏み出した道の先に、何もないことくらい、わかっているはずなのに。
手を伸ばした先が空であることくらい、わかっているはずなのに。
失うものの方が多いことなんて―――火を見るより、明らかなのに。
―――馬鹿野郎……
うつむいて、恋次はぎり、と歯を食いしばる。
まったく、どいつもこいつも……
どうしてこう、負け犬の背を押すようなことを言うのか。
どうして―――…とうに消したはずの感情を、こんなにも掘り起こしてくるのか。
この気持ちを、認めてほしい、なんて。
どうして、いまさら、こんな想いが湧き上がるのだ。
「なあ……恋次。誰かを好きになるということは、罪かな」
恋次は答えなかった。―――答えられなかった。しかし、恋次が顔を上げずとも、ルキアの言葉は続いた。それはまるで、独白のようにも聞こえて、恋次はただ黙ってルキアの声を聞いていた。
「……私には、どうしてもそうは思えないのだ」
―――…俺、だって……
らしくもない、言葉だけれど。
誰かを、想うことが。
こんなにも苦しいなんて、知らなかった。
それは、とても――――
幸せに溢れたことなのだと、そう、思っていたのに。
雛森を見る、吉良を見て。
ルキアを見る、一護を見て。
なんてあたたかいものなんだろうと、そう、思っていた。
―――それなのに。
あの人の前に立つ度、恐ろしくなる。
触れたいと思う度、恐ろしくなる。
名を呼ばれる度、恐ろしくなる。
この想いが溢れ出はしないかと――――恐ろしくなるのだ。抑え切れずに、抱え切れずに、この目に映る世界を押し潰してしまわないかと。
それは、まるで、心を侵食する毒のようで。
恋、なんてものとは、似ても似つかない―――…
「―――おまえには、胸を張っていてほしい」
「……!」
降ってきた言葉に、恋次は目を見開く。
「申し訳なくも、苦しくも、思ってほしくはない。誰よりもおまえ自身が、おまえの想いを否定しないでほしい。たとえ世界中の誰もがおまえを詰っても、おまえだけは、自分を責めず、自分の想いを誇ってほしい」
はっと、顔を上げた先に映ったのは、不敵に微笑むルキアの顔。……そうだ、彼女は、いつもこうして―――…
「まあ、私がいる時点で、おまえが独りになることはないがな!」
得意げにそう言い放つ幼馴染は、ひどく、眩しく見えた。その声に、言葉に、笑顔に。自分は何度救われたことだろう。
「私だけではない。私も、一護も……そして松本副隊長だって。みんな、おまえの味方だ。たとえおまえが否定したって、私たちが肯定してやる」
「ルキア…」
ようやく声を漏らした恋次を認めると、ルキアはにやりと笑い、先ほどまでとは打って変わった調子で「…そもそも!」と高らかに言った。あまりのトーンの違いに、思わず恋次はびくっと肩を跳ねさせる。
「あれほどに素晴らしいお方である兄様と、文字通り四六時中行動を共にするという何とも羨まし―――ああいや腹立たし……じゃなく、名誉ある席に居るのだ。よくよく考えれば、心奪われぬ方が無理というものだろう!」
恋次は、ぽかんとしたあと、ぐっと歪みそうになる顔を慌てて抑えた。その気遣いが心に苦しい。嬉しいのか、泣きたいのか、よくわからない心地になる。
恋次は、精一杯の力でルキアを茶化した。
「………何回…言い直してんだよ……本音ダダ漏れだっつーの……」
「う、うるさい!」
ぱっと赤くなったルキアに、恋次はようやく笑みを零す。
その様子を見たからか、ルキアは肩の力を抜いたようにふっと安堵の息をつく。そして、瞼を伏せて、ごく穏やかな調子で言った。
「……何も変わらぬよ。何があろうとも、どんな結果になろうとも、貴様が兄様と積み重ねてきたものは、けっして」
耳馴染みある、力強く聞こえる声は、心を震わせる。
その言葉に、いったいどれほど救われることか。
―――ありがとう、と。
それを直接言えるほど、自分は素直な性分ではなくて、恋次はただ黙って視線を落とす。
その言葉を、ただ無性に、信じたいと思った。