はなのあめ ― 花の雨 ―
「………」
「……………」
連絡もなく突然やって来たかと思えば、歯切れ悪くだんまりを通していたルキアがようやく一護に用件を吐露したのは、そろそろ夕日も沈もうかという頃だった。
「……―――そういう…わけなのだが……」
悄然とした様子でぽつりぽつりと一護の元を訪れた理由を話したルキアに、一護は長い沈黙のあと、気まずい空気を纏いながら口を開く。
「………それ、俺に話しちまってよかったのか…?」
「しっ、仕方なかろう! わ、私ひとりでは対処に困るのだ…」
「そうは言ってもな…」
こうして秘密というのは広まっていくのだろうなと、一護は的外れな感想を抱く。これで何かの拍子に一護が誰かにこの話を漏らしたとしたら、そこからまた秘密は広がっていき、そのうち秘密と呼べるものではなくなっていくのだろう。
「おまえ、相談する相手間違えてねえか? 俺が何の役に立つんだよ」
「わ、私とて、貴様がこのような類いの話に詳しいとは思っとらんわ!」
「それがわかってて何で話した」
一護がため息をつくと、ぐっとルキアは言葉に詰まる。
「……恋次のことを考えれば、迂闊に人に相談するわけにもいかぬ。かと言って私ひとりで何かあやつの力になれるわけでもなし…。私と恋次に近しく、かつ信が置ける者と言えば、自ずと限られてくるだろう」
「そりゃ光栄だけどよ…。それでわざわざコッチ来たのか? つーかおまえ、死神は尸魂界と現世を好き勝手に移動はできねえって前に言ってなかったっけ?」
来訪からずっと気になっていたことを尋ねれば、ルキアはぎくりと肩を揺らした。
「そ、それは、だな……。私が、暫く顔を見ていないが一護の様子はどうだろうかと会話の最中に零したところ、浮竹隊長がご厚意で穿界門の通行手配をしてくださったのだ。そういうわけで、形式上は公務ということになっている。題して『黒崎一護の生存確認及び現状報告』の任務だ」
「甘すぎだろ浮竹さん…」
一護の部屋に押し入り昼食をたらふく食べた挙句、口を開けば幼馴染の恋愛相談をするこれのどこが公務だと言うのだろう。職権乱用とはこういうことを言うのではないか、と一護は思ったが、ルキアが持ってきた話の内容が内容なので賢明にも黙っていた。
「…ちなみに浮竹さん、この話は?」
「莫迦者、知っているわけがなかろう」
「……だよなあ…」
これがどこぞの女性隊士に懸想してますとかいう話だったらルキアもこんな深刻な顔をする話題ではないのだが、この話を聞けばまず誰もが一護と同じことを思うだろう。
―――相手が……あの…白哉かよ……
別に、白哉が悪いとかそういうわけではなく、不器用で見えづらいが非常に愛情深い男であることも一護は知っている。後から第三者経由で知らされることの方が多いが彼には何かと世話になっているし、仲間として信頼もしている。だから白哉自身に問題があるわけではない。…―――ない、のだが。
一護と同様に沈黙を落とすルキアもまた、同じ気持ちなのが明白な顔で唸っている。
現世では尸魂界ほどセクシャルマイノリティに理解がないとはいえ、一護はそこまで他人の趣味についてとやかく言う性格ではない。別にそんなのは個人の自由だし好きにしてくれ、といった考えだ。ルキアから話を聞いて初めて実感する形となったが、意外に抵抗も感じない。
何より、口にすることこそないが、恋次は大切な友人だ。何度も死線を共に潜り抜けてきた戦友でもある。彼が選んだ相手ならば、男だろうが女だろうが祝福するだろう。だから今回ルキアが持ってきた話も、表面だけ聞けば応援することはまったく吝かではないのだが、しかし、こればっかりは相手が悪すぎると思わざるを得ない。ちょっと無謀とかいうレベルの話ではない。
―――それに確か、白哉って奥さんいたよな…?
もう随分と昔に死別しているらしいとはいえ、ルキアに対する過保護というか不器用というか、とりあえず大切にしているのだろうということが丸わかりな態度を見れば、その繋がりをつくった妻への想いは透けて見える。
何という難儀な相手に、と思ってしまうのも仕方ないだろう。
「どうしよう…」
「いや、どうしようっつってもよ……これ俺らがどうこうできるような話じゃねえだろ…」
頑張れと言うのは簡単だ。想いを告げろと背を押すことも。しかし、その結果の責任を取ることはできない。恋次が今の関係を壊したくないと、このままでいいと思っているなら、それを壊す権利など一護たちにはないのだ。
「どうしようって言えるのは白哉だけだぞ。……あくまでも告白されたらの話だけど」
「そうではない! そうでは…なくてだな……」
ルキアは普段つり上がった目をすっかり下げて、ひたすら困り果てたように項垂れて言った。
「私は、恋次を応援してよいものかと困っておるのだ」
「応援なあ…」
その言葉の意味するところを図りかねて、一護はつぶやく。
「恋次は家族だ。できるならば応援してやりたいし、相談にも乗ってやりたい。ひとりで抱え込むなどただの莫迦のすることだからな、そんな莫迦にはちゃんと私がいてやらんと」
「……いいこと言ってるはずなのに何だろうこの感じ…」
どことなく恋次を莫迦だと莫迦にしたように聞こえるのは気のせいではあるまい。もしかして無意識なのだろうか。だとしたら怖い。
「……だが、兄様のお気持ちも考えてみろ」
今日一番の重苦しい声を受けて、一護は若干ふざけた方向へ行きかけていた思考を引っ張り戻す。深刻な問題には何かと現実逃避が付き物だが、しかし今はそんなことをしていい状況ではなさそうだ。
「まあ……白哉の奥さんって、おまえの姉貴だもんな…」
こくん、とうなずくルキアが、今日は何だかいつもより小さく見える。
「…兄様が今なお姉様を愛しておられることは明白だ。緋真姉様が亡くなられてから五十年以上、毎日欠かさず遺影に手を合わせておいでなのだから」
「……そんな情報なくてもおまえを見りゃわかるけどよ…」
妻の妹だからと、あれだけ大事にされているのだ。もちろんそれだけではないことはわかっているが、緋真という女性が白哉に及ぼす影響力は大きいだろう。本当にまったく何があの白哉をそこまで惚れさせたのか。大いに気になるところだがまさか本人に尋ねるわけにもいかない。
しかし五十年は長いよなあ、と一護は心の中で独り言ちる。人間なら半世紀だ。それだけ強く想い続けられる相手というのは、ほんとうにすごいと思う。たとえ寿命が果てしなくとも、薄命な人間と心が違うとは思わない。
「それを……嬉しいと、思う気持ちも、私には確かにあるのだ。記憶にないとはいえ唯一の肉親……その姉様が、愛されていたと、そして今も変わらずに愛されていると、そう知ることが幸福でないはずはない。だが……」
ぎゅっと、死覇装の裾を握る手は、随分と小さい。
その小さな手で、かつて盗みを働いていたと言っていた。生きていくため必死に、その手を汚してきたのだと。
一護にはわからない。
雨も風も通さぬあたたかな家があって、食事は一日に必ず三度出て、夜には湯を並々と溜めた風呂に入って、眠るときには太陽の光をいっぱいに浴びた寝具が共にいて。
そして、どんなときも、いつも―――家族がいた。
母を喪っても、父がいた。妹たちがいた。ひとりではなかった。
学校には友人がいて、ふざけたり、時には心配をかけたりしながらも、そこに流れる日々は平穏に過ぎていった。
当たり前のように物を学ぶ機会も与えられていて、本当に、恵まれた環境で育ってきたと思う。
髪の色が何だ、不良に絡まれるから何だ、そんなこと、彼女たちの生きてきた世界に比べれば、なんとかわいいものだろうか。想像することしかできないが、そう思う。
―――ルキアは。恋次は。
流魂街という、ひどく治安が悪いという街の更に下層で、共に肩を寄せ合って生きてきたのだという。
互いが互いを生かすために必要で、その存在に救われ続けたのだと。
だから、彼女は恋次を『家族』と呼ぶ。
「私は……恋次にも、幸せになってほしい……」
肩を震わせながらそう願う彼女の気持ちは、痛いほどにわかった。
自分に何ができる、と一護は己に問いかける。
約立たずなことなどわかっていると口では言いながら、それでも一護に吐露しなければいられなかったルキアの気持ちを、無下にはできなかった。
―――俺に、白哉の気持ちはわからねえ
ただでさえ普段から無表情で何を考えているのかわからないというのに、恋次から告白を受けた彼がどう思うかなんて想像できるはずもない。
だから、これから言うことが、彼女の力になるかどうかはわからない。誰かに助言―――しかも恋愛事の助言なんて柄でもないし、そもそも他人の気持ちを慮る云々といった類いの気遣いは大の苦手なのだ。
「ルキア」
ただ、何か力になりたいと、その気持ちに嘘はなくて。
これから告げる言葉にも、偽りはない。
一護は、すうっと息を吸い込んで、気づかれぬ程度の深呼吸で心を整えると、なるべくさらりと言葉を外に押し出した。
「おれ、おまえが好きだよ」