-一章- 墓守の霊は紫煙に融ける
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「それで、今回はご令嬢にも前線へ出てもらおうかと思っているわけですが。どうでしょう、庭師として〝葩〟は枯らしてしまわれませんでしたか?」
「はい、綺麗に咲いていますよ」
「へぇ、それは良かった」
この国の参謀長とやらは一々鼻で笑わないと言葉を発せない呪いにでもかかっているのだろうか。
退屈な会議。ふてぶてしい年寄りと部屋中を飛び回っても気付かない馬鹿。
お嬢が一度しか口を付けなかったカップの中を見て、茶葉が何かを予想するのにも早々に飽きた。
話の内容は右から左へと流してしまったせいでほとんど覚えていなかったが、ジャンパースカートの裾が揺れる音に顔を上げる。
「そういえば、様々な寵愛を受けてお育ちになったお嬢様はご存知ないかもしれませんが、護衛の一人も無しで屋敷の外を出歩くのは危険ですよ」
「お気遣いありがとうございます。けれど、そこまで世間知らずではありませんからご安心を」
扉を開いた彼女が手を差し出す。
嫌悪や嫉妬、入り混じる期待の圧で尖った視線を遮るように、その手を取った。
場を冷気が包んで、何人かが白い息を吐く。扉が閉まるよりも先に、何もない空間で踵が鳴った。
「喉かわいた」
「紅茶あったでしょ」
「そめさんが淹れたほうがおいしい」
「へー、わかんないけど」
無駄に広い廊下を気だるげに歩くお嬢の斜め上をふよふよと漂う。すれ違う使用人が腕をさすって当たりを見回した。
彼女と過ごす五度目の夏が、もう目の前に迫っていた。
ウィンドウベンチに腰掛けて読書に勤しむ彼女を、ベールに包むように冷気で覆う。
緩やかにカーブのかかった睫毛がゆったりと持ち上がって、視線の交わる瞬間が心地いい。存在肯定に近く、もっと静かで、生温い何か。
「寒いんだけど……」
「前線行くってやつ、本気?」
あの日から記憶が消えなくなった。身体もこれ以上透けることはなく、本当に彼女に命を握られた。と、思っていた。
契約によってコントロールがしやすくなったとは言え、デメリットは当然存在する。〝透明化〟における主なデメリットは〝寒さ〟だった。彼女が言うに、身体的な物よりも内側から来る悪寒のようなもの、らしい。それでも人間は長時間寒さに耐えられる生き物ではないから、試したことはなくともこのまま彼女を隠していれば、きっと殺せる。
現実から除け者にされたまま、誰にも知られず、ひそやかな心中。彼女はそれをわかっていて、冷たさに身を預けていた。そしてかくいう俺自身も、彼女に飼われて息をしている。
「弱いくせに」
「心配してくれてる?」
恐怖とも、情とも、どこか違う。
記憶の全てが廃棄されたから。紡がれる新しい記憶には、いつも彼女がいるから。
これは恋だの愛だの華々しいものの類ではなくて、それしかなかったから、あるべきようにそうなった。必然。いわば、彼女に世界を食べられたのだ。
扉に近づく足音を無視したまま「そのまま死ねばいいのに」と吐き捨てれば、彼女は青白い顔をふわりとゆがめて、「いっしょにいこうね」と笑った。
ノックが鳴っても、彼女は目を逸らさない。
「お嬢様ー?入りますよー……。あれ、ぐちさーん!お嬢様部屋にいなーい」
「えぇ?あー、みどりくんじゃね?なんか寒いし……」
「そういうこと?お嬢様ーいますー?」
後ろへ振り向く動作一つ止められない手のひらで、彼女を恨むつもりもないけれど、どこか埋まらない。埋まらないのに、空洞では無い。
「はぁ、行けば」
「みどりがそうしたいとおもうなら、私はいつでもいいよ」
冗談めかして目を細める。
ベールから滑り出る直前、靱やかなその指先は確かに、俺の頬を滑っていったと思った。
「バカなやつ……」
花弁のように積もるものの正体は、きっとまだしらなくていい。