Shredder
name
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「シンデレラ」
耳障りの悪い音がする。
手のひらに食いこんだ魔法の一欠片が、緩やかに赤を滴らせた。
「魔法で声でも奪われちゃった?でもそれは君じゃない」
返事は?俺のシンデレラ。
「……その名前で呼ばないで」
「ごめんごめん。その方が呼ばれ慣れてるかと思って」
へらりと笑って近付いて、その目の奥だけ冷えきって。
魔法使いが一歩進む度、土に混ざった夢の残骸がはらはらと舞って消えてゆく。
杖が少女の首に触れ、魔法使いの髪が月光に溶けた。
「舞踏会は楽しかった?」
「ええ、とてもね」
「そっか、よかった。じゃあ早く泣きやんで、俺と一緒に帰ろ」
「どこへ?私の家はここよ」
「へぇ、ここが?もう誰も住んでない」
「私が住んでる」
「お金だってあの人たちが全部持っていったでしょ、ここで餓死なんてされたら困るなぁ。君の器は姫にだって相応しいのに」
「じゃあなんで……!どうして、私は靴に選んでもらえなかったの……?もう片方だって、ここに、ここにあるのに……!」
「さっきまではね、ここにあった」
絶望が少女の瞼を優しく撫で、鴉が嘲笑うように羽を広げる。
喉に灰が詰まったように嗚咽を漏らして泣き噎せる姿に、魔法使いは肩をすくめた。
杖を下ろし、懐中時計を一度見て、足元に転がった二十日鼠を踏み潰す。
ローブを少女の肩に掛け、傷口に杖を振った。刺さったガラスが宙に浮き、零れ落ちた血液が少女の痩せた手に戻る。
三秒後には跡も残らず元通り。
「王子とのダンスが忘れられないなら聞くけど、この世に君と同じ足のサイズの人間が何人いると思ってんの。靴一つでろくに語らおうともせず自分の婚約者を選ぶような馬鹿が、君を幸せにできるだなんて俺には思えないな?」
「そんなこと……」
「君は俺と生きるべきだよ。××」
その言葉に息を飲んだ少女の手を取り、魔法使いは微笑む。
「俺はね、××が好きだよ。だから一緒にいてほしい」
少女の瞳孔が揺れて、口の中でかちりと歯が鳴った。
「お姉様たちがお城で暮らすことになった今、この屋敷は私が守らなきゃいけないの」
「守るって何を?姫になったお姉様が君を打首にするかもしれない。俺は魔法使いだからさ、君がこっちに来やすいように、頭の中をちょこっと変えることだってできる。ただ性格は記憶に由来するから、君を顔だけで見てない俺はそんなことしたくないんだけど」
ね、だからおいで。
魔法使いの声が反響する。
春風のような柔らかい声なのに、どこまでも冷たいそれが耳元で囁いた。
「こんな薄暗い森の中で一人きりなんて可哀想だと思わない?」
「可哀想なのは貴方のほうよ」
「ならそんな可哀想な俺のために一緒に来てよ。心優しいシンデレラ」
「だから、その名前で呼ばないで……」
「××、ね。わかってる。大人しく俺だけの女の子になってくれるなら、俺は君を灰被りなんて呼ばない。君の大切に想う人が、大切な君につけた名前で呼ぶよ」
それは甘い毒のように全身を巡る。
木々のざわめきだけが耳に届いて、俯く少女の髪を梳き、魔法使いはどこか確信めいて杖を仕舞った。
「俺の世界では、君はもう十二分に報われていいんだから」
涙の跡が残る頬を包みこむ両手は温かくて、思わず擦り寄りたくなるほど心地良い。
視界の端にちらつく黒い影が怖くて仕方がないはずなのに、気付けば首を縦に動かしていた。
「…………善人みたいなことを言うのね」
掠れた声で呟けば、月より眩しい笑顔が広がる。
「俺はいつだって本音しか言わないし、本気でそう思ってるからね。大好きだよ。これから先もずっと」
私もよ、とは返せなかった。
それでも彼は満足げに笑うから、胸の奥にまで破片が刺さったような気持ちになる。
裏切ったくせにと、騙したくせにと、そう言ってやりたいけれど、彼の言う通り、少女は彼に救われていた。
彼が差し伸べた赤い手に縋ってしまうほどに、少女の心臓に根を張った花は水に焦がれている。
優しすぎた心は、正義や嘘に疲れてしまった。夢の終わりを告げるように、鴉が鳴いている。
――鴉が羽ばたく。
空を覆う漆黒に、白い粒が浮かび上がる。
灰色の雲が月明かりを飲みこんだとき、少女の素足がふわりと箒にぶら下がった。
「……ごめんね」
冷えきった身体が、鉛色の世界に堕ちてゆく。
少女はもう何も考えたくなかった。
ただ、目の前の暖炉に手をかざしていたかった。どれだけ灰に汚れても、台所の灯りが壊れていても。
扉の位置も知らぬまま、恋も叶わぬまま、蜘蛛の巣に絡みついた愛へ手を伸ばして。