桜のころ

そういえば、私と龍司が出会った日も、今日みたいに桜が咲いていた。

出会いなんてそんなものかもしれない。
いつだって突然、目の前に降りかかる。


地元の大学を卒業した後、念願だった東京のデザイン会社に就職が決まった。
入社式の日、慣れないスーツに身を包み、履き慣れないパンプスで会場を探して歩き回る。
まだ少し肌寒い時期なのに、気がついたら汗だくになり見知らぬ土地を右往左往する。

溢れる人の波、田舎とは比べものにならないくらいに淀んだ空気、靴擦れでジンジン痛む足。
ふいに強烈な孤独を感じて立ちすくんでしまった。


どこ行くんや、ネエちゃん。


目の前に停まった一台の黒塗りの車。後部座席の窓から金髪の男が顔を覗かせている。


…東京は危ないところだから…

田舎の友達が別れ際に言っていた言葉が頭をよぎる。

それでも、しばらくぶりに生身の人間の声が聞けた嬉しさで、目的地のビルの名を告げた。

男はフンと鼻を鳴らし、


ネエちゃんのその細っそい足やったら、歩いたら30分はかかるで。

乗りや。


とドアを開けた。


車の中で、男は終始無言で煙草をふかしていた。
会場に到着し、礼を言って車を降りる私の背中越しに、男が声をかける。


頑張りや。


その声がとても優しくて。

思わず振り返り、名前を尋ねた。

男はガハハと豪快に笑い、


決めたわ。

ネエちゃん、ワシの女になりや。


 
それが龍司との出会い。


龍司は関西から東京に仕事で来ていると言っていた。
詳しくは聞いたことがなかったけど、危ない仕事をしていることは何となく感じていた。


近づいちゃいけない人だと分かっていたけど、どうしようもなく惹かれていった。


龍司は忙しい中でも毎日連絡をくれた。
私が龍司のことを考えていると、何故だか決まって龍司から連絡が来る。


今から会えへんか?


いつも私が会いたいと思うタイミングで、龍司は目の前に現れた。



一度だけ、龍司の背中を見たことがある。

初めて二人で過ごした夜。
月明かりに照らされたそこには、目を見開いた黄色い龍が一面に描かれていた。


なぁ。

今の仕事が落ち着いたら、一緒にならへんか。


きつく私を抱きしめながら、龍司は低い声で囁いた。


次の日の朝、目覚めるともう龍司はいなかった。
シンクに置かれたガラスのコップに、煙草の吸い殻がひとつ、残されていた。


それきり。龍司が私の前に現れることはなかった。

たった2週間の関係。

別れなんてそんなものかもしれない。
いつだって、突然に降りかかる。


しばらく経ってから、ニュースで龍司がヤクザの抗争に巻き込まれて死んだことを知った。


不思議と涙は出なかった。
そうなることも、そんな関係だったことも、始めから全部分かっていたような気がしていたから。



今年も桜が咲いている。
あの日と同じように美しく咲き乱れている。

見上げた空はどこまでも高く、青い。

ふいに暖かい風が吹き、花吹雪が舞った。


龍司、早く迎えにきて。


この空のどこかに龍司がいる。

それだけで私は、もう少しだけ生きていける。



…桜のころ 2020.3.31
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