はつ恋
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夢を見た。
遠い昔に終わったはずの恋の夢。
明け方の白いまどろみの中、やけに大きく響く時計の音。
目を開くと涙で濡れていた。
何故だか涙が溢れて止まらない。
どうして今頃こんな気持ちを思い出させるの。
遠い記憶の彼方に葬り去ったはずの恋。
長かった梅雨がようやく明けた、ひときわ暑い午後。
夏が来たら履こうと決めていたパンプスだったけど、案の定靴擦れがひりひりと痛み、履いてきたことを少し後悔した。
商談を終えてビルの外に出ると、照りつける日差しにふいに意識が遠のきそうになる。
ビルの狭間のスクランブル交差点。
横断歩道の向こうで信号待ちをする群れの中にひときわ目立つ姿を見つけた。
…冴島…くん?
あれからどれくらいの月日が経ったのだろう。
あの頃と随分風貌は変わってるけど、間違いない。
見間違えるわけない。
いろんな思いが一気に押し寄せて、痛いくらい鼓動が体を駆け巡る。
青に変わり縦横に動き出す人だかり。
突然すぎる再会に戸惑い一歩も歩き出せない。
人波に押されながら冴島くんが歩いてくる。
すぐに私を認めると、少し驚いた顔をした。
大きな体が横断歩道を渡りきり、目の前でぴたりと止まる。
照りつける日差しが大きな影で遮られた。
「……五十嵐か…?」
長らく呼ばれることのなかった苗字に、すぐには反応できなかった。
頷くと、すぐに人懐っこい顔が返ってきた。
相変わらずそんなふうに笑うんだね。
あの頃と少しも変わらない。
「久しぶりやな」
「うん」
「変わらへんな」
「そうかな」
「何年ぶりや」
「もう…30年…近くになるのかな?」
「そないになるか」
「冴島くんも、全然変わらないね」
「五十嵐も変わらへんわ。すぐ分かったわ。綺麗や」
鼓動が早鐘のように胸を打っている。
ずるいよ。
そうやって大事な言葉をさらっと言う。
そうやって、いつも心を惑わせる。
◇◇◇◇◇◇◇
冴島くんとは18歳の時、少しの間付き合っていた。
複雑な家庭で育った彼は自分のことはあまり話さなかったけど、彼のいつも遠くを見つめる澄んだ瞳が好きだった。
私がいくら背のびしても手の届かない場所を見ているようで、その瞳の奥にある場所を見てみたいと思った。
初恋、だったと思う。
とても好きで、好きすぎて、あの頃はそばにいることが苦しかった。
「元気そうやな」
大通りを一本入った路地に佇む小さなバー。
カウンターだけのその店で、彼はウイスキーをストレートで注文した。
「うん。冴島くん、東京に出てきてたんだね」
「ああ。あれっきりやったもんな、五十嵐とは」
…あれっきり
そう。最後に会ったのは今日みたいに暑い午後だった。
急に連絡がとれなくなった彼が、あの日突然目の前に現れた。
いつもとは明らかに違う殺気だった雰囲気を全身に纏って。
今まで見たことのない空っぽの瞳を見て、彼が知らないところへ行ってしまうんだろうと察した。
公園のベンチに座り、無言のまま渡された缶ジュースに口をつける。
膝の上で握りしめた缶を見つめながら、彼が口火を切るのを、気が遠くなるような思いで待っていた。
ふいに、張り詰めた空気が緩んだかと思うと、頭にふわりとした感触を覚えた。
顔を上げると、冴島くんの大きな手のひらがそこにあった。
「…すまん…」
たった一言残して立ち去る後ろ姿を、ただ見送ることしかできなかった。
冴島くんのその行為を、自分なりに理解しようとした。
あれが彼なりのさよならだったのだろう。
いつか来るかもしれない別れが今日来たんだ。
それが結論だった。
そう何度も言い聞かせた。
そうでもしなければ、心がバラバラになってしまいそうだった。
それからまもなく。
私は彼が極道の世界に足を踏み入れていることを知った。
◇◇◇◇◇◇
グラスを傾ける腕に、いくつもの傷がついているのが目に入る。
あれから冴島くんはどんな日々を過ごしてきたのだろう。
「冴島くん、なんか雰囲気変わったね」
「そうか?
まあ、あれからいろいろあったからな」
遠くを見ながら、グラスの中身を一気に煽る。
眼差しはあの頃と少しも変わっていないのに。
その瞳で、一体どんな世界を見てきたんだろう。
「結婚したんか?」
思いがけない言葉に、思わず左指を隠す。
「…うん。10年前…かな」
「そうか。ちゃんと幸せになっとったんやな」
「冴島くんは?」
「ワシか? ワシはずっと一人もんや」
そう笑いながら片手を上げ、バーテンに同じものをオーダーした。
…とくん と胸が鳴る。
…どうして?
どうして冴島くんは一人なの?
冴島くんのように思える人はいなかった。
どんな人も、冴島くんの面影を拭い去ることは出来なかった。
あなたを忘れるために、自分をどれだけ偽ってきたか。
冴島くんにはきっと分からないでしょう。
分かってる。
それは冴島くんのせいじゃない。
あまりにも理不尽な問答に、思わず笑いが込み上げる。
「なんや? おかしいか?」
「冴島くんは変わらないね」
「成長せえへんってことか?」
「冴島くんはそのままでいいよ」
「五十嵐も変わらへんやないか」
「私は、変わっちゃったよ」
…カラン
彼の前に置かれたグラスの氷が音を立てて崩れた。
「若かったんだね。私たち」
そう言ったきり、沈黙が包み込む。
………
思い出した。
あの日と同じだ。
今の私たちなら、この後、どうなるんだろう。
……?
唇に柔らかい感触を覚えた。
ウイスキーの香りに混ざって、あの頃とは違う、知らない香りがした。
「…すまん…」
顔を離し冴島くんは俯いた。
何も言えずに首を振る。
あの時、こうしてくれれば。
もっと早く、こうしてくれてれば。
今とは違う人生を生きてたのかな?
そんなこと、今さら考えても仕方がないのに。
◇◇◇◇◇◇
夢を見た。
遠い昔に終わったはずの恋の夢。
明け方の白いまどろみの中、やけに大きく響く時計の音。
目を開くと涙で濡れていた。
何故だか涙が溢れて止まらない。
隣を見ると、眠っている冴島くんがいる。
初めて見る穏やかな寝顔は不思議なくらい、あれほど思い焦がれた相手とは思えないほど、何故だか遠く、遠く感じた。
音を立てないように身支度を整えて、部屋を出る。
「…行くんか?」
背中越しに声が響く。
不思議に振り返ろうとは思わなかった。
「…冴島くん。ありがとう。」
押した扉が背中で音もなく閉まる。
静まり返った廊下に、下ろしたての踵の音だけが響き渡る。
…これですべてが報われる。
これでようやく終わらせられる。
ありがとう。
そして さようなら。
私のはつ恋
…はつ恋 2022.1.30
遠い昔に終わったはずの恋の夢。
明け方の白いまどろみの中、やけに大きく響く時計の音。
目を開くと涙で濡れていた。
何故だか涙が溢れて止まらない。
どうして今頃こんな気持ちを思い出させるの。
遠い記憶の彼方に葬り去ったはずの恋。
長かった梅雨がようやく明けた、ひときわ暑い午後。
夏が来たら履こうと決めていたパンプスだったけど、案の定靴擦れがひりひりと痛み、履いてきたことを少し後悔した。
商談を終えてビルの外に出ると、照りつける日差しにふいに意識が遠のきそうになる。
ビルの狭間のスクランブル交差点。
横断歩道の向こうで信号待ちをする群れの中にひときわ目立つ姿を見つけた。
…冴島…くん?
あれからどれくらいの月日が経ったのだろう。
あの頃と随分風貌は変わってるけど、間違いない。
見間違えるわけない。
いろんな思いが一気に押し寄せて、痛いくらい鼓動が体を駆け巡る。
青に変わり縦横に動き出す人だかり。
突然すぎる再会に戸惑い一歩も歩き出せない。
人波に押されながら冴島くんが歩いてくる。
すぐに私を認めると、少し驚いた顔をした。
大きな体が横断歩道を渡りきり、目の前でぴたりと止まる。
照りつける日差しが大きな影で遮られた。
「……五十嵐か…?」
長らく呼ばれることのなかった苗字に、すぐには反応できなかった。
頷くと、すぐに人懐っこい顔が返ってきた。
相変わらずそんなふうに笑うんだね。
あの頃と少しも変わらない。
「久しぶりやな」
「うん」
「変わらへんな」
「そうかな」
「何年ぶりや」
「もう…30年…近くになるのかな?」
「そないになるか」
「冴島くんも、全然変わらないね」
「五十嵐も変わらへんわ。すぐ分かったわ。綺麗や」
鼓動が早鐘のように胸を打っている。
ずるいよ。
そうやって大事な言葉をさらっと言う。
そうやって、いつも心を惑わせる。
◇◇◇◇◇◇◇
冴島くんとは18歳の時、少しの間付き合っていた。
複雑な家庭で育った彼は自分のことはあまり話さなかったけど、彼のいつも遠くを見つめる澄んだ瞳が好きだった。
私がいくら背のびしても手の届かない場所を見ているようで、その瞳の奥にある場所を見てみたいと思った。
初恋、だったと思う。
とても好きで、好きすぎて、あの頃はそばにいることが苦しかった。
「元気そうやな」
大通りを一本入った路地に佇む小さなバー。
カウンターだけのその店で、彼はウイスキーをストレートで注文した。
「うん。冴島くん、東京に出てきてたんだね」
「ああ。あれっきりやったもんな、五十嵐とは」
…あれっきり
そう。最後に会ったのは今日みたいに暑い午後だった。
急に連絡がとれなくなった彼が、あの日突然目の前に現れた。
いつもとは明らかに違う殺気だった雰囲気を全身に纏って。
今まで見たことのない空っぽの瞳を見て、彼が知らないところへ行ってしまうんだろうと察した。
公園のベンチに座り、無言のまま渡された缶ジュースに口をつける。
膝の上で握りしめた缶を見つめながら、彼が口火を切るのを、気が遠くなるような思いで待っていた。
ふいに、張り詰めた空気が緩んだかと思うと、頭にふわりとした感触を覚えた。
顔を上げると、冴島くんの大きな手のひらがそこにあった。
「…すまん…」
たった一言残して立ち去る後ろ姿を、ただ見送ることしかできなかった。
冴島くんのその行為を、自分なりに理解しようとした。
あれが彼なりのさよならだったのだろう。
いつか来るかもしれない別れが今日来たんだ。
それが結論だった。
そう何度も言い聞かせた。
そうでもしなければ、心がバラバラになってしまいそうだった。
それからまもなく。
私は彼が極道の世界に足を踏み入れていることを知った。
◇◇◇◇◇◇
グラスを傾ける腕に、いくつもの傷がついているのが目に入る。
あれから冴島くんはどんな日々を過ごしてきたのだろう。
「冴島くん、なんか雰囲気変わったね」
「そうか?
まあ、あれからいろいろあったからな」
遠くを見ながら、グラスの中身を一気に煽る。
眼差しはあの頃と少しも変わっていないのに。
その瞳で、一体どんな世界を見てきたんだろう。
「結婚したんか?」
思いがけない言葉に、思わず左指を隠す。
「…うん。10年前…かな」
「そうか。ちゃんと幸せになっとったんやな」
「冴島くんは?」
「ワシか? ワシはずっと一人もんや」
そう笑いながら片手を上げ、バーテンに同じものをオーダーした。
…とくん と胸が鳴る。
…どうして?
どうして冴島くんは一人なの?
冴島くんのように思える人はいなかった。
どんな人も、冴島くんの面影を拭い去ることは出来なかった。
あなたを忘れるために、自分をどれだけ偽ってきたか。
冴島くんにはきっと分からないでしょう。
分かってる。
それは冴島くんのせいじゃない。
あまりにも理不尽な問答に、思わず笑いが込み上げる。
「なんや? おかしいか?」
「冴島くんは変わらないね」
「成長せえへんってことか?」
「冴島くんはそのままでいいよ」
「五十嵐も変わらへんやないか」
「私は、変わっちゃったよ」
…カラン
彼の前に置かれたグラスの氷が音を立てて崩れた。
「若かったんだね。私たち」
そう言ったきり、沈黙が包み込む。
………
思い出した。
あの日と同じだ。
今の私たちなら、この後、どうなるんだろう。
……?
唇に柔らかい感触を覚えた。
ウイスキーの香りに混ざって、あの頃とは違う、知らない香りがした。
「…すまん…」
顔を離し冴島くんは俯いた。
何も言えずに首を振る。
あの時、こうしてくれれば。
もっと早く、こうしてくれてれば。
今とは違う人生を生きてたのかな?
そんなこと、今さら考えても仕方がないのに。
◇◇◇◇◇◇
夢を見た。
遠い昔に終わったはずの恋の夢。
明け方の白いまどろみの中、やけに大きく響く時計の音。
目を開くと涙で濡れていた。
何故だか涙が溢れて止まらない。
隣を見ると、眠っている冴島くんがいる。
初めて見る穏やかな寝顔は不思議なくらい、あれほど思い焦がれた相手とは思えないほど、何故だか遠く、遠く感じた。
音を立てないように身支度を整えて、部屋を出る。
「…行くんか?」
背中越しに声が響く。
不思議に振り返ろうとは思わなかった。
「…冴島くん。ありがとう。」
押した扉が背中で音もなく閉まる。
静まり返った廊下に、下ろしたての踵の音だけが響き渡る。
…これですべてが報われる。
これでようやく終わらせられる。
ありがとう。
そして さようなら。
私のはつ恋
…はつ恋 2022.1.30
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