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渡瀬さんはいつも、前触れもなく私の前に現れる。
ある時はオフィスのエントランスを出たとき、またある時は夜の献立を考えているとき、そしてまたある時は、眠りについている最中に。
私に彼氏がいることも分かっていて、何も知らない素振りで、いつもまっすぐな瞳を向けてくるから、私はどう見つめ返していいのか分からず目を逸らす。
そんな私を渡瀬さんは、束の間、抱きしめ、甘やかす。
今日ぬくもりを感じても、明日そのぬくもりを感じられるとは限らない。
渡瀬さんと出会ってから、人生とはそういうものだということを知った。
「なあ、けい、聞いてる?」
「あ、…うん。」
目の前の恋人が穏やかに笑う。
「親父もお袋も早くけいに会いたいって。」
「うん。来週仕事休みだから、ご両親に会う時間取ってもらおうよ。」
ぎこちない笑顔で返す。
結婚するなら、彼のような人だと初めから決めていた。
爽やかで、優しくて、誠実で。
まるで絵に描いたような理想の恋人。
何よりも私のことを一番に考えてくれる。
彼とならきっと幸せになれる。
そう。私はこんなに幸せなのに。
他に一体何を求めているというのか。
「あかん、辛抱できへん。」
ベッドに柔らかく押し倒され、耳にとろりと注がれるその言葉は、まるで呪文のようだ。
渡瀬さんが私を抱くとき、愛した痕跡を残すことは、決してない。
彼はいつも私の肌の上をただ漂っていくだけ。
「お前の全てが欲しいんや。」
耳朶を甘く囓りながら、深く。より深く突き立てるけれど、何ひとつ奪わない人。
彼が帰った後に残されるのはいつも、散らかった私の抜け殻と、がらんどうの部屋に響く時計の針の音だけ。
シーツの隙間で上がる体温に盛大に香る彼の香りでさえ、彼がいなくなる頃には煙のように消えてしまう。
いいように利用されているだけ。いわゆる都合のいい女なんだろう。
分かっていながら、離れられない。
なぜなら、彼のことを愛してしまったから。
もう、終わりにしよう。
こんな関係、いつまでも続けられるものじゃない。
彼にとって私は気晴らし程度のものでしかないのに。
現に、一度だって私の気持ちを聞いてきたことなどない。
彼は私を失っても傷つかない。
でも、私が渡瀬さんを失うことは耐えられそうにない。
本気になった方が負け。
こんな理不尽な関係、今日でキッパリ終わりにしよう。
携帯の着信を見ながら、そう決心していた。
その夜は、いつになく疲れた顔で私の部屋にやってきた。
「けい、こっち来ぃや。」
ソファに座った渡瀬さんは、私を呼び寄せ膝の上に座らせた。
サングラスを取り、私の髪を優しく撫でる。
「…お前、男おるんか?」
初めて、そのことに触れられた。
「…うん。知ってたんでしょ?」
「まあな。」
渡瀬さんの太い指が、重ねた私の指をゆっくりなぞる。
「…なあ、ワシのこと愛しとるか?」
思いがけない言葉に、思わず胸がトクンと鳴った。
何も言えずに、ただ大きな手を握りしめる。
…どうして今ごろそんなこと聞くの?
こんなに。
こんなにも愛してる。
言葉にならない思いが体中を駆け巡る。
答えの代わりに強く握りしめた手が、私の頬をなぞり、唇の上で止まった。
「…渡瀬さん、私…」
開きかけた唇を大きな親指で塞がれる。
問いかけるように見つめた私の瞳を真っ直ぐに見る。
これまで見た中で一番、澄みきった汚れのない瞳だった。
「けい、幸せになり。」
一言だけ、渡瀬さんはそう言うと私の体を離し、静かに部屋を出て行った。
渡瀬さん。
心の中で呼んでみる。
やっぱり、最後まで何の痕跡も残さない人。
私の心に、消えない思い出だけ残して。
渡瀬さん。
平凡な私の人生を彩ってくれた唯一の男 。
…touch you 2020.4.29
ある時はオフィスのエントランスを出たとき、またある時は夜の献立を考えているとき、そしてまたある時は、眠りについている最中に。
私に彼氏がいることも分かっていて、何も知らない素振りで、いつもまっすぐな瞳を向けてくるから、私はどう見つめ返していいのか分からず目を逸らす。
そんな私を渡瀬さんは、束の間、抱きしめ、甘やかす。
今日ぬくもりを感じても、明日そのぬくもりを感じられるとは限らない。
渡瀬さんと出会ってから、人生とはそういうものだということを知った。
「なあ、けい、聞いてる?」
「あ、…うん。」
目の前の恋人が穏やかに笑う。
「親父もお袋も早くけいに会いたいって。」
「うん。来週仕事休みだから、ご両親に会う時間取ってもらおうよ。」
ぎこちない笑顔で返す。
結婚するなら、彼のような人だと初めから決めていた。
爽やかで、優しくて、誠実で。
まるで絵に描いたような理想の恋人。
何よりも私のことを一番に考えてくれる。
彼とならきっと幸せになれる。
そう。私はこんなに幸せなのに。
他に一体何を求めているというのか。
「あかん、辛抱できへん。」
ベッドに柔らかく押し倒され、耳にとろりと注がれるその言葉は、まるで呪文のようだ。
渡瀬さんが私を抱くとき、愛した痕跡を残すことは、決してない。
彼はいつも私の肌の上をただ漂っていくだけ。
「お前の全てが欲しいんや。」
耳朶を甘く囓りながら、深く。より深く突き立てるけれど、何ひとつ奪わない人。
彼が帰った後に残されるのはいつも、散らかった私の抜け殻と、がらんどうの部屋に響く時計の針の音だけ。
シーツの隙間で上がる体温に盛大に香る彼の香りでさえ、彼がいなくなる頃には煙のように消えてしまう。
いいように利用されているだけ。いわゆる都合のいい女なんだろう。
分かっていながら、離れられない。
なぜなら、彼のことを愛してしまったから。
もう、終わりにしよう。
こんな関係、いつまでも続けられるものじゃない。
彼にとって私は気晴らし程度のものでしかないのに。
現に、一度だって私の気持ちを聞いてきたことなどない。
彼は私を失っても傷つかない。
でも、私が渡瀬さんを失うことは耐えられそうにない。
本気になった方が負け。
こんな理不尽な関係、今日でキッパリ終わりにしよう。
携帯の着信を見ながら、そう決心していた。
その夜は、いつになく疲れた顔で私の部屋にやってきた。
「けい、こっち来ぃや。」
ソファに座った渡瀬さんは、私を呼び寄せ膝の上に座らせた。
サングラスを取り、私の髪を優しく撫でる。
「…お前、男おるんか?」
初めて、そのことに触れられた。
「…うん。知ってたんでしょ?」
「まあな。」
渡瀬さんの太い指が、重ねた私の指をゆっくりなぞる。
「…なあ、ワシのこと愛しとるか?」
思いがけない言葉に、思わず胸がトクンと鳴った。
何も言えずに、ただ大きな手を握りしめる。
…どうして今ごろそんなこと聞くの?
こんなに。
こんなにも愛してる。
言葉にならない思いが体中を駆け巡る。
答えの代わりに強く握りしめた手が、私の頬をなぞり、唇の上で止まった。
「…渡瀬さん、私…」
開きかけた唇を大きな親指で塞がれる。
問いかけるように見つめた私の瞳を真っ直ぐに見る。
これまで見た中で一番、澄みきった汚れのない瞳だった。
「けい、幸せになり。」
一言だけ、渡瀬さんはそう言うと私の体を離し、静かに部屋を出て行った。
渡瀬さん。
心の中で呼んでみる。
やっぱり、最後まで何の痕跡も残さない人。
私の心に、消えない思い出だけ残して。
渡瀬さん。
平凡な私の人生を彩ってくれた唯一の
…touch you 2020.4.29