家へ帰った美桜は小さくため息を付き、自室ののベッドに座る。そのまま勢いよく横になれば、いつもつけている不格好な眼鏡が邪魔をした。

「いってぇ」

　眼鏡を外しベッド脇に置く。レンズのあるべき場所に一つずつ、カメラと液晶のついたまるでVR眼鏡のようなそれは年頃の少女がつけるものにしてはあまりにも無骨なデザインだ。

「やっぱだせぇな、これ」

　なんて言いながら今日のことを考える。美桜は、ヒーローなんて目指せないと思っていた。個性はまったくもって戦闘向きじゃないし、きっと自分は華々しい活躍なんてできやしない。幼い頃に発現したこの個性は、性質として現代社会での脅威になりうるものだからこそ監視はされているものの、特別強力なものだとは思えない。
　でも、だからこそ悔しかった。誰かにお膳立てされた未来に飛び込むのが、かつて憧れた世界だからこそ自分の足で走りたい。実力に見合わない、誰かに用意された道を歩むなんてことは御免だ。

　そんな風に思っていると電話が鳴る。誰からかと思いスマホを取れば、かねてより世話になっている叔父、消太からのよう。

「もしもし、消兄どうした？」
『……話を聞いた。鏡鵺がわざわざ俺に知らせにきたよ』
「そうか」

　美桜は言ったのかよあの野郎、なんて思いながらも消太の話を聞く。どうしてわざわざそれで電話をかけてきたのか、ということは彼女にはわからないが気にかけてくれているという事実が少し嬉しい。

「でも消兄、なんでかけてきた？」
『本当に、ヒーローを目指すのか』

　質問に返事はなく、逆に問われる。

「ったく、質問に質問で返すなよ。いつも合理性がどうの言ってんのに……」
『悪い、だが今は本当にお前の意思で目指しているのかを聞いている。今回の用件はそれだ』

　いつになく真剣な声で聞いてくる消太に美桜は答える。

「ああ、あたしの意思だよ。言われたからじゃない」

　消太だって知っているのだ、美桜の事情は。きっと先程、I,A.からもう少し込み入った話も聞かされたのだろう。彼の声色が淡々としつつもどこか不安げであることからもそれが読み取れた。

「……別に公安（あいつら）に言われたからじゃない。あたしがなりたかったんだ」
『……なら良いが。無理はするなよ』

　そう伝える消太の声色は無愛想ながらもどこか優しい。しかしまだ不安そうな彼に美桜はぽつりと呟いた。

「それにさ、あたし消兄みたいになりたかったんだよ。昔から」
『……そうか』

　だから少しだけ胸のうちを吐露する。美桜が憧れた、冷徹だけれども誰よりも優しいヒーローに。

「無愛想で人好きしそうにない感じの雰囲気だったけどさ。誰よりも人に向き合って、あたしのこともちゃんと見てくれて」
『ああ』

　少し照れ臭いものの、これが美桜の思いなのだ。彼は優しい、だからこそ美桜が望まないでヒーローを目指すと思われてしまったら最後、彼はきっと無理にでも別の道を用意しようとする。

「たまに動画になってる仕事の様子とかさ、目立たないけどかっこよかった。だからさ、ちょっと消兄の背中追いかけたくなったんだ」
『……そうか、なら良いんだ。それなら応援する』

　そして次の言葉を紡ごうとした瞬間、消太が言った。

『悪い、用ができた。話は後にしてくれ』

　プツンと通話が切られ、美桜は思わず顔をしかめた。

「うわ、マジかよ。まぁ忙しいなら仕方ないか……かけてきたのあっちだろうが」

　なんて言いつつも無駄話が多くなって言い忘れた用件を伝えるべくしてメールを送る。

“聞きたいことまだあったから明日朝行く、待ってて”

「……雄英、かぁ」

　メールを送り終えた後、噛み締めるように呟きながら美桜は雄英について調べた資料を並べる。行こう、なんとしてでも。目指すと決めた憧れの場所に。

「待ってろよ雄英。あたしの夢」

　そう言って美桜は、ヒーローになる（ゆめをかなえる）ための第一歩を踏み出そうと準備を進めるのだった。

　雄英高校、それは数多あるヒーロー科を持つ中でも最高峰に位置する超名門校である。
その入試試験は実技と筆記、両方で判定される。美桜は筆記に関しては問題ない。いや、完全にないと言ってしまうのは嘘になるが……ひとまず筆記試験は実技よりかは心配ないのは事実だろう。しかし、問題は実技の方だ。幼い頃から護身用にと叩き込まれた武術の心得こそあるが、いくら技術や筋肉をつけたとしても戦闘向きでない個性は雄英高校に受かりにくいという話を聞く。美桜自身もそのことは理解している。

「気休めにしかならねぇだろうけど……鍛えるか……？」

　既に同級生と比べて随分と恵まれている自信の体格と鏡の前でにらめっこをしながらそう呟く。ウエストだって細くはないし、吹けば飛ぶような乙女からは程遠い。むしろかなり筋肉質な、がっしりめの体つきだ。とは言え勿論不安はある。

「あー！もう！」

　しばらくぐるぐると思案したのち、美桜は考えるのをやめて枕に突っ伏す。

「……なるようにしかならない、か」

　結局のところそれしかない。そう結論づけた美桜はそのまま目を瞑り、いつの間にか眠りについた。

　翌日、早速だが美桜は自主的にトレーニングを始める。朝早く起き、学校へ行く前に近所の公園で軽くランニングを済ませると叔父の家へと向かう。雄英教師をしている彼は、きっと相談役にはうってつけだ。

「おーい、起きてるか消兄」

　制服に着替えて荷物を揃え、中学へ当校する準備を済ませた美桜は相澤消太宅へと押し掛ける。昔から親がいない日などはよく彼の家へと預けられていたものだ。

「美桜？　早いな、どうした」
　相変わらず殺風景な部屋に寝袋という状態で、ゼリーを朝食代わりに食べようとしている彼の姿に美桜は大きくため息をつく。これはメール読んでねぇな、なんて思いながらも用件よりも先に食事内容が目についた。

「朝メシくらいちゃんとしたの食えよ消兄。ったく、今作るから待っとけ」
「大丈夫だ、ゼリーなら10秒で食事ができる。それに……わざわざ作らせるのも悪い」
「あたしも食うから良いよ、あーもう。冷蔵庫の中までシケてんなぁ」

　ぶつくさ文句を言いながら美桜は台所に立つと手際よく調理を進める。今日は時間もあるし、ついでに弁当も作ってしまおうか。なんて考えつつフライパンを振る。

「で、どうしたんだ」
「まぁちょっとな」
「……鏡鵺に何か言われたか？」
「いや、そういうわけじゃなくてさ」
「ならいい」

　そんな会話を続けながらも、料理の手は止めずに動かしていく。

「ほれ、できたぞ消兄」
「ありがとう、お前の分だけでも良かったんだが」

　この人は何を言っているのだろうか、昔からそうだがあまりに衣食住に対して無頓着。食事なんて特に身体を作る大切なものであるというのに体が資本のヒーロー業を生業としている筈の彼は美桜にはちゃんと食べろと言ってくる割に自身の食事を進んでとっている場面など数えるほどしか遭遇したことはない。

「流石に台所借りてそれはない」
「そうか。で、朝から押し掛けてきて何の用だ？　用もないのに来ることは……まぁ、お前ならあるだろうが流石にこの時間だ。進路の話か？」
「ご名答、その通りだよ。消兄、メール読んでねぇな？　現役教師だし一応雄英のOBだろ？　実技の対策とかできないかなって」
「ふむ」

　消太は顎に手を当てて少しだけ考える。

「そうだな、お前の個性なら……」

　そこまで言って彼はぴたりと美桜の方を見た。

「あたしの個性なら？」

　期待を込めた目……眼鏡で隠れて見えないとは言えど、きっとそんな目をしているような態度でその言葉の続きを待つ。しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。

「実技の方はお前の個性なら何の問題もなく受かるだろうな」
「は？」

　思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「いや、どういうことだよ消兄」
「そのままの意味だ。俺もあまり詳しくは知らないし、無闇に試験の内容を話すつもりもない。受かるだけならきっとできるだろうな」

　勉強の方もしっかりできているならという話ではあるが、なんて言いながら消太は朝ごはんを食べ終える。

「どういうことだよ、あたしの個性はどう見たって戦闘向きじゃねぇのに」
「ああ、確かにそうかもしれないな」
「だったら……」

　なんかアドバイスとかくれよ、なんて言いたげな不満そうな表情をする美桜に消太は続ける。

「だが、システムには合致している。お前の個性ならかなり合理的にことを進められる筈だ」
「……」

　納得がいかない、という表情を浮かべつつも美桜は黙り込む。消太はその頭を撫でるとそのまま立ち上がった。

「俺はそろそろ出る。お前も遅れないようにしろ」
「わーってるよ、けち」

　美桜と消太は同時に玄関まで歩いていく。

「美桜」

　玄関を出た直後、美桜は消太に呼び止められる。

「俺はお前を応援する。お前が自分で決めたことだ」
「ありがと、いってきます」

　希望の進路が決まった中三の春。少し照れ臭くて、それでもとても嬉しくて。学校への道をかけていく。既に散りかけている桜の花が昨日よりも少し綺麗に見えた。