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お金ないよ
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次の日の夕方、家を出ようとした時に段ボールが届いた。送り主は昨日のモールになっていて、中身は見なくてもわかる。
中には、服というよりは布の塊が詰まっているのだろう。生活に必要な最低限のものしか置いていない私の部屋に、無機質な段ボール数個が置いてあると、まさしく貧困層の家だった。中には、私の月収を遥かに超える額の服や鞄が詰まっている。
この部屋にある中で最も高価なものが、あの吉田から送られてきたものなのだと思うと、少し気味の悪さを覚えた。
自分で購入した服や靴は、無造作に衣装ケースにしまってあった。この服を開封したら、この部屋はどうなるのだろう。
昔絵本で読んだようなお姫様の部屋とは程遠い、寂れたコーポに、真新しいキラキラした洋服が広がっている様子を想像して、少し胸が苦しくなった。
夕方、昼間の学生が帰った後に私は高校の門を潜った。夜間の生徒は大人も同年代も一緒くたにされて同じ授業を受けるので、自分が自然に馴染んでいる感覚がする。それが心地良くて、教科書をめくって普通の人と同じ顔をしていられるこの瞬間が、一番心安らぐのだ。
中年の教師が教室をぐるぐると回りながら、夏目漱石の小説を音読する声と、静かに床が鳴る音、シャーペンがルーズリーフの上を走る音だけが、静かな夜に響いていた。昼間、誰かが座っていた椅子に腰掛けて、静かにそれらの音を傾聴する。
穏やかで平和な日々というのはこういうことだろう。
ここには、私が風呂に沈められそうになったから悪魔をぶっ殺していることを知っている人は誰もいないし、先生だって、母親が闇金にお金を借りて蒸発したことを知らない。ここでの私は、ちょっと特殊な事情のある女子高生でしかなくて、社会の歯車になっているという安心感がある。
5時間目の途中で、担任の教師に呼び出された。職員室まで行ったら、面談室の鍵を持った先生と一緒に、狭い個室に入った。
一学期に二回くらいある進路についての話かな、と思って私は身構えた。
くだらない近況報告と世間話を五分くらいしたあと、先生はスッと真剣な表情で私の顔をみた。
「ミョウジさん、卒業後はどうするか決めてる?」
「卒業後……ですか」
明日のこともわからない私に、そんなこと聞かないでくださいなんてことは言えなかった。次に何を言っていいかわからず、俯いている私に、先生はこう言った。
「ミョウジさんは真面目だし、やる気があるなら大学に行ってもいいかなって私は思うんだけどね」
「大学ですか」
「あ、もちろん専門とか短大とか、就職って道もあるけどね」
「私、学校に行くお金なんてないです。多分、就職すると思います……」
口に出してみて、後悔した。まるで先生を突き放すような冷たい言葉が、自分の口から出たことに驚いた。
「……そっか、まぁでも、まだ時間があるし、いろいろ調べてみてね。私も学校にきた求人とかみておくから」
「はい、お願いします」
「次の日曜に近所の大学でオープンキャンパスがあるのね、資料あげるから、よかったら進学についても考えてみて」
先生から手渡された分厚い封筒を受け取り、私は教室へと戻る道を進んだ。
窓から月明かりが差し込んで、床がぼんやりと光って見えた。
信号が赤に変わって、横断歩道を渡り損ねた。チッと舌打ちしたくなったけれど、下品だと思ってやめた。こういう細かいことで人間の人格というのは形成されていくのだと思う。周りの嫌な人間ーー闇金のジジイとか、会社の無愛想な事務員とかーーと一緒になりたくないし、そいつらから影響を受けている自分を認めたくないからだ。
ここらは人通りが多くて、向かいにはマクドナルドがある。隣ではベビーカーを押した家族がいて、前には高校生くらいのカップルがいた。
巨大な広告や、ビッグイシューを売るホームレスがいて、投票を求めて叫ぶ政治家がいる。
もしかしたら、私はその中にいたかもしれないし、今頃カフェで彼氏とお茶をする日々も、あり得たかも知れない。と、そんなことを妄想してみる。
今日は完全に休みの日で、先生に勧められたところとは別だけど、大学を見てきた帰りだった。自分とは別の世界の人間が、ウジャウジャいて、みんなして将来への期待と平和な日々を享受する輝きに満ち溢れていて、自分がボロ雑巾みたいに見えたから悲しくなった。
携帯が震えると、悪魔を殺しにいかなくてはならない自分とは違って、みんな平気で夜も眠れる人なんだと、そういう格差を見せつけられて、何もかもが嫌になった。
同業者をみて安心するのは、自分より不幸な人がたくさんいるからだ。
自分より不幸な大人を見ると安心する。安心すると同時に、未来が怖くて目を塞ぎたくなる。
結局、信号が青に変わるまで、何もみないように目を閉じた。
人が動く気配を感じて目を開けると、私以外の全ての人間が、頭と胴体を切断された状態で転がっていた。
運よく助かったので、その場から逃げることにした。電車は止まっているだろうし(そもそも駅にいる人も無事かわからない)そこらへんにある自転車を借りて、私は全速力で家へと帰ることにした。よっこいしょとそれに跨ると、向かいから人影が見えた。
私はそれを、最初は悪魔かと思った。こんなに瞬時に大量虐殺をするなんて、悪魔しかいないし、他に誰も生き残っていないと思ったから、そうだと思った。
今日はオフだし、武器になるようなものなんてない。ああ、やばいかも。そう思った時にはもう、身構えていた。
「あ、ナマエ」
悪魔を呼び出そうとしたその時、その輪郭をはっきりと捉えた。
「……こんにちは。じゃ、もう帰るから、じゃあね」
それが自分のよく知った相手だとわかると、手短に挨拶を済ませて、帰ろうとした。けれど、それは許されなかった。勢いよく発進した自転車の目の前に、吉田は急に立ち塞がった。
「っぶな! ひくとこだったんだけど!」
急ブレーキをかけたので、こちらがこけそうになった。通せんぼするみたいに、あいつはその場を動かなかった。
「まぁまぁ、そんなに急ぐなよ」
「急ぐもなにも、ここにいたら危ないじゃん!」
今まさに、私の足元にも誰だかわからない知らない人の死体が転がっていた。この自転車だって、血がこびり付いていて、持ち主もわからない。悪魔が近くにいる以上、逃げるに越したことはないのに、なにをいっているんだろう。
「ってか、マジで危ないから! 逃げよ! 後ろ乗せてあげるし!」
ここにいるだけで、足がすくむような思いだった。もうこんなやつに構って殺されるくらいなら、一緒に逃げた方が絶対早い。気が動転してどうにかなりそうな私に、彼は水槽の中の魚を見るような目で見ていた。
「ナマエ」
「えっ!? もうなに!?」
「俺とお前で、あの悪魔やろうぜ」
「はぁ!?」
吉田が指さした先を見ると、得体の知れない刺々しい悪魔が、ビルの窓にくっついていた。
「嫌だ。今日非番だし。ってかあんなの相手に勝てるわけないし、公安案件でしょ、この悪魔」
私はわざわざ強い相手と戦うようなイカれた人間ではない。大事な休日だから、もう家に帰らせてほしい。
ペダルを踏み込もうとする私の肩が、グッと掴まれた。
「30万、あげる。非課税で」
私は自転車を地面に転がした。
中には、服というよりは布の塊が詰まっているのだろう。生活に必要な最低限のものしか置いていない私の部屋に、無機質な段ボール数個が置いてあると、まさしく貧困層の家だった。中には、私の月収を遥かに超える額の服や鞄が詰まっている。
この部屋にある中で最も高価なものが、あの吉田から送られてきたものなのだと思うと、少し気味の悪さを覚えた。
自分で購入した服や靴は、無造作に衣装ケースにしまってあった。この服を開封したら、この部屋はどうなるのだろう。
昔絵本で読んだようなお姫様の部屋とは程遠い、寂れたコーポに、真新しいキラキラした洋服が広がっている様子を想像して、少し胸が苦しくなった。
夕方、昼間の学生が帰った後に私は高校の門を潜った。夜間の生徒は大人も同年代も一緒くたにされて同じ授業を受けるので、自分が自然に馴染んでいる感覚がする。それが心地良くて、教科書をめくって普通の人と同じ顔をしていられるこの瞬間が、一番心安らぐのだ。
中年の教師が教室をぐるぐると回りながら、夏目漱石の小説を音読する声と、静かに床が鳴る音、シャーペンがルーズリーフの上を走る音だけが、静かな夜に響いていた。昼間、誰かが座っていた椅子に腰掛けて、静かにそれらの音を傾聴する。
穏やかで平和な日々というのはこういうことだろう。
ここには、私が風呂に沈められそうになったから悪魔をぶっ殺していることを知っている人は誰もいないし、先生だって、母親が闇金にお金を借りて蒸発したことを知らない。ここでの私は、ちょっと特殊な事情のある女子高生でしかなくて、社会の歯車になっているという安心感がある。
5時間目の途中で、担任の教師に呼び出された。職員室まで行ったら、面談室の鍵を持った先生と一緒に、狭い個室に入った。
一学期に二回くらいある進路についての話かな、と思って私は身構えた。
くだらない近況報告と世間話を五分くらいしたあと、先生はスッと真剣な表情で私の顔をみた。
「ミョウジさん、卒業後はどうするか決めてる?」
「卒業後……ですか」
明日のこともわからない私に、そんなこと聞かないでくださいなんてことは言えなかった。次に何を言っていいかわからず、俯いている私に、先生はこう言った。
「ミョウジさんは真面目だし、やる気があるなら大学に行ってもいいかなって私は思うんだけどね」
「大学ですか」
「あ、もちろん専門とか短大とか、就職って道もあるけどね」
「私、学校に行くお金なんてないです。多分、就職すると思います……」
口に出してみて、後悔した。まるで先生を突き放すような冷たい言葉が、自分の口から出たことに驚いた。
「……そっか、まぁでも、まだ時間があるし、いろいろ調べてみてね。私も学校にきた求人とかみておくから」
「はい、お願いします」
「次の日曜に近所の大学でオープンキャンパスがあるのね、資料あげるから、よかったら進学についても考えてみて」
先生から手渡された分厚い封筒を受け取り、私は教室へと戻る道を進んだ。
窓から月明かりが差し込んで、床がぼんやりと光って見えた。
信号が赤に変わって、横断歩道を渡り損ねた。チッと舌打ちしたくなったけれど、下品だと思ってやめた。こういう細かいことで人間の人格というのは形成されていくのだと思う。周りの嫌な人間ーー闇金のジジイとか、会社の無愛想な事務員とかーーと一緒になりたくないし、そいつらから影響を受けている自分を認めたくないからだ。
ここらは人通りが多くて、向かいにはマクドナルドがある。隣ではベビーカーを押した家族がいて、前には高校生くらいのカップルがいた。
巨大な広告や、ビッグイシューを売るホームレスがいて、投票を求めて叫ぶ政治家がいる。
もしかしたら、私はその中にいたかもしれないし、今頃カフェで彼氏とお茶をする日々も、あり得たかも知れない。と、そんなことを妄想してみる。
今日は完全に休みの日で、先生に勧められたところとは別だけど、大学を見てきた帰りだった。自分とは別の世界の人間が、ウジャウジャいて、みんなして将来への期待と平和な日々を享受する輝きに満ち溢れていて、自分がボロ雑巾みたいに見えたから悲しくなった。
携帯が震えると、悪魔を殺しにいかなくてはならない自分とは違って、みんな平気で夜も眠れる人なんだと、そういう格差を見せつけられて、何もかもが嫌になった。
同業者をみて安心するのは、自分より不幸な人がたくさんいるからだ。
自分より不幸な大人を見ると安心する。安心すると同時に、未来が怖くて目を塞ぎたくなる。
結局、信号が青に変わるまで、何もみないように目を閉じた。
人が動く気配を感じて目を開けると、私以外の全ての人間が、頭と胴体を切断された状態で転がっていた。
運よく助かったので、その場から逃げることにした。電車は止まっているだろうし(そもそも駅にいる人も無事かわからない)そこらへんにある自転車を借りて、私は全速力で家へと帰ることにした。よっこいしょとそれに跨ると、向かいから人影が見えた。
私はそれを、最初は悪魔かと思った。こんなに瞬時に大量虐殺をするなんて、悪魔しかいないし、他に誰も生き残っていないと思ったから、そうだと思った。
今日はオフだし、武器になるようなものなんてない。ああ、やばいかも。そう思った時にはもう、身構えていた。
「あ、ナマエ」
悪魔を呼び出そうとしたその時、その輪郭をはっきりと捉えた。
「……こんにちは。じゃ、もう帰るから、じゃあね」
それが自分のよく知った相手だとわかると、手短に挨拶を済ませて、帰ろうとした。けれど、それは許されなかった。勢いよく発進した自転車の目の前に、吉田は急に立ち塞がった。
「っぶな! ひくとこだったんだけど!」
急ブレーキをかけたので、こちらがこけそうになった。通せんぼするみたいに、あいつはその場を動かなかった。
「まぁまぁ、そんなに急ぐなよ」
「急ぐもなにも、ここにいたら危ないじゃん!」
今まさに、私の足元にも誰だかわからない知らない人の死体が転がっていた。この自転車だって、血がこびり付いていて、持ち主もわからない。悪魔が近くにいる以上、逃げるに越したことはないのに、なにをいっているんだろう。
「ってか、マジで危ないから! 逃げよ! 後ろ乗せてあげるし!」
ここにいるだけで、足がすくむような思いだった。もうこんなやつに構って殺されるくらいなら、一緒に逃げた方が絶対早い。気が動転してどうにかなりそうな私に、彼は水槽の中の魚を見るような目で見ていた。
「ナマエ」
「えっ!? もうなに!?」
「俺とお前で、あの悪魔やろうぜ」
「はぁ!?」
吉田が指さした先を見ると、得体の知れない刺々しい悪魔が、ビルの窓にくっついていた。
「嫌だ。今日非番だし。ってかあんなの相手に勝てるわけないし、公安案件でしょ、この悪魔」
私はわざわざ強い相手と戦うようなイカれた人間ではない。大事な休日だから、もう家に帰らせてほしい。
ペダルを踏み込もうとする私の肩が、グッと掴まれた。
「30万、あげる。非課税で」
私は自転車を地面に転がした。