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お金ないよ
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初陣は最悪だった。
言われるがままに契約させられた悪魔はわたしの言うことを聞かない。呼び出したが最後、わあ! 人体ってここまで曲がっても平気なんですね! ってくらい好き勝手に体を動かされてしまった。
契約上、わたしはそれに文句を言うことができない。聞くに、悪魔との契約で臓器やら五感の一部を奪われてしまうこともあるらしい。だから、わたしとこいつの契約における代償は、それらに比べると微々たるものなのだ。
わたしの雇い主は、「こいつと契約できる相手は非常に限られているから喜べ」と言った。だから、恨みつらみを述べるよりも、わたしはこいつに感謝しなければいけないらしい。なんてことだ。
全てが終わった後には、全身の関節の節々が悲鳴をあげていた。一般女子高生の体は、そこまで頑丈にできていないということを、この悪魔は知らない。
目を閉じて、体を任せればよかったのだろうか? わたしは自分の意志で動かせなかった自分の四肢を眺めながら、ミンチ・肉団子・スプラッタ全開でぶっ倒れている足元の何かの悪魔に目線を寄せた。
──やっと、殺せた。
既に事切れ、動かぬ屍体は、なかなかにショッキングな様相をしているので、あえて多くは語らない。
そんなものを置きっぱなしにしておくのは忍びないが、きっと、後から誰かが回収してくれる、はずだ。
それからおそらく、中抜きに次ぐ中抜きの果てに、わたしの銀行口座に数万円──下手したら数千円の金額が振り込まれているはず。死闘を繰り広げたにしては少なすぎる金額だ。
命を張ったのに、これかよ! と叫んでみたくなる。ただ、変人だと思われたくないから黙っているだけだ。世間体というものは、結構大事なのだ。そのおかげで、今まで職務質問というやつに引っかかったことはないし、家だって借りることができる。
ノロノロと、わたしは電話ボックスに入る。事務所に報告の電話をかけなくてはいけないからだ。ポケットを弄る──が、小銭が足りない。
背筋を嫌な痛みが走った。
ありとあらゆるポケットや鞄の中身をひっくり返すが、一円玉一枚も持っていなかった。
電話は義務なので、小銭を切らしてはいけないと教えられていた。
仕事を報告しないと、金は振り込まれない。
そういうルールになっているので、今のわたしは内心ものすごく焦っている。顔ではなんでもないってふうに取り繕っているけれど、心の中は爆発寸前だ。
心臓がバクバクと音を立てる。テスト終了五分前の気持ちと同じだ。
足元に小銭が落ちていないか、運よく未使用のテレカが地面に落っこちていないか確認するけれど、それらしきものは全く見当たらなかった。
参ったなあ、と冷静なふりをして首をかいた。
けれど、天がわたしに味方することはなく、事態は一向に良くならず、益々不安が募るばかりだった。
どうしてわたしはこうも運が悪いのだろう。いや、超絶幸運児であったのなら、今頃わたしはこんなところに立っているわけもない。つまり、これは起こるべくして起きたこと──?
受話器を持って固まっているわたしの背後から、声が聞こえてきた。
「あの、電話する気ないなら代わってくれます?」
後ろに振り返ると、一人の男が気だるそうに立っていた。わたしは黙って電話を彼に明け渡した。
ボックスから締め出される形になってしまったけれど、どこに行くわけにもいかないので、近くで立っていることにした。
電話をする気は、ある。でも、小銭がない。
原因は、小銭入れをどっかに落としてきたか、もしくは家に忘れてしまったかのどちらかしか考えられない。
向こうからしたら、早く利用したいのに電話もかけずに突っ立っている人がいたら迷惑ってことなのだろう。
だから、彼は何も悪くないのだ。悪いのは、わたしの運の悪さだけだ。
そんなことを考えながら、わたしは電話ボックスに入った男の背を見ていた。
こんなところにいるのだから、恐らく同業だろう。
武器らしい武器も持たず、服には汚れひとつ見当たらない。きっと、契約している悪魔が強力なのだろう。
いいなあ、と素直に思う。
ないものねだりは良くないと言われるけれど、自分に振り当てられた悪魔が、ハズレでもなければアタリでもないということを、素直に喜びたくはない。
──わたしはきっと、そこまで落ちぶれてはいないはずだ。
という風に偉そうなことを考えている傍で、恥ずかしいけれど、また自販機の下に手を伸ばし、小銭が落ちていないか確かめた。
予想通りというか、やっぱり、何もない。
もう家まで帰って、近所の公衆電話を使った方が早いかもしれない。でも、ここから家までは相当時間がかかる。すぐにでも連絡を入れないといけないのに、これじゃあ間に合わない。
わたしがあたふたしている間に、どうやら彼は通話を終えたらしい。電話ボックスから出ていく姿が見えた。
他に人もいないし、この人にお金を借りる──そんな考えが浮かんだけれど、すぐに振り払った。借りたところで、返せる確率は低いし、第一、知らない人に十円でもたかるなんて……
「あの、すみません。もしかして小銭持ってないんですか?」
ふと、声がした。
つい最近聞いたことのある声は、あの男性から発せられたものだった。
「あ……はい。そうなんです。今すぐ事務所に連絡を入れないといけないんだけど、困ってて……」
自分の状況を的確に言い当てられて、驚いた。その隙に、わたしの口からは素直な言葉はこぼれ落ちた。こんなことを、言うつもりじゃなかったのに。
「じゃあ、これだけあれば大丈夫ですよね?」
彼の掌に乗っていたのは、十円玉が五枚ほどだった。そんなにいらないですよ、と言う代わりに、わたしはコクリと頷いた。
「いいんですか──いただいても?」
「困っているときは、お互い様なので。それよりも、急いで電話した方がいいんじゃ……」
「あ、ああ、そうでした。ご親切にどうも、ありがとうございました」
天からの恵み、人の親切というものに久方ぶりに触れたので、思わず泣きそうになった。目の前の男に、後光が差しているように感じられた。何度も頭を下げながら、わたしは電話ボックスに入り、好奇で震える指で番号を押した。これから何度も押す羽目になるその番号を、そのとき初めて押したのだ。
しばらく、人の優しさというものについて考えた。今までの人生、期待に裏切られ、人に冷笑され、親には見捨てられるという、それなりにヘヴィな経験をしてきたのだが、それでもわたしは、人に優しくされるということ、つまり人を信じる気持ちを捨てきれずにいたのだとわかった。
やはり、捨てる神あれば拾う神ありということなのだろう。
「──ハア、次からはもっと早くしてもらわないと、こっちも困るので」
禁煙の張り紙も虚しく、タールでベタベタした壁を背景に、事務員の男は、わたしの領収書を受け取った。
正直、この人の話なんて真剣に聞いちゃいない。わたしの脳内では、この前会ったあの優しい男性の顔だけがリフレインしていて、半分八つ当たりの小言も、どうでもいい雑音でしかないのだ。
「はい、おっしゃる通りですね」
メガネをかけた若ハゲの事務員に、脳内で組み上げた謝罪のレパートリーの中から選んだ適切な言葉を打って返す。こいつら全員、わたしの悪魔が本気を出せば一撃で死んでしまうのだから、本気で考える必要はない。
人が他人に優しくできるのは、余裕があるからだ。弱い人間ほど、他人に敵意をむき出しにする。この業界に入って、わたしはそれを痛いほど理解した。
悪魔を呼び出し、ちょっと体を預ければ、こいつらは全員、ミンチになる。
だから、どんなことを言われても平気。舐められていようが、どれだけの理不尽な仕事を割り振られようが、本気を出せば、こっちの方が有利に立てるのだから──悪魔の力を持っている人間に恨みを買われるなんて、かわいそうだ。むしろ、哀れにすら思えるくらいだ。
──逆に、これくらいに思えないと、やっていけない。クソみたいな大人に搾取されているという自覚があると、心の大事なところがすり減っていくからだ。
プライド──自尊心がゴリゴリと削られていって、最後の芯の部分が折れると、人間はどうなるんだろう。そうならないために、わたしは悪魔と手を組んだのかもしれない。
きっかけはどうであれ、これがなければわたしは今頃、考えたくもないような悲惨な目にあっていたかもしれないのだ。考えるだけで、身震いするような、そんなことに。
「次回からは、ちゃんとしてくださいね。事務処理するこっちの身にも──」
「ハイ、ハイ、わかりました」
適当に返事をして、事務所の入っている雑居ビルの階段をドタドタと駆け降りた。しかも、非常階段を。わたしみたいな、雇われ派遣デビルハンターは、中の階段を使うことも許されないらしいので、ガキガキと音の鳴る、錆びついた非常階段を駆け降りる。嫌がらせみたいに音を立てて、タバコの吸い殻を入れた空き缶を蹴飛ばして、わたしは地上へ降り立つ。
あの人は、今どこで何をしているんだろう。
いつか、ちゃんと会ってお礼を言いたいものだ。この仕事を続けていれば──できれば長い間続けたくないけれど、再会するチャンスもあるのかもしれない。
わたしはそんな期待をしていたけれど、現実はよくも悪くも、わたしに味方をした。 思えば、これが運命の分岐点であり、あいつとわたしの、そこそこ長くなる因縁の始まりだった。
あの日は確か、雨が降っていた。
わたしは学校の帰り道をぶらぶらと歩いていた。夜の繁華街は、夜遊びに向かう若者と、家路を急ぐサラリーマンでごちゃごちゃとしていた。人混みの雑踏を、傘をさしてかき分けながら進む。深夜のコンビニで、ちょっとした買い物もしたいなあ、なんて呑気に考えていた。
あたりは湿っぽくて、それ以外は特に危険な香りもしていなかった。香り、というのは物理的なものではなく、第六感的なやつだ。そういう匂いを嗅ぎ取る術を、わたしはほんの少しだけ身につけていた。
くるぞ、とわたしの中のわたしが囁く。
ドンドン、バリバリ、メシャメシャ
地面が、そんな音を立てて崩れた。地震ではない。でも、それくらいの衝撃がここら一帯に広がった。
──ああ、やっぱりだ。わたしは自嘲気味に口の端を動かした。自分の直感が当たる時ほど、嫌なことはない。気がつくときはいつも直前で、どうしようもないタイミングでやってくるのだ。
わたしは、その姿を確認する前に全速力で駆け出した。ボロボロのスニーカーでひび割れたコンクリートをふみしだいて、人々の中をかき分けて、逃げよう。そして、わたしだけでも生き抜こう。
それくらい、許されたいし。
だって、こいつら全員わたしよりも幸せだ!
なのに、いきなり方向転換をしたせいか、それとも不安定な足場のせいか、わたしの左足首はあらぬ方向に曲がった。そして、わたしはそのまま体制を崩して、地面と衝突した。疼痛を感じて、涙が出てきた。クソ、動け! 立って、走り出さないと……
あたりにはパニックで騒ぐ声、群衆が、わたしの体を辛うじて避けて逃げていく音。頭を強打したせいで、思考も朧げになっていく。誰も、わたしを助けてくれない。
わたしが驕ったせい? それとも、身勝手な思考を振り翳していたせい? 因果応報ってことか?
……それとも、ただ運が悪かっただけ?
最後まで、足掻いていようとしたけれど、無駄だったかもしれない。薄れゆく意識の中で、空虚な逃避に身を委ねれば、楽になれる。
でも、本当にそれでよかったのだろうか?
人生には、わたしのまだ知らない喜びや、幸福が溢れているのかもしれない。鉱山でダイヤを掘り当てる前に、死んでしまってもいいのか?
わたしの中で、よく知った声がそんな囁きで迫ってくる。確かに、その通りなのかもしれない。だけど、
──これは、いわば賭けだ。
賭け? 人生を、ギャンブルで決めるってわけ? そんな浅はかな──
浅はか? それでも、それこそがわたしの人生だ。
ここで死ねば、わたしは所詮それだけの人間だったということ。もし、助かったのなら、わたしはもう二度と現実から目を背けない、絶対に、生き抜いてやる。
どんな手段を使ってでも、生きなければいけない。それが、自分に打ち込まれた楔だ。
そんなわたしの声を聞き届けたのか、天はわたしに味方したのか、次に目が覚めた時、わたしは見知らぬ天井を見上げていた。それも、ベッドの上で。
「…………」
この時、自分に課せられた運命の枷というものを認知したのだと思う。
ああ、わたしはどうしたって、足掻いて足掻いて、最果てまで生き抜かないといけないんだ。そういう啓示が、降ってきたのだ。
わたしは神を信じない。所謂、信仰というものを持たないけれど、この時ばかりは強大な存在に人生を縛られているような、そんな気がした。
体を抱きしめると、薄い膜のしたで、心臓が動く鼓動を感じた。足に目をやると、湿布とテーピングの処置がされていて、素足を放り出していたことに気づいた。
きっと、ここは病院か何かなのだろう。辺りを見ると、カーテン越しに誰かの息遣いが聞こえた。それにしても、恐ろしいほど、静まり返っている。
頭に圧迫感を覚えたので、触ると包帯が巻かれていた。ちょっと力を込めると、傷が開きそうになった。体育の授業で転けた時に、こんなふうになったことがある。あの時の不快感を思い出して、わたしはなるべく頭を動かさないようにしようと、決めた。
激しく頭を打ったから、おそらくちょっと切れているはずだ。もしかしたら、何針か、縫ったのかもしれない。
周囲を注意深く観察しているのに飽きた頃、わたしのベッドのカーテンを乱暴に開ける音がした。
いきなりのことだったので、声も出なかった。もし不審者だったら、とりあえずナースコールを押すべきだと判断して、手でベッドの周りを弄った。咄嗟のことだったので、それくらいの判断しかできなかった。
「こんにちは」
そう言いながら、彼は後ろ手でカーテンをシャッと閉めてしまった。やけに慣れているように見えた。
わたしはベッドの上で、その顔を眺めてあんぐりと口を開けた。とても間抜けな表情をしていることだろう。目の前の男は、わたしがつい最近電話賃を借りた男だったのだ。
さも当然のように、彼はベッドの横に置いてあった椅子に腰をかけた。
わたしはもう、何がなんだか理解ができなくて、ただ黙っているしかなかった。
何かしらのアクションを期待されていることはわかるけれど、そのまえにちゃんと説明をしてほしい。
どうしてここにいるのか。なんでわたしがここにいることを知っているのか。聞きたいことは山ほどあった。
「思ったよりも怪我、ひどくなくてよかった」
わたしが、自分の容態にショックを受けているとでも思っているのだろうか。正直、ベッドに寝かされるほどか? と自分でも思うけれど。
「……なんの用で、来たんですか」
「いやちょっと、気になって」
「気になって?」
「え、覚えてない?」
「なんのこと……ですか?」
「……いや、さっきのこと」
「足を捻って……多分、倒れたこと?」
「ええ?」
どうやら、この人とわたしの認識は全く噛み合っていないようだ。
向こうは眉を顰めて、何やら考えているようだった。わたしはわたしで、彼が何を思ってこんなことを言っているのか必死に頭を動かして、考察している。
「──もしかして、覚えていない?」
「そうかも、しれないですね」
彼が言うに、先日(わたしが寝ている間に、結構な時間が過ぎていたらしい)の××駅前に悪魔が出没した事件は、なんと世間では、わたしが解決したことになっているらしい。
……なんというか、それは正確にはわたしではないのだが、とにかく、そういうことになっていると、彼は言う。
「いや、それはわたしじゃなくって」
わたしはなんとなく、どうしてそうなったのか理解が及んできた。
「わたしの悪魔が、やったんだと思います」
「…………へえ」
その言葉に、どんなニュアンスが含まれていたか、一言で説明するのは難しい。
意味深な返事に、わたしは自分のやらかしを想像して、恐ろしくなった。
もしかしたら、このことは漏らしてはいけなかったかもしれない。
悪魔の能力は、時に契約者の命とりにもなり得るのだ。その時、わたしはそのことを悟った。
向こうに危害を加える意思がなくても、弱みを握られてしまったかもしれない。そう思うと、背中にビリビリと緊張が走った。
とにかく、彼の声にはわたしの不安を煽り立てるような雰囲気があったのは間違いない。
「っていうか、なんでわたしがここにいるって知ってるんですか?」
話題を逸らしたくて、無理矢理話を切り替えることにした。
「うーん……内緒」
「内緒?」
「ああ、話すなって言われてるから」
「はあ……」
情報開示の意思はないらしい。こちらとしては、せめて名前くらいは教えてもらいたいと思っているけれど、それすらもこっちから聞かないと出てこなさそうだ。
「悪魔って、そんな簡単に人間を助けるものなんでしょうかね」
「さあ、悪魔も色々あるんだろ」
「……意外と知らないんだ」
「この世の全てを知ってる人間なんて、いないだろ」
「じゃあ、わたしの問いは馬鹿馬鹿しいことだった?」
「いや……この件に関して一言言えることがあるかも」
「……言ってみたらどうですか?」
「キミは、怒るかもね」
「じゃあ、わざわざそんなこと言わないでもよかったんじゃ」
「素直なコミュニケーションを取りたいんだよ」
「なら、早く」
「ほら人間って、弱いから。だから助けたくなったんじゃない?」
わたしは思わず身を乗り出した。
掴んでやろうとした腕がいつもより軽くて、点滴が引っ張られたので、わたしは暴発的な怒りを抑えることを、余儀なくされた。
向こうはなんてことなく、ニコニコと笑っている。それが、恐ろしくて不気味だった。
……やっぱ、掴み掛からなくてもよかったかもしれない。ここまで踏んで煽られたのだとしたら、こいつは相当性格が悪くて、計算高いのだろう。
「さっきの答え、マジで、最悪なんだけど……」
「怒るかもって、言ったのに」
「え、コミュ障? 友達いないんじゃない?」
「……あのとき、みてたんだ」
「何を」
「いや…………なんか、初々しい人がいるなって」
「……それ、わたしのことでしょうが」
「うん」
「あのさあ、人のことバカにするためにわざわざここまで来たの?」
事実であることには、違いない。あの時のわたしはあれが初陣であったし、外から見ていても、わかりやすいくらいのルーキーっぷりだったのだろう。
それでも、第三者からそれを指摘されたことで、わたしの普通よりも少し角張ったプライドは刺激されてしまった。沸点が、低くなってきている。
自分でも、だんだん言葉がきつくなってきているのを理解している。
マジな話、これだけ失礼なことを言われても、それに自分が暴力で応じてはいけないし、ましてや、初対面の人間にそんなことをしては、いけないのだ。
だんだん痛み止めの効果が切れてきて、わたしの足や、腕や、頭がガンガンと痛みを主張し始めてきた。
そのせいもあってか、わたしは不機嫌が抑えられなくなっているみたいだ。
あーあ、最悪なことばっかりだ。
わたしが唯一いい人だと思っていたのは、結局よくわからない変なやつだし。
このままだと、生き残った意味がない。どうせ、わたしがやったことで褒められるなんてことはないし。
賭けに勝って何かいいことなんてあった?
得たのは、どうしようもないくらい不愉快な現実だけだ。
「うん、友達になろう」
「…………ん?」
「俺はさ、友達になりたいんだ。実は今日も、そのために来た」
しばらくの沈黙を破り、何を言い出すかと思えば、耳を疑うような言葉が出てきやがった。
「なんか、あの電話ボックスで話した時から、ずっと思ってたんだよな、俺たちって仲良くできそうだって」
もう会話を放棄したい。だから、今すぐ麻酔をかけてほしい。気絶して何もかもリセットしたい。でも、今それをすることはできない。現実的でない逃避はやめろとばかりに、向こうはこちらを見てくる。そんな目で見られると、本当に、やりづらくて仕方がない。
「誰が、不審者と、友達に……?」
「ああ、あんたの言う通りだ。俺には友達がいない。それに……俺は恩人だろ」
「たった五十円で⁉︎ 厚かましい!」
確かに、その五十円で救われたのは、事実だ。恩人であることには変わりない。でも、そういうことは自分で言うべきじゃあないと思う。
「一円を笑うものは一円に泣くって言うよな、債務者のミョウジナマエさん」
「そこまで知ってンのかよ……クソ」
興信所でも雇った?
あの会社……もとい闇金屋以外に一言も漏らしていない秘密を、わたしの一番の弱みを知っている。というか、握られている……。
とにかく、この男が危険人物であることはわかった。
ここまで知られている以上、尋常ではない情報網を持っているのは確かだ。こいつのバックには、何か大きな組織、あるいは何かしらの権力がついているのだと、そう考えていいと思う。
「じゃあ、取引だ。俺はそっちに興味がある。色々と、知りたい。その代わり、俺がこの業界のことを教えてやるし、世話してやってもいい。どうだ?」
限りなく話が通じないことを除けば、この条件は破格だ。
──ちょっとくらいなら、小指の先程度でなら、付き合いがあってもいいのかもしれない。わたしはデビルハンターのイロハというものを知らずに、この業界に入ったのだ。人脈を形成する機会を逃すべきではないだろう。
「…………」
それに、顔がとても綺麗だ。それだけで食っていけそう。モデルとか、俳優とか、そういう職業で。
じっと見つめていると、向こうさんは少しだけ瞬きの回数を増やした。
緊張してる?
こんなにめちゃくちゃなことをしでかしたくせに、ちょっと繊細なところがあるのか。
なんだかこの綺麗な顔を見つめていると、自分がブチギレたことに対して、申し訳なさというか、よくないことをしてしまったという罪悪感が湧き上がってきた。
別に、この顔がとんでもないブサイクだったとしても同じようになっていたと思うけれど。
なんていうか、急にガキのお願い事みたいなことを言われてしまって、こっちとしても、大きな子供に怒鳴りつけているみたいな気持ちになったのだ。
「あー、まあ、好きにすれば? わたしも好きにするし、なんか、うん。もうなんでもいいや」
「じゃあ、好きにする」
「うん、そうしなよ。わたしもう疲れたし、寝るから帰って」
わたしが手をヒラヒラとふると、向こうは嬉しそうな声色に変わった。
「またきてもいいか?」
「言ったじゃん、好きにしたら?」
そう言った後、わたしは布団を頭の上まで引き上げて、何もみない事にした。
足音が過ぎ去って、再び静寂が訪れる。
もう、何もない。今日はもう、何にもないんだ。
ぐるぐると、知恵熱でもでたみたいに頭の中が沸騰する。
今日はもう、いろんなことがありすぎた。話つかれてお腹がすいたし、トイレにも行きたい。
……あ、そういえば名前聞くの忘れたな。
次回なんて、そんなものがあるかはわからない。わたしだって、いつくたばってもおかしくないし、向こうだってきっと似たようなものだ。
でも、ちょっとくらいは期待してもいいかもしれない。
わたしにも、友達なんていなかったから。
言われるがままに契約させられた悪魔はわたしの言うことを聞かない。呼び出したが最後、わあ! 人体ってここまで曲がっても平気なんですね! ってくらい好き勝手に体を動かされてしまった。
契約上、わたしはそれに文句を言うことができない。聞くに、悪魔との契約で臓器やら五感の一部を奪われてしまうこともあるらしい。だから、わたしとこいつの契約における代償は、それらに比べると微々たるものなのだ。
わたしの雇い主は、「こいつと契約できる相手は非常に限られているから喜べ」と言った。だから、恨みつらみを述べるよりも、わたしはこいつに感謝しなければいけないらしい。なんてことだ。
全てが終わった後には、全身の関節の節々が悲鳴をあげていた。一般女子高生の体は、そこまで頑丈にできていないということを、この悪魔は知らない。
目を閉じて、体を任せればよかったのだろうか? わたしは自分の意志で動かせなかった自分の四肢を眺めながら、ミンチ・肉団子・スプラッタ全開でぶっ倒れている足元の何かの悪魔に目線を寄せた。
──やっと、殺せた。
既に事切れ、動かぬ屍体は、なかなかにショッキングな様相をしているので、あえて多くは語らない。
そんなものを置きっぱなしにしておくのは忍びないが、きっと、後から誰かが回収してくれる、はずだ。
それからおそらく、中抜きに次ぐ中抜きの果てに、わたしの銀行口座に数万円──下手したら数千円の金額が振り込まれているはず。死闘を繰り広げたにしては少なすぎる金額だ。
命を張ったのに、これかよ! と叫んでみたくなる。ただ、変人だと思われたくないから黙っているだけだ。世間体というものは、結構大事なのだ。そのおかげで、今まで職務質問というやつに引っかかったことはないし、家だって借りることができる。
ノロノロと、わたしは電話ボックスに入る。事務所に報告の電話をかけなくてはいけないからだ。ポケットを弄る──が、小銭が足りない。
背筋を嫌な痛みが走った。
ありとあらゆるポケットや鞄の中身をひっくり返すが、一円玉一枚も持っていなかった。
電話は義務なので、小銭を切らしてはいけないと教えられていた。
仕事を報告しないと、金は振り込まれない。
そういうルールになっているので、今のわたしは内心ものすごく焦っている。顔ではなんでもないってふうに取り繕っているけれど、心の中は爆発寸前だ。
心臓がバクバクと音を立てる。テスト終了五分前の気持ちと同じだ。
足元に小銭が落ちていないか、運よく未使用のテレカが地面に落っこちていないか確認するけれど、それらしきものは全く見当たらなかった。
参ったなあ、と冷静なふりをして首をかいた。
けれど、天がわたしに味方することはなく、事態は一向に良くならず、益々不安が募るばかりだった。
どうしてわたしはこうも運が悪いのだろう。いや、超絶幸運児であったのなら、今頃わたしはこんなところに立っているわけもない。つまり、これは起こるべくして起きたこと──?
受話器を持って固まっているわたしの背後から、声が聞こえてきた。
「あの、電話する気ないなら代わってくれます?」
後ろに振り返ると、一人の男が気だるそうに立っていた。わたしは黙って電話を彼に明け渡した。
ボックスから締め出される形になってしまったけれど、どこに行くわけにもいかないので、近くで立っていることにした。
電話をする気は、ある。でも、小銭がない。
原因は、小銭入れをどっかに落としてきたか、もしくは家に忘れてしまったかのどちらかしか考えられない。
向こうからしたら、早く利用したいのに電話もかけずに突っ立っている人がいたら迷惑ってことなのだろう。
だから、彼は何も悪くないのだ。悪いのは、わたしの運の悪さだけだ。
そんなことを考えながら、わたしは電話ボックスに入った男の背を見ていた。
こんなところにいるのだから、恐らく同業だろう。
武器らしい武器も持たず、服には汚れひとつ見当たらない。きっと、契約している悪魔が強力なのだろう。
いいなあ、と素直に思う。
ないものねだりは良くないと言われるけれど、自分に振り当てられた悪魔が、ハズレでもなければアタリでもないということを、素直に喜びたくはない。
──わたしはきっと、そこまで落ちぶれてはいないはずだ。
という風に偉そうなことを考えている傍で、恥ずかしいけれど、また自販機の下に手を伸ばし、小銭が落ちていないか確かめた。
予想通りというか、やっぱり、何もない。
もう家まで帰って、近所の公衆電話を使った方が早いかもしれない。でも、ここから家までは相当時間がかかる。すぐにでも連絡を入れないといけないのに、これじゃあ間に合わない。
わたしがあたふたしている間に、どうやら彼は通話を終えたらしい。電話ボックスから出ていく姿が見えた。
他に人もいないし、この人にお金を借りる──そんな考えが浮かんだけれど、すぐに振り払った。借りたところで、返せる確率は低いし、第一、知らない人に十円でもたかるなんて……
「あの、すみません。もしかして小銭持ってないんですか?」
ふと、声がした。
つい最近聞いたことのある声は、あの男性から発せられたものだった。
「あ……はい。そうなんです。今すぐ事務所に連絡を入れないといけないんだけど、困ってて……」
自分の状況を的確に言い当てられて、驚いた。その隙に、わたしの口からは素直な言葉はこぼれ落ちた。こんなことを、言うつもりじゃなかったのに。
「じゃあ、これだけあれば大丈夫ですよね?」
彼の掌に乗っていたのは、十円玉が五枚ほどだった。そんなにいらないですよ、と言う代わりに、わたしはコクリと頷いた。
「いいんですか──いただいても?」
「困っているときは、お互い様なので。それよりも、急いで電話した方がいいんじゃ……」
「あ、ああ、そうでした。ご親切にどうも、ありがとうございました」
天からの恵み、人の親切というものに久方ぶりに触れたので、思わず泣きそうになった。目の前の男に、後光が差しているように感じられた。何度も頭を下げながら、わたしは電話ボックスに入り、好奇で震える指で番号を押した。これから何度も押す羽目になるその番号を、そのとき初めて押したのだ。
しばらく、人の優しさというものについて考えた。今までの人生、期待に裏切られ、人に冷笑され、親には見捨てられるという、それなりにヘヴィな経験をしてきたのだが、それでもわたしは、人に優しくされるということ、つまり人を信じる気持ちを捨てきれずにいたのだとわかった。
やはり、捨てる神あれば拾う神ありということなのだろう。
「──ハア、次からはもっと早くしてもらわないと、こっちも困るので」
禁煙の張り紙も虚しく、タールでベタベタした壁を背景に、事務員の男は、わたしの領収書を受け取った。
正直、この人の話なんて真剣に聞いちゃいない。わたしの脳内では、この前会ったあの優しい男性の顔だけがリフレインしていて、半分八つ当たりの小言も、どうでもいい雑音でしかないのだ。
「はい、おっしゃる通りですね」
メガネをかけた若ハゲの事務員に、脳内で組み上げた謝罪のレパートリーの中から選んだ適切な言葉を打って返す。こいつら全員、わたしの悪魔が本気を出せば一撃で死んでしまうのだから、本気で考える必要はない。
人が他人に優しくできるのは、余裕があるからだ。弱い人間ほど、他人に敵意をむき出しにする。この業界に入って、わたしはそれを痛いほど理解した。
悪魔を呼び出し、ちょっと体を預ければ、こいつらは全員、ミンチになる。
だから、どんなことを言われても平気。舐められていようが、どれだけの理不尽な仕事を割り振られようが、本気を出せば、こっちの方が有利に立てるのだから──悪魔の力を持っている人間に恨みを買われるなんて、かわいそうだ。むしろ、哀れにすら思えるくらいだ。
──逆に、これくらいに思えないと、やっていけない。クソみたいな大人に搾取されているという自覚があると、心の大事なところがすり減っていくからだ。
プライド──自尊心がゴリゴリと削られていって、最後の芯の部分が折れると、人間はどうなるんだろう。そうならないために、わたしは悪魔と手を組んだのかもしれない。
きっかけはどうであれ、これがなければわたしは今頃、考えたくもないような悲惨な目にあっていたかもしれないのだ。考えるだけで、身震いするような、そんなことに。
「次回からは、ちゃんとしてくださいね。事務処理するこっちの身にも──」
「ハイ、ハイ、わかりました」
適当に返事をして、事務所の入っている雑居ビルの階段をドタドタと駆け降りた。しかも、非常階段を。わたしみたいな、雇われ派遣デビルハンターは、中の階段を使うことも許されないらしいので、ガキガキと音の鳴る、錆びついた非常階段を駆け降りる。嫌がらせみたいに音を立てて、タバコの吸い殻を入れた空き缶を蹴飛ばして、わたしは地上へ降り立つ。
あの人は、今どこで何をしているんだろう。
いつか、ちゃんと会ってお礼を言いたいものだ。この仕事を続けていれば──できれば長い間続けたくないけれど、再会するチャンスもあるのかもしれない。
わたしはそんな期待をしていたけれど、現実はよくも悪くも、わたしに味方をした。 思えば、これが運命の分岐点であり、あいつとわたしの、そこそこ長くなる因縁の始まりだった。
あの日は確か、雨が降っていた。
わたしは学校の帰り道をぶらぶらと歩いていた。夜の繁華街は、夜遊びに向かう若者と、家路を急ぐサラリーマンでごちゃごちゃとしていた。人混みの雑踏を、傘をさしてかき分けながら進む。深夜のコンビニで、ちょっとした買い物もしたいなあ、なんて呑気に考えていた。
あたりは湿っぽくて、それ以外は特に危険な香りもしていなかった。香り、というのは物理的なものではなく、第六感的なやつだ。そういう匂いを嗅ぎ取る術を、わたしはほんの少しだけ身につけていた。
くるぞ、とわたしの中のわたしが囁く。
ドンドン、バリバリ、メシャメシャ
地面が、そんな音を立てて崩れた。地震ではない。でも、それくらいの衝撃がここら一帯に広がった。
──ああ、やっぱりだ。わたしは自嘲気味に口の端を動かした。自分の直感が当たる時ほど、嫌なことはない。気がつくときはいつも直前で、どうしようもないタイミングでやってくるのだ。
わたしは、その姿を確認する前に全速力で駆け出した。ボロボロのスニーカーでひび割れたコンクリートをふみしだいて、人々の中をかき分けて、逃げよう。そして、わたしだけでも生き抜こう。
それくらい、許されたいし。
だって、こいつら全員わたしよりも幸せだ!
なのに、いきなり方向転換をしたせいか、それとも不安定な足場のせいか、わたしの左足首はあらぬ方向に曲がった。そして、わたしはそのまま体制を崩して、地面と衝突した。疼痛を感じて、涙が出てきた。クソ、動け! 立って、走り出さないと……
あたりにはパニックで騒ぐ声、群衆が、わたしの体を辛うじて避けて逃げていく音。頭を強打したせいで、思考も朧げになっていく。誰も、わたしを助けてくれない。
わたしが驕ったせい? それとも、身勝手な思考を振り翳していたせい? 因果応報ってことか?
……それとも、ただ運が悪かっただけ?
最後まで、足掻いていようとしたけれど、無駄だったかもしれない。薄れゆく意識の中で、空虚な逃避に身を委ねれば、楽になれる。
でも、本当にそれでよかったのだろうか?
人生には、わたしのまだ知らない喜びや、幸福が溢れているのかもしれない。鉱山でダイヤを掘り当てる前に、死んでしまってもいいのか?
わたしの中で、よく知った声がそんな囁きで迫ってくる。確かに、その通りなのかもしれない。だけど、
──これは、いわば賭けだ。
賭け? 人生を、ギャンブルで決めるってわけ? そんな浅はかな──
浅はか? それでも、それこそがわたしの人生だ。
ここで死ねば、わたしは所詮それだけの人間だったということ。もし、助かったのなら、わたしはもう二度と現実から目を背けない、絶対に、生き抜いてやる。
どんな手段を使ってでも、生きなければいけない。それが、自分に打ち込まれた楔だ。
そんなわたしの声を聞き届けたのか、天はわたしに味方したのか、次に目が覚めた時、わたしは見知らぬ天井を見上げていた。それも、ベッドの上で。
「…………」
この時、自分に課せられた運命の枷というものを認知したのだと思う。
ああ、わたしはどうしたって、足掻いて足掻いて、最果てまで生き抜かないといけないんだ。そういう啓示が、降ってきたのだ。
わたしは神を信じない。所謂、信仰というものを持たないけれど、この時ばかりは強大な存在に人生を縛られているような、そんな気がした。
体を抱きしめると、薄い膜のしたで、心臓が動く鼓動を感じた。足に目をやると、湿布とテーピングの処置がされていて、素足を放り出していたことに気づいた。
きっと、ここは病院か何かなのだろう。辺りを見ると、カーテン越しに誰かの息遣いが聞こえた。それにしても、恐ろしいほど、静まり返っている。
頭に圧迫感を覚えたので、触ると包帯が巻かれていた。ちょっと力を込めると、傷が開きそうになった。体育の授業で転けた時に、こんなふうになったことがある。あの時の不快感を思い出して、わたしはなるべく頭を動かさないようにしようと、決めた。
激しく頭を打ったから、おそらくちょっと切れているはずだ。もしかしたら、何針か、縫ったのかもしれない。
周囲を注意深く観察しているのに飽きた頃、わたしのベッドのカーテンを乱暴に開ける音がした。
いきなりのことだったので、声も出なかった。もし不審者だったら、とりあえずナースコールを押すべきだと判断して、手でベッドの周りを弄った。咄嗟のことだったので、それくらいの判断しかできなかった。
「こんにちは」
そう言いながら、彼は後ろ手でカーテンをシャッと閉めてしまった。やけに慣れているように見えた。
わたしはベッドの上で、その顔を眺めてあんぐりと口を開けた。とても間抜けな表情をしていることだろう。目の前の男は、わたしがつい最近電話賃を借りた男だったのだ。
さも当然のように、彼はベッドの横に置いてあった椅子に腰をかけた。
わたしはもう、何がなんだか理解ができなくて、ただ黙っているしかなかった。
何かしらのアクションを期待されていることはわかるけれど、そのまえにちゃんと説明をしてほしい。
どうしてここにいるのか。なんでわたしがここにいることを知っているのか。聞きたいことは山ほどあった。
「思ったよりも怪我、ひどくなくてよかった」
わたしが、自分の容態にショックを受けているとでも思っているのだろうか。正直、ベッドに寝かされるほどか? と自分でも思うけれど。
「……なんの用で、来たんですか」
「いやちょっと、気になって」
「気になって?」
「え、覚えてない?」
「なんのこと……ですか?」
「……いや、さっきのこと」
「足を捻って……多分、倒れたこと?」
「ええ?」
どうやら、この人とわたしの認識は全く噛み合っていないようだ。
向こうは眉を顰めて、何やら考えているようだった。わたしはわたしで、彼が何を思ってこんなことを言っているのか必死に頭を動かして、考察している。
「──もしかして、覚えていない?」
「そうかも、しれないですね」
彼が言うに、先日(わたしが寝ている間に、結構な時間が過ぎていたらしい)の××駅前に悪魔が出没した事件は、なんと世間では、わたしが解決したことになっているらしい。
……なんというか、それは正確にはわたしではないのだが、とにかく、そういうことになっていると、彼は言う。
「いや、それはわたしじゃなくって」
わたしはなんとなく、どうしてそうなったのか理解が及んできた。
「わたしの悪魔が、やったんだと思います」
「…………へえ」
その言葉に、どんなニュアンスが含まれていたか、一言で説明するのは難しい。
意味深な返事に、わたしは自分のやらかしを想像して、恐ろしくなった。
もしかしたら、このことは漏らしてはいけなかったかもしれない。
悪魔の能力は、時に契約者の命とりにもなり得るのだ。その時、わたしはそのことを悟った。
向こうに危害を加える意思がなくても、弱みを握られてしまったかもしれない。そう思うと、背中にビリビリと緊張が走った。
とにかく、彼の声にはわたしの不安を煽り立てるような雰囲気があったのは間違いない。
「っていうか、なんでわたしがここにいるって知ってるんですか?」
話題を逸らしたくて、無理矢理話を切り替えることにした。
「うーん……内緒」
「内緒?」
「ああ、話すなって言われてるから」
「はあ……」
情報開示の意思はないらしい。こちらとしては、せめて名前くらいは教えてもらいたいと思っているけれど、それすらもこっちから聞かないと出てこなさそうだ。
「悪魔って、そんな簡単に人間を助けるものなんでしょうかね」
「さあ、悪魔も色々あるんだろ」
「……意外と知らないんだ」
「この世の全てを知ってる人間なんて、いないだろ」
「じゃあ、わたしの問いは馬鹿馬鹿しいことだった?」
「いや……この件に関して一言言えることがあるかも」
「……言ってみたらどうですか?」
「キミは、怒るかもね」
「じゃあ、わざわざそんなこと言わないでもよかったんじゃ」
「素直なコミュニケーションを取りたいんだよ」
「なら、早く」
「ほら人間って、弱いから。だから助けたくなったんじゃない?」
わたしは思わず身を乗り出した。
掴んでやろうとした腕がいつもより軽くて、点滴が引っ張られたので、わたしは暴発的な怒りを抑えることを、余儀なくされた。
向こうはなんてことなく、ニコニコと笑っている。それが、恐ろしくて不気味だった。
……やっぱ、掴み掛からなくてもよかったかもしれない。ここまで踏んで煽られたのだとしたら、こいつは相当性格が悪くて、計算高いのだろう。
「さっきの答え、マジで、最悪なんだけど……」
「怒るかもって、言ったのに」
「え、コミュ障? 友達いないんじゃない?」
「……あのとき、みてたんだ」
「何を」
「いや…………なんか、初々しい人がいるなって」
「……それ、わたしのことでしょうが」
「うん」
「あのさあ、人のことバカにするためにわざわざここまで来たの?」
事実であることには、違いない。あの時のわたしはあれが初陣であったし、外から見ていても、わかりやすいくらいのルーキーっぷりだったのだろう。
それでも、第三者からそれを指摘されたことで、わたしの普通よりも少し角張ったプライドは刺激されてしまった。沸点が、低くなってきている。
自分でも、だんだん言葉がきつくなってきているのを理解している。
マジな話、これだけ失礼なことを言われても、それに自分が暴力で応じてはいけないし、ましてや、初対面の人間にそんなことをしては、いけないのだ。
だんだん痛み止めの効果が切れてきて、わたしの足や、腕や、頭がガンガンと痛みを主張し始めてきた。
そのせいもあってか、わたしは不機嫌が抑えられなくなっているみたいだ。
あーあ、最悪なことばっかりだ。
わたしが唯一いい人だと思っていたのは、結局よくわからない変なやつだし。
このままだと、生き残った意味がない。どうせ、わたしがやったことで褒められるなんてことはないし。
賭けに勝って何かいいことなんてあった?
得たのは、どうしようもないくらい不愉快な現実だけだ。
「うん、友達になろう」
「…………ん?」
「俺はさ、友達になりたいんだ。実は今日も、そのために来た」
しばらくの沈黙を破り、何を言い出すかと思えば、耳を疑うような言葉が出てきやがった。
「なんか、あの電話ボックスで話した時から、ずっと思ってたんだよな、俺たちって仲良くできそうだって」
もう会話を放棄したい。だから、今すぐ麻酔をかけてほしい。気絶して何もかもリセットしたい。でも、今それをすることはできない。現実的でない逃避はやめろとばかりに、向こうはこちらを見てくる。そんな目で見られると、本当に、やりづらくて仕方がない。
「誰が、不審者と、友達に……?」
「ああ、あんたの言う通りだ。俺には友達がいない。それに……俺は恩人だろ」
「たった五十円で⁉︎ 厚かましい!」
確かに、その五十円で救われたのは、事実だ。恩人であることには変わりない。でも、そういうことは自分で言うべきじゃあないと思う。
「一円を笑うものは一円に泣くって言うよな、債務者のミョウジナマエさん」
「そこまで知ってンのかよ……クソ」
興信所でも雇った?
あの会社……もとい闇金屋以外に一言も漏らしていない秘密を、わたしの一番の弱みを知っている。というか、握られている……。
とにかく、この男が危険人物であることはわかった。
ここまで知られている以上、尋常ではない情報網を持っているのは確かだ。こいつのバックには、何か大きな組織、あるいは何かしらの権力がついているのだと、そう考えていいと思う。
「じゃあ、取引だ。俺はそっちに興味がある。色々と、知りたい。その代わり、俺がこの業界のことを教えてやるし、世話してやってもいい。どうだ?」
限りなく話が通じないことを除けば、この条件は破格だ。
──ちょっとくらいなら、小指の先程度でなら、付き合いがあってもいいのかもしれない。わたしはデビルハンターのイロハというものを知らずに、この業界に入ったのだ。人脈を形成する機会を逃すべきではないだろう。
「…………」
それに、顔がとても綺麗だ。それだけで食っていけそう。モデルとか、俳優とか、そういう職業で。
じっと見つめていると、向こうさんは少しだけ瞬きの回数を増やした。
緊張してる?
こんなにめちゃくちゃなことをしでかしたくせに、ちょっと繊細なところがあるのか。
なんだかこの綺麗な顔を見つめていると、自分がブチギレたことに対して、申し訳なさというか、よくないことをしてしまったという罪悪感が湧き上がってきた。
別に、この顔がとんでもないブサイクだったとしても同じようになっていたと思うけれど。
なんていうか、急にガキのお願い事みたいなことを言われてしまって、こっちとしても、大きな子供に怒鳴りつけているみたいな気持ちになったのだ。
「あー、まあ、好きにすれば? わたしも好きにするし、なんか、うん。もうなんでもいいや」
「じゃあ、好きにする」
「うん、そうしなよ。わたしもう疲れたし、寝るから帰って」
わたしが手をヒラヒラとふると、向こうは嬉しそうな声色に変わった。
「またきてもいいか?」
「言ったじゃん、好きにしたら?」
そう言った後、わたしは布団を頭の上まで引き上げて、何もみない事にした。
足音が過ぎ去って、再び静寂が訪れる。
もう、何もない。今日はもう、何にもないんだ。
ぐるぐると、知恵熱でもでたみたいに頭の中が沸騰する。
今日はもう、いろんなことがありすぎた。話つかれてお腹がすいたし、トイレにも行きたい。
……あ、そういえば名前聞くの忘れたな。
次回なんて、そんなものがあるかはわからない。わたしだって、いつくたばってもおかしくないし、向こうだってきっと似たようなものだ。
でも、ちょっとくらいは期待してもいいかもしれない。
わたしにも、友達なんていなかったから。
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