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砂塵が舞い上がる砂漠の中、要塞を落とすために私たちは進軍していた。敵を殺し、あいつらの長を殺し、私たちは正義を為す。相手は私たちの上を飛ぶ竜の騎士であり、私は馬を操り、それを撃ち落とす弓使いだった。
砂漠の中で馬を走らせるのは困難であったが、捨て置くわけにはいかないので連れてきたのだ。
一面空の色を反射した砂の山の上には、大きな雲がゆっくりと流れていた。青空と黄色のコントラストは、子供が描いた絵のようで不自然な光景だ。こんな景色、一生見ることはないと思っていた。
「……ゼトさん」
私はなぜか不安になって、斜め前にいる彼に声をかけた。普段はエイリークさんにぴったりくっついている彼は、いかにも騎士という風貌で、見ているだけで背筋が伸びるような人だった。
「ナマエ殿、どうしましたか」
「いえ、言っても仕方がない事でした。どうか気にしないでください」
腹の中で虫が踊っているような、嫌な予感がした。
けれど、その程度のことで私が彼に甘えるような事をしたのがなんとも恥ずかしく、自分らしくないように思えて何も言わなかったのだ。
彼の馬も、私の馬も、砂に足を取られて歩みが遅い。
敵は上から襲いかかってくるのだ。気持ちばかりが焦り、不安になる。
着込んだ服の内側、体の表面に汗が吹き出て大変不快だ。砂漠の昼とはそういうものらしい。照りつける日差しは容赦無く肌を焼くのだ。
遠くで誰かと一緒にいる己の主人を案じているのか、彼は静かだった。元々そう口数が多いわけではないが、今日は特段大人しいように見えた。
本来なら、私は隣に立つようなこともない人だ。
エイリークさんのそばの彼と、私と一緒にいる彼とでは表情が違う。
私は、それを嫌だと思っている。
どうか彼が私のことを気の毒だなんて思いませんように。
そう祈りながら手綱を握る力を強めた。
飛ぶ竜に狙いを定めて、矢を放つと面白いように落ちてしまった。
ただ、急降下して向かってくると厄介なので、見つけたらすぐ殺すようにしている。
「ナマエ殿、お見事ですね」
「ありがとうございます」
まるで狩をする貴族のような会話だ。殺しているのは、人間なのに。
私は平気なフリをする。
心の一番柔らかいところが、ノミとツチで削られているようで、私は悲しいような嫌なような、変な気分になるのだ。
本当に、私はどうしてここにいるんだろう。
故郷を出て、お姫様が率いる軍についていって。明日の命は保障されていないのに。
大義に殉じることで、どうにか誤魔化して生きているだけ。
それを気づかれていないことで、一番救われている。
彼は騎士らしい騎士であり、「騎士道」その言葉を体現するような人だった。
私は守られる側の人間ではあるが、ただ守られるだけを許せない人でもある。
彼にだけは、どうしても弱いところを見せてしまいたい気になるのだ。
あそこまで完璧だと、自分がいくら取り繕ってもボロが出る。
「っ!」
どこかから飛び出した矢が私を掠めた。
ゼトさんがそこに向かって駆けていくのをみて、私も傷口に布を当てると、彼の援護をするために矢を抜いた。
そんなこともあったな、と今なら思う。
私は結局、その後戦場に立つことはなかった。傷ついた傷口から菌が入り込み、私は病に犯された。
あの後の顛末は全て知っているわけではないが、彼らは無事に勝利したらしい。寝台の上でそれを聞いた時、私は泣きたくなるのをどうにか堪えて、ようやく彼のことを思い出した。
匙を落とした日の夜、私は震える手を抑えきれなかった。魔術でもどうにもならない、そんな病らしい。軍からは抜けた。数週間の間で色々あった。私が死にそうな時、彼らは戦っていた。途中で抜けた私は、どのようにして誰がどうなったかは知らない。ゼトさんが死んでいないかも分からない。ただ、勝ったという事実だけが私が知っている唯一のことだ。
私を送ってくれたのは、他ならぬゼトさんで、呼吸もままならないまでに弱った私を馬に乗せて送り届けてくれた。
お礼も言えない間に、彼は去っていった。
そうなってしまったのは彼のせいではない。兵士にはよくある病らしいから、そこまで責任を持つ必要はないのだ。医者から説明を受ける間、私はどうにでもなってくれと思った。きっと私がエイリーク様だったら、彼はずっと側にいただろう。私だから、置いて戻ったのだ。
助けてくれた事に感謝している。彼が戻る必要があったことも理解している。
わがままだけど、そばにいてくれたらどれだけよかっただろうか。
もし、彼が死んでいたとしたらどうだろう。
それだけを考えている。
くそったれ!なんて夜中に叫びたくなる。他の患者は家族が迎えにきては去っていくのに、私には誰もいない。
私の病は、じわじわと体を蝕んでいる。様々な薬を投与され、隔離された部屋で一人きりだ。窓から望む景色は、山に囲まれているので緑色しかない。
秋になれば、彼の髪色のように燃える赤になっているはず。
どうか紅葉なんてしないで欲しい。虚しくなるだけだ。
「ナマエさん、お部屋入りますね」
いつも手当をしてくれる人が、そう言ってドアを開けた。
入ってきたのは二人。私は目を見張る。
「お久しぶりです。ナマエ殿」
「ゼトさん……」
やけになって頭を掻き毟っていたから、急に現れた彼のこと、幻覚だと思ってしまった。
途端に体が硬直したと思ったら、顔に全ての熱が集まってくる。手が震えたので、彼がハッとしたような顔をして、私の方へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「ぜ、ゼトさん……そんな……えっと、その、これはそういうのじゃなくて!」
久しぶりに喋ったので思い切り早口になってしまった。
「本当に大丈夫ですか?」
「は、はい……」
彼は私のそばの椅子に座った。いつものような鎧姿ではなく、平服姿で。
以前よりも、少し痩せたように見える。
馬に乗っている時から思っていたけれど、彼は座高が高い。目線を合わせるために、少し顔を上げないといけない。
「私たちは、勝ちました。もう王国は安全でしょう……これまで訪ねることができなかったことをお詫びしたい」
こみ上げてきた苛々や不満や不安は、彼のその言葉で全て洗い流された。
夢にまでみた光景が目の前で広がっていると、人はまともな思考ができなくなるらしい。
「ゼトさん……本当に、来てくれたんですか」
「はい。お加減はいかがですか?」
「どうにか、順調です」
「それを聞けて、安心しました。あの時は本当にどうなるかと……」
あ、ここまで心配されていたのか。少し性格が悪いかもしれないが、ここまで考えてもらっていたのが嬉しい。怪我の功名とでも言うのだろうか。
「他の方が亡くなったり、とかはーー」
「そのようなことはありません。どうかご安心を」
「そうですか……」
本当に、私が伏せっている間に色々あったのだろう。
「ナマエ殿、貴方が生きていてくれて本当によかった」
彼が何かにすがるように目を伏せた。その表情があまりにも美しかったので、見惚れてしまう。まるで聖書のワンシーンのように神々しく、窓から差し込む日光が彼を照らしている。
「してナマエ殿、これからどのようにされるおつもりでしょうか」
そういわれて初めて、自分のこれからの身の置き方を全く考えていなかったことに気づいた。
「そうですね……実は何も考えていなかったんです」
「それなら、我が国に来ませんか」
「ひぇっ!?」
さらっとそう言われたので、驚いて珍妙な声をあげてしまった。彼が本気なのは目に見えて明かで、そんな冗談をいうような人ではないのはわかっている。
「ナマエ殿は賢いお方だ。きっと我が国に必要になるでしょう。それにーー私は貴方と共にありたいのです」
そんなことを言われて、断れる人がいるだろうか。
私の体調が落ち着くまで、ここで療養を続けることにした。
「ずっとここにいて、いいんですか?」
窓辺に座っているのは、彼だった。あれから一週間と少し、彼はここを離れることなく、ずっとここで過ごしていた。来客用の部屋で寝泊まりして、ただでいるわけにはいかないからと病人の世話の手伝いもしていた。
「貴方がよくなるまでここにいて良いと、エフラム様もおっしゃっていられました」
なるほど、あのエフラム様が。それならあまり心配する必要もないかもしれない。
ここは、病院というよりも療養所と言った方が正しい場所だろう。
山の上にあり、空気が澄んでいる。私の傷口から侵入した細菌は、私の体を蝕む。夜中に痙攣が治らず、助けてくれ!と叫んだ日もあった。病は快調に向かっている。腕に巻かれた包帯を取り替えながら、ゼトさんは優しげに微笑んだ。
「じゃあ、早くよくならないと」
「もちろんです。きっとよくなりますよ」
山の奥なので、娯楽らしい娯楽はない。私は大人しく、寝台のうえで読み物を読むか、書き物をするくらいしかないのだ。
ゼトさんが来てから、馬の世話は彼に任せることにした。きちんと調教してあるし、元々は農作のために使っていたから、ここの畑に使ってやって欲しいと置いてあるのだが、やはりたまには名一杯走らせてやらねばならないだろう。
「お医者様曰く、もうほとんど治っているんですって」
「それはいいことですね」
ゼトさんは、戦場であったことについて多くを語ろうとしなかった。私から聞くことでもないけれど、戦でどんなことがあったか、誰がどうなったか、それは暇つぶしのいい話題になりそうなのに。
「はい、できました」
「ありがとうございますーーもう手慣れたものですね」
最初は腕にまくだけですごく手間がかかっていた。けれど、今は話しながらでもスルスルと巻いてしまう。
「あまり見られると緊張します」なんて言われた時には思わず笑ってしまったけれど。
私がゼトさんを独り占めできている。前世でどのくらいの徳を積んだのだろうか。嬉しくて、時々泣きそうになる。
「もうすぐ夏ですね」
日に日に日差しは強くなり、夜が短くなる。夏は、好きな季節だ。農作業をするのにうってつけだし、何より早朝の涼しい風が心地いい。
長い冬が明けて、花が咲く。そんな素敵な季節だ。皆も開放的になる。
「……ナマエ殿、このような伝説を知っていますか。6月に結婚した花嫁は、幸せになる、と」
差し出された手をそっと触った。
「……こんな病室でプロポーズなんて、不意打ちすぎやしませんか」
「すみません。放っておくと、貴方がどこかに消えてしまいそうな気がしたんです」
許してくれますか、と彼は私に跪いた。
「許すも何もーーそんなのないですよ」
彼を騎士たらしめているのは、仕える主人あってこそだ。私にそうしたということは、相応の覚悟をもって言っているのだろう。
嬉しくて、嬉しくて本当に人生最高の瞬間のはずなのに、どうしてか後ろめたい気持ちがあった。
夏が来る頃には治る。そう信じて私は薬を飲む。血管から通るそれも、いつの間にか慣れてしまった。
「私、ちゃんと死なないでいられるかな」
私が弱音を吐くと、決まって彼が黙って背中を撫でるのだった。
夏になった。私はもうすっかり元気になっていた。あとはただ、彼と共に行くだけだ。リボン付きの婦人帽をかぶり、弓を引いていた指は柔らかくなった。硬くなった掌はそのままに、体力だけがなくなり、筋肉も落ちてしまった。
私はもう二度と戦場に立つことがないのだ。
馬に乗って帰る。私は行ったことのない国へ行き、彼と結婚する。
「私は、もう騎士ではないのです」
「え」
「もう二度と戻らない覚悟で出て行きました。仕えるべき主の元から離れるなど、あってはならないことなのですが……貴方のことを思うと、抑えられなかったのです」
背中の後ろから、彼がそう囁く。草原の真ん中で、いきなりの告白だった。
「おそらく私は、もう二度と以前のように剣を振るうことはできないでしょう」
自分に言い聞かせるように、彼は言っている。
「これから先は、全て貴方のために使いたいーー騎士とは、主君のために命をかけるものです。が、私は貴方のこととなると、どうしても迷いが生じてしまう。本当に、貴方が怪我さえしなければ、我が国のために来て欲しかった。けれど、それもできないでしょう」
彼が責任感ゆえにそう思っているのか、本当に自分を愛しているのか、まるで分からなかった。
「騎士でもない、仕えるべき主人もいない、そんな私です。騙すような形になって、申し訳ないが、私と共に来てくれませんか」
左手の薬指が、急に重くなったように感じた。そして、彼が手綱を握る手を力なく包み込んだ。
その後、自分がなんと返したかは覚えていない。
けれど、彼が静かに泣いていたことだけは、どうしても忘れられなかった。
砂漠の中で馬を走らせるのは困難であったが、捨て置くわけにはいかないので連れてきたのだ。
一面空の色を反射した砂の山の上には、大きな雲がゆっくりと流れていた。青空と黄色のコントラストは、子供が描いた絵のようで不自然な光景だ。こんな景色、一生見ることはないと思っていた。
「……ゼトさん」
私はなぜか不安になって、斜め前にいる彼に声をかけた。普段はエイリークさんにぴったりくっついている彼は、いかにも騎士という風貌で、見ているだけで背筋が伸びるような人だった。
「ナマエ殿、どうしましたか」
「いえ、言っても仕方がない事でした。どうか気にしないでください」
腹の中で虫が踊っているような、嫌な予感がした。
けれど、その程度のことで私が彼に甘えるような事をしたのがなんとも恥ずかしく、自分らしくないように思えて何も言わなかったのだ。
彼の馬も、私の馬も、砂に足を取られて歩みが遅い。
敵は上から襲いかかってくるのだ。気持ちばかりが焦り、不安になる。
着込んだ服の内側、体の表面に汗が吹き出て大変不快だ。砂漠の昼とはそういうものらしい。照りつける日差しは容赦無く肌を焼くのだ。
遠くで誰かと一緒にいる己の主人を案じているのか、彼は静かだった。元々そう口数が多いわけではないが、今日は特段大人しいように見えた。
本来なら、私は隣に立つようなこともない人だ。
エイリークさんのそばの彼と、私と一緒にいる彼とでは表情が違う。
私は、それを嫌だと思っている。
どうか彼が私のことを気の毒だなんて思いませんように。
そう祈りながら手綱を握る力を強めた。
飛ぶ竜に狙いを定めて、矢を放つと面白いように落ちてしまった。
ただ、急降下して向かってくると厄介なので、見つけたらすぐ殺すようにしている。
「ナマエ殿、お見事ですね」
「ありがとうございます」
まるで狩をする貴族のような会話だ。殺しているのは、人間なのに。
私は平気なフリをする。
心の一番柔らかいところが、ノミとツチで削られているようで、私は悲しいような嫌なような、変な気分になるのだ。
本当に、私はどうしてここにいるんだろう。
故郷を出て、お姫様が率いる軍についていって。明日の命は保障されていないのに。
大義に殉じることで、どうにか誤魔化して生きているだけ。
それを気づかれていないことで、一番救われている。
彼は騎士らしい騎士であり、「騎士道」その言葉を体現するような人だった。
私は守られる側の人間ではあるが、ただ守られるだけを許せない人でもある。
彼にだけは、どうしても弱いところを見せてしまいたい気になるのだ。
あそこまで完璧だと、自分がいくら取り繕ってもボロが出る。
「っ!」
どこかから飛び出した矢が私を掠めた。
ゼトさんがそこに向かって駆けていくのをみて、私も傷口に布を当てると、彼の援護をするために矢を抜いた。
そんなこともあったな、と今なら思う。
私は結局、その後戦場に立つことはなかった。傷ついた傷口から菌が入り込み、私は病に犯された。
あの後の顛末は全て知っているわけではないが、彼らは無事に勝利したらしい。寝台の上でそれを聞いた時、私は泣きたくなるのをどうにか堪えて、ようやく彼のことを思い出した。
匙を落とした日の夜、私は震える手を抑えきれなかった。魔術でもどうにもならない、そんな病らしい。軍からは抜けた。数週間の間で色々あった。私が死にそうな時、彼らは戦っていた。途中で抜けた私は、どのようにして誰がどうなったかは知らない。ゼトさんが死んでいないかも分からない。ただ、勝ったという事実だけが私が知っている唯一のことだ。
私を送ってくれたのは、他ならぬゼトさんで、呼吸もままならないまでに弱った私を馬に乗せて送り届けてくれた。
お礼も言えない間に、彼は去っていった。
そうなってしまったのは彼のせいではない。兵士にはよくある病らしいから、そこまで責任を持つ必要はないのだ。医者から説明を受ける間、私はどうにでもなってくれと思った。きっと私がエイリーク様だったら、彼はずっと側にいただろう。私だから、置いて戻ったのだ。
助けてくれた事に感謝している。彼が戻る必要があったことも理解している。
わがままだけど、そばにいてくれたらどれだけよかっただろうか。
もし、彼が死んでいたとしたらどうだろう。
それだけを考えている。
くそったれ!なんて夜中に叫びたくなる。他の患者は家族が迎えにきては去っていくのに、私には誰もいない。
私の病は、じわじわと体を蝕んでいる。様々な薬を投与され、隔離された部屋で一人きりだ。窓から望む景色は、山に囲まれているので緑色しかない。
秋になれば、彼の髪色のように燃える赤になっているはず。
どうか紅葉なんてしないで欲しい。虚しくなるだけだ。
「ナマエさん、お部屋入りますね」
いつも手当をしてくれる人が、そう言ってドアを開けた。
入ってきたのは二人。私は目を見張る。
「お久しぶりです。ナマエ殿」
「ゼトさん……」
やけになって頭を掻き毟っていたから、急に現れた彼のこと、幻覚だと思ってしまった。
途端に体が硬直したと思ったら、顔に全ての熱が集まってくる。手が震えたので、彼がハッとしたような顔をして、私の方へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「ぜ、ゼトさん……そんな……えっと、その、これはそういうのじゃなくて!」
久しぶりに喋ったので思い切り早口になってしまった。
「本当に大丈夫ですか?」
「は、はい……」
彼は私のそばの椅子に座った。いつものような鎧姿ではなく、平服姿で。
以前よりも、少し痩せたように見える。
馬に乗っている時から思っていたけれど、彼は座高が高い。目線を合わせるために、少し顔を上げないといけない。
「私たちは、勝ちました。もう王国は安全でしょう……これまで訪ねることができなかったことをお詫びしたい」
こみ上げてきた苛々や不満や不安は、彼のその言葉で全て洗い流された。
夢にまでみた光景が目の前で広がっていると、人はまともな思考ができなくなるらしい。
「ゼトさん……本当に、来てくれたんですか」
「はい。お加減はいかがですか?」
「どうにか、順調です」
「それを聞けて、安心しました。あの時は本当にどうなるかと……」
あ、ここまで心配されていたのか。少し性格が悪いかもしれないが、ここまで考えてもらっていたのが嬉しい。怪我の功名とでも言うのだろうか。
「他の方が亡くなったり、とかはーー」
「そのようなことはありません。どうかご安心を」
「そうですか……」
本当に、私が伏せっている間に色々あったのだろう。
「ナマエ殿、貴方が生きていてくれて本当によかった」
彼が何かにすがるように目を伏せた。その表情があまりにも美しかったので、見惚れてしまう。まるで聖書のワンシーンのように神々しく、窓から差し込む日光が彼を照らしている。
「してナマエ殿、これからどのようにされるおつもりでしょうか」
そういわれて初めて、自分のこれからの身の置き方を全く考えていなかったことに気づいた。
「そうですね……実は何も考えていなかったんです」
「それなら、我が国に来ませんか」
「ひぇっ!?」
さらっとそう言われたので、驚いて珍妙な声をあげてしまった。彼が本気なのは目に見えて明かで、そんな冗談をいうような人ではないのはわかっている。
「ナマエ殿は賢いお方だ。きっと我が国に必要になるでしょう。それにーー私は貴方と共にありたいのです」
そんなことを言われて、断れる人がいるだろうか。
私の体調が落ち着くまで、ここで療養を続けることにした。
「ずっとここにいて、いいんですか?」
窓辺に座っているのは、彼だった。あれから一週間と少し、彼はここを離れることなく、ずっとここで過ごしていた。来客用の部屋で寝泊まりして、ただでいるわけにはいかないからと病人の世話の手伝いもしていた。
「貴方がよくなるまでここにいて良いと、エフラム様もおっしゃっていられました」
なるほど、あのエフラム様が。それならあまり心配する必要もないかもしれない。
ここは、病院というよりも療養所と言った方が正しい場所だろう。
山の上にあり、空気が澄んでいる。私の傷口から侵入した細菌は、私の体を蝕む。夜中に痙攣が治らず、助けてくれ!と叫んだ日もあった。病は快調に向かっている。腕に巻かれた包帯を取り替えながら、ゼトさんは優しげに微笑んだ。
「じゃあ、早くよくならないと」
「もちろんです。きっとよくなりますよ」
山の奥なので、娯楽らしい娯楽はない。私は大人しく、寝台のうえで読み物を読むか、書き物をするくらいしかないのだ。
ゼトさんが来てから、馬の世話は彼に任せることにした。きちんと調教してあるし、元々は農作のために使っていたから、ここの畑に使ってやって欲しいと置いてあるのだが、やはりたまには名一杯走らせてやらねばならないだろう。
「お医者様曰く、もうほとんど治っているんですって」
「それはいいことですね」
ゼトさんは、戦場であったことについて多くを語ろうとしなかった。私から聞くことでもないけれど、戦でどんなことがあったか、誰がどうなったか、それは暇つぶしのいい話題になりそうなのに。
「はい、できました」
「ありがとうございますーーもう手慣れたものですね」
最初は腕にまくだけですごく手間がかかっていた。けれど、今は話しながらでもスルスルと巻いてしまう。
「あまり見られると緊張します」なんて言われた時には思わず笑ってしまったけれど。
私がゼトさんを独り占めできている。前世でどのくらいの徳を積んだのだろうか。嬉しくて、時々泣きそうになる。
「もうすぐ夏ですね」
日に日に日差しは強くなり、夜が短くなる。夏は、好きな季節だ。農作業をするのにうってつけだし、何より早朝の涼しい風が心地いい。
長い冬が明けて、花が咲く。そんな素敵な季節だ。皆も開放的になる。
「……ナマエ殿、このような伝説を知っていますか。6月に結婚した花嫁は、幸せになる、と」
差し出された手をそっと触った。
「……こんな病室でプロポーズなんて、不意打ちすぎやしませんか」
「すみません。放っておくと、貴方がどこかに消えてしまいそうな気がしたんです」
許してくれますか、と彼は私に跪いた。
「許すも何もーーそんなのないですよ」
彼を騎士たらしめているのは、仕える主人あってこそだ。私にそうしたということは、相応の覚悟をもって言っているのだろう。
嬉しくて、嬉しくて本当に人生最高の瞬間のはずなのに、どうしてか後ろめたい気持ちがあった。
夏が来る頃には治る。そう信じて私は薬を飲む。血管から通るそれも、いつの間にか慣れてしまった。
「私、ちゃんと死なないでいられるかな」
私が弱音を吐くと、決まって彼が黙って背中を撫でるのだった。
夏になった。私はもうすっかり元気になっていた。あとはただ、彼と共に行くだけだ。リボン付きの婦人帽をかぶり、弓を引いていた指は柔らかくなった。硬くなった掌はそのままに、体力だけがなくなり、筋肉も落ちてしまった。
私はもう二度と戦場に立つことがないのだ。
馬に乗って帰る。私は行ったことのない国へ行き、彼と結婚する。
「私は、もう騎士ではないのです」
「え」
「もう二度と戻らない覚悟で出て行きました。仕えるべき主の元から離れるなど、あってはならないことなのですが……貴方のことを思うと、抑えられなかったのです」
背中の後ろから、彼がそう囁く。草原の真ん中で、いきなりの告白だった。
「おそらく私は、もう二度と以前のように剣を振るうことはできないでしょう」
自分に言い聞かせるように、彼は言っている。
「これから先は、全て貴方のために使いたいーー騎士とは、主君のために命をかけるものです。が、私は貴方のこととなると、どうしても迷いが生じてしまう。本当に、貴方が怪我さえしなければ、我が国のために来て欲しかった。けれど、それもできないでしょう」
彼が責任感ゆえにそう思っているのか、本当に自分を愛しているのか、まるで分からなかった。
「騎士でもない、仕えるべき主人もいない、そんな私です。騙すような形になって、申し訳ないが、私と共に来てくれませんか」
左手の薬指が、急に重くなったように感じた。そして、彼が手綱を握る手を力なく包み込んだ。
その後、自分がなんと返したかは覚えていない。
けれど、彼が静かに泣いていたことだけは、どうしても忘れられなかった。
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