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ジェイド、頭をよくしてあげよう
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ナマエがボクの「先生」になってまず最初にしたことは、本を読むことだった。ナマエはボクのことをあまりにも世間知らずすぎるから、なんて言って本当に子供向けの絵本を突き出してきたから、十秒で読み終えて戻した。その後、「からかってごめん」と言って、字の小さな本を取り出してきた。
「こんなの読めないよ」
「大丈夫大丈夫。わたしも読んだから」
本をぱっと開くと、アリの行列のような小さな字が一面に並んでいた。ぱらぱらとめくると時々挿絵が入っていたけれど、それでもボクがこれを読むのにはそれなりに時間がかかりそうだ。
「それ、わたしの本だから返すのはいつでもいいよ」
ナマエ曰く、その本は有名な作家の小説でドイツ人の子供なら誰でも読むことになる、らしかった。ボクはそういうのもよくわからない。普通とか常識とか、そんな言葉で丸め込まれているような気がする。
おじいさんとおばあさんと一緒にいたときに、家には本棚があったけれど、そこに並んでいたのは大人向けのものばかりだったし、第一ボクは読書とか、大人しい遊びは苦手だったから、よくわからない。
ナマエの言うことが正しいと思ってやるしかない、のかもしれない。
「わからない言葉があったら、辞書で引くの」
彼女から手渡された、これまた凄まじい分厚さの本を受け取ると、手のひらにずっしりとした重みが加わった。
「……これも全部読むの?」
「辞書の使い方もわからないんだ。じゃあ教えてあげる」
こんなんじゃ将来苦労するね。
ナマエは無邪気に笑う。嬉しそうだ。でもちょっとちょっと偉そうだな。
ナマエが嬉しそうにしているとボクも嬉しい。
だって、友達だから。友達が楽しそうにしているからボクも楽しくなるんだ。
そうなんだって、ナマエが全部教えてくれた!
「学校ではね、国語の時間にね、みんなでこれの使い方を教わるんだ。ジェイドもすぐ使えるようになるよ。だって、もっと難しいこと師匠さんに教えて貰ってるんでしょ?」
「ジェイドは足も速いよね、ジェイドだったら、そうだな……体育で一番になれそうだね。五十メートル走、わたしは後ろから数えた方が早い、かも……。やっぱり超人って違うのかな。うちの学校にはいないからわかんないや。あ、一緒に走るのはナシね」
「学校では絵を描く授業もあるんだよ。わたし、ジェイドの描いた絵とか見たことないかも。ここの路地に猫がいるの知ってる? かわいいよね、それを描いてよ。わたし、猫ちゃんを見たいなぁ」
「なんで通分するとき数字を揃えないの?」
「ちゃんと教えたことは覚えて」
「普通公式に当てはめたら解けるよね?」
「……いいよ。怒ってないよ。わたしがジェイドのこと、ちゃんと面倒みてあげるから」
頭をよくしてあげようと思って、わたしは色々と頑張った。頑張って、頑張ったけど、諦めた。
諦めたという言い方は正しくない。
ジェイドが自分を追い越しそうで、教えるのが嫌になった。
最初はくだらない揚げ足取りから始まって、ちょっとしたケアレスミスを指摘すると、ジェイドは雨に濡れた犬みたいに落ち込んでしょんぼりとする。落ち込んで、それでもすぐにどうしたらいいか聞いてくる。
ジェイドは頭がよかった。
当たり前だ。あんな師匠のめちゃくちゃな訓練に適応できるのは普通の脳みそでは無理だ。
追い越されるんじゃないかと思った。ジェイドは何でも呑み込みがはやくて、わたしよりも上手くできた。ちょっとでもコツをつかめばすぐにできる人だった。
ちょっとした時間で教科書を使って、小学生のわたしが拙い方法で教えているというのに、次の日にはちゃんと覚えて使いこなしているから。わたしの面子は丸つぶれだ。
そのうち勉強を教えるのが嫌になって、周りで流行っていることや遊びのことを教えるようになった。ジェイドの家に行ったことはないけど、彼の話から察するにテレビもあまり見れないし、遊ぶようなおもちゃも何もないんだろうということはなんとなく察せられた。そしてジェイドにはわたし以外に同年代の友達がいない。
だからわたしは、読んだ本や学校での出来事を話すようになった。前からそんな話はしていたんだけど、わたしたちの付き合いが長くなればなるほど、話は生々しくなっていった。
ジェイドには分からない話だったと思う。
わたしは彼に彼が名前も顔もしらないような人の話ばかり聞かせることになった。誰が誰の悪口を言ってた、とか。わたしもクラスメイトの嫌な話をした。猫の話ばっかりしてるやつがウザい、とか――わたしのうちは賃貸だったから動物が飼えなかった――、誰かと誰かが付き合ってる、とか。
ああ、そういえばジェイドは「付き合ってる」の意味もわかってなかった。あの厳格な師匠とやらは、強くなるために邪魔になるであろう要素――恋愛とかそういったくだらない遊戯から徹底的にジェイドを遠ざけているように見えた。
わたしもいずれ邪魔になる。そうやって切り捨てられるに決まっている。普段どれだけのことをやっているかわたしは間近で見ているから、あの異様なまでのストイックさがいつわたしに向かってきてもおかしくない。ジェイドは師匠が言うことなら何でも聞くようないい子だ。どれだけ酷いことをされても、言われても、師匠に絶対服従の姿勢を変えることはできないだろう。
――わたしはジェイドといると、とことん性格が悪くなる。
自分がとてつもなく悪い子だと断言されているような気持ちになる。
彼の真っ直ぐすぎる目を見ていると責め立てられているような気がして、よくない気持ちになるんだと気づいた。
いつの間にか逆転していくんだろうか。友達って本当は平等であるべきなのに、わたしはジェイドに引け目を感じている。それを彼に気づかれるのが怖くて、だましだましでずっと接してしまう。
それって本当に、友達だって思っていいんだろうか。
「ジェイドはさ、好きな子とかいないの」
わたし以外に仲良くしている同年代の女がいないと分かった上で聞いていた。
「……それって『付き合いたい』って思う人がいるってこと?」
「うん……まぁ、そーかも」
静かな森の中では、時折鳥のさえずりが聞こえてくる以外は音らしい音は存在していなかった。自分で話題を振っておきながら、このあとの会話をどうしたらいいかまたわからなくなっている。
……毎回こうなる。わたしはこの師弟に会うと、学校の時みたいに溌剌と話せなくなってしまう。
「うーん」
「興味もないの? 本当に?」
興味があったら困るよ。ジェイドは馬鹿なクラスメイトみたいになんでもかんでも囃し立てて蹂躙して、人の感情を娯楽扱いしてぶち壊すような人じゃないでしょ。ジェイドは違う。絶対に違う。確かめたくて、わたしは馬鹿みたいな質問を重ねる。
「……わかんない」
わたしはほっと胸をなで下ろした。そもそも、こんなに訓練漬けのジェイドに好きな人なんて出来るわけがない。わたしと会うまでテレビゲームも知らなかったような世間知らずの子が、何もかもすっとばして恋愛なんてできたら、わたしの存在意義がなくなってしまうし。
それに――、わたしのことを好きになっても困る。でもジェイドがわたし以外を好きになっても困る。こうやってずっと張り付いているのは、ジェイドが無駄な交流を増やさないようにわたしが見張ってあげているからだ。友達だし、やっぱり友達の夢は応援してあげたい。理解できなくても、一緒にいるからわたしはジェイドが望むようになってほしい。
「……なら、いいよ」
「……ナマエ、正直に聞くけど、レーラァに言われて聞いてるの」
一瞬ドキっとした。わたしがスパイか何かだと思っていたんだ。そんなこと、絶対しないのに。
「違うよ。わたしが気になっただけ」
「そうなんだ……。それって普通のこと?」
彼の二つの目が不安の色を湛えて、揺らいでいる。木に生い茂っている葉みたいな緑色。わたしのせいで彼の真っ直ぐな目がぐらぐら揺らいでいる。綺麗だな、と思った。
ジェイドの真摯な姿勢が、そういうところがわたしは好きだな、と思う。
そして、綺麗な水にインクをこぼしてしまった時と同じ後悔が同時に襲ってきた。
「普通、だけど仲が良くないと聞いちゃ駄目な気がする」
「マナーが、ってこと?」
「ううん……。どちらかというと、信頼かも。踏み込むのって、結構しんどいんだよ」
「……それでもナマエは、ボクに聞きたかったんだね」
一言が、ずしりと石のように重い。ジェイドは照れた時いつもそうするようにうつむいて、わたしの側にそっと近寄った。子猫がじゃれている時みたいだけど、身長も大して変わらない相手にそうされると、猫じゃないから緊張する。
「ナマエは、好きな人っているの」
「わたし、は……」
実際のところ、どうなんだろう。まさかジェイドに逆質問されるとは思ってもいなかったから、言葉に詰まった。
学校の男子、くだらない。従兄弟や近所の子、幼稚園で会った子。お母さんの友達の子供。思いつく限りの顔が頭の中で浮かんだけど、どれもピンとこなかった。そもそも好きって何? まずはそこから考える必要がある。
……あっ。それだと、ジェイドと同じじゃん。
ここで「いる」っていったら、ちょっと大人って思ってもらえる?
でも、嘘をつくのはよくないことだ。
わたしは散々ジェイドに色んなことを教えたけど、嘘を教えたことはない。まあちょっとばかり誇張したことはあるけど、まるきりの嘘はついたことはない。そうしないようにしていた。
ジェイドの期待が込められた眼差しが、じっとわたしを見ている。
わたしが始めた遊びだった。それもいつの間にか、自分の首を絞めるような、馬鹿げた行いに変わっていった。
こんなところで見栄を張ったってどうしようもないのに。でも、ジェイドなら、ジェイドならわたしのこんな馬鹿げたところもひっくるめて受け入れてくれる? どんなことをしたって、この無知で、無垢で、わたしだけしか知らないんだから。
お人形みたい。
何にも知らないんだ。
そう思うと、わたしの手は自然とジェイドの肩に触れていた。
「ジェイドがわたしのことを、好きなら好きだよ」
わたしの中では沢山の友達の顔、親の顔、色んな人の顔が浮かんだ。ジェイドが思い浮かべる人なんて、たかが知れている。片手で数えられるくらいの人間関係しか持っていない人間に、こんな言葉を突きつけるのは酷いことだろう。
それでもわたしは意地が悪い言葉を言ってしまった。ジェイドのことが好きかはわからない。友達だと思っている。でも、わたしのことを明らかに慕ってくれている同い年の男の子を――とびきり綺麗なお人形を、わたしは専有してみたいと思った。
お母さんが飼うのを許してくれなかった猫、友達だけが持っている色数の多い色鉛筆、その延長線上にジェイドはいる。
「……あなたはわたしが最初に見つけた。だから、ジェイドは特別な人。ジェイドはわたしが磨いた宝石。大事お友達だけど……ジェイドはわたし以外を知らないでしょ」
「そ、そうだけど……。でも、エッセンさんやレーラァと同じくらい、ナマエのことが好きだよ! 本当に!」
「ジェイド、わたしはあなたが一番だって言ってあげてもいいけど。でも、それはジェイドもわたしのことが一番だって、世界中の誰よりも特別だって、全部見てから決めないと意味がないんだよ。この先でもっと色んな人に会うと思うんだ。色んな人の中で、わたしが一番だって言えるなら、それならわたしもジェイドのことが好きだよ」
「……」
「むずかしいこと、言っちゃった。でも、考えておいてね。ジェイドなら分かるでしょ? 腹心の友。この前貸してあげた本に載ってた言葉」
ジェイドは何か言いたげに口をもごもごとさせながら、森の奥へと入っていくわたしの後を黙って付いてきた。この中に入ると、おとぎ話に出てくる悪い魔女が出てきそうで怖かったけど、ジェイドなら何でもやっつけてくれそうで、実際に丸太を真っ二つにする彼を見ながら、絵を描くのが好きだった。友達には付き合いが悪いと言われて、スケートにも誘われなくなった。わたしは休み時間は本ばかり読んでいてつまらないと思われて、でも平気だった。ジェイドと放課後話す時だけが、わたしがわたしらしくいられる時だったから。
親に言えないことを、アンネの日記帳よろしくジェイドに何でも話した。何でもお話しすぎて、いつか重大な秘密を握ってしまったわたしが、うっかりをそれを口走ってしまった時なんか、口封じのために彼を殺してしまうんじゃないかとも思った。
ジェイドを学校にやらなかった彼の師匠の判断は、正しかったのだと断言できる。
彼はあんな汚いところで人間の醜いものなんて見なくていい。
ずっとわたしが教えてあげるキラキラしたものを見ていて! 間違いなく正しいものだけ、見せてあげたい。そしておねがいだから、わたし以上に賢くならないでその上で馬鹿にならないで。わたしが全部教えてあげる。わたしを頼って、わたしが教えた言葉で話して、そうやって大人になってよ。オウムが言葉を繰り返すみたいに、ジェイドの中でわたしが一番になってほしい。絶対に、無理だってわかってるけど。いつかこれも終わるんだって、知ってるけど今だけはおねがいします。神様!
黒い森の中で、わたしたちは仲良しのきょうだいみたいに手を繋いで奥へと進む。いつかその手が離れてしまう時まで、ジェイドの一番のともだちは、わたし!
「こんなの読めないよ」
「大丈夫大丈夫。わたしも読んだから」
本をぱっと開くと、アリの行列のような小さな字が一面に並んでいた。ぱらぱらとめくると時々挿絵が入っていたけれど、それでもボクがこれを読むのにはそれなりに時間がかかりそうだ。
「それ、わたしの本だから返すのはいつでもいいよ」
ナマエ曰く、その本は有名な作家の小説でドイツ人の子供なら誰でも読むことになる、らしかった。ボクはそういうのもよくわからない。普通とか常識とか、そんな言葉で丸め込まれているような気がする。
おじいさんとおばあさんと一緒にいたときに、家には本棚があったけれど、そこに並んでいたのは大人向けのものばかりだったし、第一ボクは読書とか、大人しい遊びは苦手だったから、よくわからない。
ナマエの言うことが正しいと思ってやるしかない、のかもしれない。
「わからない言葉があったら、辞書で引くの」
彼女から手渡された、これまた凄まじい分厚さの本を受け取ると、手のひらにずっしりとした重みが加わった。
「……これも全部読むの?」
「辞書の使い方もわからないんだ。じゃあ教えてあげる」
こんなんじゃ将来苦労するね。
ナマエは無邪気に笑う。嬉しそうだ。でもちょっとちょっと偉そうだな。
ナマエが嬉しそうにしているとボクも嬉しい。
だって、友達だから。友達が楽しそうにしているからボクも楽しくなるんだ。
そうなんだって、ナマエが全部教えてくれた!
「学校ではね、国語の時間にね、みんなでこれの使い方を教わるんだ。ジェイドもすぐ使えるようになるよ。だって、もっと難しいこと師匠さんに教えて貰ってるんでしょ?」
「ジェイドは足も速いよね、ジェイドだったら、そうだな……体育で一番になれそうだね。五十メートル走、わたしは後ろから数えた方が早い、かも……。やっぱり超人って違うのかな。うちの学校にはいないからわかんないや。あ、一緒に走るのはナシね」
「学校では絵を描く授業もあるんだよ。わたし、ジェイドの描いた絵とか見たことないかも。ここの路地に猫がいるの知ってる? かわいいよね、それを描いてよ。わたし、猫ちゃんを見たいなぁ」
「なんで通分するとき数字を揃えないの?」
「ちゃんと教えたことは覚えて」
「普通公式に当てはめたら解けるよね?」
「……いいよ。怒ってないよ。わたしがジェイドのこと、ちゃんと面倒みてあげるから」
頭をよくしてあげようと思って、わたしは色々と頑張った。頑張って、頑張ったけど、諦めた。
諦めたという言い方は正しくない。
ジェイドが自分を追い越しそうで、教えるのが嫌になった。
最初はくだらない揚げ足取りから始まって、ちょっとしたケアレスミスを指摘すると、ジェイドは雨に濡れた犬みたいに落ち込んでしょんぼりとする。落ち込んで、それでもすぐにどうしたらいいか聞いてくる。
ジェイドは頭がよかった。
当たり前だ。あんな師匠のめちゃくちゃな訓練に適応できるのは普通の脳みそでは無理だ。
追い越されるんじゃないかと思った。ジェイドは何でも呑み込みがはやくて、わたしよりも上手くできた。ちょっとでもコツをつかめばすぐにできる人だった。
ちょっとした時間で教科書を使って、小学生のわたしが拙い方法で教えているというのに、次の日にはちゃんと覚えて使いこなしているから。わたしの面子は丸つぶれだ。
そのうち勉強を教えるのが嫌になって、周りで流行っていることや遊びのことを教えるようになった。ジェイドの家に行ったことはないけど、彼の話から察するにテレビもあまり見れないし、遊ぶようなおもちゃも何もないんだろうということはなんとなく察せられた。そしてジェイドにはわたし以外に同年代の友達がいない。
だからわたしは、読んだ本や学校での出来事を話すようになった。前からそんな話はしていたんだけど、わたしたちの付き合いが長くなればなるほど、話は生々しくなっていった。
ジェイドには分からない話だったと思う。
わたしは彼に彼が名前も顔もしらないような人の話ばかり聞かせることになった。誰が誰の悪口を言ってた、とか。わたしもクラスメイトの嫌な話をした。猫の話ばっかりしてるやつがウザい、とか――わたしのうちは賃貸だったから動物が飼えなかった――、誰かと誰かが付き合ってる、とか。
ああ、そういえばジェイドは「付き合ってる」の意味もわかってなかった。あの厳格な師匠とやらは、強くなるために邪魔になるであろう要素――恋愛とかそういったくだらない遊戯から徹底的にジェイドを遠ざけているように見えた。
わたしもいずれ邪魔になる。そうやって切り捨てられるに決まっている。普段どれだけのことをやっているかわたしは間近で見ているから、あの異様なまでのストイックさがいつわたしに向かってきてもおかしくない。ジェイドは師匠が言うことなら何でも聞くようないい子だ。どれだけ酷いことをされても、言われても、師匠に絶対服従の姿勢を変えることはできないだろう。
――わたしはジェイドといると、とことん性格が悪くなる。
自分がとてつもなく悪い子だと断言されているような気持ちになる。
彼の真っ直ぐすぎる目を見ていると責め立てられているような気がして、よくない気持ちになるんだと気づいた。
いつの間にか逆転していくんだろうか。友達って本当は平等であるべきなのに、わたしはジェイドに引け目を感じている。それを彼に気づかれるのが怖くて、だましだましでずっと接してしまう。
それって本当に、友達だって思っていいんだろうか。
「ジェイドはさ、好きな子とかいないの」
わたし以外に仲良くしている同年代の女がいないと分かった上で聞いていた。
「……それって『付き合いたい』って思う人がいるってこと?」
「うん……まぁ、そーかも」
静かな森の中では、時折鳥のさえずりが聞こえてくる以外は音らしい音は存在していなかった。自分で話題を振っておきながら、このあとの会話をどうしたらいいかまたわからなくなっている。
……毎回こうなる。わたしはこの師弟に会うと、学校の時みたいに溌剌と話せなくなってしまう。
「うーん」
「興味もないの? 本当に?」
興味があったら困るよ。ジェイドは馬鹿なクラスメイトみたいになんでもかんでも囃し立てて蹂躙して、人の感情を娯楽扱いしてぶち壊すような人じゃないでしょ。ジェイドは違う。絶対に違う。確かめたくて、わたしは馬鹿みたいな質問を重ねる。
「……わかんない」
わたしはほっと胸をなで下ろした。そもそも、こんなに訓練漬けのジェイドに好きな人なんて出来るわけがない。わたしと会うまでテレビゲームも知らなかったような世間知らずの子が、何もかもすっとばして恋愛なんてできたら、わたしの存在意義がなくなってしまうし。
それに――、わたしのことを好きになっても困る。でもジェイドがわたし以外を好きになっても困る。こうやってずっと張り付いているのは、ジェイドが無駄な交流を増やさないようにわたしが見張ってあげているからだ。友達だし、やっぱり友達の夢は応援してあげたい。理解できなくても、一緒にいるからわたしはジェイドが望むようになってほしい。
「……なら、いいよ」
「……ナマエ、正直に聞くけど、レーラァに言われて聞いてるの」
一瞬ドキっとした。わたしがスパイか何かだと思っていたんだ。そんなこと、絶対しないのに。
「違うよ。わたしが気になっただけ」
「そうなんだ……。それって普通のこと?」
彼の二つの目が不安の色を湛えて、揺らいでいる。木に生い茂っている葉みたいな緑色。わたしのせいで彼の真っ直ぐな目がぐらぐら揺らいでいる。綺麗だな、と思った。
ジェイドの真摯な姿勢が、そういうところがわたしは好きだな、と思う。
そして、綺麗な水にインクをこぼしてしまった時と同じ後悔が同時に襲ってきた。
「普通、だけど仲が良くないと聞いちゃ駄目な気がする」
「マナーが、ってこと?」
「ううん……。どちらかというと、信頼かも。踏み込むのって、結構しんどいんだよ」
「……それでもナマエは、ボクに聞きたかったんだね」
一言が、ずしりと石のように重い。ジェイドは照れた時いつもそうするようにうつむいて、わたしの側にそっと近寄った。子猫がじゃれている時みたいだけど、身長も大して変わらない相手にそうされると、猫じゃないから緊張する。
「ナマエは、好きな人っているの」
「わたし、は……」
実際のところ、どうなんだろう。まさかジェイドに逆質問されるとは思ってもいなかったから、言葉に詰まった。
学校の男子、くだらない。従兄弟や近所の子、幼稚園で会った子。お母さんの友達の子供。思いつく限りの顔が頭の中で浮かんだけど、どれもピンとこなかった。そもそも好きって何? まずはそこから考える必要がある。
……あっ。それだと、ジェイドと同じじゃん。
ここで「いる」っていったら、ちょっと大人って思ってもらえる?
でも、嘘をつくのはよくないことだ。
わたしは散々ジェイドに色んなことを教えたけど、嘘を教えたことはない。まあちょっとばかり誇張したことはあるけど、まるきりの嘘はついたことはない。そうしないようにしていた。
ジェイドの期待が込められた眼差しが、じっとわたしを見ている。
わたしが始めた遊びだった。それもいつの間にか、自分の首を絞めるような、馬鹿げた行いに変わっていった。
こんなところで見栄を張ったってどうしようもないのに。でも、ジェイドなら、ジェイドならわたしのこんな馬鹿げたところもひっくるめて受け入れてくれる? どんなことをしたって、この無知で、無垢で、わたしだけしか知らないんだから。
お人形みたい。
何にも知らないんだ。
そう思うと、わたしの手は自然とジェイドの肩に触れていた。
「ジェイドがわたしのことを、好きなら好きだよ」
わたしの中では沢山の友達の顔、親の顔、色んな人の顔が浮かんだ。ジェイドが思い浮かべる人なんて、たかが知れている。片手で数えられるくらいの人間関係しか持っていない人間に、こんな言葉を突きつけるのは酷いことだろう。
それでもわたしは意地が悪い言葉を言ってしまった。ジェイドのことが好きかはわからない。友達だと思っている。でも、わたしのことを明らかに慕ってくれている同い年の男の子を――とびきり綺麗なお人形を、わたしは専有してみたいと思った。
お母さんが飼うのを許してくれなかった猫、友達だけが持っている色数の多い色鉛筆、その延長線上にジェイドはいる。
「……あなたはわたしが最初に見つけた。だから、ジェイドは特別な人。ジェイドはわたしが磨いた宝石。大事お友達だけど……ジェイドはわたし以外を知らないでしょ」
「そ、そうだけど……。でも、エッセンさんやレーラァと同じくらい、ナマエのことが好きだよ! 本当に!」
「ジェイド、わたしはあなたが一番だって言ってあげてもいいけど。でも、それはジェイドもわたしのことが一番だって、世界中の誰よりも特別だって、全部見てから決めないと意味がないんだよ。この先でもっと色んな人に会うと思うんだ。色んな人の中で、わたしが一番だって言えるなら、それならわたしもジェイドのことが好きだよ」
「……」
「むずかしいこと、言っちゃった。でも、考えておいてね。ジェイドなら分かるでしょ? 腹心の友。この前貸してあげた本に載ってた言葉」
ジェイドは何か言いたげに口をもごもごとさせながら、森の奥へと入っていくわたしの後を黙って付いてきた。この中に入ると、おとぎ話に出てくる悪い魔女が出てきそうで怖かったけど、ジェイドなら何でもやっつけてくれそうで、実際に丸太を真っ二つにする彼を見ながら、絵を描くのが好きだった。友達には付き合いが悪いと言われて、スケートにも誘われなくなった。わたしは休み時間は本ばかり読んでいてつまらないと思われて、でも平気だった。ジェイドと放課後話す時だけが、わたしがわたしらしくいられる時だったから。
親に言えないことを、アンネの日記帳よろしくジェイドに何でも話した。何でもお話しすぎて、いつか重大な秘密を握ってしまったわたしが、うっかりをそれを口走ってしまった時なんか、口封じのために彼を殺してしまうんじゃないかとも思った。
ジェイドを学校にやらなかった彼の師匠の判断は、正しかったのだと断言できる。
彼はあんな汚いところで人間の醜いものなんて見なくていい。
ずっとわたしが教えてあげるキラキラしたものを見ていて! 間違いなく正しいものだけ、見せてあげたい。そしておねがいだから、わたし以上に賢くならないでその上で馬鹿にならないで。わたしが全部教えてあげる。わたしを頼って、わたしが教えた言葉で話して、そうやって大人になってよ。オウムが言葉を繰り返すみたいに、ジェイドの中でわたしが一番になってほしい。絶対に、無理だってわかってるけど。いつかこれも終わるんだって、知ってるけど今だけはおねがいします。神様!
黒い森の中で、わたしたちは仲良しのきょうだいみたいに手を繋いで奥へと進む。いつかその手が離れてしまう時まで、ジェイドの一番のともだちは、わたし!