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明日方舟
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「さっきの道、右折禁止だったぞ」
「えー、そうでしたっけ。すみません」
ナマエはヘラヘラとそう言ってのけた。半笑いの口が奇妙に歪んでいる。つくづく笑顔を作るのが下手――というかこいつの口は心から笑っていても胡散臭く見えるようにできているのではないか、と思うような顔の作りをしているのだと思う。可哀想なやつだと同情するところまで達してしまうくらいには。
不躾な態度も生来のものらしい。
「前見ろ、前」
「あぁ、はい」
俺に向かって頭を下げるくらいなら、別に謝らなくてもいいから安全運転を心がけてほしいと思う。
幸いにもこの時間帯は通りもまばらで、前後を走る車の影はない。街灯の光がぽつんと置いていかれたように光っては通り過ぎていく。
「ていうか、ディミトリさんも変わってますよねぇ。マフィアなのに、交通ルールを気にするなんて。しかもこんな時間、誰もいないし誰も見てないですよ」
「事故ったらどうするつもりなんだ?」
「大丈夫ですよ。わたし、事故ったことないんで」
「…………はぁ、そうか」
こんな危なっかしい運転のどこを信用しろというのだろう。……こんなことなら、自分で運転すればよかった。
乗用車の照明では文字を追うことすらできず、この時間にラジオを流してもお喋りなパーソナリティのトークに集中できる気がしない。かといってこいつの運転で眠ってしまったら、目覚めた時にはミンチになっていました――などという可能性もありえない話ではないので、ただ黙って起きているしかなかった。
ナマエは「寝ててもいいですよ」と言うが、こいつに任せていたら命がいくつあっても足りないと思う。こいつは俺を殺しに差し向けられたヒットマンなのではないか。そんなくだらない妄想が浮かんでは、すぐに別の悩みに置き換わって、消える。
「わたし、ずっとやりたいって思ってたことがあって」
「……あ? なんだ、いきなり」
「お父さんとお母さんが前に座ってて、家族で出かけた帰りの道で、わたしは後ろのシートに座ってるんですよ。車からはラジオか、親が選んだ曲がかかっていて、わたしはうつらうつら眠くなってしまうんです。そのまま眠ってしまう前に、前の親二人はラジオの音を下げるんですね。それで、わたしは安心して眠っちゃうんですよ」
「…………お前の妄想だな」
「あは、そうですね。わたしの親って碌でなしでしたもん。これって全部、最近読んだ本の受け売り、なんですよ……」
こいつにまともな家庭があるわけがない。別に言われなくてもそうだろうと察していた。そしてこいつが話す内容には深い意味はない。いつもでまかせしか口から出ないし、まともに取り合うだけ無駄だということを、俺は嫌というほど理解している。
「でも、幸せってこういうことですよね。いいなー、もう子供時代なんて戻れないけど、二回目があるなら絶対そういう家がいいです!」
ナマエは声を張り上げた。これは不幸自慢ではない。思ったことをとりあえず話しているだけで、言葉以上の意味はない。ナマエに家庭を持ちたい願望なんてないし、俺に慰めを求めているわけではない。ただ――、眠気を誤魔化すために大声を出して、とりとめのない話をしているのは分かった。
「眠いのか? 寝るなよ」
「そうですねー。眠いんで、近くのガソリンスタンド寄ってもいいですか?」
「あ、銘柄変えたんですか?」
ガソリンスタンドに寄ると言ったが、正確には給油もできる小売店に車を停めた。こんな夜中に店が開いているわけもなく、ナマエの目当てだった飲み物は売っていない。小さな建物の中に夜勤の店員が一人いるだけで、滞りなく給油は終わった。
一服しようと外に出ると、ナマエもその後に続いてくる。
「おい……」
「だって、一回外の空気を吸いたいんですもん」
胸ポケットからシガレットケースを取り出す。ナマエはさっとライターを取り出した。
「お前、こういう時くらいだな。気が利くのは」
「えへへ……」
冒頭の会話に戻る。
「……ああ、そうだ」
「ディミトリさん、いつも同じのじゃないですか。メントールのやつ。あの下品な俗説とか信じちゃってます? わたしは別にどっちでもいいやって思うんですけど、まぁ男性は気になりますよね」
こいつの発する言葉に深い意味はない。裏を取る必要はない。ただ聞いたことのあるトリビアを披露したいだけだ。他意はない。――下ネタを上司の前で堂々と言ってのける根性だけは評価できるかもしれない。ここまで考えて、俺は相当甘い判断を下しているのだと気づく。今日だけでも十回は自己批判をして、どうにかしなければいけないと思うのだが、どうやってもこいつの無駄のお喋りだけは改善しない。
「――おい」
「わたしも、いいですか?」
俺の返事を待たずにナマエは煙草を取り出した。折れて曲がって、どこかにでも落としてきたような箱の中から一本。指先でつまんで、うやうやしく吸い始めた。
「……お前、吸うのか? 今までそんなこと」
「吸ってますよぉ。上司の前ではやらないって決めてたんですけど、今日はちょっと眠すぎるんで。わたしも、ディミトリさんと同じ銘柄――だったんですよ。頭がスーってするやつ」
口からぷかぷかと煙を吐き出して、こいつはさらっと言い切った。
キオスクで売られているような安物のそれを、ナマエは目を閉じて吸い込む。俺が喫煙所に行っても黙って近くで棒立ちになっていた姿とはまるで違う。
横に立って空を見上げるナマエの姿は、いつもの貼り付けたような作り笑いとはまるで違っていた。無表情、というか疲れた大人の顔をしている。
「わたしのこと、ガキだと思ってました? 普通に、吸いますよ。これくらい……別に変ではないじゃないですか」
思い返せば、こいつの趣味に似合わず高そうなジッポーを使っていた時点で察して然るべきだったかもしれない。
「言動と実際の行動が不釣り合いなんだよ、お前は」
なんとなく――吸っていたとしても、大人に隠れてコソコソと吹かしているのが似合うような人間だと思っていた。実際のところはあまりにも普通で、正直面白くなかった。
「なんか、ディミトリさんってわたしのことを変なことばっかりしてる人だと思ってますよね」
「だから、実際に変なところが多いだろ」
「わたしも結構ありふれた価値観で生きてるんですよ。本当にどこにでもいる人間なんで、ディミトリさんとこうやって過ごすのも結構好きですよー」
よく考えれば、こいつの周りからはいつも自分と似た匂いがしていた。
「えー、そうでしたっけ。すみません」
ナマエはヘラヘラとそう言ってのけた。半笑いの口が奇妙に歪んでいる。つくづく笑顔を作るのが下手――というかこいつの口は心から笑っていても胡散臭く見えるようにできているのではないか、と思うような顔の作りをしているのだと思う。可哀想なやつだと同情するところまで達してしまうくらいには。
不躾な態度も生来のものらしい。
「前見ろ、前」
「あぁ、はい」
俺に向かって頭を下げるくらいなら、別に謝らなくてもいいから安全運転を心がけてほしいと思う。
幸いにもこの時間帯は通りもまばらで、前後を走る車の影はない。街灯の光がぽつんと置いていかれたように光っては通り過ぎていく。
「ていうか、ディミトリさんも変わってますよねぇ。マフィアなのに、交通ルールを気にするなんて。しかもこんな時間、誰もいないし誰も見てないですよ」
「事故ったらどうするつもりなんだ?」
「大丈夫ですよ。わたし、事故ったことないんで」
「…………はぁ、そうか」
こんな危なっかしい運転のどこを信用しろというのだろう。……こんなことなら、自分で運転すればよかった。
乗用車の照明では文字を追うことすらできず、この時間にラジオを流してもお喋りなパーソナリティのトークに集中できる気がしない。かといってこいつの運転で眠ってしまったら、目覚めた時にはミンチになっていました――などという可能性もありえない話ではないので、ただ黙って起きているしかなかった。
ナマエは「寝ててもいいですよ」と言うが、こいつに任せていたら命がいくつあっても足りないと思う。こいつは俺を殺しに差し向けられたヒットマンなのではないか。そんなくだらない妄想が浮かんでは、すぐに別の悩みに置き換わって、消える。
「わたし、ずっとやりたいって思ってたことがあって」
「……あ? なんだ、いきなり」
「お父さんとお母さんが前に座ってて、家族で出かけた帰りの道で、わたしは後ろのシートに座ってるんですよ。車からはラジオか、親が選んだ曲がかかっていて、わたしはうつらうつら眠くなってしまうんです。そのまま眠ってしまう前に、前の親二人はラジオの音を下げるんですね。それで、わたしは安心して眠っちゃうんですよ」
「…………お前の妄想だな」
「あは、そうですね。わたしの親って碌でなしでしたもん。これって全部、最近読んだ本の受け売り、なんですよ……」
こいつにまともな家庭があるわけがない。別に言われなくてもそうだろうと察していた。そしてこいつが話す内容には深い意味はない。いつもでまかせしか口から出ないし、まともに取り合うだけ無駄だということを、俺は嫌というほど理解している。
「でも、幸せってこういうことですよね。いいなー、もう子供時代なんて戻れないけど、二回目があるなら絶対そういう家がいいです!」
ナマエは声を張り上げた。これは不幸自慢ではない。思ったことをとりあえず話しているだけで、言葉以上の意味はない。ナマエに家庭を持ちたい願望なんてないし、俺に慰めを求めているわけではない。ただ――、眠気を誤魔化すために大声を出して、とりとめのない話をしているのは分かった。
「眠いのか? 寝るなよ」
「そうですねー。眠いんで、近くのガソリンスタンド寄ってもいいですか?」
「あ、銘柄変えたんですか?」
ガソリンスタンドに寄ると言ったが、正確には給油もできる小売店に車を停めた。こんな夜中に店が開いているわけもなく、ナマエの目当てだった飲み物は売っていない。小さな建物の中に夜勤の店員が一人いるだけで、滞りなく給油は終わった。
一服しようと外に出ると、ナマエもその後に続いてくる。
「おい……」
「だって、一回外の空気を吸いたいんですもん」
胸ポケットからシガレットケースを取り出す。ナマエはさっとライターを取り出した。
「お前、こういう時くらいだな。気が利くのは」
「えへへ……」
冒頭の会話に戻る。
「……ああ、そうだ」
「ディミトリさん、いつも同じのじゃないですか。メントールのやつ。あの下品な俗説とか信じちゃってます? わたしは別にどっちでもいいやって思うんですけど、まぁ男性は気になりますよね」
こいつの発する言葉に深い意味はない。裏を取る必要はない。ただ聞いたことのあるトリビアを披露したいだけだ。他意はない。――下ネタを上司の前で堂々と言ってのける根性だけは評価できるかもしれない。ここまで考えて、俺は相当甘い判断を下しているのだと気づく。今日だけでも十回は自己批判をして、どうにかしなければいけないと思うのだが、どうやってもこいつの無駄のお喋りだけは改善しない。
「――おい」
「わたしも、いいですか?」
俺の返事を待たずにナマエは煙草を取り出した。折れて曲がって、どこかにでも落としてきたような箱の中から一本。指先でつまんで、うやうやしく吸い始めた。
「……お前、吸うのか? 今までそんなこと」
「吸ってますよぉ。上司の前ではやらないって決めてたんですけど、今日はちょっと眠すぎるんで。わたしも、ディミトリさんと同じ銘柄――だったんですよ。頭がスーってするやつ」
口からぷかぷかと煙を吐き出して、こいつはさらっと言い切った。
キオスクで売られているような安物のそれを、ナマエは目を閉じて吸い込む。俺が喫煙所に行っても黙って近くで棒立ちになっていた姿とはまるで違う。
横に立って空を見上げるナマエの姿は、いつもの貼り付けたような作り笑いとはまるで違っていた。無表情、というか疲れた大人の顔をしている。
「わたしのこと、ガキだと思ってました? 普通に、吸いますよ。これくらい……別に変ではないじゃないですか」
思い返せば、こいつの趣味に似合わず高そうなジッポーを使っていた時点で察して然るべきだったかもしれない。
「言動と実際の行動が不釣り合いなんだよ、お前は」
なんとなく――吸っていたとしても、大人に隠れてコソコソと吹かしているのが似合うような人間だと思っていた。実際のところはあまりにも普通で、正直面白くなかった。
「なんか、ディミトリさんってわたしのことを変なことばっかりしてる人だと思ってますよね」
「だから、実際に変なところが多いだろ」
「わたしも結構ありふれた価値観で生きてるんですよ。本当にどこにでもいる人間なんで、ディミトリさんとこうやって過ごすのも結構好きですよー」
よく考えれば、こいつの周りからはいつも自分と似た匂いがしていた。
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