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ヴェスパー部隊の食べログ
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無理やり・首絞め・暴力
新入社員たちの様子がおかしいことに気づいたのは、この研修センターに来てから三日が経とうとしていた頃だった。
明らかに空気が澱んでいる。澱んでいる、というのは場の雰囲気が硬直して固まっているという意味で、それは簡単な刺激で崩壊しそうな脆い危うさを孕んでいた。
これはよくあるパターンである。
閉鎖的な環境に人間を閉じ込め、朝から晩まで新しいことを詰め込んで教えていたらこうなる。要は旧時代型の学校と同じ原理で、容易に起こりうることなのをホーキンスは知っている。そして、彼は長年の経験により、その正体になんとなく見当をつけていた。
ある一人の女性である。
彼女自身に何か大きな問題があるわけではない。態度は如何にも「無能な怠け者」そのものだったが、それ自体は悪いことではない。インテリのエリートが多い弊社において、合理主義的な考えを持つ人間は少なくはない。むしろ、如何に効率よく仕事を減らすか、この思想に長けている人間が多い。故に、彼女はこの集団においてはマイノリティではない。
問題は、彼女がこの会社の重役の子供だからである。要は、コネによる入社を妬んでいるのだ。これ自体はコネで入社したのだという確たる証拠がないため、表立って何かを言う人間はいない。彼女が平均から見て極端に無能であったり成績が悪いというわけでもなく、むしろ中の上程度を維持していた。問題は、役員名簿にある名前は彼女の苗字と一致していること。ただそれだけ。しかも、それを隠そうとはしなかった。恐れを知らないものにその事実について問われた時、馬鹿正直に彼女は答えた。自分が「そう」であると。
表立って悪口を言うための確たる証拠がない。誰しも、正当に叩く権利を持ち得ないで他者を糾弾する勇気はないのである。しかも、苦労して入った会社であるのなら、尚更だ。
何もしていなくても、何一つとして粗がなくても、なんの欠点がなくても、その一つで爪弾きにされ、水に混じった一滴のインクのように悪目立ちしている。
集団の和を乱す人間──異分子と看做される存在はどこにでもいるものだ。それに対して攻撃的になるか、もしくは刺激しないように警戒するか。どちらにしろ、ちょっとした刺激によってスケープゴートになりかねない存在であるのは確かだ。
アーキバスグループの体制が悪い。教育に掛けるコストを低く見積り過ぎている。軍隊じみたやり方にいくらでも文句はつけられるが、実際の成果を見る限り、効率のいい方法は「これ」なのだろう。
だからといって、この状況の改善を諦めるわけではない。せっかく入社してきてくれた新人たちだ。彼らが巣立つまでくらいは、せめてきちんと面倒を見てあげなくては。
使命感と義務と正義に燃える彼は、善き指導者たらんとする善人そのものだった。不正や汚職、明らかな法令違反が蔓延る暗黒企業において、現場仕事の長いベテランで人格者。彼を慕う人間は数多く存在し、社内で一定の地位を築いている。長年の経験を持ってして、厄介な新人を手名付けることなど造作もない仕事である──はずだった。
しかし、ホーキンスは気づいていなかった。
彼の女が悪魔に等しい悪癖を持つ大罪人であることを──。そして、その毒牙は誰の身にも平等に襲いかかるのだ。
※
消灯時間をとっくに過ぎた夜、ホーキンスは控えめなノックの音に気づいた。もうベッドに入ろうかと思っていたその時だったので、最初は空耳かと疑い無視しようとした。しかし、数秒おいて再び扉を叩く音が聞こえてくる。
覗き穴から確認すると、そこには件の女がいた。地味な寝巻きの上にカーディガンを羽織り、外出禁止の深夜であるにもかかわらず、指導教官の部屋を訪れてきた。表情は固く、視線は自信なさげに扉を見つめている。
ホーキンスは長年の経験からくる勘によって、この時間に訪問してくるということはかなり厄介な事案であることを察していた。寝入ったふりをして無視しても構わなかったが(実際、夜中に女性を部屋に入れると面倒なことにしかならない)、前述した事情もあったので、内鍵を外し、扉を開けた。
女はホーキンスの意図を察してか、素早く入ると後ろ手で鍵を締めた。ガチャン、と音を立てて扉は閉まる。神経質そうな女の顔は緊張が入り混じっているように見えたが、もっとよく見ようとしたところで鉄のような無表情に変わってしまった。
「座って、飲み物でも淹れようか」
「……部屋にポットがあるんですね」
「まぁ、私は個室だからねえ」
「いいですね。こっちは相部屋ですからリラックスもできませんよ」
最近の子は、こうもあけすけな言い方をするのだろうか。さらりと悪口のような言葉を吐いていたが、皮肉で言っているのか素直だけなのか、それは考えるだけ無駄なのだろう。
「研修期間が終われば、ちゃんと独身寮は個室だからね、それまで頑張ろう」
「…………外は吹雪いてますね。だけどこの部屋は静かだ」
ケトルでお湯を沸かすシューシューという音だけが聞こえている。分厚い窓の外では、激しい雪嵐は吹き荒んでいるが、頑丈な建物の中にいればその音は聞こえない。映画のスクリーンの中の出来事のように、他人事として眺めるしかなく、ホーキンスは女に指摘されるまでその事実すら忘れていた。分厚いカーテンの隙間から、それはわずかに見える。
ぬくぬくと暖かい部屋の中にいると、この場所から一歩でも外に出ると不毛の荒野が広がっている手付かずの惑星にいることを、忘れそうになる。
「紅茶でいいかな」
「なんでもいいですよ」
沸いた湯でダージリンを淹れている間、女はホーキンスの手つきをじっと観察していた。湯を注ぐと、部屋の清廉とした空気の中に穏やかな優しい香りが混じって溶け合う。
この時点で、ホーキンスはこの女が同期内で遠巻きにされていることの理由をあらかた察していた。余計なことを言うからそうなる、と言ってしまえば簡単なことだが、人の性癖というものはそう簡単には変わらない。曲者の多いヴェスパーの中でそういった個性は特段珍しくもない。軋轢を産みそうな摩擦は早いうちに消しておくのがいいが、何でも洗脳教育のごとく変えて仕舞えばいいわけでもない。
対話だ。
話をしなければ。
話をして相手を理解すれば何か有益な方へ導いてあげられるかもしれない。若い人間が吹かす新しい風は、組織の宝だ。それを無惨に枯らしてしまうことが一番損失なのだから。
「何か相談があって来たんじゃ無いのかな。ここでのことは他には言わないから、なんでも言っていいんだよ」
「……なんでも?」
ここまでずっと無表情のまま固まっていた女の表情が一瞬、揺らいだ。膝の上で握りしめた拳と、怒りとも焦りともつかないような奇妙な顔つきで、女はホーキンスの瞳をまっすぐに見つめている。
よほどのことがあるのかもしれない。
ホーキンスはすぐに答えることはせず、頷いて先を促した。
「はぁ……笑わないですよね。飽きれないですよね。わたしのことを、軽蔑しないですよね……。絶対に、黙っていてくれるって、約束しますか」
「あぁ、秘密は守るよ」
「ここにいる、全ての研修を受けている人間と性行為をしました。残っているのはホーキンスさん、あなただけです」
ティーカップがカチャンと音を立てた。
女は訥々と語り出した。
手術以降、自身の性欲が抑えきれないこと。自慰で抑えようとしたが不可能だったこと。そのため見境なく、性別も年齢も問わず性行為をしていること。その手段が、かなりめ強引だったので、恨みを買っていること。つまり自分は性犯罪者であり、いつか刺されるか裁かれるかして、まともな人間には戻れないであろうこと。重たい人間が面倒臭いこと。
人形のように身じろぎ一つせず、かなり踏み込んだところまで精細に語り尽くした。顔見知りの性生活を聞かされることは、筆舌にし難い苦痛がある。
その様子が機械が喋るように淡々としていたので、最初は何かの冗談かと疑う程だった。もう聞きたくないと何度も思ったが、一度ちゃんと聞くと言い出してしまった手前、引き返せないのである。
死刑宣告を受けた受刑者の気持ちが今ならわかる。この女は、脳の良心や常識を司る部分が壊れているのだ。強化手術を受けて脳のいじってはいけない箇所を「うっかり」触ってしまって、廃人や植物人間になってしまった人間がいることを知っている。
女はそのクチなのか、普通の倫理観があれば決して口にしないような卑猥な話題を、淡々と書面を読み上げるようにして語った。最近の手術は成功率も安定していると聞くが、こういうハズレを引いてしまう場合も、まだあるのだろう。
ホーキンスは、最早傾聴の姿勢を止めていた。こんな話をまともに聞いていては気が狂う。
脳裏には、今日に至るまで面倒を見てきた新入社員の顔が鮮明に浮かんだ。彼ら全員とセックスをしたというのがハッタリや冗談でないのは、女の醸し出している雰囲気で理解できた。嘘ではないと納得できる「凄味」を、この若さで持っているのは末恐ろしいことだ。
「……なんで、全員殺されたみたいな顔をしてるんですか。……わたしのことが怖いですか?」
「今まで色々と見てきたけれど、君みたいなタイプは初めてだよ。だから、どうしたらいいか見当がつかない」
「わたしは、スタンプラリーが好きなんです」
女はカップをソーサーに置くと、一拍置いて語り出した。
「昔通っていた学校で、自然学校のオリエンテーションがありました。それは山嶺の近くの森の中のハイキングコースに設置されたポイントをたどって、最終的にゴールまで行くっていう、要はありふれたハイキングなわけですよ。
わたしは……わたし達のグループは、順調に歩いていました。ハイキングコースといっても普通に森の中で、コンパスと地図を頼りに歩く必要があって、ボーイスカウトみたいなことをさせられていました。
そんな中、グループの中の一人が、足を挫いてしまったんです。それ自体は大したアクシデントではありませんでした。だって、誰かがおぶって歩けばよかったし、小一時間で終わるような内容だったから、そうしちゃえばよかった……。わたしはそう提案したんです。わたしがおぶって歩けるから、そうしようって。チェックポイントはあと一つで終わりでした。そうしたら完璧に終われる。だからちょっとだけ我慢してねって、そう思って。だってこれで中断したらその子も罪悪感を抱いてしまう。未完成は気持ち悪いから。中途半端なのが、嫌で……。それなのに、リーダーはその提案を却下しました。救難のサインを出して、その場で終了。抗議したけど、ダメでした。
わたしはずっと考えていますよ、その時のことをね。今だってそう。わたしは、やるならやるで徹底的にやりたいんです。適当に終わらせるのが、一番気持ち悪いから。みんなそうなんじゃないんですか? なんでも、最後までやり遂げる人が偉くて評価される。
ねぇ、わたしって間違っていますか?」
女の目は完全に焦点が合っていなかった。どこを見ているのかわからないような状態で、明らかに正気ではない。クスリか何かをやっているのか、アルコールの匂いは感じられない。もしくは、恐ろしいがシラフで「これ」なのか。
「…………はぁ〜〜。ムラムラし過ぎておかしくなりそうです。嫌なことを思い出させやがって……クソがッ! 死ね!」
机をガンガンと足で蹴りながら、女は暴言を吐き捨てた。
──これは手に負えない。
ホーキンスがこっそりと、万が一のために存在する(使うと思っていなかった)警備員を呼び出すボタンに手をかけると、女はホーキンスの顔面スレスレにソーサーを投げた。それが正確な狙いだったのか、顔に当てようとして外れたのかはわからないが、背後の壁に当たって割れる音が聞こえた。
「ねぇホーキンスさん、わたしの話を聞いた責任とってくださいよ。お茶なんて出してる場合じゃないでしょ。お願いしますよ……なんでも言う事聞いてくれるんですよね? ちゃんと新入社員が暴走しないよう、抜きに『使わせて』くださいよ……」
机に乗り上がって、女はホーキンスにジリジリと近寄る。
「一旦冷静になろう。近くには割れた破片もあるし、片付けてから話の続きを……」
「嫌だ。なんで?」
「こんなおじさんとやることをやっても、楽しくないんじゃないかな。それに私と君が性行為をすると、その、コンプライアンス的にどうだろうね。最悪の場合、君は職を失ってしまうんじゃないかな──「うるっさいなぁ‼︎」
女は無理やりホーキンスの口を塞いだ。手のひらで口を塞ぎ、女を押し除けて立ちあがろうとする体を押さえこむ。
近くに寄って初めて、女の首元にほんのりと香る香水の、鼻を刺すような匂いが香ってきた。この体のどこにそんな力があるのかと疑うほどに、訓練を受けた成人男性をいいように押さえつける力、そして、一切の行動に迷いがなく、暴力に躊躇がないことが恐ろしかった。
「話を聞いてくれるんじゃなかったんですか。嘘つきめ。信用が大事なんですよこういうのって。何もしてくれない癖に一丁前に理解者になろうとしないでくれます? わたし、本当に偽善者って嫌い。つまらない人は嫌い……殺したくなる」
ホーキンスの首筋、頸動脈に手を当てながら女は語り続けた。ドクドクと脈打っている心臓の鼓動が速くなっていることが丸わかりだ。
修羅場に際して喉を震わせるホーキンスを見て、女は満足げに笑った。
「あはは、せっかくだから……首でも絞めながらヤろうかな」
「危ないな……窒息してしまうよ」
「お前が死んだって、別にどうってことはないでしょうが……。何自分に価値があると思い込んでるんだよ、クソ……最悪、最悪、最悪ですよ。こんなゴミみたいな仕事……こんな場所に来るんじゃなかった……。マジでなんでこんなことになってるんだよっ⁉︎ わたしが色狂いの化け物だって言いたいのか⁉︎ 全員くたばればいいんだよ、クソが!」
半狂乱になりながらズボンを下ろす女をただ茫然と眺めながら、ホーキンスは医療部門から送られてきたメディカルチェックのデータについて思いを馳せていた。記憶の片隅で、女の健康状態についての情報を思い出す。
個人情報にあたる部分が大幅に黒く塗りつぶされたそれの中で、数少ない読める部分だった「術後の後遺症:情緒不安定、攻撃的な言動、被害妄想、自傷行為など問題行動が少々見受けられる」の文字が脳裏に浮かんだ。
何が「少々見受けられる」のだろう。
旧世代型の強化手術を受けたのかとみまごうほどの凶暴さに、声も出なかった。安定していると思っていた手術にも例外はあったのか、それとも、元々これがおかしいのかどちらかはわからない。
「…………やっば♡ 言葉では散々言っといてちんこは正直じゃん」
「う゛っ……」
下履きをずらされ、露出した生殖器をじっと見つめられる。先ほどからじわじわと、脱がせる前から手淫で嬲られていたので、本人の意思とは関係なく勃起してしまっている。
「あ〜♡ 上司のおじさんの雄ちんこサイコー♡ 新卒のガキに好き勝手されてさぁ、最悪の気分じゃないですか?」
先ほどまで口汚い言葉を吐いていたというのに、脱がせた途端この様子である。極端な変貌ぶりに、ホーキンスはこの女の異常性を垣間見た。
「……最悪だと押し計れる脳があるなら……あ゛っ、やめたらいいと思うよ」
「いつまで偉そうに保護者面してるんだかわからないですけど、あなたってわたしの父親かなにかなんですか? 理解ができないんですけどぉ……こんな服の上から触られただけで勃起させといてさ、何日抜いてないか当てて上げましょうか?」
「そんな──君は何をしてるのか、わかっていない……! あ゛っ……あ゛ぁっ……」
「わたしに、説教するな」
女は己の膣口に男性器を当てがうと、表情を変えず、眉ひとつ動かさず最後まで自身で呑み込んだ。蛇が獲物を丸呑みするかのような、恐ろしいまでにスムーズな動作であったが、その実膣内は狭く、抉り取るような刺激で抵抗する男性器を押さえつけているかのようだった。
口から漏れ出る呼吸と、わずかな唸り声は抑えようがない。必死で息をして、呼吸を整えて平静さを保っていないと、自分の持つ全てを飲み込まれるような気がした。
彼女の目は、全く笑っていない。光というものがない。怒っているというよりは、何にも期待していない、絶望した瞳をしていた。その双眸には見覚えがある。戦いでトラウマを負った兵士、傷ついて全てを諦めた人間はそんな目をしている。
たかが温室育ちのお嬢様だと思っていた。
舐めていた、見抜けなかった自分の敗北だったのか──。
「うっ……ぐっ……」
女の指がホーキンスを首を絞める。その手つきから、完全に窒息しないように相応の手加減をしているのがわかった。それでも、視界は薄れ、呼吸を求めて大きく口が開く。鼻で息をしていても取り込める酸素には限界があった。単純に苦しい。
「首絞めて、まんこの中でちんこが震えてやんの。バッカみたい、よくそんな本性抱えてわたしたちに『ご指導』できましたよね。立派なマゾ犬ですね。恥とかないんですか? あっ……また反応してる♡」
男性器を膣に突っ込んだまま、女は少し姿勢をずらす程度しか動かなかった。それなのに、そのわずかな刺激にも反応して快楽を得てしまう体が恐ろしい。自分のものではないかのような、コントロールできない快感が胸を不安で満たしていく。
「おじさんに合わせてスローなセックスしてあげてんだから感謝してほしいですね〜」
女の膣内からぐちぐちと、音がするように思える。実際に脈打っている体の中からしているのかもしれない。静かな部屋で視界が霞む中で音だけが、女の息遣いと自分が口から発する声だけがクリアに聞こえてくる。
脳に血流が上がり、頭をシェイクされるような鼓動が体の中で発せられていた。ただ思考は気持ちいいと思うことだけを丹念に拾い上げ、原始的な欲求が全身を支配した。文明的な生物であるという自覚がこぼれ落ちていく。
「…………ぅ…………ぁ……」
「…………っ!」
女は鬼気迫る表情でホーキンスの首を絞めていた。サスペンス映画で見るサイコパスの殺人鬼みたいな顔で、年若い女性がそうするに相応しくない異様な顔つきをしていた。それと同様に、苦しげな表情でもあった。まるで、自分が首を絞められているかのような──。
自分は、死ぬのではないか。
彼は本当に殺されるのではないかと思ったが、体は結局いうことを聞かないのである。彼の肉体に主導権などはなく、ただ女にされるがままに快感を享受するしかなかった。
首を絞められるごとにそれに連動するかのように女の膣もまた、きつく締め上げてくる。下品で低俗な例えではあるが、その手の電動オナホールを連想するような動きだった。
もはや生物同士の交尾の体をなしていない。機械的に体を動かして射精を誘っているだけに過ぎない。
「首、絞められて……イけ」
そう命令されると、暗示にかけられたかのように筋肉が弛緩する。
女は一瞬手の力を緩めて一呼吸させたのちに、今までから類を見ない握力でホーキンスの首を絞めた。絞めるというよりは、首の骨ごと持っていくような動きだった。
彼は本当に、死を覚悟した。
そして、その瞬間に吐精した。
「…………」
女は感じているのかいないのか、神妙な顔つきでその様子を見ていた。ホーキンスの首から手を離してじっと耐えるように目を閉じた
「……はぁっ、はぁ」
彼は肩で息をした。俯いてよく顔の見えない女が、どんな表情をしているかなんてわからなかった。
生暖かい膣の中で、体温を帯びているはずの精子の感覚はなかった。そうして初めて、ホーキンスは冷静さを取り戻すと、ことの重大さを認識してカッと叫びたくなった。しかしそれはできなかった。夜中に大声を出すという迷惑を犯すことができない。常識が本能を阻害する。
「……つまんな」
冷徹にそう吐き捨てた女は、見るも穢らわしいと言わんばかりに自身の愛液で湿ったホーキンスの下生えを睨みつけた。
※
新入社員の教育期間も終わろうとしていた頃だった。人気のない廊下を歩いていると、大声で何かを喚く男の声を聞いた。何事かと思って近づくと、件の女が男に怒鳴られている。修羅場の真っ最中だった。
ホーキンスの体は思わず強張った。普段ならさっさと出て行って仲裁に入る選択をするのだが、今回ばかりは素直に動くことができない。
「尻軽の売女が! 何人がお前のせいで……!」
男は聞くに耐えない暴言を吐いた。女は無表情でそれを無視している。男はそれに逆上して、女の顔を殴った。暴力行為に抵抗せず、女は顔色一つかえず、それを顔面で受け止める。およそ人の体からしてはいけないような音がした。
女は地面に倒れ込む。男が押し倒したからである。フローリングの床に、頭を打ち付けても女は大して痛そうなそぶりすら見せなかった。ただひたすらに、無。情緒が凪いでいる。
「ムカつくんだよ、いつもなんでもないような顔しやがって!」
顔を真っ赤に染めながら、男はひたすらに顔を殴った。鼻の骨が折れるのではないかと思った。きっと歯も折れてしまっているかもしれない。それでも女は冷静だった。異様な挙動だった。静止して、まるで雨が止むのを待っているかのように、男のむき出しの暴力性を受け止めている。瞳も閉じず、ただじっと見つめているだけだったが威圧感があった。何も感じず、痛みも覚えず、人形のように固まっている。それが逆に男の怒りを煽り、暴力の苛烈さが増すのだった。
「……っ! やめなさい!」
ホーキンスは慌てて飛び出した。そうしても女の顔つきは変わらない。他人事のように、男を押さえつける様子を眺めているだけなのだ。
男は叫ぶ。言葉にならないような言葉を、罵詈雑言を、悪意の全てをぶつけるように。泣きながら吠えている。逆上して暴れている。手もつけられない凶悪さだった。一目で見てどちらが被害者かわかるだろう。それでも、ホーキンスは内心男に同情していた。あの目を見ると気が狂いそうになる!
ホーキンスは、女の顔を見ないように努めていた。今この状況で彼女と目を合わせたくなかったからだ。どんな冷徹な顔でこの惨事を見ているのか、想像すらしたくなかった。
「君、今すぐ殴るのをやめなさい!」
うわごとのようにホーキンスは叫んだ。それは正しい価値観だった。男は泣いていた。正しい倫理観を持ってすれば、それは正論だから。
男はひたすらに泣き叫ぶ。それに対して、機械のように「やめなさい」と声をかけ続ける。そんな修羅場でただ一人だけの被害者であり、傍観者を気取った女はそれを見て密かに笑っていた。
そのうち警備員が駆けつけて、男はどこかへと連れて行かされた。女はそれを見てケタケタと笑った。嵐が過ぎ去った後の静けさの中で、その声はやけに響いて聞こえた。
ホーキンスは何も言えず、必死に暴れられたせいで痛めつけられた体の鈍痛を、ただそっと無気力に感じているしかなかった。
※
その後、男は依願退職でアーキバス社を去った。そこになんらかの圧力が発生したかもしれないが、想像するだけ無駄だと考えるようにした。この世界では、深く関わらない方がいいことと考えない方がいいことが多すぎる。
「…………」
ホーキンスは男の書いた始末書と退職願にサインを書いた。愛用の万年筆で署名をする時、それがいいことである場合は少ない。じっと見ていると居た堪れなくなり、仕切りの合間からふと見えた影を追って、後悔した。
女が素知らぬ顔でオフィスを闊歩するのを目撃したからだった。思わず息を呑む。タチの悪いホラー映画のエンディングよりも最悪な光景だ。何も解決していない。続編を匂わせるカットじみたスローさだった。女は片手にコーヒーを持ち、優雅に歩いていた。こちらに気づく様子はない。体は強張る。戦場の真っ只中にいる新兵のように、脳は恐怖に対して過敏に反応する。冷や汗が背筋を伝い、体裁を取り繕う余裕も、うしなわれていく気持ちだった。絶対に隙を見せてはいけないと思い、目線で悟られないように横目で見ながら、じっと体を縮こませていた。
「…………はぁ」
女がこの場所を通過するまでの間、そのわずか数十秒が永遠にも思えた。
汗で額に髪が張り付いている。
息苦しさを思い出す。
あの夜の悪夢を思い出す。
思い出す? 思い出すのではない。まだ続いている。おそらく死ぬまでそれは続くだろう。悪夢はまだ終わっていない。
新入社員たちの様子がおかしいことに気づいたのは、この研修センターに来てから三日が経とうとしていた頃だった。
明らかに空気が澱んでいる。澱んでいる、というのは場の雰囲気が硬直して固まっているという意味で、それは簡単な刺激で崩壊しそうな脆い危うさを孕んでいた。
これはよくあるパターンである。
閉鎖的な環境に人間を閉じ込め、朝から晩まで新しいことを詰め込んで教えていたらこうなる。要は旧時代型の学校と同じ原理で、容易に起こりうることなのをホーキンスは知っている。そして、彼は長年の経験により、その正体になんとなく見当をつけていた。
ある一人の女性である。
彼女自身に何か大きな問題があるわけではない。態度は如何にも「無能な怠け者」そのものだったが、それ自体は悪いことではない。インテリのエリートが多い弊社において、合理主義的な考えを持つ人間は少なくはない。むしろ、如何に効率よく仕事を減らすか、この思想に長けている人間が多い。故に、彼女はこの集団においてはマイノリティではない。
問題は、彼女がこの会社の重役の子供だからである。要は、コネによる入社を妬んでいるのだ。これ自体はコネで入社したのだという確たる証拠がないため、表立って何かを言う人間はいない。彼女が平均から見て極端に無能であったり成績が悪いというわけでもなく、むしろ中の上程度を維持していた。問題は、役員名簿にある名前は彼女の苗字と一致していること。ただそれだけ。しかも、それを隠そうとはしなかった。恐れを知らないものにその事実について問われた時、馬鹿正直に彼女は答えた。自分が「そう」であると。
表立って悪口を言うための確たる証拠がない。誰しも、正当に叩く権利を持ち得ないで他者を糾弾する勇気はないのである。しかも、苦労して入った会社であるのなら、尚更だ。
何もしていなくても、何一つとして粗がなくても、なんの欠点がなくても、その一つで爪弾きにされ、水に混じった一滴のインクのように悪目立ちしている。
集団の和を乱す人間──異分子と看做される存在はどこにでもいるものだ。それに対して攻撃的になるか、もしくは刺激しないように警戒するか。どちらにしろ、ちょっとした刺激によってスケープゴートになりかねない存在であるのは確かだ。
アーキバスグループの体制が悪い。教育に掛けるコストを低く見積り過ぎている。軍隊じみたやり方にいくらでも文句はつけられるが、実際の成果を見る限り、効率のいい方法は「これ」なのだろう。
だからといって、この状況の改善を諦めるわけではない。せっかく入社してきてくれた新人たちだ。彼らが巣立つまでくらいは、せめてきちんと面倒を見てあげなくては。
使命感と義務と正義に燃える彼は、善き指導者たらんとする善人そのものだった。不正や汚職、明らかな法令違反が蔓延る暗黒企業において、現場仕事の長いベテランで人格者。彼を慕う人間は数多く存在し、社内で一定の地位を築いている。長年の経験を持ってして、厄介な新人を手名付けることなど造作もない仕事である──はずだった。
しかし、ホーキンスは気づいていなかった。
彼の女が悪魔に等しい悪癖を持つ大罪人であることを──。そして、その毒牙は誰の身にも平等に襲いかかるのだ。
※
消灯時間をとっくに過ぎた夜、ホーキンスは控えめなノックの音に気づいた。もうベッドに入ろうかと思っていたその時だったので、最初は空耳かと疑い無視しようとした。しかし、数秒おいて再び扉を叩く音が聞こえてくる。
覗き穴から確認すると、そこには件の女がいた。地味な寝巻きの上にカーディガンを羽織り、外出禁止の深夜であるにもかかわらず、指導教官の部屋を訪れてきた。表情は固く、視線は自信なさげに扉を見つめている。
ホーキンスは長年の経験からくる勘によって、この時間に訪問してくるということはかなり厄介な事案であることを察していた。寝入ったふりをして無視しても構わなかったが(実際、夜中に女性を部屋に入れると面倒なことにしかならない)、前述した事情もあったので、内鍵を外し、扉を開けた。
女はホーキンスの意図を察してか、素早く入ると後ろ手で鍵を締めた。ガチャン、と音を立てて扉は閉まる。神経質そうな女の顔は緊張が入り混じっているように見えたが、もっとよく見ようとしたところで鉄のような無表情に変わってしまった。
「座って、飲み物でも淹れようか」
「……部屋にポットがあるんですね」
「まぁ、私は個室だからねえ」
「いいですね。こっちは相部屋ですからリラックスもできませんよ」
最近の子は、こうもあけすけな言い方をするのだろうか。さらりと悪口のような言葉を吐いていたが、皮肉で言っているのか素直だけなのか、それは考えるだけ無駄なのだろう。
「研修期間が終われば、ちゃんと独身寮は個室だからね、それまで頑張ろう」
「…………外は吹雪いてますね。だけどこの部屋は静かだ」
ケトルでお湯を沸かすシューシューという音だけが聞こえている。分厚い窓の外では、激しい雪嵐は吹き荒んでいるが、頑丈な建物の中にいればその音は聞こえない。映画のスクリーンの中の出来事のように、他人事として眺めるしかなく、ホーキンスは女に指摘されるまでその事実すら忘れていた。分厚いカーテンの隙間から、それはわずかに見える。
ぬくぬくと暖かい部屋の中にいると、この場所から一歩でも外に出ると不毛の荒野が広がっている手付かずの惑星にいることを、忘れそうになる。
「紅茶でいいかな」
「なんでもいいですよ」
沸いた湯でダージリンを淹れている間、女はホーキンスの手つきをじっと観察していた。湯を注ぐと、部屋の清廉とした空気の中に穏やかな優しい香りが混じって溶け合う。
この時点で、ホーキンスはこの女が同期内で遠巻きにされていることの理由をあらかた察していた。余計なことを言うからそうなる、と言ってしまえば簡単なことだが、人の性癖というものはそう簡単には変わらない。曲者の多いヴェスパーの中でそういった個性は特段珍しくもない。軋轢を産みそうな摩擦は早いうちに消しておくのがいいが、何でも洗脳教育のごとく変えて仕舞えばいいわけでもない。
対話だ。
話をしなければ。
話をして相手を理解すれば何か有益な方へ導いてあげられるかもしれない。若い人間が吹かす新しい風は、組織の宝だ。それを無惨に枯らしてしまうことが一番損失なのだから。
「何か相談があって来たんじゃ無いのかな。ここでのことは他には言わないから、なんでも言っていいんだよ」
「……なんでも?」
ここまでずっと無表情のまま固まっていた女の表情が一瞬、揺らいだ。膝の上で握りしめた拳と、怒りとも焦りともつかないような奇妙な顔つきで、女はホーキンスの瞳をまっすぐに見つめている。
よほどのことがあるのかもしれない。
ホーキンスはすぐに答えることはせず、頷いて先を促した。
「はぁ……笑わないですよね。飽きれないですよね。わたしのことを、軽蔑しないですよね……。絶対に、黙っていてくれるって、約束しますか」
「あぁ、秘密は守るよ」
「ここにいる、全ての研修を受けている人間と性行為をしました。残っているのはホーキンスさん、あなただけです」
ティーカップがカチャンと音を立てた。
女は訥々と語り出した。
手術以降、自身の性欲が抑えきれないこと。自慰で抑えようとしたが不可能だったこと。そのため見境なく、性別も年齢も問わず性行為をしていること。その手段が、かなりめ強引だったので、恨みを買っていること。つまり自分は性犯罪者であり、いつか刺されるか裁かれるかして、まともな人間には戻れないであろうこと。重たい人間が面倒臭いこと。
人形のように身じろぎ一つせず、かなり踏み込んだところまで精細に語り尽くした。顔見知りの性生活を聞かされることは、筆舌にし難い苦痛がある。
その様子が機械が喋るように淡々としていたので、最初は何かの冗談かと疑う程だった。もう聞きたくないと何度も思ったが、一度ちゃんと聞くと言い出してしまった手前、引き返せないのである。
死刑宣告を受けた受刑者の気持ちが今ならわかる。この女は、脳の良心や常識を司る部分が壊れているのだ。強化手術を受けて脳のいじってはいけない箇所を「うっかり」触ってしまって、廃人や植物人間になってしまった人間がいることを知っている。
女はそのクチなのか、普通の倫理観があれば決して口にしないような卑猥な話題を、淡々と書面を読み上げるようにして語った。最近の手術は成功率も安定していると聞くが、こういうハズレを引いてしまう場合も、まだあるのだろう。
ホーキンスは、最早傾聴の姿勢を止めていた。こんな話をまともに聞いていては気が狂う。
脳裏には、今日に至るまで面倒を見てきた新入社員の顔が鮮明に浮かんだ。彼ら全員とセックスをしたというのがハッタリや冗談でないのは、女の醸し出している雰囲気で理解できた。嘘ではないと納得できる「凄味」を、この若さで持っているのは末恐ろしいことだ。
「……なんで、全員殺されたみたいな顔をしてるんですか。……わたしのことが怖いですか?」
「今まで色々と見てきたけれど、君みたいなタイプは初めてだよ。だから、どうしたらいいか見当がつかない」
「わたしは、スタンプラリーが好きなんです」
女はカップをソーサーに置くと、一拍置いて語り出した。
「昔通っていた学校で、自然学校のオリエンテーションがありました。それは山嶺の近くの森の中のハイキングコースに設置されたポイントをたどって、最終的にゴールまで行くっていう、要はありふれたハイキングなわけですよ。
わたしは……わたし達のグループは、順調に歩いていました。ハイキングコースといっても普通に森の中で、コンパスと地図を頼りに歩く必要があって、ボーイスカウトみたいなことをさせられていました。
そんな中、グループの中の一人が、足を挫いてしまったんです。それ自体は大したアクシデントではありませんでした。だって、誰かがおぶって歩けばよかったし、小一時間で終わるような内容だったから、そうしちゃえばよかった……。わたしはそう提案したんです。わたしがおぶって歩けるから、そうしようって。チェックポイントはあと一つで終わりでした。そうしたら完璧に終われる。だからちょっとだけ我慢してねって、そう思って。だってこれで中断したらその子も罪悪感を抱いてしまう。未完成は気持ち悪いから。中途半端なのが、嫌で……。それなのに、リーダーはその提案を却下しました。救難のサインを出して、その場で終了。抗議したけど、ダメでした。
わたしはずっと考えていますよ、その時のことをね。今だってそう。わたしは、やるならやるで徹底的にやりたいんです。適当に終わらせるのが、一番気持ち悪いから。みんなそうなんじゃないんですか? なんでも、最後までやり遂げる人が偉くて評価される。
ねぇ、わたしって間違っていますか?」
女の目は完全に焦点が合っていなかった。どこを見ているのかわからないような状態で、明らかに正気ではない。クスリか何かをやっているのか、アルコールの匂いは感じられない。もしくは、恐ろしいがシラフで「これ」なのか。
「…………はぁ〜〜。ムラムラし過ぎておかしくなりそうです。嫌なことを思い出させやがって……クソがッ! 死ね!」
机をガンガンと足で蹴りながら、女は暴言を吐き捨てた。
──これは手に負えない。
ホーキンスがこっそりと、万が一のために存在する(使うと思っていなかった)警備員を呼び出すボタンに手をかけると、女はホーキンスの顔面スレスレにソーサーを投げた。それが正確な狙いだったのか、顔に当てようとして外れたのかはわからないが、背後の壁に当たって割れる音が聞こえた。
「ねぇホーキンスさん、わたしの話を聞いた責任とってくださいよ。お茶なんて出してる場合じゃないでしょ。お願いしますよ……なんでも言う事聞いてくれるんですよね? ちゃんと新入社員が暴走しないよう、抜きに『使わせて』くださいよ……」
机に乗り上がって、女はホーキンスにジリジリと近寄る。
「一旦冷静になろう。近くには割れた破片もあるし、片付けてから話の続きを……」
「嫌だ。なんで?」
「こんなおじさんとやることをやっても、楽しくないんじゃないかな。それに私と君が性行為をすると、その、コンプライアンス的にどうだろうね。最悪の場合、君は職を失ってしまうんじゃないかな──「うるっさいなぁ‼︎」
女は無理やりホーキンスの口を塞いだ。手のひらで口を塞ぎ、女を押し除けて立ちあがろうとする体を押さえこむ。
近くに寄って初めて、女の首元にほんのりと香る香水の、鼻を刺すような匂いが香ってきた。この体のどこにそんな力があるのかと疑うほどに、訓練を受けた成人男性をいいように押さえつける力、そして、一切の行動に迷いがなく、暴力に躊躇がないことが恐ろしかった。
「話を聞いてくれるんじゃなかったんですか。嘘つきめ。信用が大事なんですよこういうのって。何もしてくれない癖に一丁前に理解者になろうとしないでくれます? わたし、本当に偽善者って嫌い。つまらない人は嫌い……殺したくなる」
ホーキンスの首筋、頸動脈に手を当てながら女は語り続けた。ドクドクと脈打っている心臓の鼓動が速くなっていることが丸わかりだ。
修羅場に際して喉を震わせるホーキンスを見て、女は満足げに笑った。
「あはは、せっかくだから……首でも絞めながらヤろうかな」
「危ないな……窒息してしまうよ」
「お前が死んだって、別にどうってことはないでしょうが……。何自分に価値があると思い込んでるんだよ、クソ……最悪、最悪、最悪ですよ。こんなゴミみたいな仕事……こんな場所に来るんじゃなかった……。マジでなんでこんなことになってるんだよっ⁉︎ わたしが色狂いの化け物だって言いたいのか⁉︎ 全員くたばればいいんだよ、クソが!」
半狂乱になりながらズボンを下ろす女をただ茫然と眺めながら、ホーキンスは医療部門から送られてきたメディカルチェックのデータについて思いを馳せていた。記憶の片隅で、女の健康状態についての情報を思い出す。
個人情報にあたる部分が大幅に黒く塗りつぶされたそれの中で、数少ない読める部分だった「術後の後遺症:情緒不安定、攻撃的な言動、被害妄想、自傷行為など問題行動が少々見受けられる」の文字が脳裏に浮かんだ。
何が「少々見受けられる」のだろう。
旧世代型の強化手術を受けたのかとみまごうほどの凶暴さに、声も出なかった。安定していると思っていた手術にも例外はあったのか、それとも、元々これがおかしいのかどちらかはわからない。
「…………やっば♡ 言葉では散々言っといてちんこは正直じゃん」
「う゛っ……」
下履きをずらされ、露出した生殖器をじっと見つめられる。先ほどからじわじわと、脱がせる前から手淫で嬲られていたので、本人の意思とは関係なく勃起してしまっている。
「あ〜♡ 上司のおじさんの雄ちんこサイコー♡ 新卒のガキに好き勝手されてさぁ、最悪の気分じゃないですか?」
先ほどまで口汚い言葉を吐いていたというのに、脱がせた途端この様子である。極端な変貌ぶりに、ホーキンスはこの女の異常性を垣間見た。
「……最悪だと押し計れる脳があるなら……あ゛っ、やめたらいいと思うよ」
「いつまで偉そうに保護者面してるんだかわからないですけど、あなたってわたしの父親かなにかなんですか? 理解ができないんですけどぉ……こんな服の上から触られただけで勃起させといてさ、何日抜いてないか当てて上げましょうか?」
「そんな──君は何をしてるのか、わかっていない……! あ゛っ……あ゛ぁっ……」
「わたしに、説教するな」
女は己の膣口に男性器を当てがうと、表情を変えず、眉ひとつ動かさず最後まで自身で呑み込んだ。蛇が獲物を丸呑みするかのような、恐ろしいまでにスムーズな動作であったが、その実膣内は狭く、抉り取るような刺激で抵抗する男性器を押さえつけているかのようだった。
口から漏れ出る呼吸と、わずかな唸り声は抑えようがない。必死で息をして、呼吸を整えて平静さを保っていないと、自分の持つ全てを飲み込まれるような気がした。
彼女の目は、全く笑っていない。光というものがない。怒っているというよりは、何にも期待していない、絶望した瞳をしていた。その双眸には見覚えがある。戦いでトラウマを負った兵士、傷ついて全てを諦めた人間はそんな目をしている。
たかが温室育ちのお嬢様だと思っていた。
舐めていた、見抜けなかった自分の敗北だったのか──。
「うっ……ぐっ……」
女の指がホーキンスを首を絞める。その手つきから、完全に窒息しないように相応の手加減をしているのがわかった。それでも、視界は薄れ、呼吸を求めて大きく口が開く。鼻で息をしていても取り込める酸素には限界があった。単純に苦しい。
「首絞めて、まんこの中でちんこが震えてやんの。バッカみたい、よくそんな本性抱えてわたしたちに『ご指導』できましたよね。立派なマゾ犬ですね。恥とかないんですか? あっ……また反応してる♡」
男性器を膣に突っ込んだまま、女は少し姿勢をずらす程度しか動かなかった。それなのに、そのわずかな刺激にも反応して快楽を得てしまう体が恐ろしい。自分のものではないかのような、コントロールできない快感が胸を不安で満たしていく。
「おじさんに合わせてスローなセックスしてあげてんだから感謝してほしいですね〜」
女の膣内からぐちぐちと、音がするように思える。実際に脈打っている体の中からしているのかもしれない。静かな部屋で視界が霞む中で音だけが、女の息遣いと自分が口から発する声だけがクリアに聞こえてくる。
脳に血流が上がり、頭をシェイクされるような鼓動が体の中で発せられていた。ただ思考は気持ちいいと思うことだけを丹念に拾い上げ、原始的な欲求が全身を支配した。文明的な生物であるという自覚がこぼれ落ちていく。
「…………ぅ…………ぁ……」
「…………っ!」
女は鬼気迫る表情でホーキンスの首を絞めていた。サスペンス映画で見るサイコパスの殺人鬼みたいな顔で、年若い女性がそうするに相応しくない異様な顔つきをしていた。それと同様に、苦しげな表情でもあった。まるで、自分が首を絞められているかのような──。
自分は、死ぬのではないか。
彼は本当に殺されるのではないかと思ったが、体は結局いうことを聞かないのである。彼の肉体に主導権などはなく、ただ女にされるがままに快感を享受するしかなかった。
首を絞められるごとにそれに連動するかのように女の膣もまた、きつく締め上げてくる。下品で低俗な例えではあるが、その手の電動オナホールを連想するような動きだった。
もはや生物同士の交尾の体をなしていない。機械的に体を動かして射精を誘っているだけに過ぎない。
「首、絞められて……イけ」
そう命令されると、暗示にかけられたかのように筋肉が弛緩する。
女は一瞬手の力を緩めて一呼吸させたのちに、今までから類を見ない握力でホーキンスの首を絞めた。絞めるというよりは、首の骨ごと持っていくような動きだった。
彼は本当に、死を覚悟した。
そして、その瞬間に吐精した。
「…………」
女は感じているのかいないのか、神妙な顔つきでその様子を見ていた。ホーキンスの首から手を離してじっと耐えるように目を閉じた
「……はぁっ、はぁ」
彼は肩で息をした。俯いてよく顔の見えない女が、どんな表情をしているかなんてわからなかった。
生暖かい膣の中で、体温を帯びているはずの精子の感覚はなかった。そうして初めて、ホーキンスは冷静さを取り戻すと、ことの重大さを認識してカッと叫びたくなった。しかしそれはできなかった。夜中に大声を出すという迷惑を犯すことができない。常識が本能を阻害する。
「……つまんな」
冷徹にそう吐き捨てた女は、見るも穢らわしいと言わんばかりに自身の愛液で湿ったホーキンスの下生えを睨みつけた。
※
新入社員の教育期間も終わろうとしていた頃だった。人気のない廊下を歩いていると、大声で何かを喚く男の声を聞いた。何事かと思って近づくと、件の女が男に怒鳴られている。修羅場の真っ最中だった。
ホーキンスの体は思わず強張った。普段ならさっさと出て行って仲裁に入る選択をするのだが、今回ばかりは素直に動くことができない。
「尻軽の売女が! 何人がお前のせいで……!」
男は聞くに耐えない暴言を吐いた。女は無表情でそれを無視している。男はそれに逆上して、女の顔を殴った。暴力行為に抵抗せず、女は顔色一つかえず、それを顔面で受け止める。およそ人の体からしてはいけないような音がした。
女は地面に倒れ込む。男が押し倒したからである。フローリングの床に、頭を打ち付けても女は大して痛そうなそぶりすら見せなかった。ただひたすらに、無。情緒が凪いでいる。
「ムカつくんだよ、いつもなんでもないような顔しやがって!」
顔を真っ赤に染めながら、男はひたすらに顔を殴った。鼻の骨が折れるのではないかと思った。きっと歯も折れてしまっているかもしれない。それでも女は冷静だった。異様な挙動だった。静止して、まるで雨が止むのを待っているかのように、男のむき出しの暴力性を受け止めている。瞳も閉じず、ただじっと見つめているだけだったが威圧感があった。何も感じず、痛みも覚えず、人形のように固まっている。それが逆に男の怒りを煽り、暴力の苛烈さが増すのだった。
「……っ! やめなさい!」
ホーキンスは慌てて飛び出した。そうしても女の顔つきは変わらない。他人事のように、男を押さえつける様子を眺めているだけなのだ。
男は叫ぶ。言葉にならないような言葉を、罵詈雑言を、悪意の全てをぶつけるように。泣きながら吠えている。逆上して暴れている。手もつけられない凶悪さだった。一目で見てどちらが被害者かわかるだろう。それでも、ホーキンスは内心男に同情していた。あの目を見ると気が狂いそうになる!
ホーキンスは、女の顔を見ないように努めていた。今この状況で彼女と目を合わせたくなかったからだ。どんな冷徹な顔でこの惨事を見ているのか、想像すらしたくなかった。
「君、今すぐ殴るのをやめなさい!」
うわごとのようにホーキンスは叫んだ。それは正しい価値観だった。男は泣いていた。正しい倫理観を持ってすれば、それは正論だから。
男はひたすらに泣き叫ぶ。それに対して、機械のように「やめなさい」と声をかけ続ける。そんな修羅場でただ一人だけの被害者であり、傍観者を気取った女はそれを見て密かに笑っていた。
そのうち警備員が駆けつけて、男はどこかへと連れて行かされた。女はそれを見てケタケタと笑った。嵐が過ぎ去った後の静けさの中で、その声はやけに響いて聞こえた。
ホーキンスは何も言えず、必死に暴れられたせいで痛めつけられた体の鈍痛を、ただそっと無気力に感じているしかなかった。
※
その後、男は依願退職でアーキバス社を去った。そこになんらかの圧力が発生したかもしれないが、想像するだけ無駄だと考えるようにした。この世界では、深く関わらない方がいいことと考えない方がいいことが多すぎる。
「…………」
ホーキンスは男の書いた始末書と退職願にサインを書いた。愛用の万年筆で署名をする時、それがいいことである場合は少ない。じっと見ていると居た堪れなくなり、仕切りの合間からふと見えた影を追って、後悔した。
女が素知らぬ顔でオフィスを闊歩するのを目撃したからだった。思わず息を呑む。タチの悪いホラー映画のエンディングよりも最悪な光景だ。何も解決していない。続編を匂わせるカットじみたスローさだった。女は片手にコーヒーを持ち、優雅に歩いていた。こちらに気づく様子はない。体は強張る。戦場の真っ只中にいる新兵のように、脳は恐怖に対して過敏に反応する。冷や汗が背筋を伝い、体裁を取り繕う余裕も、うしなわれていく気持ちだった。絶対に隙を見せてはいけないと思い、目線で悟られないように横目で見ながら、じっと体を縮こませていた。
「…………はぁ」
女がこの場所を通過するまでの間、そのわずか数十秒が永遠にも思えた。
汗で額に髪が張り付いている。
息苦しさを思い出す。
あの夜の悪夢を思い出す。
思い出す? 思い出すのではない。まだ続いている。おそらく死ぬまでそれは続くだろう。悪夢はまだ終わっていない。