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テニスの王子様
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正門を抜けて、学校に入った時、私は密かに絶望した。
私は、今から中高大と一貫の、立海大付属中学校に入学することになっている。というか、もうすでに入学の手続きを行い、入学式に参加するところだ。
実のところ、それは本意ではなかった。
周りの同い年の新入生は、新しい生活に胸を踊らせているが、私はそうではなかった。
立海は、所謂滑り止めだったからだ。
本当は、東京の私立の女子校に行きたかった。そこは立海よりも偏差値が高くて、落ち着いた雰囲気の学校だったし、自分にあっていると思った。
人が多いところが苦手な私にとって、マンモス校である立海なんて、死んでも嫌だった。
親が家から近いから受けておきなさいというからそうしただけであって、まさか、第一志望の学校に落ちるなんて思ってもいなかったからでもあるけど。
思い出すと、はああと大きなため息をつきたくなる。
合格発表の日、家のパソコンに届いたメールを見て、心臓が破裂しそうになった。その日は一睡もせずにひたすら泣き続けたし、塾にそんな報告をしたくなかったから、次の日は全部サボってやろうと思った。
塾は、中学入学後の内容の予習のために通い続けたのだが、虚しくて、辛くて、周りの合格者たちは全員楽しそうなのに、自分だけ苛々としているのが情けなく思えて、ひたすらに苦痛でしかなかった。
公立の学校に進むのも嫌だった。立海にいくのも気が進まなかったけれど、公立の学校よりはいい環境だと、高校受験でやり直せばいいと説得され、泣く泣く私は立海にいくことにした。塾としても、立海に合格者がいたという事実で箔を付けたかったのだろうと子供ながらに察したけれど、丸め込まれたことには怒りしか憶えない。
今日の天気は最高で、いい洗濯日和になるでしょうと朝のテレビでアナウンサーが言っていた。行きの電車は空いていて、ずっと座っていられたし、しかも今日は、入学式の日なのだ。
普通なら、明るい気分でうきうきと浮かれているはずだけれど、私は、体に誰かがのしかかっているような、そんな気怠さを感じていた。
駅から学校までの海沿いの道を、同じ制服を着た学生たちと、その保護者がずんずんと進んでいく。
私を追い越していくその背中は、みんな誇らしげな表情をしていた。
ふと、コンクリートの上に散らばった桜の花びらが、踏まれていくのを見た。
これは、多分私だ。
みんな浮かれているから気づいていないだけで、この道にはゴミ捨て場やそれを漁るカラスや犬の糞なんかが落ちていて、足元を見ない人はそれが視界に入らない。
上は青空で、その下には小綺麗な住宅街が広がっていて、眼前には立派な校舎があって、それしか見えていない。
私は、この世の真実に気づいてしまった賢者のような、斜に構えた哲学者を気取って、不安しかない気持ちを沈めようとしている。
気づくと足は自動的に道を渡って、とうとう校舎のまえにたどり着いていた。
門を潜る時、私の体が、最後の抵抗として足を鉛玉のように重くした。
ふと、誰かが大声をあげて、私の横を通り過ぎた。
桜の花びらを乱暴に撒き散らす風が、私の髪と、長いスカートの裾をひらりと翻させた。声の主はまるで、突風のように私の前から消えた。
健康診断とかオリエンテーションとか、いろいろ行事があって、ようやっとゴールデンウィークに入ろうとしていた。中学の授業はまぁまぁ内容が難しくなって、それなりに躓く人も多かったみたいだけど、私は塾で予習していたので全然平気だった。それよか私は、5月の最後にある中間テストの方が心配で、学校帰りには図書館に寄って勉強することにしていた。
今のところ、人が多くて疲れる以外には何も困ったことはない。生活リズムも落ち着いてきたし、塾の成績もキープしている。
うん、順調だ。何にも悪いところはない。
仮面浪人という辛い道のりを選んだことに後悔はしない。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせるように心の中で何度も唱えた。
授業の終了を告げるチャイムが鳴ると、みんな一斉に教室から外へと出始めた。
え、何かあったっけ。
少し不安になった私は手近にいた顔見知りの子に声をかける。
「次の時間ってなんだっけ」
「学年集会だよー視聴覚室に来いってさ」
ああ、そうか。今週は授業が早く終わるから、時間割が変則になるんだった。
私は隣の席の女の子と連れ立って、視聴覚室まで行く廊下をだらだらと歩いた。
立海は校舎が結構広いので、移動はちゃっちゃとやらないと授業に間に合わない。結構走って移動する人もいるけれど、それも多少は致し方ないなぁ、とちょっと同情してしまうところがある。危ないけどね。
「悪ぃ! そこどいて!」
ふと、後ろから声がした。どいて! なんて急に言われても、すぐ反応できなかった。そして、どんっという音と一緒に、私は何かと衝突した。
「ったーー! 殺す気!?」
「ナマエちゃん大丈夫?」
隣で心配してくれている友達を他所に、私はぶつかってきた張本人にガツンと言ってやろうと、顔をあげた。
「悪りぃ悪りぃ! まぁでも、元気そうだからよかったじゃん? んじゃ俺、急いでるんで!」
私がどこもうっていないのを確認してから、そいつは走り去った。
何か言ってやろうと思ったが、口からは何の言葉も出てこなくて、私は握り締めた拳のを奮わせるだけだった。
そして、瞬間。私の目の奥に電撃が走った。脳の奥底に仕舞い込んだ古い記憶が、一気にぐちゃぐちゃになって、出てきた。
「大丈夫? どこも怪我してない? 保健室いって氷もらおうか?」
「切原……赤也」
しばらく呆然として動けなかったのを、私が怪我をしたせいだと思った彼女によって、私は保健室に連れて行かれた。
保険の先生の言葉を半分聞き流しながら、虚な頭で、ぶつかった相手の名前を、心の中で繰り返しながら、私は去年のことを思い出していた。
十二月の入試直前、私史上例を見ないほど苛立っていた。それと同時に、言い知れない不安に襲われていた。
その日、関東地方は史上例を見ない大雪に襲われた。私がその日の授業を終え、電車に乗って家路についていたときだった。電車が止まった。車掌のアナウンスでは、倒木が原因だと言っていた。
車内は、塾や部活帰りの学生、残業を終えたサラリーマンでほぼ満員状態になっていて、座席の端っこに座った私は、苛立ちを隠しきれない周囲の人々を横目に、母親に連絡を入れようと、買ってもらったばかりの携帯電話を開いた。
電車がとまってしまっていることは母親も知っていたらしく、すぐに返事が返ってきた。
「現在復旧作業を行っています。大変ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください」
車掌は手慣れた口調でアナウンスを続ける。10分、20分と時間は過ぎていき、これは一時間はかかるな、となんとなく察した。
若干暑苦しくも感じる暖房の熱気と、永遠にも感じられる待機時間のせいで、少しずつ焦りと苛立ちが積もっていく。
いつものように参考書を開いて、算数の文章題の復習をしていた時だった。
「俺と同じ塾のやつじゃん」
頭上から声がして視線を上げると、私と全く同じ塾のカバンを背負った生意気そうなやつが私を見ていた。
「誰……」
「俺、切原赤也」
前の前のちんちくりんはそういうと、勝手にベラベラと、大きな声で喋り出した。
「電車止まっちゃったじゃん? 暇だし喋ろうぜ。どーせ後一時間は動かねぇよ」
「……」
「おい無視してんじゃねぇよ。俺の話聞けって」
「今、受験勉強したいんだけど」
「えぇー、さっきまで教室でやってたじゃんよ」
「今は追い込みの時期なの! ちゃんとやんないと第一志望落ちるよ」
「うっせぇ! 同い年のくせに偉そうだし、お前つまんねぇの」
なんて自分勝手なやつなんだろう。
切原なんとかは不貞腐れて、適当に足をぶらぶらさせながら携帯電話をいじっている。
私も私で、通り魔にあった気分で脱力していた。
切原という名前には聞き覚えがあったので、なんとなく記憶を辿ってみる。
中学受験塾に相応しくない、不真面目で大袈裟な態度。多分、親にでも言われて受験させられているタイプだろう。しかも、受験を目前に控えて、呑気にゲームで遊んでいるのだから、志望校のレベルは高くないはず。
そういえば、以前、廊下で馬鹿騒ぎをして講師に叱られているところを見たことがある。天パで特徴的な声をしていたし、たまに出入り口ですれ違ったことがあった。
そんなことを考えている間に、電車は動き出した。駅に到着すると、我先にと切原が飛び出していった。背中にはラケットを入れたバッグ。全く、これだと遊びに来たのか勉強しに来たのかわかったものではない。
悪魔との奇跡的な再会
(再会ではない)を果たしてから数日。ゴールデンウィークが始まり、私は家と塾とを往復し、たまに家族とスーパーに行くくらいの普通の休日を送っていた。
今、私がいるのは学校近くのゲームセンターだ。
なんでも、母親がスーパーで買い物をした時、このゲームセンターの無料券なるものをもらったらしい。息抜きに、たまには遊んできなさいといわれたし、使わないのも勿体無いな、と思ったので素直にやってきた。
一歩足を踏み入れると、雑多な音声が耳に飛び込んできて、思わず顔を顰めた。私にとって、ゲームセンターとは旅館や小規模なホテルに併設されているもの、もしくはスーパーやショッピングモールに併設されている比較的小規模な子供向けのものしか知らないのだ。
店員に声をかけて、コインと交換してもらった。
とりあえず一周してみて、自分でも遊べそうなものがないか確かめてみる。せっかくだし、定番のものよりも、新しいものにチャレンジしてみてもいいかもしれない。
UFOキャッチャーは取れそうな気がしないし、どうしようかなとぐるぐる歩いていると、一体の筐体を見つけた。
それは、私でも名前は聞いたことのあるくらい有名な格闘ゲームだった。
なんとなく、ゲーセン=格ゲーみたいな考えがあったので、座ってコインを投入してみる。それに、昔このゲームの家庭用版を親戚の家で遊んだことがあった。
店内の相手とマッチングできるらしいので、やってみることにする。備え付けの冊子でコマンドの確認をしていると、すぐに相手が見つかった。
「……」
相手は、こちらから接近しなくても、勢いよく向かってきた。素人目にも無茶苦茶だと思うくらい次早にコンボを繰り出してくるので、私はガードする一方で、なかなかそれ以上にはならない。壁に追い詰められないように、適度に応戦していると、相手の攻撃の後に、少し硬直する時間があることがわかった。その隙を伺って、空中へ繋げるコンボを適当に打つと、面白いように相手のキャラクターが空中に飛んだ。
「おおっ」
地面に叩きつけた瞬間に、急降下して、相手が体制を整えた! というところでゲージ技を使うと、面白いくらいHPがごっそりと削られた。
その後、相手のカウンター技を喰らって私も瀕死になったりするなど、激しい試合が展開された。結果としては、私が勝った。
思いもしていなかったのだが、私には格闘ゲームの才能があったのだ。
浮かれてそのまま家に帰る途中、格ゲーの家庭用タイトルをいくつか中古で購入した。普段使わないゲーム機を占領し出したので、父が驚いた。
学校の帰り、塾がない日にゲーセンに寄るようになった。今まで趣味らしい趣味もなく、勉強以外にやることもなかった私に、格闘ゲームという娯楽は大変刺激的だった。
うまい人のプレイ動画をみたり、自分のプレイを録画してそれと見比べ、どうしたらもっと強くなれるか、と考えるのは楽しい。毎日の練習で、自分が着実に強くなっていくのが感じられ、勉強と同じような達成感を味わうことができた。
「お前、さっきーー使ってただろ」
ゲーセンを出て、駅を向かう途中のことだった。背後からいきなり、誰かに声をかけられた。
心臓がビクンとはねた。不審者かもしれない、と焦ったが杞憂だった。もっと面倒な相手だった。
「おい、無視すんなって」
肩を掴まれて、思わず振り向いてしまった。二重の意味で驚いて、私は情けない声を上げた。
「同じ学校に、強いやつがいるって聞いたんだけど、お前だろ」
「さぁ……」
げ、めんどくせ〜。
切原は、私の都合などお構いなしに隣に並んだ。この人、駅までついてくる気なのだろうか。
「しらばっくれんなって。今日、お前の対
面の台使ってたの俺だから」
「……」
「お前、結構強いじゃん? めっちゃ地味っつーかさ、ゲーセンとか行かなさそうなのに」
ど偏見だな。まぁ、そう思われても仕方がないのはわかるけども。
「はぁ……ありがとう?」
適当に話を切り上げて早く帰りたかった。いや、今は帰ってる途中なんだけど。邪魔な手を離して欲しい。……いつになったら解放されるんだろう。
「俺、お前を倒すから。明日の5時にちゃんと来いよ」
「えぇ……」
それだけ言うと、「そんじゃな!」と駅へと走り去っていった。
急に仇敵みたいに絡んできて、ろくに返事も聞かないで帰って行く。訳のわからない人だ。
お前を倒すなんて、アニメみたいなセリフも言われちゃったし。
私ははぁぁと大きなため息をついた。何かよくわからないことに巻き込まれているような気がした。
当日。
ちょうどテニスコートの整備とかなんとかで、男子テニス部は休みらしい。
確か、うちの学校のテニス部は全国大会で優勝するくらい力の入った強い部活だそうだ。なるほど、だから立海に入ったのか、と一人で勝手に納得した。
焦る気持ちで一日を過ごし、放課後がやってきた。
痛む胃を押さえながら、ゲーセンまでの道を歩く。最初、放課後に寄り道した時のことを思い出した。学生で、制服を着たままゲーセンなんていって、叱られないのか、とか。実際には夜遅くにならない限りは大丈夫だったのだけど、その時は勝手が分からずひたすらビビっていた。不安と緊張の正体は無知であること。そうだと今まで信じていたが、今回はそれに当てはまらない。確実に自分を負かそうとしてくる相手の闘魂を感じて、恐れているのだ。単純に、相手が怖いというのもあるのだけど。
自動ドアが開き、リングに上がる選手のような気持ちで筐体へと歩み寄っていく。オレンジ色の皮張りの椅子、派手な音楽、流れるデモ・ムービー、それぞれの音楽や雑音が猥雑なメロディを奏でる。
「よぉ、ビビってこないかと思ったぜ」
「……早く始めて」
切原とは反対の台に座って、コインを投入した。さながら、銃に弾を込めるように。
実は、昨晩必死に練習したせいで今日はめちゃくちゃ眠かった。負けたら恥ずかしいという気持ちが私をそうさせた。受験で負けて、入ったら入ったで意味わからないやつに絡まれて。よく考えたら、切原と私は因縁めいたもので繋がっているのかもしれない。
ロマンチストじみたことを考えながら、すっかり硬くなった指の皮でボタンを必死に叩く。3ラウンド制で先に二勝した方が勝つというシンプルなゲーム。相手の猛攻に既視感を覚える。駆け引きなしに飛び込んできて、正確なコンボを叩きだすこのプレイは、私の初戦の相手を連想させた。1ラウンドめが終了し、時間切れで私が負けた時にその考えは正しいという確信が持てた。
相手は前回よりも強くなっている。部活があって(男子テニス部は休みの日も練習があって忙しいことで有名だった)ゲームを練習する余裕があることに驚いた。よほど私にストレート負けしたことが悔しかったのだろうか。テニスの練習をした方が有意義だと思うのだが。
3ラウンドまでお互い一勝一敗。
ここが最後。ここで、勝ち負けが決まる。
緊張で、夥しい量の手汗をかいた。向こうの表情はわからないが、それでよかったと思う。時々、反対側から鋭い暴言が飛び出す。私はそれなりに怖がりの小心なところがあるので、人が怒っている顔が見えたら恐ろしくて試合にならない。
後ろで順番待ちをしている人が、時々横目で私の試合をみていた。ギャラリーらしいギャラリーもいなくて、これが現実だよなぁと達観したふりをしてレバーを掌で包み込んだ。
一試合目で壁際に追い詰められてガッツリ持っていかれたので、今回は私も積極的に仕掛けていくことにした。私のキャラは、飛び道を使うので、相手の近接攻撃タイプのキャラとは少し相性が悪かった。ただ、それは接近を許さなければ一方的にハメ殺せるということなので、なるべく硬直が少なく、ノックバックがついた攻撃を繰り返した。
向こうがイラついているのが肌で伝わってくる。じわじわと削れる切原のHPと、反対に増える必殺技のゲージとを見比べて、私もそろそろ一気に畳みかけて行かないとやばいかもしれない。
お互いのHPが3割程度しか残っていない。ここで決めないと後がない、というプレッシャーで押し潰されそうになる。向こうがテニスプレイヤーだし、場慣れしているのだろう。なんとなく、余裕があるように感じられた。
ガチャガチャとボタンを連打しているので、指の節が鈍く痛んだ。思わず焦って意味のない攻撃をして、相手はそれをしっかりとガードしている。残り時間の秒数が減っていくたびに余計に変な動きをしてしまう。
「これで終わりだ!」と、キャラクターの声が下。まずい、相手がゲージ技を繰り出してきた……
私も慌ててゲージを消費してカウンターを仕掛ける。お互いの技がキャンセルされて、向こうが硬直している隙に空中コンボを繰り出した。
今までここまで必死になったことがあっただろうか。指の皮が捲れそうなほど強く、ボタンを叩いた。今この一瞬に、全てを賭ける。
もしかしたら、受験のときもここまで必死にならなかったかもしれない。絶対に負けられない。それだけしか感じなかった。向こうが台を叩くのと同時に、KOの二文字が画面に映った。勝利セリフが流れて、最初の画面に戻ってしまった。
「やったー!」
思わず、人目も憚らずに呟いた。鞄を掴んで、台をティッシュで拭くと次の人に譲った。
反対に回り込むと、切原は私のことをキッと睨みつけた。おぉ、こわ。でも、結局私が勝ったので負け惜しみだ。何もビビることはない。
「クソ! 次はぜってぇ勝つ!」
それだけ言うと、私が何か返事する間もなく出て行った。本気で悔しかったのだろう。私も勝てて、本気で嬉しかった。なんていうか、ずっとこのまま戦っていたいとか、そういうのもなくはない。せっかく付き合ってあげたのに、それはないでしょ……と思ったけれど、切原って自分勝手なやつだった。という、根本的なところを思い出した。
他の人に見られるのが少し恥ずかしかったので、私もすぐに移動した。
次の日。
昨晩、家に帰ってから何度も試合のことを考えた。あそこではもっと攻めたほうが良かったな〜とか、いつもの反省会だ。「次は勝つ!」と言われたけれど、また挑んでくるのだろうか。正直、満更でもない。あそこまで熱戦を繰り広げることは今までなかったし、あのめちゃくちゃ自分本意なところを除けばいい対戦相手なのは確かだ。
負けたことに対して環境とか筐体のせいにしないし。
「ミョウジ! いるかぁ!?」
昼休み。弁当を食べ終わって、これから次の体育のために着替えに行こうとしていると、特徴的な声で呼び出された。
えぇ、なんでミョウジが切原と?みたいな微妙な視線が注がれる。勘弁してよ〜と思いながらのろのろと立ち上がった。
「はいはい……なんでしょう」
「LINE教えろ!」
「えぇ!?」
教室に残った生徒がざわめいた。やめてほしい。そういうのじゃない。
「なんだよ、やってないのか?」
「いや、それは……」
「ミョウジ、教えてやれよ!」
ヤジが飛ぶ。ポケットからスマホを取り出して、周りに見守られながらラインを交換した。本当に、なんだこれ。
「ねぇ、めちゃくちゃ恥ずかしいから教室にきてこんなことしないでよ……」
「はぁ? しらねぇよ。っていうか、次の試合いつするんだよ」
「別に私は試合したいわけじゃないんだけど……」
小声でそう伝えると、周りが余計にざわついた。違う、テニスの話じゃない! 否定しようとした時、切原はテニス部員らしき人に呼ばれて消えていった。
「ねぇ、切原とどういう関係?」
「……話せば長いんだけど」
受験勉強の時間を、ちゃんと取れるだろうか。もはや逃げきれないと悟って、私は語り出す。あの冬の電車のことから、何から何まで。
翌日、学校に行くと私のとんでもない噂が広まっていた。私は、さらに転学の意思を固めるのだった。
私は、今から中高大と一貫の、立海大付属中学校に入学することになっている。というか、もうすでに入学の手続きを行い、入学式に参加するところだ。
実のところ、それは本意ではなかった。
周りの同い年の新入生は、新しい生活に胸を踊らせているが、私はそうではなかった。
立海は、所謂滑り止めだったからだ。
本当は、東京の私立の女子校に行きたかった。そこは立海よりも偏差値が高くて、落ち着いた雰囲気の学校だったし、自分にあっていると思った。
人が多いところが苦手な私にとって、マンモス校である立海なんて、死んでも嫌だった。
親が家から近いから受けておきなさいというからそうしただけであって、まさか、第一志望の学校に落ちるなんて思ってもいなかったからでもあるけど。
思い出すと、はああと大きなため息をつきたくなる。
合格発表の日、家のパソコンに届いたメールを見て、心臓が破裂しそうになった。その日は一睡もせずにひたすら泣き続けたし、塾にそんな報告をしたくなかったから、次の日は全部サボってやろうと思った。
塾は、中学入学後の内容の予習のために通い続けたのだが、虚しくて、辛くて、周りの合格者たちは全員楽しそうなのに、自分だけ苛々としているのが情けなく思えて、ひたすらに苦痛でしかなかった。
公立の学校に進むのも嫌だった。立海にいくのも気が進まなかったけれど、公立の学校よりはいい環境だと、高校受験でやり直せばいいと説得され、泣く泣く私は立海にいくことにした。塾としても、立海に合格者がいたという事実で箔を付けたかったのだろうと子供ながらに察したけれど、丸め込まれたことには怒りしか憶えない。
今日の天気は最高で、いい洗濯日和になるでしょうと朝のテレビでアナウンサーが言っていた。行きの電車は空いていて、ずっと座っていられたし、しかも今日は、入学式の日なのだ。
普通なら、明るい気分でうきうきと浮かれているはずだけれど、私は、体に誰かがのしかかっているような、そんな気怠さを感じていた。
駅から学校までの海沿いの道を、同じ制服を着た学生たちと、その保護者がずんずんと進んでいく。
私を追い越していくその背中は、みんな誇らしげな表情をしていた。
ふと、コンクリートの上に散らばった桜の花びらが、踏まれていくのを見た。
これは、多分私だ。
みんな浮かれているから気づいていないだけで、この道にはゴミ捨て場やそれを漁るカラスや犬の糞なんかが落ちていて、足元を見ない人はそれが視界に入らない。
上は青空で、その下には小綺麗な住宅街が広がっていて、眼前には立派な校舎があって、それしか見えていない。
私は、この世の真実に気づいてしまった賢者のような、斜に構えた哲学者を気取って、不安しかない気持ちを沈めようとしている。
気づくと足は自動的に道を渡って、とうとう校舎のまえにたどり着いていた。
門を潜る時、私の体が、最後の抵抗として足を鉛玉のように重くした。
ふと、誰かが大声をあげて、私の横を通り過ぎた。
桜の花びらを乱暴に撒き散らす風が、私の髪と、長いスカートの裾をひらりと翻させた。声の主はまるで、突風のように私の前から消えた。
健康診断とかオリエンテーションとか、いろいろ行事があって、ようやっとゴールデンウィークに入ろうとしていた。中学の授業はまぁまぁ内容が難しくなって、それなりに躓く人も多かったみたいだけど、私は塾で予習していたので全然平気だった。それよか私は、5月の最後にある中間テストの方が心配で、学校帰りには図書館に寄って勉強することにしていた。
今のところ、人が多くて疲れる以外には何も困ったことはない。生活リズムも落ち着いてきたし、塾の成績もキープしている。
うん、順調だ。何にも悪いところはない。
仮面浪人という辛い道のりを選んだことに後悔はしない。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせるように心の中で何度も唱えた。
授業の終了を告げるチャイムが鳴ると、みんな一斉に教室から外へと出始めた。
え、何かあったっけ。
少し不安になった私は手近にいた顔見知りの子に声をかける。
「次の時間ってなんだっけ」
「学年集会だよー視聴覚室に来いってさ」
ああ、そうか。今週は授業が早く終わるから、時間割が変則になるんだった。
私は隣の席の女の子と連れ立って、視聴覚室まで行く廊下をだらだらと歩いた。
立海は校舎が結構広いので、移動はちゃっちゃとやらないと授業に間に合わない。結構走って移動する人もいるけれど、それも多少は致し方ないなぁ、とちょっと同情してしまうところがある。危ないけどね。
「悪ぃ! そこどいて!」
ふと、後ろから声がした。どいて! なんて急に言われても、すぐ反応できなかった。そして、どんっという音と一緒に、私は何かと衝突した。
「ったーー! 殺す気!?」
「ナマエちゃん大丈夫?」
隣で心配してくれている友達を他所に、私はぶつかってきた張本人にガツンと言ってやろうと、顔をあげた。
「悪りぃ悪りぃ! まぁでも、元気そうだからよかったじゃん? んじゃ俺、急いでるんで!」
私がどこもうっていないのを確認してから、そいつは走り去った。
何か言ってやろうと思ったが、口からは何の言葉も出てこなくて、私は握り締めた拳のを奮わせるだけだった。
そして、瞬間。私の目の奥に電撃が走った。脳の奥底に仕舞い込んだ古い記憶が、一気にぐちゃぐちゃになって、出てきた。
「大丈夫? どこも怪我してない? 保健室いって氷もらおうか?」
「切原……赤也」
しばらく呆然として動けなかったのを、私が怪我をしたせいだと思った彼女によって、私は保健室に連れて行かれた。
保険の先生の言葉を半分聞き流しながら、虚な頭で、ぶつかった相手の名前を、心の中で繰り返しながら、私は去年のことを思い出していた。
十二月の入試直前、私史上例を見ないほど苛立っていた。それと同時に、言い知れない不安に襲われていた。
その日、関東地方は史上例を見ない大雪に襲われた。私がその日の授業を終え、電車に乗って家路についていたときだった。電車が止まった。車掌のアナウンスでは、倒木が原因だと言っていた。
車内は、塾や部活帰りの学生、残業を終えたサラリーマンでほぼ満員状態になっていて、座席の端っこに座った私は、苛立ちを隠しきれない周囲の人々を横目に、母親に連絡を入れようと、買ってもらったばかりの携帯電話を開いた。
電車がとまってしまっていることは母親も知っていたらしく、すぐに返事が返ってきた。
「現在復旧作業を行っています。大変ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください」
車掌は手慣れた口調でアナウンスを続ける。10分、20分と時間は過ぎていき、これは一時間はかかるな、となんとなく察した。
若干暑苦しくも感じる暖房の熱気と、永遠にも感じられる待機時間のせいで、少しずつ焦りと苛立ちが積もっていく。
いつものように参考書を開いて、算数の文章題の復習をしていた時だった。
「俺と同じ塾のやつじゃん」
頭上から声がして視線を上げると、私と全く同じ塾のカバンを背負った生意気そうなやつが私を見ていた。
「誰……」
「俺、切原赤也」
前の前のちんちくりんはそういうと、勝手にベラベラと、大きな声で喋り出した。
「電車止まっちゃったじゃん? 暇だし喋ろうぜ。どーせ後一時間は動かねぇよ」
「……」
「おい無視してんじゃねぇよ。俺の話聞けって」
「今、受験勉強したいんだけど」
「えぇー、さっきまで教室でやってたじゃんよ」
「今は追い込みの時期なの! ちゃんとやんないと第一志望落ちるよ」
「うっせぇ! 同い年のくせに偉そうだし、お前つまんねぇの」
なんて自分勝手なやつなんだろう。
切原なんとかは不貞腐れて、適当に足をぶらぶらさせながら携帯電話をいじっている。
私も私で、通り魔にあった気分で脱力していた。
切原という名前には聞き覚えがあったので、なんとなく記憶を辿ってみる。
中学受験塾に相応しくない、不真面目で大袈裟な態度。多分、親にでも言われて受験させられているタイプだろう。しかも、受験を目前に控えて、呑気にゲームで遊んでいるのだから、志望校のレベルは高くないはず。
そういえば、以前、廊下で馬鹿騒ぎをして講師に叱られているところを見たことがある。天パで特徴的な声をしていたし、たまに出入り口ですれ違ったことがあった。
そんなことを考えている間に、電車は動き出した。駅に到着すると、我先にと切原が飛び出していった。背中にはラケットを入れたバッグ。全く、これだと遊びに来たのか勉強しに来たのかわかったものではない。
悪魔との奇跡的な再会
(再会ではない)を果たしてから数日。ゴールデンウィークが始まり、私は家と塾とを往復し、たまに家族とスーパーに行くくらいの普通の休日を送っていた。
今、私がいるのは学校近くのゲームセンターだ。
なんでも、母親がスーパーで買い物をした時、このゲームセンターの無料券なるものをもらったらしい。息抜きに、たまには遊んできなさいといわれたし、使わないのも勿体無いな、と思ったので素直にやってきた。
一歩足を踏み入れると、雑多な音声が耳に飛び込んできて、思わず顔を顰めた。私にとって、ゲームセンターとは旅館や小規模なホテルに併設されているもの、もしくはスーパーやショッピングモールに併設されている比較的小規模な子供向けのものしか知らないのだ。
店員に声をかけて、コインと交換してもらった。
とりあえず一周してみて、自分でも遊べそうなものがないか確かめてみる。せっかくだし、定番のものよりも、新しいものにチャレンジしてみてもいいかもしれない。
UFOキャッチャーは取れそうな気がしないし、どうしようかなとぐるぐる歩いていると、一体の筐体を見つけた。
それは、私でも名前は聞いたことのあるくらい有名な格闘ゲームだった。
なんとなく、ゲーセン=格ゲーみたいな考えがあったので、座ってコインを投入してみる。それに、昔このゲームの家庭用版を親戚の家で遊んだことがあった。
店内の相手とマッチングできるらしいので、やってみることにする。備え付けの冊子でコマンドの確認をしていると、すぐに相手が見つかった。
「……」
相手は、こちらから接近しなくても、勢いよく向かってきた。素人目にも無茶苦茶だと思うくらい次早にコンボを繰り出してくるので、私はガードする一方で、なかなかそれ以上にはならない。壁に追い詰められないように、適度に応戦していると、相手の攻撃の後に、少し硬直する時間があることがわかった。その隙を伺って、空中へ繋げるコンボを適当に打つと、面白いように相手のキャラクターが空中に飛んだ。
「おおっ」
地面に叩きつけた瞬間に、急降下して、相手が体制を整えた! というところでゲージ技を使うと、面白いくらいHPがごっそりと削られた。
その後、相手のカウンター技を喰らって私も瀕死になったりするなど、激しい試合が展開された。結果としては、私が勝った。
思いもしていなかったのだが、私には格闘ゲームの才能があったのだ。
浮かれてそのまま家に帰る途中、格ゲーの家庭用タイトルをいくつか中古で購入した。普段使わないゲーム機を占領し出したので、父が驚いた。
学校の帰り、塾がない日にゲーセンに寄るようになった。今まで趣味らしい趣味もなく、勉強以外にやることもなかった私に、格闘ゲームという娯楽は大変刺激的だった。
うまい人のプレイ動画をみたり、自分のプレイを録画してそれと見比べ、どうしたらもっと強くなれるか、と考えるのは楽しい。毎日の練習で、自分が着実に強くなっていくのが感じられ、勉強と同じような達成感を味わうことができた。
「お前、さっきーー使ってただろ」
ゲーセンを出て、駅を向かう途中のことだった。背後からいきなり、誰かに声をかけられた。
心臓がビクンとはねた。不審者かもしれない、と焦ったが杞憂だった。もっと面倒な相手だった。
「おい、無視すんなって」
肩を掴まれて、思わず振り向いてしまった。二重の意味で驚いて、私は情けない声を上げた。
「同じ学校に、強いやつがいるって聞いたんだけど、お前だろ」
「さぁ……」
げ、めんどくせ〜。
切原は、私の都合などお構いなしに隣に並んだ。この人、駅までついてくる気なのだろうか。
「しらばっくれんなって。今日、お前の対
面の台使ってたの俺だから」
「……」
「お前、結構強いじゃん? めっちゃ地味っつーかさ、ゲーセンとか行かなさそうなのに」
ど偏見だな。まぁ、そう思われても仕方がないのはわかるけども。
「はぁ……ありがとう?」
適当に話を切り上げて早く帰りたかった。いや、今は帰ってる途中なんだけど。邪魔な手を離して欲しい。……いつになったら解放されるんだろう。
「俺、お前を倒すから。明日の5時にちゃんと来いよ」
「えぇ……」
それだけ言うと、「そんじゃな!」と駅へと走り去っていった。
急に仇敵みたいに絡んできて、ろくに返事も聞かないで帰って行く。訳のわからない人だ。
お前を倒すなんて、アニメみたいなセリフも言われちゃったし。
私ははぁぁと大きなため息をついた。何かよくわからないことに巻き込まれているような気がした。
当日。
ちょうどテニスコートの整備とかなんとかで、男子テニス部は休みらしい。
確か、うちの学校のテニス部は全国大会で優勝するくらい力の入った強い部活だそうだ。なるほど、だから立海に入ったのか、と一人で勝手に納得した。
焦る気持ちで一日を過ごし、放課後がやってきた。
痛む胃を押さえながら、ゲーセンまでの道を歩く。最初、放課後に寄り道した時のことを思い出した。学生で、制服を着たままゲーセンなんていって、叱られないのか、とか。実際には夜遅くにならない限りは大丈夫だったのだけど、その時は勝手が分からずひたすらビビっていた。不安と緊張の正体は無知であること。そうだと今まで信じていたが、今回はそれに当てはまらない。確実に自分を負かそうとしてくる相手の闘魂を感じて、恐れているのだ。単純に、相手が怖いというのもあるのだけど。
自動ドアが開き、リングに上がる選手のような気持ちで筐体へと歩み寄っていく。オレンジ色の皮張りの椅子、派手な音楽、流れるデモ・ムービー、それぞれの音楽や雑音が猥雑なメロディを奏でる。
「よぉ、ビビってこないかと思ったぜ」
「……早く始めて」
切原とは反対の台に座って、コインを投入した。さながら、銃に弾を込めるように。
実は、昨晩必死に練習したせいで今日はめちゃくちゃ眠かった。負けたら恥ずかしいという気持ちが私をそうさせた。受験で負けて、入ったら入ったで意味わからないやつに絡まれて。よく考えたら、切原と私は因縁めいたもので繋がっているのかもしれない。
ロマンチストじみたことを考えながら、すっかり硬くなった指の皮でボタンを必死に叩く。3ラウンド制で先に二勝した方が勝つというシンプルなゲーム。相手の猛攻に既視感を覚える。駆け引きなしに飛び込んできて、正確なコンボを叩きだすこのプレイは、私の初戦の相手を連想させた。1ラウンドめが終了し、時間切れで私が負けた時にその考えは正しいという確信が持てた。
相手は前回よりも強くなっている。部活があって(男子テニス部は休みの日も練習があって忙しいことで有名だった)ゲームを練習する余裕があることに驚いた。よほど私にストレート負けしたことが悔しかったのだろうか。テニスの練習をした方が有意義だと思うのだが。
3ラウンドまでお互い一勝一敗。
ここが最後。ここで、勝ち負けが決まる。
緊張で、夥しい量の手汗をかいた。向こうの表情はわからないが、それでよかったと思う。時々、反対側から鋭い暴言が飛び出す。私はそれなりに怖がりの小心なところがあるので、人が怒っている顔が見えたら恐ろしくて試合にならない。
後ろで順番待ちをしている人が、時々横目で私の試合をみていた。ギャラリーらしいギャラリーもいなくて、これが現実だよなぁと達観したふりをしてレバーを掌で包み込んだ。
一試合目で壁際に追い詰められてガッツリ持っていかれたので、今回は私も積極的に仕掛けていくことにした。私のキャラは、飛び道を使うので、相手の近接攻撃タイプのキャラとは少し相性が悪かった。ただ、それは接近を許さなければ一方的にハメ殺せるということなので、なるべく硬直が少なく、ノックバックがついた攻撃を繰り返した。
向こうがイラついているのが肌で伝わってくる。じわじわと削れる切原のHPと、反対に増える必殺技のゲージとを見比べて、私もそろそろ一気に畳みかけて行かないとやばいかもしれない。
お互いのHPが3割程度しか残っていない。ここで決めないと後がない、というプレッシャーで押し潰されそうになる。向こうがテニスプレイヤーだし、場慣れしているのだろう。なんとなく、余裕があるように感じられた。
ガチャガチャとボタンを連打しているので、指の節が鈍く痛んだ。思わず焦って意味のない攻撃をして、相手はそれをしっかりとガードしている。残り時間の秒数が減っていくたびに余計に変な動きをしてしまう。
「これで終わりだ!」と、キャラクターの声が下。まずい、相手がゲージ技を繰り出してきた……
私も慌ててゲージを消費してカウンターを仕掛ける。お互いの技がキャンセルされて、向こうが硬直している隙に空中コンボを繰り出した。
今までここまで必死になったことがあっただろうか。指の皮が捲れそうなほど強く、ボタンを叩いた。今この一瞬に、全てを賭ける。
もしかしたら、受験のときもここまで必死にならなかったかもしれない。絶対に負けられない。それだけしか感じなかった。向こうが台を叩くのと同時に、KOの二文字が画面に映った。勝利セリフが流れて、最初の画面に戻ってしまった。
「やったー!」
思わず、人目も憚らずに呟いた。鞄を掴んで、台をティッシュで拭くと次の人に譲った。
反対に回り込むと、切原は私のことをキッと睨みつけた。おぉ、こわ。でも、結局私が勝ったので負け惜しみだ。何もビビることはない。
「クソ! 次はぜってぇ勝つ!」
それだけ言うと、私が何か返事する間もなく出て行った。本気で悔しかったのだろう。私も勝てて、本気で嬉しかった。なんていうか、ずっとこのまま戦っていたいとか、そういうのもなくはない。せっかく付き合ってあげたのに、それはないでしょ……と思ったけれど、切原って自分勝手なやつだった。という、根本的なところを思い出した。
他の人に見られるのが少し恥ずかしかったので、私もすぐに移動した。
次の日。
昨晩、家に帰ってから何度も試合のことを考えた。あそこではもっと攻めたほうが良かったな〜とか、いつもの反省会だ。「次は勝つ!」と言われたけれど、また挑んでくるのだろうか。正直、満更でもない。あそこまで熱戦を繰り広げることは今までなかったし、あのめちゃくちゃ自分本意なところを除けばいい対戦相手なのは確かだ。
負けたことに対して環境とか筐体のせいにしないし。
「ミョウジ! いるかぁ!?」
昼休み。弁当を食べ終わって、これから次の体育のために着替えに行こうとしていると、特徴的な声で呼び出された。
えぇ、なんでミョウジが切原と?みたいな微妙な視線が注がれる。勘弁してよ〜と思いながらのろのろと立ち上がった。
「はいはい……なんでしょう」
「LINE教えろ!」
「えぇ!?」
教室に残った生徒がざわめいた。やめてほしい。そういうのじゃない。
「なんだよ、やってないのか?」
「いや、それは……」
「ミョウジ、教えてやれよ!」
ヤジが飛ぶ。ポケットからスマホを取り出して、周りに見守られながらラインを交換した。本当に、なんだこれ。
「ねぇ、めちゃくちゃ恥ずかしいから教室にきてこんなことしないでよ……」
「はぁ? しらねぇよ。っていうか、次の試合いつするんだよ」
「別に私は試合したいわけじゃないんだけど……」
小声でそう伝えると、周りが余計にざわついた。違う、テニスの話じゃない! 否定しようとした時、切原はテニス部員らしき人に呼ばれて消えていった。
「ねぇ、切原とどういう関係?」
「……話せば長いんだけど」
受験勉強の時間を、ちゃんと取れるだろうか。もはや逃げきれないと悟って、私は語り出す。あの冬の電車のことから、何から何まで。
翌日、学校に行くと私のとんでもない噂が広まっていた。私は、さらに転学の意思を固めるのだった。
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