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テニスの王子様
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「わたしが宇宙人だって言ったら、日吉はどうする?」
金曜の夕暮れ、二人きりの教室で、いきなりナマエはこんなことを言った。日吉は、持っていたペンを机の上に落とした。
季節は春、というよりはもうすでに夏の気配が背後に忍び寄っている。初夏と表現してもいい。そろそろ夏服に袖を通してもいい頃合いだった。教卓の上に置かれた鍵を弄びながら、ナマエは自身の黒髪を弄んだ。そろそろ髪の毛でも切ろうかな。そう言うような調子で、彼女は先ほどの言葉を口にしたのだった。
「…………お前、頭がおかしくなったか」
日吉がそう告げると、ナマエは恥ずかしそうに髪の一房をつまみ、指先で弄くり回した。日吉が日誌を書く手はすでに止まっている。長い前髪の下に二つ並んだ瞳は、悪夢から目覚めた直後のように、目の前のクラスメイト──日直の相方を凝視している。
何かの冗談で揶揄われているのではないか。日吉は考える。この女子生徒とは、別に特別親しいわけではなかった。単なるクラスメイトで、一般的な中学生の交流として、朝教室で出会えば、あいさつくらいはする程度の相手。それでしかなかった。
今までのナマエの態度を考える。
朝、花瓶の水替えと朝の清掃のために早朝教室に入室した際、ナマエはもうすでに教室の鍵を開けて、自分の席に座っていた。ロッカー側に置かれた花瓶には、すでに新しい水が入れられているようだった。
「あ、今日の日直って日吉だったっけ。水替えしといたし、今日はそんなに汚れてないからそのまま朝練行ってきなよ。その代わり、放課後日誌書くのはそっちがやってよね」
昼休み、午前の授業の後、先日宿題として出された課題を職員室までまとめて持っていく時──特に変なことはなかった。数学の教師に数十人分のノートを渡し、その後ナマエは学食の方へと別れた。日吉はテニス部のミーティングがあるので、そのまま本校舎を離れた。
ホームルームでも、各種伝達事項を確認した時、その時も差し当たって問題になる行動は見当たらなかった。
やはり、こちらの反応を見て笑われているだけなのではないだろうか。
日吉は、同級生の女子生徒が交わしていた馬鹿げた雑談の中身を思い出した。やれ昨日みたサプライズが面白かっただの、今度はあの子の誕生日にサプライズで何かをやってやろうだの、罰ゲームであいつに告白してこい、などといった言葉が日吉の脳内を巡り、ナマエの輪郭と重なってボヤけた。
ただ揶揄われているだけなら、いい。問題は、これが悪意を持ってなされているかどうかだ。
女子生徒の笑い話の種にされる程度であれば、特段気になることはない。けれど、何らかの意図を持って、こちらの様子を探りに来られているという場合であれば、話は別だった。
日吉は恐ろしくプライドの高い中学生だった。売られた喧嘩は勝たなくてはいけない。常に勝利を求める貪欲さと、弱みを作りたくないという焦りの気持ちの両方が腹の中で蠢いている。ナマエの目的がわからない以上、迂闊に何かリアクションを取ったとして、いい方向へは行かないだろう。しかし、観察に徹しては疑い深すぎると逆に馬鹿にされそうな気がする。日吉が次の一手を考えあぐねている間、ナマエは手元にある教室の鍵を弄り回しながら、こちらを見ていた。日誌に記入された文字は、ぐにゃりと曲がっている。まるで、日吉の精神的動揺を表しているかのように。
それにしても、先ほどペンを落としてしまったのは、良くない行動だった。鍛錬が、自己研鑽が、平常心を保つメンタルが足りない証拠である。さらに精神面を鍛える必要がある。真面目な少年はそう思った。
「日吉になら、言ってもいいかなって」
ナマエの頬は、水彩絵の具で薄く色を置いたように紅潮していた。恋愛ではない──別種の告白をした彼女は、ラブレターを渡した直後のように日吉に向かって目線をチラチラとやりながら返事を待っていた。
思わず、日吉はその様子に見入った。この世に生を受けてから、日吉にそのような視線を向けてきた女性はいなかった。いたかもしれないが、彼がその光線を受け取ることはなかった。
何かに支配されているように、ナマエの目をじっと、食い入るように見つめた。黒というよりも茶色に近い双眸は、少し濁った飴玉のように淡く光っている。瞳孔は少し開いていて、日吉の顔をそっくり小さく反射していた。
「ドッキリってやつじゃないのか」
「え、そんなことないよ。非道い、日吉にだから言ってもいいやって思ったのに」
ナマエはそう言うと、上着と、ブレザーすらも繭から這い出るように脱ぎ捨ててしまった。目の前でストリップが始まり、日吉は思わず目を閉じた。声は出なかった。ここが女子更衣室であったなら、体育の着替えの時間であれば、彼女の行動は自然だっただろう。しかし、そうではない。
まるでアダルトビデオの導入のように、ナマエはスルスルと服を脱いだ。衣擦れの音が、これが夢ではないことを日吉に告げた。
「ねえ、目を開けてよ」
「断る。写真に収めて俺を笑い物にするだろう」
「しないよ。ね、裸じゃないからさ、大丈夫だから」
「嘘をつくな。恥ずかしくないのか、こんな、痴女みたいな真似をして……」
「ああ日吉、君って語彙が年寄りじみてるね。一般的な日本人の中学生は、そんな言葉を使わないと思っていたけれど、痴女って、君は、昭和の小説でも読み過ぎたのかな。……わたしってそんなに信用ないのかな、残念だけど……まあ、いいや──〈目を開けなさい〉」
ナマエの口から発せられた言葉は、明らかに日本語ではない、そもそも人体の発声として再現可能かすらわからない、か細い金属同士がぶつかって震えたような音だった。普通に聞いていれば聞き逃しそうな小さな声だったが、それを聞いた瞬間、耳から頭に流れ込んできた言葉の意味がすぐに理解できた。
固く閉ざした瞳が、ゆっくりと開かれていく。
ナマエはすでに、上半身が裸になっていた。ブラジャーは床に散乱している。しかし、それを見た瞬間に湧き上がって来たのは羞恥ではなく、興奮でもなく、生物の本能としての、原始的な恐怖だった。
まず目に飛び込んできたのは、ぐにゃぐにゃと揺れる肉の割れ目だった。ちょうど脳みそのような筋が幾重にも入り混じり、それぞれが不規則に揺れている。人間でいえば鎖骨の部分に当たる箇所には、深海魚の目のような薄い膜が彼女の肩まで広がっていた。腋から臀部に至るまで、うっすらと骨が浮き出ていて、皮膚が緩く脈売っている。臀部に当たる部分は、ちょうど人間でいうと子宮に当たる部分から、へそにかけて、奇妙な紋様と、イソギンチャクのように揺れている、龍の尾じみた何かが時計回りにぐるぐる弧を描いていた。
幻想小説の挿絵で、このような生き物を見たことがある。日吉が真っ先に思い出したのは、部屋の隅で埃をかぶっているハードカバーの書籍だった。しかし、その印象は一瞬で消え去る。深海魚のように醜い体を纏い、顔だけはどこにでもいるような少女の顔をして、佇んでいるナマエを見て、背骨が一本ずつ抜かれているような、目の奥をナイフで刺されているような、そんな気分に襲われた。
「こ、殺すな……殺さないでくれ……」
立ち上がり、今すぐにでも飛び出して逃げたかったが、ナマエと視線がかち合っていると金縛りのように椅子から立ち上がることができなかった。
「殺さないよ、大丈夫だよ」
「う、うそだ……そのウネウネしたやつ、さっさとしまえよ!」
「無理だよ。君だって、体の一部を体内に入れることなんて不可能でしょ」
動き回る肉の断面のようなナマエの体を見ていると、胃のなかのものを全て吐き出してしまいたくなった。
「ああ、日吉。君が好きな宇宙人だよ」
ナマエはゆっくりと、教卓から近づいてくる。ふわふわと漂う彼女の周りの触手は、日吉の顔をそっと撫でた。
「君がいつも決まって夜空を見上げる時、わたしはとても嬉しかった。ああ、君みたいに本気で地球の外に生き物がいると信じている地球人の個体は希少でね、ああ、いい歳した大人では面白くないよ。やっぱり、君みたいな成体前の人間の方が、わたしとしても嬉しいんだ。君が読んでいる雑誌の内容は、ほとんど嘘だけれど、一つだけ真実が書かれているんだ。わたしだよ、わたしは、いるんだ。この星から数百光年離れた、銀河系の端っこに、わたしたち有機生命体は生きているんだ。わたしたちは、何度も円盤型惑星間移動装置を飛ばして、時間を吹っ飛ばしてこの星までやってきている。人間が、好きなんだ。人間は、面白い。わたしたちが思いつかない空想を、いくらでも脳内に抱えている。わたしたちは、意識はあれど、思考は画一でね、異なる意見というものが存在しない。雌雄はあれど、個体差はない。日吉のような思春期の少年は、とても面白いよ。君がテニスに打ち込んでいるのと同時に、円盤の撮影にも熱心に取り組んでいるのを見て、わたしたちは君が好きになった。ああ、一人の個体が恋をすると、全員がそうなるんだ。君は、わたしたちに恋を教えてくれた。君はもう、我々全員の寵愛を一手に受けていると言っていい。大丈夫、わたしたちは争いを好まないから、地球で戦争を起こすなんてことはないよ。うん、だからね、日吉、君はこれから、普通に生を全うしてほしい。わたしたちに、君の生きる軌跡全てを見せてくれれば、それでいい。ムーという雑誌も、面白いことをするね。ああ、わたしたちの存在は秘匿しても、しなくてもいいよ。君たちに捌かれたとて、痛くも痒くもない。わたしたちはすでに無限の時間を、一つの意識を共有して生きているのだから、なんでもないんだ。このくらい。日吉、君と二人きりになれてよかった。願わくば、ずっとこうしていたいけれど、君には放課後の部活動があるからね、さあ、行っておいで。わたしは日誌と鍵、職員室に返してくるから」
それは聞く限り、ナマエの声でしかなかった。ナマエは床に捨てた服を纏い、ずれ落ちたスカートをもとに戻した。そうすると、すっかりと彼女は元の姿に戻った。
「日吉、部活がんばってね」
ナマエは教室から日吉を追い出し、そのまま日誌の続きを書こうとペンを取り出した。日吉はその日、初めて部活動を無断欠席した。
金曜の夕暮れ、二人きりの教室で、いきなりナマエはこんなことを言った。日吉は、持っていたペンを机の上に落とした。
季節は春、というよりはもうすでに夏の気配が背後に忍び寄っている。初夏と表現してもいい。そろそろ夏服に袖を通してもいい頃合いだった。教卓の上に置かれた鍵を弄びながら、ナマエは自身の黒髪を弄んだ。そろそろ髪の毛でも切ろうかな。そう言うような調子で、彼女は先ほどの言葉を口にしたのだった。
「…………お前、頭がおかしくなったか」
日吉がそう告げると、ナマエは恥ずかしそうに髪の一房をつまみ、指先で弄くり回した。日吉が日誌を書く手はすでに止まっている。長い前髪の下に二つ並んだ瞳は、悪夢から目覚めた直後のように、目の前のクラスメイト──日直の相方を凝視している。
何かの冗談で揶揄われているのではないか。日吉は考える。この女子生徒とは、別に特別親しいわけではなかった。単なるクラスメイトで、一般的な中学生の交流として、朝教室で出会えば、あいさつくらいはする程度の相手。それでしかなかった。
今までのナマエの態度を考える。
朝、花瓶の水替えと朝の清掃のために早朝教室に入室した際、ナマエはもうすでに教室の鍵を開けて、自分の席に座っていた。ロッカー側に置かれた花瓶には、すでに新しい水が入れられているようだった。
「あ、今日の日直って日吉だったっけ。水替えしといたし、今日はそんなに汚れてないからそのまま朝練行ってきなよ。その代わり、放課後日誌書くのはそっちがやってよね」
昼休み、午前の授業の後、先日宿題として出された課題を職員室までまとめて持っていく時──特に変なことはなかった。数学の教師に数十人分のノートを渡し、その後ナマエは学食の方へと別れた。日吉はテニス部のミーティングがあるので、そのまま本校舎を離れた。
ホームルームでも、各種伝達事項を確認した時、その時も差し当たって問題になる行動は見当たらなかった。
やはり、こちらの反応を見て笑われているだけなのではないだろうか。
日吉は、同級生の女子生徒が交わしていた馬鹿げた雑談の中身を思い出した。やれ昨日みたサプライズが面白かっただの、今度はあの子の誕生日にサプライズで何かをやってやろうだの、罰ゲームであいつに告白してこい、などといった言葉が日吉の脳内を巡り、ナマエの輪郭と重なってボヤけた。
ただ揶揄われているだけなら、いい。問題は、これが悪意を持ってなされているかどうかだ。
女子生徒の笑い話の種にされる程度であれば、特段気になることはない。けれど、何らかの意図を持って、こちらの様子を探りに来られているという場合であれば、話は別だった。
日吉は恐ろしくプライドの高い中学生だった。売られた喧嘩は勝たなくてはいけない。常に勝利を求める貪欲さと、弱みを作りたくないという焦りの気持ちの両方が腹の中で蠢いている。ナマエの目的がわからない以上、迂闊に何かリアクションを取ったとして、いい方向へは行かないだろう。しかし、観察に徹しては疑い深すぎると逆に馬鹿にされそうな気がする。日吉が次の一手を考えあぐねている間、ナマエは手元にある教室の鍵を弄り回しながら、こちらを見ていた。日誌に記入された文字は、ぐにゃりと曲がっている。まるで、日吉の精神的動揺を表しているかのように。
それにしても、先ほどペンを落としてしまったのは、良くない行動だった。鍛錬が、自己研鑽が、平常心を保つメンタルが足りない証拠である。さらに精神面を鍛える必要がある。真面目な少年はそう思った。
「日吉になら、言ってもいいかなって」
ナマエの頬は、水彩絵の具で薄く色を置いたように紅潮していた。恋愛ではない──別種の告白をした彼女は、ラブレターを渡した直後のように日吉に向かって目線をチラチラとやりながら返事を待っていた。
思わず、日吉はその様子に見入った。この世に生を受けてから、日吉にそのような視線を向けてきた女性はいなかった。いたかもしれないが、彼がその光線を受け取ることはなかった。
何かに支配されているように、ナマエの目をじっと、食い入るように見つめた。黒というよりも茶色に近い双眸は、少し濁った飴玉のように淡く光っている。瞳孔は少し開いていて、日吉の顔をそっくり小さく反射していた。
「ドッキリってやつじゃないのか」
「え、そんなことないよ。非道い、日吉にだから言ってもいいやって思ったのに」
ナマエはそう言うと、上着と、ブレザーすらも繭から這い出るように脱ぎ捨ててしまった。目の前でストリップが始まり、日吉は思わず目を閉じた。声は出なかった。ここが女子更衣室であったなら、体育の着替えの時間であれば、彼女の行動は自然だっただろう。しかし、そうではない。
まるでアダルトビデオの導入のように、ナマエはスルスルと服を脱いだ。衣擦れの音が、これが夢ではないことを日吉に告げた。
「ねえ、目を開けてよ」
「断る。写真に収めて俺を笑い物にするだろう」
「しないよ。ね、裸じゃないからさ、大丈夫だから」
「嘘をつくな。恥ずかしくないのか、こんな、痴女みたいな真似をして……」
「ああ日吉、君って語彙が年寄りじみてるね。一般的な日本人の中学生は、そんな言葉を使わないと思っていたけれど、痴女って、君は、昭和の小説でも読み過ぎたのかな。……わたしってそんなに信用ないのかな、残念だけど……まあ、いいや──〈目を開けなさい〉」
ナマエの口から発せられた言葉は、明らかに日本語ではない、そもそも人体の発声として再現可能かすらわからない、か細い金属同士がぶつかって震えたような音だった。普通に聞いていれば聞き逃しそうな小さな声だったが、それを聞いた瞬間、耳から頭に流れ込んできた言葉の意味がすぐに理解できた。
固く閉ざした瞳が、ゆっくりと開かれていく。
ナマエはすでに、上半身が裸になっていた。ブラジャーは床に散乱している。しかし、それを見た瞬間に湧き上がって来たのは羞恥ではなく、興奮でもなく、生物の本能としての、原始的な恐怖だった。
まず目に飛び込んできたのは、ぐにゃぐにゃと揺れる肉の割れ目だった。ちょうど脳みそのような筋が幾重にも入り混じり、それぞれが不規則に揺れている。人間でいえば鎖骨の部分に当たる箇所には、深海魚の目のような薄い膜が彼女の肩まで広がっていた。腋から臀部に至るまで、うっすらと骨が浮き出ていて、皮膚が緩く脈売っている。臀部に当たる部分は、ちょうど人間でいうと子宮に当たる部分から、へそにかけて、奇妙な紋様と、イソギンチャクのように揺れている、龍の尾じみた何かが時計回りにぐるぐる弧を描いていた。
幻想小説の挿絵で、このような生き物を見たことがある。日吉が真っ先に思い出したのは、部屋の隅で埃をかぶっているハードカバーの書籍だった。しかし、その印象は一瞬で消え去る。深海魚のように醜い体を纏い、顔だけはどこにでもいるような少女の顔をして、佇んでいるナマエを見て、背骨が一本ずつ抜かれているような、目の奥をナイフで刺されているような、そんな気分に襲われた。
「こ、殺すな……殺さないでくれ……」
立ち上がり、今すぐにでも飛び出して逃げたかったが、ナマエと視線がかち合っていると金縛りのように椅子から立ち上がることができなかった。
「殺さないよ、大丈夫だよ」
「う、うそだ……そのウネウネしたやつ、さっさとしまえよ!」
「無理だよ。君だって、体の一部を体内に入れることなんて不可能でしょ」
動き回る肉の断面のようなナマエの体を見ていると、胃のなかのものを全て吐き出してしまいたくなった。
「ああ、日吉。君が好きな宇宙人だよ」
ナマエはゆっくりと、教卓から近づいてくる。ふわふわと漂う彼女の周りの触手は、日吉の顔をそっと撫でた。
「君がいつも決まって夜空を見上げる時、わたしはとても嬉しかった。ああ、君みたいに本気で地球の外に生き物がいると信じている地球人の個体は希少でね、ああ、いい歳した大人では面白くないよ。やっぱり、君みたいな成体前の人間の方が、わたしとしても嬉しいんだ。君が読んでいる雑誌の内容は、ほとんど嘘だけれど、一つだけ真実が書かれているんだ。わたしだよ、わたしは、いるんだ。この星から数百光年離れた、銀河系の端っこに、わたしたち有機生命体は生きているんだ。わたしたちは、何度も円盤型惑星間移動装置を飛ばして、時間を吹っ飛ばしてこの星までやってきている。人間が、好きなんだ。人間は、面白い。わたしたちが思いつかない空想を、いくらでも脳内に抱えている。わたしたちは、意識はあれど、思考は画一でね、異なる意見というものが存在しない。雌雄はあれど、個体差はない。日吉のような思春期の少年は、とても面白いよ。君がテニスに打ち込んでいるのと同時に、円盤の撮影にも熱心に取り組んでいるのを見て、わたしたちは君が好きになった。ああ、一人の個体が恋をすると、全員がそうなるんだ。君は、わたしたちに恋を教えてくれた。君はもう、我々全員の寵愛を一手に受けていると言っていい。大丈夫、わたしたちは争いを好まないから、地球で戦争を起こすなんてことはないよ。うん、だからね、日吉、君はこれから、普通に生を全うしてほしい。わたしたちに、君の生きる軌跡全てを見せてくれれば、それでいい。ムーという雑誌も、面白いことをするね。ああ、わたしたちの存在は秘匿しても、しなくてもいいよ。君たちに捌かれたとて、痛くも痒くもない。わたしたちはすでに無限の時間を、一つの意識を共有して生きているのだから、なんでもないんだ。このくらい。日吉、君と二人きりになれてよかった。願わくば、ずっとこうしていたいけれど、君には放課後の部活動があるからね、さあ、行っておいで。わたしは日誌と鍵、職員室に返してくるから」
それは聞く限り、ナマエの声でしかなかった。ナマエは床に捨てた服を纏い、ずれ落ちたスカートをもとに戻した。そうすると、すっかりと彼女は元の姿に戻った。
「日吉、部活がんばってね」
ナマエは教室から日吉を追い出し、そのまま日誌の続きを書こうとペンを取り出した。日吉はその日、初めて部活動を無断欠席した。
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