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テニスの王子様
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みんな、校長先生の無駄に長い話は嫌いだと思う。私もご多分に漏れずそうであり、体育館のひんやりとした床に座って、早く終わればいいのにな、と考えて斜め前の方向をずっと見ていた。もちろん、それは校長先生のいる方角ではなく、佐伯先輩がいる方向である。
この学校は学年ごとではなく、クラス番号ごとに横並びにさせられる。二組の私と佐伯先輩は私の隣の列だ。私は女子の中では背が高い方であり、佐伯先輩は決して背が低いわけではないが、私の前に座っている。私の背がもう少し低ければ、先輩の横に座れちゃったりできるんだろう。スポーツもやっていないし(むしろ苦手な方だ)、身長が平均より少し高いくらいで得したことはない。ライブに行く時だって、男性が前に来てしまえば少し見えにくくなってしまうくらいの背丈しかない。つまり、私はこの身長で得をしたことがない。
けれども、今はこの身長に少し感謝している。文化祭でロミオを熱演した先輩の顔立ちはとても端正で、例えるならばギリシャ彫刻のようだ。アルカイックスマイルとは程遠い自然な笑みを浮かべ、そんな笑顔は真正面から見ると照れてしまう。斜め後ろから眺めるくらいがちょうどいい。ほらちょうど、今の角度が最高だった。
うわー、やっぱり顔がいい。月並みな言葉ではあるが、それしか言えない。顔だけじゃない、性格だって爽やかで、全国に行っちゃうようなテニス部のレギュラーだし、もう天上人のような存在だ。けれど、顔がいいな、としか思っていなかった先輩に振り向いてくれたらいいな、なんていう下心を持ってしまったのが今年の夏休み。ちょうど今は冬休みが始まる前の日で、早く終わって欲しいな、という気持ちとは裏腹に、先輩の顔をずっと見ていたいから終わって欲しくないなぁ、なんてしょうもないことを考えてしまうのだ。
あ。
気のせいでなければ、佐伯先輩と目があった。
目があったのは、先輩が斜め後ろを振り向いたタイミングだ。
え、嘘。笑ってた? 見間違いでなければ、先輩は私の目を見て微笑んでくれた。
よくよく思い出すと、先輩は後ろの男子生徒に背中を触られていて、それに反応して振り返った。その途中で、たまたま私と目があった。これは偶然のことだ。別にわざわざ先輩は私の視線に気がついていたわけじゃない。今まさに、先輩は背中を触った人のことを小突いて元の姿勢に戻った。
何、なんだったの今の。
気がつけば校長先生の話は終わっていて、みんなに流されるように体育館から本校舎に移動した。体育館シューズを履き替えるのが面倒で、三年生から順番に退場していく慌ただしい波に押されて、雪崩のように自分の教室に入り込んだ。
「校長の話、マジ長かった~」
「わかるわぁ、いっつも長いよね。ってか思い出したんだけど、今日早く終わるし帰りにスタバ行こうよ」
「あははっ、こんな田舎にスタバないって、あってコメダじゃん」
「え、でも今度駅前にできるらしいよ、スタバ。コメダつぶれてスタバになるって」
「マジ? あーでも今日はガッチリ系が食べたいかも」
「それでもいいよー」
「ねぇ、ナマエは放課後どこ行きたい?」
ホームルームが始まるまでの少ない時間で、みんなは冬休みの予定やこの後のことについてやいのやいのと盛り上がっていた。隠して持ちこんだ練り消しをずっとこねくり回してボーっとしていた。いつの間にか私の席の周りに集合していた友人たちの話も聞こえてこなかったくらいだ。私の頭の中は、佐伯先輩の顔がよかったことと、体育館の床が冷たかったことでいっぱいだった。
「えっ、あぁごめん。聞いてなかった」
「ミホたちと一緒にご飯行かないってなってるんだけど、どう?」
なるほど、よくあるシチュエーションだ。鉛筆の粉を吸って真っ黒になった練り消しを引き出しの裏に引っ付けて、頭の中の今日の予定を思い出した。
「あ、ごめん。今日家に誰もいないから留守番しろってお母さんが」
「あーオッケー。じゃあまた機会があれば行こうね」
「食べたご飯グループに投げといて、見るから」
「冬休みにでも行こうね」
「うん、空いてる日があったらラインで送る」
そうして話している間に先生が教室に入ってきて、みんなはそれぞれの席に戻っていった。
前の席からプリントがたくさん回ってきて、休み期間中の諸注意やら課題やらについて、先生は冗談を交えながら説明していく。いつもなら、交通安全のポスターやら人権標語やらをどう処理しようかと考えたり、冬季講習のスケジュールについて思いを巡らせたりするのだが、今回は違う。
本当に、佐伯先輩のことしか頭にないのだ。
プリントにグリグリとシャーペンを押し付けて黒く塗りつぶしていると、ローリングストーンズの「黒く塗れ!」が脳裏をよぎった。夏休みに配信サイトで見た映画のエンディングで流れた曲だ。本当にあの演出は憎いなぁ、監督は何でこんなオチにしちゃったんだろう、と考えて悶々としていたことを思い出す。そういえば、佐伯先輩って映画見るのかな。ロミオなんてやったくらいだし、恋愛映画好きだったりして。普通の男子中学生はそういうのに興味がないとは思うけど、千葉のロミオなんて言われる先輩だったら全然違和感がないと思う。
あー、だめだ。もう完全に先輩に侵食されている。5ヶ月前からたまにこういう期間があって、その度に雑念を取り払おうと様々なものに熱中してみたりするのだが、如何せん思い出してしまって平穏な心は短期間しか訪れることがないのだ。
それもこれも、私がかなり先輩と接点を持ってしまっているせいだ。
私は六角中の新聞部員として活動している。入部した理由は、ただ単に放課後の空き時間を埋めたかったからで、運動部はキツそうだし、吹奏楽や美術部みたいな芸術系は難しそうだな、と考えて科学部との二択からこちらを選んだ。茶道部は正座できない人間には無理だし、書道は授業のぶんで満足してしまっているから最初から眼中にない。
週に2回の部活では、部活の活動内容や大会に出場したときのレポートを書く、という機会があり、小学校の時に少しだけテニスをかじっていたことと、カメラの扱いがこなれている、という理由から男子テニス部の活動を追っかけることになった。ここの男子テニス部は結構特殊で、他の部活とは少し色が違う。しかも、全国大会の常連ということでこんな一年生が担当していいのかと不安になったが、部活の先輩方は何も言わなかった。後で理由を聞くと、「あのテニス部の取材を任されたっていうのに全然浮ついていなかったから」とのことだった。確かに、あの部活は学校の人気者揃いだ。でも、学校に入ってすぐ、しかも引っ越してきたばかりの私はそんなことを知る由もなかったのだ。
けれども、二年になった今は結構ガツガツしてしまっている。試合を追いかけたり、部員の方々のお話を聞くのは単純に楽しい。しかし、私はここで先輩を好きになってしまったのだ。具体的に自覚をしたのはいつかというと、レギュラーになった先輩に、一対一で取材をした時のことだ。
夏休み直前の暑い日、部長の独断と偏見によって急遽先輩の特集を組むことになった。イケメンの記事が売れるんだ!と部長は力説して強引に企画を通してしまったのだ。私はそれに流されて、先輩を呼び出した。
そもそも先輩は真面目だ。しかも、テニスが篦棒にうまい。そんな先輩のテニスにかける熱い思いを聞いた私は、その場でのぼせ上がってしまった。放送準備室、二人きり。話が面白い上にわかりやすい、私の名前を覚えてくれて、目を見て話してくれる。先輩は普段めちゃくちゃ温和で和やかで爽やかな好青年だが、試合になると、まるで狩人のように冷静に相手を追い詰めていく。インタビュー中、先輩は爽やかな好青年っぷりを存分に発揮しつつ、時折試合を思い返すようにそんな目をしていた。私が質問しなくてもすらすら喋ってくれる。春から夏にかけて、試合の取材の時に少しだけ話したことはあるが、こんなに長く喋ったことはない。その時、窓から差し込む西陽に照らされて先輩の横顔があまりにもきれいで、私は言葉を忘れてしまった。先輩は夏の大会へ向ける意気込みを力説してくれた。本当に先輩はテニスが好きなんだと私は感動した。語り口こそ爽やかだったが、内容はテニスに対する情念がひしひしと感じられるいい内容だった。きっといい記事になるぞと確信がもてた。わざわざ練習時間を割いて語ってくれる話は、ただの一面記事分なのに、最終下校時刻まで続いた。
下校の放送が流れて、慌てて昇降口を出て校庭にでたタイミングで先輩は口を開いた。
「もう遅いから俺が送るよ。ごめんね、ナマエさんが聞き上手だから遅くまで話し込んじゃったよ」
新聞の締め切り前なら、こうやって遅くまで残ることは珍しくないことだ。そうやって丁寧に断ろうとしたが、先輩は引かなかった。結局家の近くのコンビニまで送ってもらって、その道中はくだらないことを喋った気がする。先輩からは柔軟剤とは違ったいい匂いがして、死ぬほどドギマギした。さりげなく車道側を歩いてくれるし、リュックも持ってくれようとした。先輩は、紳士だ。こんなことをされて好きにならない人はいないだろう。
まぁ、その時の記憶は幸せすぎてふわふわしているので、詳細に思い出すことはできない。こんなに私は先輩が好きだ。けれども、信頼して託してくださった先輩方(と、先輩のファン)に申し訳がないので、私の恋心は胸に秘めておこうと決めている。
昇降口から友達と別れて西門を歩いていると、先輩が一人で歩いている姿が見えた。
いつもいるテニス部のメンバーはいなくて、正真正銘先輩一人だ。みんな早く帰ろうと足早でごった返す西門で、先輩の姿をすぐ見つけてしまう自分が少し恥ずかしい。どれだけ好きなんだろう。
「あ、ナマエさん」
「佐伯先輩、お疲れ様です」
先輩の方も私に気付いて声をかけてくれる。軽く会釈すると、先輩は私の半歩先を進み出した。
「先輩は今日練習じゃないんですか」
「今日は休みだよ」
珍しいこともあるんだなぁ、と思った。テニス馬鹿ばっかりで、暇さえあれば海で遊んでいるようなあの部活にも休みがあったんだ。
荷物多そうだね、持とうか?、と気遣ってくれるところを丁寧に辞退した。こんなことを他の人も言っているんだろうか。
「明日から冬休みだね、ナマエさんはどこかに遊びに行ったりとかはしないの」
「うーん、冬季講習もありますし、友達と予定があったら遊園地に行こう、みたいな事は言ってますけど、遊びって言われるとそんなにないですね」
「へぇ、意外だなぁ。ナマエさんは友達が多いし、冬休みも予定で一杯だと思ってたよ」
「先輩こそどうなんですか。ほら、彼女さんとかとデートしたりとか」
「俺に彼女はいないよ。今年の冬は部活の奴らと遊んだり、ってまぁいつもと変わらないかな」
先輩に彼女がいないと聞いて、嬉しかった。正直、うん彼女がいるよ、なんて言われたらショックで寝込んでしまうかもしれなかった。テニスに集中するためにそういう存在は作ってないのかもな……え、これ私に勝ち目なくない?
「そういえば、今日これから暇?」
「え……」
親からのラインで留守番を頼まれたことを思い出した。しかし、この流れからして、先輩は私を誘ってくれているのだろう。えっと、私に暇かと聞くという事は、そういうことでは……?私は親の言いつけを頭から追い出した。
「はい、暇です。めちゃくちゃガラ空きです」
親が帰ってくるまでに帰れば大丈夫だ。今日は遅くなるって言ってたし、なんとかなるだろう。
「あっはは、じゃあちょっと俺に付き合ってくれない?」
駅前に新しいカフェができてね、ちょうど小腹も空いてるし、名前さんもいるし、ちょうど良かったんだ、と先輩は笑う。
私は鞄の中に入った財布の残りを気にしながら先輩の後に続いた。
「女性ばっかりだね。俺、浮いちゃってない?」
先輩はメロンソーダフロートとホットケーキを注文した後、こっそりと私に言った。確かに、このカフェはどこにでもあるチェーンじゃないし、俗にいうインスタ映えスポットらしく店内は女性であふれている。
「見たところカップルの方も多いですし、ぜんぜん大丈夫だと思います」
「俺たちもカップルに見られているかもね」
「えっ」
確かに、中学生の男女二人が相席している。しかも、普通に談笑している光景はそう捉えられてもおかしくない。でも、先輩のような人と私が釣り合いを取れるのだろうか。
「俺は他の人たちにそう見られても構わないよ。ナマエさんがよければ、だけど」
何も言えずに固まっていると、店員さんがキッシュとレモンティーを運んできた。
「あ、冷めちゃうし、気を使わないで食べて」
「じゃあお言葉に甘えて……」
ナイフで切り分けて口に運ぶと、ほんのり甘い味が口いっぱいに広がった。
「美味しいです……これ。こんないいところを知っているなんて、先輩ってすごいですね」
「ナマエさんが喜んでくれてよかったよ」
相変わらず爽やかな笑顔だ。少し眩しいくらい。
「やっぱり食べてるところも可愛いんだね、連れてきてよかった」
え、今なんて言ったの。
先輩の方にホットケーキが運ばれてきて、さっきの発言について聞くタイミングがなくなってしまった。空耳でなければ、先輩が可愛いって言ってきた? 最近疲れているから幻聴でも聞こえてきたんだろう。うん、そういうことにしよう。
「うわぁ、これ本当に美味しいね」
先輩はメープルシロップをたっぷりかけたホットケーキを大きく切り分けて、勢いよく一口で食べてそう言った。
「甘そうですね」
「食べてみる?」
なんと先輩は、あろうことか私の方にパンケーキを突き出してきた。フォークを私の方に差し出し、私の出方を伺っている。もしやこれは、俗にいう「あーん」の姿勢では…?
「え、先輩ちょっとどうしちゃったんですか……私なんかに一口あげてもったいないですよ」
「いいから遠慮しないで」
この体勢が恥ずかしいとは言えずに誤魔化そうとしたが、先輩は有無を言わさない表情で見つめてくる。
「いや、実は私甘いものが苦手で」
「さっきレモンティーかソーダフロートで迷ってただろう? 俺は騙されないよ」
うわぁ、なんでそんなところまで見てるの。
「普通に恥ずかしいんで勘弁してください」
逆に、なんで先輩はこんなことができてしまうんだ。イケメンは考えることが違うのだろうか。純情な(?)後輩を誑かして面白いんだろうか。先輩なら私なんかで遊ばなくてもよりどりみどりだろうに。
「あーん」
「え」
「ほら、食べてよ」
心なしか威圧感を感じる。先輩の目は本気だ。あーんの姿勢のまま静止した先輩をそのままにしておくのは恥ずかしい。すごく目立つし。
あー、もうこうなったらヤケだ。
「……」
「どう、美味しい?」
えぇ、すっごく美味しいです。憎たらしいくらいに。メープルシロップとバターがたっぷりかかったパンケーキ、もう今までの安物で満足できないくらい美味しかった。でも、問題はそこじゃない。正直、先輩の態度の方が気になって仕方がない。
「先輩って結構意地悪なんですね」
「君の反応が可愛いからね」
「先輩、私に可愛い可愛いってさっきから……」
「俺は本気だよ」
先輩はケーキを口に運ぶ動きをやめて、顔つきをぐっと硬らせた。それこそ、試合の時に見せるような真剣な顔だ。私も思わず強張ってしまう。
「……夏の大会が終わってから言おうと思ってたんだ。俺はナマエさんのことが好きだよ」
俺が冗談で女の子に可愛いっていうと思う? と付け加えられて、いきなり飛び込んできた爆弾に対処しきれなくなる。
「えっ、えっ、それってloveの方の好きって意味ですか」
「英語のlikeとloveの話はまた複雑だから置いておくとして、俺は恋愛的な意味でナマエさんのことが好きだって言いたいんだ」
「あの……お聞きしたいんですけど、それはいつから」
「君が新聞部でうちの試合を見に来てくれた時、人一倍熱心に俺の試合を見てくれていただろう? その時からかな」
先輩は全く照れる様子もなく、私がいかに好きか、ということについて語り出した。
「いつも周りのことをよく見てくれているし、試合のたびに差し入れもくれたよね。君の書いた記事だって全部読んだよ。テニス部以外のこともすごくよく書けている。君は人を見る目があるんだ。いつも頑張って取材をしてくれてる君を見てたら、好きになったんだよ」
「……もう十分わかりました」
もう永遠と続きそうだったので、割って止めることにした。
「えっ、まだ数時間は話せるよ」
「もういいです、恥ずかしいから勘弁してください」
「さっきから君はそればっかりだね
そう言えば俺も、さっきはずっと見つめられてて少し恥ずかしかったかな」
一気に顔に熱が集まったのがわかった。
「やっぱり気付いてたんですか」
「俺の動体視力がいいこと、知ってるだろ?」
それは関係あるんですか、と言いたいところだが押し黙ってしまう。
「実はあの単独取材も、君のところの部長にお願いして組んでもらったんだ。君と一対一で話がしたくてね。まぁ、あれだけ熱く語っといて結局負けたんだけどさ」
もう先輩の爽やかな笑みなんて見ていられない。全国大会の観客席から固唾を飲んで試合の展開を見守っていた時も、先輩は私のことが好きだったんだろう。しかも、わざわざ部長に直談判するくらいに。
「……そんなにしてまで私と話したかったんですか」
「うん、でも今はお話くらいじゃ満足できないかな」
「部長……」
水面下でそんなやりとりがあっただなんてわからなかった。部長もそんな変なところで気回しするようなタイプじゃないと思っていた。佐伯くんの顔がいい!と大はしゃぎして特集を組んだ時は心底あきれたが、そんな思惑があったとは……。
「ところで、君のキッシュも美味しそうだね、俺にも一口くれない?」
私が悶々としているところにも先輩は突っ込んでくる。徹底的にマークされている以上、私も覚悟を決めないといけないようだ。
「一口くらいならいいですよ」
大きく切り分けたキッシュは、先輩の口の中に消えた。
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