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「お兄ちゃん、そいつ誰」
──とんでもないことになった。
目の前の少女が指差した先には、全身を包帯で覆い、死んだように濁った瞳をした男が立っている。
ラスティの友人、レイヴンこと621は少女を見下ろしてはいるが、何か言葉を発する事はない。ラスティは、絶句した。
……どうしてこの場に二人が居合わせてしまっているのか。
ラスティは、思わず眉間に皺を寄せる。一番出会って欲しくない者同士がついに出会ってしまった。
「お兄ちゃん、説明して! こいつがお兄ちゃんの大事な『戦友』ってヤツなわけ?」
声を荒げる少女と、こちらを見て助けを求めるような(ラスティにはそう見えている)戦友を見比べて、思わずため息が出そうになる。この場をどうにかできるのは自分しかいない。そう言い聞かせてまずは興奮気味の少女を宥めることにした。
「とにかく一旦落ち着いてくれ。ナマエ」
「……っていうか、そいつ誰? なんでここにいるの? 今日はわたしとお兄ちゃん二人で出かけるはずだったのに……!」
「それは……私にも……」
「何それ」
ナマエは吐き捨てるように言うと、今度はじっとラスティを睨みつける。いつにも増して迫力のある顔は、気合いを入れて化粧をしてきたのが見て取れた。我が妹ながらかわいいなと惚気る余裕は、ない。
ナマエは昔から頑固だった。激しく激昂し、こうなるとテコでも動かない。怒りでオーバーヒートしているナマエと、男二人はとてつもなく目立っていた。通行人の視線を一点に浴びるのは恐ろしく気まずい思いをしている。
「とりあえず、喫茶店にでも入ろうか……」
「わたしは食べ物で懐柔されないからね」
そう言いつつ、ナマエは手元の端末で近所の喫茶店の情報をサーチし始めた。
「それでいいよな? 戦友」
621は静かにことの成り行きを見守ることにした。手元にある抹茶かき氷を咀嚼する。口の中に甘い香りが広がってこれが「美味しい」という感覚なのかと静かに感動した。
『レイヴン、ナマエは彼の妹に当たる人物なのでしょうか。彼女が彼の家族であるという情報はどこにも見当たりません。そもそも、彼女のデータ自体がデータベース上にほぼ存在しない状態ですね』
対岸には、ラスティとナマエが座っている。ラフな私服のラスティを見るのは、621にとっては初めてだった。横に座るナマエは、手の込んだレースの、いかにも高級そうな服を来て、前髪を神経質に気にしている。
一見して見る限り、二人の容貌は似通っているとは言い難かった。血のつながりがあっても容姿が似ているとは限らないが、この二人に関しては、目の色や髪の色などの色素自体が大元から異なっているように見えるので、余計に他人同士のように見える。
『義理の兄妹なのでしょうか。とにかく彼女はデートを邪魔されて怒っているようですから、言動には慎重さが求められますよ』
エアに言われなくても、それくらいはわかっている。
「お兄ちゃん、そもそもこいつがあの『レイヴン』なのはわかったんだけど、なんでここにいるの?」
チョコレートパフェをつつきながら、ナマエは不満げにつぶやく。
「……それは私にもさっぱりなんだ。戦友、説明を頼めるか」
「…………ウォルターが、たまには人と会えと」
「それでわたしたちをつけてきたんですか? とんだストーカー野郎ですね」
ナマエは気持ち悪い、と吐き捨てると、そのままパフェの頂上のアイスを一気食いした。
実際のところ、アドバイスを受けてラスティを追跡しようとおせっかいをしたのはエアだ。621は言い返す気力も気概もなく、ただ口を閉した。
『……彼女、とても口が悪いですね。彼とは大違いです』
「ナマエ、失礼だ」
ラスティに嗜められると、ナマエは叱られた犬のような顔をして見せたが、621を見る目は相変わらず冷めていた。
「戦友、本当につけてきたのか?」
「…………」
「……まあいい。細かい事は気にしないでおこう。たまたま私たちの出先に君がいた。そういうことにしておくよ」
「命拾いしましたね」
ラスティはまた何か言おうとしたが、諦めて口を閉じた。
しばらく、沈黙が生まれる。
「…………」
三人は無言で各々の注文したメニューを食べ進める。成人した男性二人と少女の組み合わせは、若い女性が好みそうな派手な内装の店内で、恐ろしく浮いていた。ラスティが妹の意見を呑んでここに決定したのだが、この居心地の悪さには、流石の621も堪えるものがあった。
『ついでだし、もう聞いてしまいましょう。……何って、ほら、この二人の関係のことですよ。あなたも気になるんじゃないんですか?』
……それはエアが気になることだと思う。
喫茶店でほぼ初対面の男女が一緒にいる場合、会話などでコミュニケーションを行うことが一般的であると、エアは続ける。どう切り出していいのか考えて、ビデオで見たとあるフレーズが脳内に浮かんだ。
「お二人は、どういう関係で」
621が珍しく自分から口をきいたので、ラスティは驚いた顔をした。反面、ナマエは落ち着きを払った声で、言い聞かせるように答える。
「兄妹です。血は繋がっていませんけどね。……血が繋がっていないきょうだいなんて、世界に五万といるでしょう……」
ナマエがそう言った途端、ラスティがあからさまにホッとしたような気がした。621が黙って頷いていると、ナマエは聞かれてもいないことまでベラベラと喋り出すのだった。
「わたしとお兄ちゃんはもうずーっと昔から好き同士で、家族で、あんたなんかが付け入る隙はないんです。マジで調子乗らないでくれます? 戦友とか呼ばれていい気になって……その上こんなところまでついてきて……」
「ナマエ」
ラスティが名前を呼ぶと、彼女の動きがぴたりと止まった。まるでスイッチを切られた機械のように。
「口の端にソースがついてる」
「えっ、どこ?」
「拭いてあげようか」
「うん」
二人は621など見えていないかのように二人の世界に没頭している……そんな風に見えた。年端のいかない子供の世話をするような口調だったが、彼女は成人を迎える目前程度の年齢なので、恋人同士のじゃれ合いのようにも見える。
「……まあ、妹とはこういう感じでね。私がつきっきりでないとすぐ拗ねる」
そう言ってラスティはナマエの世話を焼くが、それに関して特段面倒とも思っていない、そんな風な口ぶりだった。
『過保護ですね』
エアの指摘はもっともだと感じた。それに、先ほど必死に吠えていたとは思えないほど、ナマエの様子も落ち着いていた。
「私が離れることを考えると、あの子は不安になるんだよ。さっきは妹が失礼なことをした。許してやってくれ」
「ああ……別に問題ない」
「ありがとう、助かるよ」
ラスティの背後から、ナマエの突き刺すような視線が飛んでくる。
『もう食べ終わりましたし、そろそろ出たほうがいいかもしれませんね』
エアにそう促され、財布から現金を取り出して机の上に置こうとしたが、その前にラスティの手がそれを制した。
「君への迷惑料くらい払わせてくれ。それくらいはいいだろう?」
「……そう言われると、言い返せない」
彼の鋭い双眸に見つめられると、どうしようもなくなってしまう。621が素直に引き下がると、ラスティの顔に品のいい笑顔が浮かんだ。
「じゃあ、また今度」
手を振られながら、621は洒落た喫茶店を後にする。
『彼ら、なんだか凄まじかったですね』
「……」
言い返す言葉が見つからなかった。
◆
「お兄ちゃん………さっきの人、マジで怖かった」
昼過ぎに映画館を出ると、ナマエはラスティにもたれ掛かるように絡みついた。左腕を絡ませながら、兄に寄生するかのように歩く彼女の姿を見て、二人を仲のいい兄妹だと判断する人間は、稀だろう。
「怖くないよ。あいつはいいやつだ」
「お兄ちゃんの前ではね…………ねぇ、ここでちゅーしよ」
さっき見た映画の感想でも言うような口ぶりだった。
「……どうしたんだ急に」
「キスしようよ。家ではいっつもしてるじゃん」
あまりにもあっさりとナマエがそう言うので、ラスティは驚きを通り越して脳の痛みを覚えた。
「ナマエ、ここは公共の場なんだから」
「やーだ! してくれないと、暴れるからね」
ラスティは、辺りを見回した。人通りの少なそうな路地が視界の端に見える。ナマエもそれに気がついたのか、にやにやと笑いながら誘うように手を引く。
妹が「暴れる」と言い出したなら、本気でやりかねない。このくらいでそれが未然に防げるのなら、致し方ないかもしれない。そう考えるようになるほど思考が麻痺していた。
最近仕事ばかりで碌に構ってやれなかったせいもあってか、妹は普段よりわがままに、そして凶暴になった。
路地の奥、ゴミや換気扇から出る熱風を背に受けながら、瞳を閉じて待ち構えているナマエの肩にそっと手を触れた。華奢で細い肩は少しでも力を入れるとあっさりと折れてしまいそうで、ラスティは己の無骨な手で触れるのを毎回躊躇った。
彼女の背丈に合わせて腰を折り、素早く唇に触れてすぐに離脱しようとすると、そのまま首に手を回された。油断して口を開いたところに、ナマエの舌が強引に捩じ込まれる。
ラスティが思わず目を開くと、パッチリとした睫毛に囲まれた二つの目が、イタズラに成功した子供のように細く線を描いた。してやられた。
小さな舌がラスティの口内の歯茎をうっすらとなぞり、マーキングをするようにグチャグチャと暴れ回る。口の中で蛇が暴れているかのようだった。
……年下の、小さな少女にいいようにされている。
そんな屈辱的ともいえるような光景を客観的に見つめて、思わずナマエを突き飛ばしたくなる。しかし、口内を暴れ回る彼女の舌と自分のそれが触れ合う時、その唾液と唾液が絡まるときに発生するヌメヌメとした粘っこい水音が耳の中で響くとき、形容しがたい艶かしい感触が彼の脳を痺れさせるのだ。
気がつけば、こちらも夢中になって舌を追いかけていた。
「……ん……お兄……ちゃ……息、して」
ナマエの肢体がラスティの体にもたれるように押し付けられる。柔い肉とそのすぐ下に存在する骨が、鍛え上げられた身体と擦れ合って、ぬるい摩擦を起こす。
脳みそが沸騰して溶けてしまいそうだった。
「ふふ……べろちゅー、気持ちいいね……」
そう言ってお互いの唾液が絡まった小さな舌を伸ばし、こちらに見せつけてくる。熟れた柘榴のように真っ赤な舌が、差し込む光に照らされて陽炎じみた光を放っていた。
——これは何かの試練に違いない。
ラスティはそう考えることで、現在行われている淫靡な行為の間でもひとかけらの理性を失わずに済んでいた。
「お兄ちゃん……」
甘えながら囁く妹の瞳の奥に、鈍い光が見える。磨りガラス越しに覗いた宝石のような、曖昧な虹彩。それを覗き込んだ瞬間、どこか遠くに行って帰ってこられなくなる、そんな予見がした。
予感は不安に変わり、ラスティはゆっくりと妹の肩を押し、身体を押し除ける。
「ダメだ」
「…………」
急に冷静さを取り戻した兄を見て、ナマエはつまらなさそうに真顔で彼を見上げる。
「ここはいつ人がくるかわからないし……それに、お前ももう気が済んだだろう」
はあ、とナマエはため息をつく。先ほどまで痴態に耽っていたくせに説教でもするんだ、そんな声が聞こえてきそうな目線が飛んでくる。それに俄かに胸が高鳴る感覚を覚え、恐ろしくなった。
全てを見透かしているようなナマエの目の奥の見るのを躊躇う。先ほどと変わらない光を宿しているように見える双眸は、下手に触れれば火傷を負いそうな、危険なものであるように思える。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
こちらの手をいつの間にか握り、子供のように甘ったれた口調でナマエはラスティのことを呼ぶ。全てがよくない。不道徳だと思いながらも、無視することはできなかった。
「大好きだよ」
「ああ、私もナマエと同じ気持ちだよ」
「本当に?」
「私が嘘をつくとでも思うか?」
「うーん、それに関してはわかんないよ」
だって昔、わたしを置いて行っちゃったもんね。
ナマエはそう言ってゆっくりと歩き出した。その影を追うように、兄もまた歩み始める。
──とんでもないことになった。
目の前の少女が指差した先には、全身を包帯で覆い、死んだように濁った瞳をした男が立っている。
ラスティの友人、レイヴンこと621は少女を見下ろしてはいるが、何か言葉を発する事はない。ラスティは、絶句した。
……どうしてこの場に二人が居合わせてしまっているのか。
ラスティは、思わず眉間に皺を寄せる。一番出会って欲しくない者同士がついに出会ってしまった。
「お兄ちゃん、説明して! こいつがお兄ちゃんの大事な『戦友』ってヤツなわけ?」
声を荒げる少女と、こちらを見て助けを求めるような(ラスティにはそう見えている)戦友を見比べて、思わずため息が出そうになる。この場をどうにかできるのは自分しかいない。そう言い聞かせてまずは興奮気味の少女を宥めることにした。
「とにかく一旦落ち着いてくれ。ナマエ」
「……っていうか、そいつ誰? なんでここにいるの? 今日はわたしとお兄ちゃん二人で出かけるはずだったのに……!」
「それは……私にも……」
「何それ」
ナマエは吐き捨てるように言うと、今度はじっとラスティを睨みつける。いつにも増して迫力のある顔は、気合いを入れて化粧をしてきたのが見て取れた。我が妹ながらかわいいなと惚気る余裕は、ない。
ナマエは昔から頑固だった。激しく激昂し、こうなるとテコでも動かない。怒りでオーバーヒートしているナマエと、男二人はとてつもなく目立っていた。通行人の視線を一点に浴びるのは恐ろしく気まずい思いをしている。
「とりあえず、喫茶店にでも入ろうか……」
「わたしは食べ物で懐柔されないからね」
そう言いつつ、ナマエは手元の端末で近所の喫茶店の情報をサーチし始めた。
「それでいいよな? 戦友」
621は静かにことの成り行きを見守ることにした。手元にある抹茶かき氷を咀嚼する。口の中に甘い香りが広がってこれが「美味しい」という感覚なのかと静かに感動した。
『レイヴン、ナマエは彼の妹に当たる人物なのでしょうか。彼女が彼の家族であるという情報はどこにも見当たりません。そもそも、彼女のデータ自体がデータベース上にほぼ存在しない状態ですね』
対岸には、ラスティとナマエが座っている。ラフな私服のラスティを見るのは、621にとっては初めてだった。横に座るナマエは、手の込んだレースの、いかにも高級そうな服を来て、前髪を神経質に気にしている。
一見して見る限り、二人の容貌は似通っているとは言い難かった。血のつながりがあっても容姿が似ているとは限らないが、この二人に関しては、目の色や髪の色などの色素自体が大元から異なっているように見えるので、余計に他人同士のように見える。
『義理の兄妹なのでしょうか。とにかく彼女はデートを邪魔されて怒っているようですから、言動には慎重さが求められますよ』
エアに言われなくても、それくらいはわかっている。
「お兄ちゃん、そもそもこいつがあの『レイヴン』なのはわかったんだけど、なんでここにいるの?」
チョコレートパフェをつつきながら、ナマエは不満げにつぶやく。
「……それは私にもさっぱりなんだ。戦友、説明を頼めるか」
「…………ウォルターが、たまには人と会えと」
「それでわたしたちをつけてきたんですか? とんだストーカー野郎ですね」
ナマエは気持ち悪い、と吐き捨てると、そのままパフェの頂上のアイスを一気食いした。
実際のところ、アドバイスを受けてラスティを追跡しようとおせっかいをしたのはエアだ。621は言い返す気力も気概もなく、ただ口を閉した。
『……彼女、とても口が悪いですね。彼とは大違いです』
「ナマエ、失礼だ」
ラスティに嗜められると、ナマエは叱られた犬のような顔をして見せたが、621を見る目は相変わらず冷めていた。
「戦友、本当につけてきたのか?」
「…………」
「……まあいい。細かい事は気にしないでおこう。たまたま私たちの出先に君がいた。そういうことにしておくよ」
「命拾いしましたね」
ラスティはまた何か言おうとしたが、諦めて口を閉じた。
しばらく、沈黙が生まれる。
「…………」
三人は無言で各々の注文したメニューを食べ進める。成人した男性二人と少女の組み合わせは、若い女性が好みそうな派手な内装の店内で、恐ろしく浮いていた。ラスティが妹の意見を呑んでここに決定したのだが、この居心地の悪さには、流石の621も堪えるものがあった。
『ついでだし、もう聞いてしまいましょう。……何って、ほら、この二人の関係のことですよ。あなたも気になるんじゃないんですか?』
……それはエアが気になることだと思う。
喫茶店でほぼ初対面の男女が一緒にいる場合、会話などでコミュニケーションを行うことが一般的であると、エアは続ける。どう切り出していいのか考えて、ビデオで見たとあるフレーズが脳内に浮かんだ。
「お二人は、どういう関係で」
621が珍しく自分から口をきいたので、ラスティは驚いた顔をした。反面、ナマエは落ち着きを払った声で、言い聞かせるように答える。
「兄妹です。血は繋がっていませんけどね。……血が繋がっていないきょうだいなんて、世界に五万といるでしょう……」
ナマエがそう言った途端、ラスティがあからさまにホッとしたような気がした。621が黙って頷いていると、ナマエは聞かれてもいないことまでベラベラと喋り出すのだった。
「わたしとお兄ちゃんはもうずーっと昔から好き同士で、家族で、あんたなんかが付け入る隙はないんです。マジで調子乗らないでくれます? 戦友とか呼ばれていい気になって……その上こんなところまでついてきて……」
「ナマエ」
ラスティが名前を呼ぶと、彼女の動きがぴたりと止まった。まるでスイッチを切られた機械のように。
「口の端にソースがついてる」
「えっ、どこ?」
「拭いてあげようか」
「うん」
二人は621など見えていないかのように二人の世界に没頭している……そんな風に見えた。年端のいかない子供の世話をするような口調だったが、彼女は成人を迎える目前程度の年齢なので、恋人同士のじゃれ合いのようにも見える。
「……まあ、妹とはこういう感じでね。私がつきっきりでないとすぐ拗ねる」
そう言ってラスティはナマエの世話を焼くが、それに関して特段面倒とも思っていない、そんな風な口ぶりだった。
『過保護ですね』
エアの指摘はもっともだと感じた。それに、先ほど必死に吠えていたとは思えないほど、ナマエの様子も落ち着いていた。
「私が離れることを考えると、あの子は不安になるんだよ。さっきは妹が失礼なことをした。許してやってくれ」
「ああ……別に問題ない」
「ありがとう、助かるよ」
ラスティの背後から、ナマエの突き刺すような視線が飛んでくる。
『もう食べ終わりましたし、そろそろ出たほうがいいかもしれませんね』
エアにそう促され、財布から現金を取り出して机の上に置こうとしたが、その前にラスティの手がそれを制した。
「君への迷惑料くらい払わせてくれ。それくらいはいいだろう?」
「……そう言われると、言い返せない」
彼の鋭い双眸に見つめられると、どうしようもなくなってしまう。621が素直に引き下がると、ラスティの顔に品のいい笑顔が浮かんだ。
「じゃあ、また今度」
手を振られながら、621は洒落た喫茶店を後にする。
『彼ら、なんだか凄まじかったですね』
「……」
言い返す言葉が見つからなかった。
◆
「お兄ちゃん………さっきの人、マジで怖かった」
昼過ぎに映画館を出ると、ナマエはラスティにもたれ掛かるように絡みついた。左腕を絡ませながら、兄に寄生するかのように歩く彼女の姿を見て、二人を仲のいい兄妹だと判断する人間は、稀だろう。
「怖くないよ。あいつはいいやつだ」
「お兄ちゃんの前ではね…………ねぇ、ここでちゅーしよ」
さっき見た映画の感想でも言うような口ぶりだった。
「……どうしたんだ急に」
「キスしようよ。家ではいっつもしてるじゃん」
あまりにもあっさりとナマエがそう言うので、ラスティは驚きを通り越して脳の痛みを覚えた。
「ナマエ、ここは公共の場なんだから」
「やーだ! してくれないと、暴れるからね」
ラスティは、辺りを見回した。人通りの少なそうな路地が視界の端に見える。ナマエもそれに気がついたのか、にやにやと笑いながら誘うように手を引く。
妹が「暴れる」と言い出したなら、本気でやりかねない。このくらいでそれが未然に防げるのなら、致し方ないかもしれない。そう考えるようになるほど思考が麻痺していた。
最近仕事ばかりで碌に構ってやれなかったせいもあってか、妹は普段よりわがままに、そして凶暴になった。
路地の奥、ゴミや換気扇から出る熱風を背に受けながら、瞳を閉じて待ち構えているナマエの肩にそっと手を触れた。華奢で細い肩は少しでも力を入れるとあっさりと折れてしまいそうで、ラスティは己の無骨な手で触れるのを毎回躊躇った。
彼女の背丈に合わせて腰を折り、素早く唇に触れてすぐに離脱しようとすると、そのまま首に手を回された。油断して口を開いたところに、ナマエの舌が強引に捩じ込まれる。
ラスティが思わず目を開くと、パッチリとした睫毛に囲まれた二つの目が、イタズラに成功した子供のように細く線を描いた。してやられた。
小さな舌がラスティの口内の歯茎をうっすらとなぞり、マーキングをするようにグチャグチャと暴れ回る。口の中で蛇が暴れているかのようだった。
……年下の、小さな少女にいいようにされている。
そんな屈辱的ともいえるような光景を客観的に見つめて、思わずナマエを突き飛ばしたくなる。しかし、口内を暴れ回る彼女の舌と自分のそれが触れ合う時、その唾液と唾液が絡まるときに発生するヌメヌメとした粘っこい水音が耳の中で響くとき、形容しがたい艶かしい感触が彼の脳を痺れさせるのだ。
気がつけば、こちらも夢中になって舌を追いかけていた。
「……ん……お兄……ちゃ……息、して」
ナマエの肢体がラスティの体にもたれるように押し付けられる。柔い肉とそのすぐ下に存在する骨が、鍛え上げられた身体と擦れ合って、ぬるい摩擦を起こす。
脳みそが沸騰して溶けてしまいそうだった。
「ふふ……べろちゅー、気持ちいいね……」
そう言ってお互いの唾液が絡まった小さな舌を伸ばし、こちらに見せつけてくる。熟れた柘榴のように真っ赤な舌が、差し込む光に照らされて陽炎じみた光を放っていた。
——これは何かの試練に違いない。
ラスティはそう考えることで、現在行われている淫靡な行為の間でもひとかけらの理性を失わずに済んでいた。
「お兄ちゃん……」
甘えながら囁く妹の瞳の奥に、鈍い光が見える。磨りガラス越しに覗いた宝石のような、曖昧な虹彩。それを覗き込んだ瞬間、どこか遠くに行って帰ってこられなくなる、そんな予見がした。
予感は不安に変わり、ラスティはゆっくりと妹の肩を押し、身体を押し除ける。
「ダメだ」
「…………」
急に冷静さを取り戻した兄を見て、ナマエはつまらなさそうに真顔で彼を見上げる。
「ここはいつ人がくるかわからないし……それに、お前ももう気が済んだだろう」
はあ、とナマエはため息をつく。先ほどまで痴態に耽っていたくせに説教でもするんだ、そんな声が聞こえてきそうな目線が飛んでくる。それに俄かに胸が高鳴る感覚を覚え、恐ろしくなった。
全てを見透かしているようなナマエの目の奥の見るのを躊躇う。先ほどと変わらない光を宿しているように見える双眸は、下手に触れれば火傷を負いそうな、危険なものであるように思える。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
こちらの手をいつの間にか握り、子供のように甘ったれた口調でナマエはラスティのことを呼ぶ。全てがよくない。不道徳だと思いながらも、無視することはできなかった。
「大好きだよ」
「ああ、私もナマエと同じ気持ちだよ」
「本当に?」
「私が嘘をつくとでも思うか?」
「うーん、それに関してはわかんないよ」
だって昔、わたしを置いて行っちゃったもんね。
ナマエはそう言ってゆっくりと歩き出した。その影を追うように、兄もまた歩み始める。