未設定の場合は「ミョウジ ナマエ」表記になります
フロムソフトウェア
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「こんな形だけの行為に、意味なんてあるんですかね……」
「私の管轄外です。担当医に聞きなさい」
目の前の女は、自分の頭髪の先をくるくると弄りながら、大きくため息をついた。――――私の方がそうしたいのだが、この女の前で何かしらのアクションを起こして大事にならなかったことの方が少なかった。だから私は、聞かれたこと以外には答えない。余計な雑談はしない。プロに全て一任するようにしている。
満足する答えが得られないことに対して、女はまた不満そうな顔で唇を尖らせた。
「幼児なんですか、貴方は」
「そういうこと言うのハラスメントなんじゃないんですか~? まあ、わたしはいいですけど。次回から気をつけてくださいよ」
「ハァ……」
ヴェスパー部隊のエムブレムが刺繍されたジャケットを肩にかけ、颯爽と歩く彼女は黙っていればそれなりに賢そうに見えた。否、賢いのだ彼女は。知能テストの結果を見る限り、どこにも欠陥はない。むしろ、人より優れているといっていいだろう。
身体改造……ひいては強化手術に関する技術は、まだ未知数な部分も多い。暗闇の中を人を燃やした松明で照らして模索しているようなものだ。
その点において、彼女ほど興味深いサンプルはないだろう。強化手術を受けるにあたって突破すべきハードルを下からくぐり抜け、運悪く予備の審査にも引っかからなかった。(これが表沙汰になるとあまり良くない)
簡単に言うと、『精神疾患の患者に強化手術を行ってはいけない』という大原則を破って手術を決行し、成功してしまったのが彼女だ。
勿論、それを破るつもりはなかった。ただ彼女の場合は所謂エラー品のような物で、文化的でない(湾曲表現)惑星の出身であったこと、過去の通院歴が不明瞭で確認できなかったこと、その他諸々の事情が重なり、今の今に至るまで誰も彼女が病人であることを見抜けなかったのである。
強化手術後の精神錯乱や情緒不安定な態度はよくある話である。
故に、術後の混乱から来る一時的な症状であると見逃されていた。しかし、彼女の場合は違った。アーキバスに来る前から「こう」だったのだ。
我が社では、身体障害者(という言葉も医療やナノマシン、サイバネティクス技術の進化によって過去の物となりつつある)はともかく精神疾患持ちの人間は雇用しないという暗黙の了解が存在する。というか、技術屋や一般職ならともかく、戦場に出る兵士が最初から精神を病んでいたら使い物にならないに決まっている。
うちには社会不適合者と揶揄されるような輩が多いので、ただ変わっているだけだと見做されたのだろう。そもそも、採用を担当した私からして騙されていた。
そして、あろうことか絶対に医者が弄くるなといった脳の領域にメスを入れ、細胞組織を丸ごとひっくり返し、取り返しのつかない領域(国際法では禁止されているが、我が社では取り入れている)までひっくり返してしまった。
普段から人体実験でいくらでも人間の脳みそを切り刻んでいるが、障害者まで「こう」したということが世間にバレたら面倒なことになってしまう。
全てが後戻りできなくなってしまった今、この女の殺害も検討した。
しかし、彼女の身内が社内にいるため、秘密裏に処分するにも面倒が多い。アーキバス社の辺境惑星開拓事業の一環として、草の根でも食べていたような星から集団で就職させた中にいた。
……要は、貧困地帯のガキをわざと殺しましたと万が一にでも漏れてしまったら、我が社の株価はとんでもないことになるだろう。
だからこの女には生きていても困るし、死んでもらうなら絶対に普通の殉職をして貰わないと困るのである。
そして、当然と言えば当然だが、よく検討せずに流れ作業で手術の許可を出してしまった私が、この女の進退を決めることになってしまった。
希少なサンプルでもあるので、医療部門が内密にデータを取るつもりなのだろう。第二のロボトミーとすら呼ばれた強化手術の行く末が、あるいは精神医療の進退がこの女に掛かっているのかもしれないと考えると、私は吐き気を催してしまう。
普段は会社の命運を握っていると思うと気分がいいが、やっていることは高卒のガキが死なないように監視する作業なのだから、専門家でない私は文字通りこの女に体当たりで接さないといけないのだ。私はケアマネージャーになるために経済学部を卒業した訳ではない。
「だからー、こんなマニュアル通りの治療で良くならないんですって、元からおかしかった頭の中を更に弄っちゃってるんだもん」
女は意味がないことが嫌いだと言った。私もそこは同義する。けれど――、
「貴方はモルモットなんですから、黙って医者の言うとおりにしていたらいいんですよ」
「…………わたしに人権とかってないんですかぁ?」
「まともな治療の経過を見ているだけですよ。普通の医療行為のどこが人権侵害に当たるんですか?」
つい先日まで、死んでやると叫んでシャワー室で刃物(通常、社内は護身用の武器であっても持ち込んではいけないことになっている。オフィスの事務用品を使用して凶行に及んだ)を取り出し全裸で叫んだ女だ。本来なら強制入院させてもよかった所だが、上の意向により保護観察で済まされた。謹慎すらも無しである。あり得ない話だが、通常の強化人間の運用を考えて見れば、特段おかしい話ではなかった。
こういう時に現場で指揮を執る私が一番面倒な案件を処理させられ、上の責任もなぜかこちらが取らされる羽目になる。
「…………あんな何もない星で一生を終える事を考えると、私だって死にたくなりますがね」
「…………」
女は黙ってうつむいた。つい口が滑ってこいつの故郷の悪口を言ってしまったが、別にそれくらい大したことはないだろう。
私の予想通り、女は言い返しもしなければ、怒るでもなく、ただ真っ直ぐこちらを見ていた。何もない惑星で一生を終えたくなかったから、アーキバスのプログラムに参加している。金がなくて開拓団由来のコミュニティから脱出できない若者を外に連れ出し、パイロットにして使い潰す。ここらの企業じゃよくやる手段だ。
「何がどうして死にたくなるんですか。そんな物は脳の錯覚でまやかしでしょう。薬を飲んで、適切な治療を行っていればいずれ治るものです」
「……前は死ぬまで治らないって言ってましたよね」
「それは貴方に言った分ではありません」
――あの話を聞いていたのか。聞いてほしくないことばかりしっかりと覚えている。
「手術で取っただけならまだしも、戦闘で一回潰しちゃったらもう元には戻らないんでしょう」
「起こる前からああだこうだ心配ばかりして……」
――そういう所があるから病気になったのではないのですか? と言ってやりたいところだが、素人目にも言ってはいけない言葉であると判断することはできる……ので、言わずに口を閉じた。
「死にたいって思ったこと、ないんですか」
「……己を不甲斐なく思うあまり衝動的な行動をとったことはあります。でもそれも……、十代で卒業しました」
――柄にもないことを言ってしまった。
どうも私はこの女の口の堅さであるとか、自分以外の人間に対する寡黙な態度を過大評価しすぎているきらいがある。
あるいは無意識のうちに話し相手に飢えていた為に口を滑らせて……自分の話をしてしまったか。
どちらにしてもいつもの私らしくない。早急に話題を変えるべきだ。
女は教師の話を聞く子供のような顔で私を見つめていた。年若い女特有の、目の奥からこちらに向けて一点を射貫いてくるような視線が、今は痛々しいほどに直線的で恐ろしさすら感じるほどだった。
こういう目を、私は知っている。
…………気味が悪い。やはりこいつは適当なところで死んでもらうようにしようか。私は手を揉みながら、脳内でこの女の死に場所を考える。こんな手のかかる一銭にもならないようなガキが私のそばにいても迷惑なだけだ。
「スネイルさんが……、自分の話をするなんて珍しいですね」
「……出過ぎた真似をしてしまいました。忘れなさい」
「えー無理ですよ。わたし、嫌なことはずっと忘れないし、良かったこともちゃんと覚えてますから」
「…………私の話が、何ですって?」
「自己開示されたの、うれしい」
彼女はキャッと笑い声を上げると、身体的距離をつめるようにこちらに歩みよってきた。
「だって全然自分の話してくれないんだもん。わたしの話はなんだって医者とカウンセラーから聞いてるくせに……」
「……モルモットの分際で私の個人情報を探ろうなどとは愚かしい。己の立場をわきまえてほしいですね……」
「他の使い捨ての駒と一緒にしないでくださいよ」
「本当に貴方は自信過剰なくせに……。すぐ落ち込んで人に迷惑をかけて……、世話をするこちらの立場も考えなさい」
「でもたっかい手取り貰ってるんですよね?」
「貴方がいてもいなくても変わりませんよ。……残念なことにね」
「ほら、結局つついたら結構喋ってくれるからチョロいですよねー、次席隊長さんは」
「こっ、こら! 私の体に触ることは許可しません!」
昔……、学生時代に、女子生徒同士のボディ・ランゲージを見て言い表すことのできない不愉快さを感じたことを思い出した。高校を出たばかりの青臭い子供が、それと同じことを友人でもない上司にするなどあり得ない話だ。
……舐められている。
しかし、言葉で制止する他の彼女に何かを命令してはいけない。強い口調も禁止で、力で従わせようとすることもいけない。
フラストレーションが溜まるばかりだ。
私は常に規律によって模範的な行動を取るよう、部下に指導している。どんな暴れ馬の手綱も取れるという自負がある。実績もある。
だがそれも、私に累積している成功体験とメソッドがあってこその話であり、「いつもの手段」が完璧に封じられている今、私はこの社会的に私よりも弱く、繊細で、生意気なガキを躾ける手段は学校の教師のように言って諭すという方法しか存在しないのだ。
嗚呼、絶望しかない。
私だってできるならオフィスで絶叫して世界に呪詛をばらまきたいが、絶対にしない。やれるとしてもしない。こいつは許されているが、私にはその愚行権を行使する権利がない。
うらやましくはない。そんなことをするのは本当にみっともない。馬鹿げた行為だ。自分の品位をおとしめる行為を、素面――ではないが、やるのだから――あり得ない。
だから病気なのだ。
いつも、思考を猥雑に積み重ねては、同じ結論に達する。
こいつは病気だ。私とは違う。だから理解する必要もない。
私の目の前にいる、時折世間から逸脱する、今のところ世界で生きることが求められている女の顔を……、見る。
よく見る。
恐らく何も手を入れていないであろう顔面も、幼さの残る表情も、無垢そうな瞳も、全てがほどよく私を苛立たせる材料になってしまう。
かつて、教育の場において体罰が問題視され、子供の権利の保護のために授業中に鞭を使うことがなくなったのだという教科書の記述を思い出した。私は、それは違うと思う。暴力によって屈服させねば、導けない人がいる。そういう環境がある。
ここは戦場に向かう兵士を売り物にしている会社だ。……養護学校ではない。
私はこの女の内情をよく知っている。採用も担当したし、面談の記録も何もかも全て情報を知り尽くしている。つまりは、普通の上司と部下の関係を超越して、この女のことを理解しているのだ。
それなのに、一向に対策を練ることが出来ない。プロではないと諦めてしまえばそれまでだが、完璧に御すことのできない部下というのはいるだけで私を苛立たせることになる。
――以前、雑誌の記事かどこかの落書きかで見たのか忘れたが、精神疾患持ちの人間はパートナーに支えられると症状が安定することがあるというような内容を読んだことを思い出した。
くだらない旧態依然とした……旧世紀にも廃れたような思想が、不安定な世相で復活してしまうのはよくあることだ。いよいよ人類の進歩もここで頭打ちか、と絶望したことをよく覚えている。その時はさして気にもとめず、内容そのものよりもこのくだらない文章が受け入れられる社会に視線が向いたが、今回はここで綴られた内容の方が重要だった。まさか、自分が部下のメンタルケアまでする羽目になるとは思わなかった。
この女がどこの誰と関係を持とうが構わないが、この会社の中で問題を起こすことだけは辞めてほしい。狂言や躁状態での問題行動はまあ、対策はいくらでもある。この女一人で完結するからだ。けれど、未だに色恋などをやっている馬鹿共を巻き込むとなると、話は変わってくる。最悪の場合、ただでさえ少ない人員を削ることになってくるからだ。
「…………社内でパートナーを作るのだけは辞めなさい」
「えっ」
女は目を大きく見開いて、そのまま動かなくなった。
「……何か勘違いをしていませんか?」
「すみませんって言った方がいいですか? それってスネイル隊長が悪くないですか?」
「…………あぁ、はい。プライベートまで口出しする権利はありませんでしたか」
「…………もうそういうこと言わない方がいいですよ」
「……それに関しては、私の非を認めてもよいでしょう」
確かに、社員の個人的な活動まで指導しようというのは逸脱した行為である。本当なら何もかもコーチングしてやりたい所ではあるが、世間の良識的にはよろしいとは言えない領域だろう。
彼女は大きくため息をついて、あからさまにこちらを睨んできた。
――面倒だが、これでしてもいないことを吹聴されては私の沽券に関わる。機嫌の一つでも取っておいた方が得だろう。
…………私は立場の低い人間のご機嫌伺いなどをするようなタチではないが、今回だけは特別だ。
歩いていて休憩室の扉が見えたので、それとなく誘ってみることにする。どうせ会社の経費で落ちる物なのだから私の懐は痛まないし、軽食でどうにかできるなら今後に得られる物もあるだろう。
「コーヒーでも飲みますか」
私が指さした先を見て、女は素直に頷いた。案外簡単に事が運びそうだ。
「ミルクがあるならいいですよ」
「流石に生乳はないですが……」
自動ドアが音を立てずに開いた。
私たちは小さなテーブルに向かい合って座る。中には私たち以外誰もいない。静けさの中で、常時流れているオーディオからの手垢の付いたジャズだけが、この空間を支配しているようだった。
「それだったらうちの地元の方が恵まれてますよ。いつだって絞りたてのミルクが飲めたんですから」
「…………それを保存して輸出する技術があれば、良かったでしょうね」
女は、何も聞かずコーヒーマシンのボタンをエスプレッソに合わせると機械を起動させた。私は普段、ブレンドの無糖しか飲まないが、まあ、いいだろう。今回は特別だ。
「そこでしか飲めないから、いいんですよ」
「どこで飲もうが味覚に差違は発生しないでしょう」
私たちの前には、大きなコーヒーマシンが巨大な石像の如く鎮座している。
あらゆる機械の小型化や軽量化が進む現代において、このマシンだけは化石のように展開当時の姿を保っていた。
ついでに言えば、音ももやかましい。この静けさの中では、お湯を沸かす音やインスタントコーヒーを淹れる音そのものが邪魔……悪目立ちする。
「…………わかってないですね」
違う、その論文については私も読了した。と言いたいが、そういうことではない。私が分からないのは人間の心理ではない。こいつの言うこと全てを、私は否定したくなる。
「わからないですよ、貴方のことは。何も。理解できません」
「それでいいですよ、別に。他人のことをなにもかも分かってたら、怖くないですか?」
――わたしでも、わたしのことはわからないのに。そう言って、女はコーヒーに砂糖を五つ溶かした。
これも早くスティックシュガーに置き換えればいいと思っているが、具体的に指示を出すほど熱望しているわけではない。
明らかに入れすぎだ。
普段からそうしていたら、いつか糖尿病あるいは生活病か何かになるに違いない。
やはり、まともな教育を怠るとそうなる。……保健教育を受けた人間が誰も生活習慣病にならないかと言われれば、それも違うが。…………愚行権を行使するために自分の健康を損なう人間の気持ちがわからない。一時の快楽のために、自分の人生を棒に振りかねない選択をする人間の気持ちは……。
「うちんとこじゃ、砂糖はこんなにドバドバ入れたら怒られるんですよ」
そう言っていたずら好きな子供のように笑う様子を見て、私はまた腹立たしいと思う。憎たらしいとか、好ましくないとか、マイナスな感情がわき上がってきて、自分を押さえられなくなる。皮肉の一つでも言ってみて、泣かせたりしたら面倒だ。合理的に考えろと自分に言い聞かせる。相手は病人だ。向こうの考えがこちらに理解できるはずがない。
「…………当たり前です」
そこまで甘くしないと飲めないなら、ココアか水でも飲んでいればいいのだ。
普通のことを普通と捉えられないから、こいつは頭がおかしくなったんだ。
「私の管轄外です。担当医に聞きなさい」
目の前の女は、自分の頭髪の先をくるくると弄りながら、大きくため息をついた。――――私の方がそうしたいのだが、この女の前で何かしらのアクションを起こして大事にならなかったことの方が少なかった。だから私は、聞かれたこと以外には答えない。余計な雑談はしない。プロに全て一任するようにしている。
満足する答えが得られないことに対して、女はまた不満そうな顔で唇を尖らせた。
「幼児なんですか、貴方は」
「そういうこと言うのハラスメントなんじゃないんですか~? まあ、わたしはいいですけど。次回から気をつけてくださいよ」
「ハァ……」
ヴェスパー部隊のエムブレムが刺繍されたジャケットを肩にかけ、颯爽と歩く彼女は黙っていればそれなりに賢そうに見えた。否、賢いのだ彼女は。知能テストの結果を見る限り、どこにも欠陥はない。むしろ、人より優れているといっていいだろう。
身体改造……ひいては強化手術に関する技術は、まだ未知数な部分も多い。暗闇の中を人を燃やした松明で照らして模索しているようなものだ。
その点において、彼女ほど興味深いサンプルはないだろう。強化手術を受けるにあたって突破すべきハードルを下からくぐり抜け、運悪く予備の審査にも引っかからなかった。(これが表沙汰になるとあまり良くない)
簡単に言うと、『精神疾患の患者に強化手術を行ってはいけない』という大原則を破って手術を決行し、成功してしまったのが彼女だ。
勿論、それを破るつもりはなかった。ただ彼女の場合は所謂エラー品のような物で、文化的でない(湾曲表現)惑星の出身であったこと、過去の通院歴が不明瞭で確認できなかったこと、その他諸々の事情が重なり、今の今に至るまで誰も彼女が病人であることを見抜けなかったのである。
強化手術後の精神錯乱や情緒不安定な態度はよくある話である。
故に、術後の混乱から来る一時的な症状であると見逃されていた。しかし、彼女の場合は違った。アーキバスに来る前から「こう」だったのだ。
我が社では、身体障害者(という言葉も医療やナノマシン、サイバネティクス技術の進化によって過去の物となりつつある)はともかく精神疾患持ちの人間は雇用しないという暗黙の了解が存在する。というか、技術屋や一般職ならともかく、戦場に出る兵士が最初から精神を病んでいたら使い物にならないに決まっている。
うちには社会不適合者と揶揄されるような輩が多いので、ただ変わっているだけだと見做されたのだろう。そもそも、採用を担当した私からして騙されていた。
そして、あろうことか絶対に医者が弄くるなといった脳の領域にメスを入れ、細胞組織を丸ごとひっくり返し、取り返しのつかない領域(国際法では禁止されているが、我が社では取り入れている)までひっくり返してしまった。
普段から人体実験でいくらでも人間の脳みそを切り刻んでいるが、障害者まで「こう」したということが世間にバレたら面倒なことになってしまう。
全てが後戻りできなくなってしまった今、この女の殺害も検討した。
しかし、彼女の身内が社内にいるため、秘密裏に処分するにも面倒が多い。アーキバス社の辺境惑星開拓事業の一環として、草の根でも食べていたような星から集団で就職させた中にいた。
……要は、貧困地帯のガキをわざと殺しましたと万が一にでも漏れてしまったら、我が社の株価はとんでもないことになるだろう。
だからこの女には生きていても困るし、死んでもらうなら絶対に普通の殉職をして貰わないと困るのである。
そして、当然と言えば当然だが、よく検討せずに流れ作業で手術の許可を出してしまった私が、この女の進退を決めることになってしまった。
希少なサンプルでもあるので、医療部門が内密にデータを取るつもりなのだろう。第二のロボトミーとすら呼ばれた強化手術の行く末が、あるいは精神医療の進退がこの女に掛かっているのかもしれないと考えると、私は吐き気を催してしまう。
普段は会社の命運を握っていると思うと気分がいいが、やっていることは高卒のガキが死なないように監視する作業なのだから、専門家でない私は文字通りこの女に体当たりで接さないといけないのだ。私はケアマネージャーになるために経済学部を卒業した訳ではない。
「だからー、こんなマニュアル通りの治療で良くならないんですって、元からおかしかった頭の中を更に弄っちゃってるんだもん」
女は意味がないことが嫌いだと言った。私もそこは同義する。けれど――、
「貴方はモルモットなんですから、黙って医者の言うとおりにしていたらいいんですよ」
「…………わたしに人権とかってないんですかぁ?」
「まともな治療の経過を見ているだけですよ。普通の医療行為のどこが人権侵害に当たるんですか?」
つい先日まで、死んでやると叫んでシャワー室で刃物(通常、社内は護身用の武器であっても持ち込んではいけないことになっている。オフィスの事務用品を使用して凶行に及んだ)を取り出し全裸で叫んだ女だ。本来なら強制入院させてもよかった所だが、上の意向により保護観察で済まされた。謹慎すらも無しである。あり得ない話だが、通常の強化人間の運用を考えて見れば、特段おかしい話ではなかった。
こういう時に現場で指揮を執る私が一番面倒な案件を処理させられ、上の責任もなぜかこちらが取らされる羽目になる。
「…………あんな何もない星で一生を終える事を考えると、私だって死にたくなりますがね」
「…………」
女は黙ってうつむいた。つい口が滑ってこいつの故郷の悪口を言ってしまったが、別にそれくらい大したことはないだろう。
私の予想通り、女は言い返しもしなければ、怒るでもなく、ただ真っ直ぐこちらを見ていた。何もない惑星で一生を終えたくなかったから、アーキバスのプログラムに参加している。金がなくて開拓団由来のコミュニティから脱出できない若者を外に連れ出し、パイロットにして使い潰す。ここらの企業じゃよくやる手段だ。
「何がどうして死にたくなるんですか。そんな物は脳の錯覚でまやかしでしょう。薬を飲んで、適切な治療を行っていればいずれ治るものです」
「……前は死ぬまで治らないって言ってましたよね」
「それは貴方に言った分ではありません」
――あの話を聞いていたのか。聞いてほしくないことばかりしっかりと覚えている。
「手術で取っただけならまだしも、戦闘で一回潰しちゃったらもう元には戻らないんでしょう」
「起こる前からああだこうだ心配ばかりして……」
――そういう所があるから病気になったのではないのですか? と言ってやりたいところだが、素人目にも言ってはいけない言葉であると判断することはできる……ので、言わずに口を閉じた。
「死にたいって思ったこと、ないんですか」
「……己を不甲斐なく思うあまり衝動的な行動をとったことはあります。でもそれも……、十代で卒業しました」
――柄にもないことを言ってしまった。
どうも私はこの女の口の堅さであるとか、自分以外の人間に対する寡黙な態度を過大評価しすぎているきらいがある。
あるいは無意識のうちに話し相手に飢えていた為に口を滑らせて……自分の話をしてしまったか。
どちらにしてもいつもの私らしくない。早急に話題を変えるべきだ。
女は教師の話を聞く子供のような顔で私を見つめていた。年若い女特有の、目の奥からこちらに向けて一点を射貫いてくるような視線が、今は痛々しいほどに直線的で恐ろしさすら感じるほどだった。
こういう目を、私は知っている。
…………気味が悪い。やはりこいつは適当なところで死んでもらうようにしようか。私は手を揉みながら、脳内でこの女の死に場所を考える。こんな手のかかる一銭にもならないようなガキが私のそばにいても迷惑なだけだ。
「スネイルさんが……、自分の話をするなんて珍しいですね」
「……出過ぎた真似をしてしまいました。忘れなさい」
「えー無理ですよ。わたし、嫌なことはずっと忘れないし、良かったこともちゃんと覚えてますから」
「…………私の話が、何ですって?」
「自己開示されたの、うれしい」
彼女はキャッと笑い声を上げると、身体的距離をつめるようにこちらに歩みよってきた。
「だって全然自分の話してくれないんだもん。わたしの話はなんだって医者とカウンセラーから聞いてるくせに……」
「……モルモットの分際で私の個人情報を探ろうなどとは愚かしい。己の立場をわきまえてほしいですね……」
「他の使い捨ての駒と一緒にしないでくださいよ」
「本当に貴方は自信過剰なくせに……。すぐ落ち込んで人に迷惑をかけて……、世話をするこちらの立場も考えなさい」
「でもたっかい手取り貰ってるんですよね?」
「貴方がいてもいなくても変わりませんよ。……残念なことにね」
「ほら、結局つついたら結構喋ってくれるからチョロいですよねー、次席隊長さんは」
「こっ、こら! 私の体に触ることは許可しません!」
昔……、学生時代に、女子生徒同士のボディ・ランゲージを見て言い表すことのできない不愉快さを感じたことを思い出した。高校を出たばかりの青臭い子供が、それと同じことを友人でもない上司にするなどあり得ない話だ。
……舐められている。
しかし、言葉で制止する他の彼女に何かを命令してはいけない。強い口調も禁止で、力で従わせようとすることもいけない。
フラストレーションが溜まるばかりだ。
私は常に規律によって模範的な行動を取るよう、部下に指導している。どんな暴れ馬の手綱も取れるという自負がある。実績もある。
だがそれも、私に累積している成功体験とメソッドがあってこその話であり、「いつもの手段」が完璧に封じられている今、私はこの社会的に私よりも弱く、繊細で、生意気なガキを躾ける手段は学校の教師のように言って諭すという方法しか存在しないのだ。
嗚呼、絶望しかない。
私だってできるならオフィスで絶叫して世界に呪詛をばらまきたいが、絶対にしない。やれるとしてもしない。こいつは許されているが、私にはその愚行権を行使する権利がない。
うらやましくはない。そんなことをするのは本当にみっともない。馬鹿げた行為だ。自分の品位をおとしめる行為を、素面――ではないが、やるのだから――あり得ない。
だから病気なのだ。
いつも、思考を猥雑に積み重ねては、同じ結論に達する。
こいつは病気だ。私とは違う。だから理解する必要もない。
私の目の前にいる、時折世間から逸脱する、今のところ世界で生きることが求められている女の顔を……、見る。
よく見る。
恐らく何も手を入れていないであろう顔面も、幼さの残る表情も、無垢そうな瞳も、全てがほどよく私を苛立たせる材料になってしまう。
かつて、教育の場において体罰が問題視され、子供の権利の保護のために授業中に鞭を使うことがなくなったのだという教科書の記述を思い出した。私は、それは違うと思う。暴力によって屈服させねば、導けない人がいる。そういう環境がある。
ここは戦場に向かう兵士を売り物にしている会社だ。……養護学校ではない。
私はこの女の内情をよく知っている。採用も担当したし、面談の記録も何もかも全て情報を知り尽くしている。つまりは、普通の上司と部下の関係を超越して、この女のことを理解しているのだ。
それなのに、一向に対策を練ることが出来ない。プロではないと諦めてしまえばそれまでだが、完璧に御すことのできない部下というのはいるだけで私を苛立たせることになる。
――以前、雑誌の記事かどこかの落書きかで見たのか忘れたが、精神疾患持ちの人間はパートナーに支えられると症状が安定することがあるというような内容を読んだことを思い出した。
くだらない旧態依然とした……旧世紀にも廃れたような思想が、不安定な世相で復活してしまうのはよくあることだ。いよいよ人類の進歩もここで頭打ちか、と絶望したことをよく覚えている。その時はさして気にもとめず、内容そのものよりもこのくだらない文章が受け入れられる社会に視線が向いたが、今回はここで綴られた内容の方が重要だった。まさか、自分が部下のメンタルケアまでする羽目になるとは思わなかった。
この女がどこの誰と関係を持とうが構わないが、この会社の中で問題を起こすことだけは辞めてほしい。狂言や躁状態での問題行動はまあ、対策はいくらでもある。この女一人で完結するからだ。けれど、未だに色恋などをやっている馬鹿共を巻き込むとなると、話は変わってくる。最悪の場合、ただでさえ少ない人員を削ることになってくるからだ。
「…………社内でパートナーを作るのだけは辞めなさい」
「えっ」
女は目を大きく見開いて、そのまま動かなくなった。
「……何か勘違いをしていませんか?」
「すみませんって言った方がいいですか? それってスネイル隊長が悪くないですか?」
「…………あぁ、はい。プライベートまで口出しする権利はありませんでしたか」
「…………もうそういうこと言わない方がいいですよ」
「……それに関しては、私の非を認めてもよいでしょう」
確かに、社員の個人的な活動まで指導しようというのは逸脱した行為である。本当なら何もかもコーチングしてやりたい所ではあるが、世間の良識的にはよろしいとは言えない領域だろう。
彼女は大きくため息をついて、あからさまにこちらを睨んできた。
――面倒だが、これでしてもいないことを吹聴されては私の沽券に関わる。機嫌の一つでも取っておいた方が得だろう。
…………私は立場の低い人間のご機嫌伺いなどをするようなタチではないが、今回だけは特別だ。
歩いていて休憩室の扉が見えたので、それとなく誘ってみることにする。どうせ会社の経費で落ちる物なのだから私の懐は痛まないし、軽食でどうにかできるなら今後に得られる物もあるだろう。
「コーヒーでも飲みますか」
私が指さした先を見て、女は素直に頷いた。案外簡単に事が運びそうだ。
「ミルクがあるならいいですよ」
「流石に生乳はないですが……」
自動ドアが音を立てずに開いた。
私たちは小さなテーブルに向かい合って座る。中には私たち以外誰もいない。静けさの中で、常時流れているオーディオからの手垢の付いたジャズだけが、この空間を支配しているようだった。
「それだったらうちの地元の方が恵まれてますよ。いつだって絞りたてのミルクが飲めたんですから」
「…………それを保存して輸出する技術があれば、良かったでしょうね」
女は、何も聞かずコーヒーマシンのボタンをエスプレッソに合わせると機械を起動させた。私は普段、ブレンドの無糖しか飲まないが、まあ、いいだろう。今回は特別だ。
「そこでしか飲めないから、いいんですよ」
「どこで飲もうが味覚に差違は発生しないでしょう」
私たちの前には、大きなコーヒーマシンが巨大な石像の如く鎮座している。
あらゆる機械の小型化や軽量化が進む現代において、このマシンだけは化石のように展開当時の姿を保っていた。
ついでに言えば、音ももやかましい。この静けさの中では、お湯を沸かす音やインスタントコーヒーを淹れる音そのものが邪魔……悪目立ちする。
「…………わかってないですね」
違う、その論文については私も読了した。と言いたいが、そういうことではない。私が分からないのは人間の心理ではない。こいつの言うこと全てを、私は否定したくなる。
「わからないですよ、貴方のことは。何も。理解できません」
「それでいいですよ、別に。他人のことをなにもかも分かってたら、怖くないですか?」
――わたしでも、わたしのことはわからないのに。そう言って、女はコーヒーに砂糖を五つ溶かした。
これも早くスティックシュガーに置き換えればいいと思っているが、具体的に指示を出すほど熱望しているわけではない。
明らかに入れすぎだ。
普段からそうしていたら、いつか糖尿病あるいは生活病か何かになるに違いない。
やはり、まともな教育を怠るとそうなる。……保健教育を受けた人間が誰も生活習慣病にならないかと言われれば、それも違うが。…………愚行権を行使するために自分の健康を損なう人間の気持ちがわからない。一時の快楽のために、自分の人生を棒に振りかねない選択をする人間の気持ちは……。
「うちんとこじゃ、砂糖はこんなにドバドバ入れたら怒られるんですよ」
そう言っていたずら好きな子供のように笑う様子を見て、私はまた腹立たしいと思う。憎たらしいとか、好ましくないとか、マイナスな感情がわき上がってきて、自分を押さえられなくなる。皮肉の一つでも言ってみて、泣かせたりしたら面倒だ。合理的に考えろと自分に言い聞かせる。相手は病人だ。向こうの考えがこちらに理解できるはずがない。
「…………当たり前です」
そこまで甘くしないと飲めないなら、ココアか水でも飲んでいればいいのだ。
普通のことを普通と捉えられないから、こいつは頭がおかしくなったんだ。
12/12ページ