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「なんかさー、違うんだよね」
「は?」
 わたしはおもわず低い声でそう言い返していた。「なんか」みたいな曖昧な表現はわたしは嫌い。そう何度も言ってるはずなのに、伊東は相変わらずそれを学習しない。
「なんかって、何」
「うーん、なんだろ。ちょっと魂抜けてんだよね。歌にさ、力が入ってない」
「……じゃあ最初っからそう言えばいいでしょ」
「相変わらずトゲトゲしてんねえ。生理前?」
「うっせ!」
 伊東は反抗期の息子を見守る母親のような生暖かい眼差しをわたしに向けながら、他のメンバーに向かって安心させるような笑みを浮かべた。
「大丈夫、ミョウジがイライラしてんのは恋煩いだから」
「は……?」
 わたしの口から、地の底を這うような声が飛び出る。
「ねっ!」
「いや、ね! じゃねえし」
「またまたぁ、わたしは知ってるんだからねー」
 知ってるって、何をだよ……。
 これ以上突っ込んでも、伊東の形成する優位性は変わらない。変わらないことを知っているから、わたしは冷静にならざるを得ない。
 はぁ、伊東、あんたやっぱ天才だよ。
 わたしはいろはすを一気飲みすると、再び楽譜に目をやった。自分たちで書いたオリジナル曲──一応ロックをやってるからロキノン系っぽいやつ──を捲り、マイクの前に立つ。
「もっかい、もう一回だけやらせて。なんかいけそうな気がする」
 早く、早くモノにしなくちゃ……。
 心の中では焦りながら、それを周りに悟られないように。表面だけでもクールに行こう。
 今ここでやれなきゃ、本番なんてもっとめちゃくちゃになる。それだけは避けたい。
 指は完璧だ。コードの進行通りに抑えて掻き鳴らせばいい。問題は歌だ。魂がこもってない。その通り。
 楽曲は初めてにしては悪くないクオリティだ。問題はわたし。わたしの歌で全ての評価が決まってしまう。
 ……歌詞が薄っぺらい。パクリっぽい。そう言われるんじゃないかって怯えてる。
 ねえ、どうしたら吹っ切れられると思う? 
 そんなこと、誰に聞くこともできない。だからわたしは、とにかくガムシャラに歌うことにした。
 それだけが、わたしの唯一の取り柄みたいなモノだから。
 
   ◆
 
 スタジオを出ると、外は真っ暗だった。わたしは他のメンバーと逆方向に向かうので、駅の前で別れた。キオスクで飲み物を買うと、最寄り駅まで走る電車に乗る。快速電車で十分も走ると、すぐに目的地に着いた。
「……あっちぃ」
 夏の夜特有のねちっこい暑さが、下車してすぐのわたしを襲う。
「確かにあっちぃわ、コレ」
「えっ……」
 今、わたしの独り言に返事をした人がいた?
 隣にぬっと人影が現れて、恐る恐るそちらを見ると(見たらヤバいかも、とは思いつつ)、めちゃくちゃ知ってる顔があった。
「うわ、ミッチーじゃん……」
「ミッチーじゃねえよ、先生って呼べ。……こんな遅い時間にミョウジは部活帰りか?」
「あー、まあ、そんなとこです。あー先生は……残業……デスカ?」
「お前らの成績つけたら、こんな時間になっちまった」
「へー、遅くまでご苦労様です」
 わたしの目の前に現れたのは、社会科のミッチーこと三井先生だった。若くて声がデカくてガサツで、如何にも熱血教師! って感じだけど、顔が良くて声も良くて結構爽やかな感じなので、それなりに人気がある……かもしれない。
 実際、バレンタインにはおじいちゃん先生に次いで結構チョコをもらってるらしいし、噂によればそれなりにリアコを抱えているらしい(教師に本命チョコってなんだよ、意味わからん)
 ま、わたしは先生にチョコとか渡さないから知らないけど。
 モテる云々は置いといても、弄ったら面白いし、授業もわかりやすいので好きな先生の部類には入るかも、しれない。
「ってか先生も最寄りここなんですか」
「あー……まあな。一応個人情報だぞ、これ」
「いやーまあ、うちもここなんで。一緒ですね。すれ違ってたりして」
「スーパーで見かけても無視しろよ」
「今日は先生から声かけてきましたよね⁇」
「生徒指導だ、生徒指導」
「はぁ……」
 わたしたちは駅からすぐのバスターミナルに向かってヨタヨタと歩く。この時間は朝みたいにキビキビ歩いていられない。それくらいじわっと蒸し暑いから。
「それ、ギター?」
「あー、はい、一応」
「……ミョウジって軽音入ってたか?」
「うちの学校のは入ってないですね。中学の時のダチ……友達と一緒にバンドやってて。今日は練習の帰りで……たまたまミッチー先生と会ったんですけど」
「先生つけてもミッチーはねえだろ」
「先生つければいいって言ったのそっちですよ」
 それはそれ、これはこれ。年上には礼儀を弁えろ、とかなんとか言って、先生は説教モードに入った。さすが体育会系。上下関係には結構厳しい。
「わたしバス停ここなんで、んじゃ!」
 説教が激しくなってきたところで、ちょうどわたしの方面のバス停まで着いてしまった。
「お、おまっ……気をつけて帰れよー!」
 先生が馬鹿でかい声で叫ぶから、わたしまでジロジロ見られてしまった。
「せんせー、声でけえから!」
「お前もなー!」
 高校生かよ。
 残業帰りなのに元気すぎるでしょ。
 腕をブンブン振って、現役高校生かーっての。JKのわたしより元気じゃん。てか、先生犬っぽいし……犬…………。
 あの手の振り方、ちょっとダメかも。
 彼氏……? 犬っていうか、大型犬……犬っぽいカレシか……?
「は?」
 わたし、何考えてんの?
 ……スマホ落とした。画面が割れた。最悪。
 
   ◆
 
 昨日のアレのせいで、全く眠れなかった。
 全部ミッチーのせいだ。あんな変なことするから、ダメに決まってんでしょ……。こちとら女子校三年目で男には飢えてんだよ。ことの重大さを向こうはわかってんのか?
ミョウジー、おはよ……っていうか目真っ赤じゃん! 生きてるかー⁉︎」
「あ……前田……おはよ……実は昨日、全く眠れんかった」
 ゾンビみたいになってヘロヘロと投稿してきたわたしに、みんなが机を囲ってワラワラと寄ってきた。「ってかマジどうしたんその目! 眼科行かなくていいの?」
「あーうん……寝てないせいだから……マジで、大丈夫だから……ってか一限寝ていい? つーか寝るわ」
「あー! ダメだよ寝ちゃ!」
「おやすみー……」
 マジで今だけはダメだった。昨日はもうミッチーのことばっか考えて脳がイカれてしまった。
 もうすぐ夏休みだし、出席もテストもう充分取れてるはずだし、寝るしかない。ってか一限ってなんだっけ……。
「一限は確か世界史〜」
「…………」
 そういえば、そうだった。うちの学年の文系の社会科といえば、ミッチーだ。朝から一番会いたくない人に会うハメになってしまった。最悪。
「じゃあ、マジで寝るわ……」
 瞼を閉じて睡眠体制に入ろうとしたけど、目の裏に浮かぶのはミッチーただ一人、しかも、あの時のバカみたいにカワイイミッチーだ。
「マジで、死ぬ……」
 全部女子校のせいだ。先生がかっこよく見えたりするのなんて、わたしが男から隔離された環境にいる上に、ジャニーズとかアイドルにハマってない、音楽バカのバンドマンなせいだ。
 だって、バンドマンと付き合うと曲にされたりするし……そんなクサいやつと付き合いたくないし。ああ、でもデーモン・アルバーンはかっこいいかも。ああいうのタイプじゃないけど、普通に顔はいいと思う。
 ってか伊東はアジカンみたいな人が好きって言ってたな。マジか? って思ったけど、伊東は彼氏いるんだっけ。
 彼氏、マジでああいうタイプなのかな。
 仲間の顔を思い浮かべているとミッチーの笑顔がそれにかき消されてきて、ようやく体力の消耗を脳に伝える神経が動き出す。
 ゆっくりと眠りに落ちるわたしを邪魔する人は誰もいなかった。
 
「……、ミョウジ、起きろ……今授業中だぞ」
「あ……?」
 目を開けると、そこには見慣れた風景。わたしを見つめる三十対の瞳たち。
「もう授業、始まってる」
「……うわっ!」
 慌てて体を起こす。わたしの真ん前にはミッチーがいて、出席簿をバシバシと叩きながらわたしを見下ろしている。
「出席、返事は?」
「は、はい……!」
 今、わたし涎垂らしてなかった? そんなことを聞きたくなるくらい今わたしは間抜けな寝起きの顔を晒していることだろう。マジ、最悪!
「ってかミョウジ、目腫れてるし充血してんな。昨日徹夜でもしたか?」
 ぎく!
 マジで図星。ミッチーすごいじゃん。観察できてますねー!
 普段なら寝起きでもここまで茶化すんだけど(若い先生をいじるのはここでは普通だから)、今日はありえないくらい何もいえなくて、口を閉じて俯くしかなかった。
「バンドの練習だかなんだか知らねえけど、ちゃんと寝ろよ」
「は、はーい」
 うるせー! お前のせいだよ! 誰のせいでもこんなふうになってると思ってんのさ。と言いたいけど、ぐっと我慢。おい、一部のそこ、ニヤニヤ笑うな、どつくぞ。
 ……ってかミッチー、バンドのことわざわざ言うなし! ……まあ、学校にギターケース持ってきてる時点でバレバレなんだけど。
 それは置いといてさ、またどんな曲やってんの? とか質問されるのうざいんだよね。うざいっていうか、飽きたっていうか、なんていうか。
「んじゃあ、課題の解説から始めるから、ワーク開けー」
 ミッチーは教卓に戻ると、何もなかったかのように参考書を開いた。わたしに向かっていた視線も、自然とそちらに向かう。
 ……一部を除いては。
 マジで匂わせみたいなことするの、やめてもらえないかなー。
 匂わせってバカかよ。
 えー! でもミッチーにこういうこと覚えてもらえるの、めっちゃよくね?
 うるせー、別に好きじゃないし、女子校の病のせいだし。卒業したらどーせ忘れるし、本気になるなよ。
 高校の間彼氏作らずに卒業しちゃうの? もったいない!
 バカ! 教師と生徒でカップルになれるか! 三井先生を犯罪者にする気か!
 告白すればワンチャンいけると思ってる言い方だな、これ。
 違うって!
 脳内でガチャガチャと天使と悪魔? が戦っている。
 何うかれてんだよ、バカ。と思うのが普段のわたし。色ボケの方が、ちょっと浮かれてるわたし。
 そういえば、高校に入ってから恋愛というものをしなくなったなー、とか思いつつ、男がいないからって教師はどうよ? と思うのが正直なところ。
 ……でも、教師がかっこいい! なんて思うのは女子校にいる期間だけの魔法だし、全力で乗ってみるのもアリなんじゃね? とか思ったり、いや、絶対に黒歴史になるってやめとけー? と思うのもマジだったり。
 あー、わからん。
 なんか難しいな。
 もうすぐ夏休みが始まるから、空気も心なしかダラーっとしている。しょうもないことを考えているのはわたしだけじゃなくて、他の人もそう。
 受験生だというのに、普通科三年・文系コースのわたしたちは、暑さとかテストが終わった空気もしくはその他(わたしだけかも)にやられてダラーっとしていた。
「おいー、受験生! 特進の奴らほどじゃないにしてもお前らも大学行くんだろ? しっかりしろい!」
「ミッチー、わたし専門行くから大丈夫〜」
 誰かがそういうと、教室は一気に騒がしくなり始めた。
「わたしもー!」
「わたしは短大だから!」
「うちは美大行くから勉強いらないし!」
「わたしはもう推薦で決まった!」
 教室は女子高生たちの全力のアピールで、ライブハウス並みにうるさくなる。ってか、大井、推薦取れてたのかよ……。おめでと。
「だーっ! やかましいんだよお前ら! ほら、次の設問は……ミョウジ! ミョウジが答えろ!」
「わたしぃ?」
「徹夜でちゃんと課題仕上げてきたんだろー? ほら、成果を見せろ」
「……あー、スミマセン。今ってどこやってましたっけ……?」
 先生は思わずずっこける。
 ……マジでごめんって!
「四十ページの問三から……なあ、マジで大丈夫かぁ?」
 ……全然大丈夫じゃないです。主にあなたのせいで。
 
   ◆
 
「おっ、今のいいじゃん」
「……マジ?」
「うん、昨日よりぜんっぜんいい。よくなってる。やっぱ恋してんね〜」
「違うし!」
 伊東がゲラゲラ笑いながら言うと、他のメンバーもニヤニヤ笑いながらこっちを見てくる。マジで後で覚えてろよ。
 でも、実際に曲として完成度は上がった気がする。歌詞がちゃんと自分ごととして入ってくるっていうか、自分の言葉として歌えてる、的な。
 ミッチーのこと考えてると、憑き物が落ちたみたいにスーッと歌詞が入ってくるようになった。
 多分、女子校暮らしが長くて異性間の恋愛に全く興味を抱けなかったのが、解消されたせいだ。
 まあ、ミッチーは女子校病の症状である疑似恋愛の相手だし。あくまで学生の間限定のちょっとした風邪みたいなやつで、高校を卒業して、彼氏作ったら治るし。教師を好きになるとか、異常者じゃん。そうやって言い聞かせれば、夜も寝れるようになった、一応。
「真面目な話、あんたの好きな人わかってるから」
「ハァ?」
 同じ学校じゃないのに何言ってんだよ、こいつ。
 ……でも、伊東ならあり得るんだよな。何でか知らないけど、こいつは昔っから何でも物知りで、隠してたことも容易にバレてしまう。
 向こうはドヤ顔で、指を差しながら声高に宣言する。
「同中の浜田!」
「いや、全然違う」
「え……マジ?」
 はぁ……。
 伊東は何でか感情の動きに機敏なクセに、大事なところで外してしまう。本気で焦ったような表情をする伊東に、他のメンバーはどんまい、と肩を叩く。「嘘ー浜田って結構イケメンだったのにー」
「いや、顔で何でもは決まらないから」
「うーん、絶対に恋する乙女の顔だったのになあ。誰だぁ? わたしの知らない男かぁ?」
 そうだよ、当たってるよ。
「えー、女子校だもんなー。出会いがそもそも……あー、バイト先のやつか? それとも前合同でやったとこの相手……ってこれはわたしじゃん!」
「ってかそれはいいから。さっさと次、やろ」
ミョウジー、恋してんのは否定しないんだね」
「否定しても伊東はからかってくるの、目に見えてるから」
「うわー、手厳しい!」
 もうすでに楽譜はボロボロになりかけてるし、気付いたことを書きこみまくってるせいでもう端っこは真っ赤になってる。
 でもそれが、逆に愛おしい。もう二度とこのメンバーで弾けないかもしれないって思うと涙が出てくるくらいには、わたしはこの場所が好きだ。
 受験勉強を無視してでもやりたいって思ったから、みんなここにいる。でも、高三の夏が終わったらもう解散。だから精一杯、やる。命が尽きてもいいってくらい、やらなきゃ。
ミョウジさあ、いい目つきになってきたね」
「本番までもうないから、やるっきゃないでしょ」
 もうこれが最後かもしれないから。そう思ってやらないと、絶対自分を許せない。
 
   ◆
   
「…………で、この判定か」
 ミッチーが手に持っているのは、わたしの模試の結果が書かれた紙だった。わたしとミッチーは今進路指導室で二人きり。なぜかというと、ミッチーは三年の進路指導も担当してるから。
 ベテランじゃないし、受験勉強もしなかった(と公言している)人がなぜそんなことをしているのか、わたしにはわからない。この学校の人事はめちゃくちゃだと思う。
 わたしの志望校は実家から通えるそこそこの偏差値の大学に絞っていたが、一応、第一志望は全国的に名の知られた私立大学にしておいた。
 声色からして当たり前だったけど、第一志望の判定は、その、全くよろしくなかった。
「三年の夏で、D[#「D」は縦中横]判定か……んで、偏差値も……まあ、ギリギリってとこだな。滑り止めは大丈夫そうに見えるけど、油断するなよ」
 わたしが落ち込まないように重苦しい口調ではなかったけど、それでもやばさというか、お前、ちゃんとしろよ的なオーラは隠せていない。
 前に担任と面談した時はここでネチネチ詰められたから、こういうのは慣れてる。
 元々ガリ勉タイプってわけでもないし、テスト前だけしか勉強しないから、わたしの成績は進学校の中ではやや低空飛行を続けている。
 第一志望の大学も本気で行きたいってわけじゃなくて、親を納得させるためのネームバリューのためだし。
「…………」
 わたしは言うこともなくて、ただ頷いていた。
 どーせ、滑り止めの近所の私大に行くから、この時間は無駄でしかない。大学だってやりたいことなんてないし、就職のために行くだけだし。じゃあどこだっていいじゃん。
「……ま、夢中になれることがあるのはいいけどよ、ほどほどにしとけよ」
「先生はバスケ、ほどほどだったんですか?」
 なんだかその言葉にカチンと来て、思わず言い返してしまう。
「インターハイとか大会とか……そういうのがない、部活でもない自分のやりたいことって、ほどほどでもいいって思われるんですね」
「別にそういう意味じゃねえよ……。ただ、お前の場合、それなりの大学目指すんだろ? 一般狙うなら、趣味もそこそこで勉強しろって話だ」
「別に……行きたいってわけじゃないし!」
「はぁ……?」
 ミッチーは訳がわからないというような顔でわたしを見ている。
 当たり前だ。わたしだってこんなこと言うつもりはなかったし。
「じゃあお前、別に行きたくもない大学を書いたのか? 適当に⁉︎」
「そ、そーですよ! 悪いですか? うちって一応進学校だし、MARCHくらい書いとかなきゃ親も納得しないし、ダサいって思って……」
 わたし、マジで何を言ってんの……。言ってて何だか情けなくなってきた。ってかマジで、泣きそうなんだけど。
「…………わかった」
「え」
 何がわかったのかわからないんだけど……。
 混乱するわたしをよそに、ミッチーはまじめくさった顔でパンフレットを差し出した。進路指導室の壁面にある本棚にはバカみたいな量の大学・専門学校のパンフレットがある。その中から何度も取られているであろう、東京の有名私大のパンフレットを、ミッチーはわたしの眼前に突き出した。
「お前、ここ受けろ」
「はぁ……⁉︎」
 それは、MARCHの中の、わたしが第一志望として出していない方のやつだった。
「お前、英検何級持ってた」
「じゅ、準二級……」
「なら、夏休み中に二級を取れ。ここの文学部はうちの高校の推薦枠がある。それを死ぬ気で狙え。落ちたら一般で受けろ。ここの文学部は英語さえガチでやればお前でも受かるから」
「な、な……」
 なんて強引な……。
 わたしがドン引きしているのに、ミッチーはそれも気にせず進路調査表の第一志望の欄をマジックで書き換えた。うそー。めっちゃパワハラじゃん。
「MARCHならどこでもいいんだろ? じゃあここでも構わねえよな」
 さも当然と言うように、こっちを見下ろしながら、あいつは笑ってた。
 
   ◆
 
「ってことがあってさぁ。マジ強引すぎ、ありえないんだけど」
 と言いつつ、わたしは英検の参考書を本屋で買ってしまった。鞄の中でずしりと重い。
「まー、推薦で行けるならいいんじゃね? 秋には決まるしさー」
「わかるんだけど、わかるんだけどさー! なんかムカつくんだよねー!」
「なーんか、愚痴と言いつつ惚気っぽいよね」
「わかる。ってかめっちゃ好きじゃんね、その先生のこと」
 進路の授業が終わって、学校も午前で終わるからわたしはメンバーとマックで待ち合わせてお昼を食べることにした。そのあとはもちろん、練習だ。
「まぁ、嫌いじゃないよ。その人のこと」
「ってか伊東遅くね?」
 確かに、とわたしは相槌を打つ。伊東は誰よりも早くきて準備してるタイプだ。珍しいなー、授業でも長引いたんじゃね? と会話は続く。
 ハンバーガーはもうとっくに食べ終わってしまって、ポテトを啄むように食べていると、ガチャガチャとやかましい音が店内に響き、こっちに向かって突進してくる影があった。ブレザーの制服に茶髪のショート。伊東だ。
「や、やばい!」
 髪の毛はボサボサ、ただならぬ表情で伊東はわたしたちに向かって叫ぶ。
「伊東、一旦落ち着けー」
 いつにもなく焦っている彼女を見ていると、こっちまでドキドキしてくる。マジで何があったわけ?
「出たっ!」
 水戸黄門の印籠みたいに掲げられたボロボロのチラシを覗き込むと、そこにはわたしたちのバンドの名前がある。……あ、やっと順番出たんだ。
「おー、すごいすごい。ってか知らないバンドばっかだなーアマチュアばっか?」
 まあ、うちらもど素人のアマチュアなんだけど。
「ねー! 何でそんな冷静なわけ⁉︎」
「ぶっちゃけ、トリか一発目じゃなきゃどこでもいいよね」
「うん」
 騒ぐ伊東を横目に、わたしはぼーっと考えていた。ワンチャン、ミッチーが見にきてくれないかなー、なんて。
 夏休みの花火大会は高校の近くの川でやるから、もしかしたら見回りで教師が駆り出されてるかもしれない。去年、うちの高校の教師が見回りをやっているところを見た人がいるらしい。
 だから、ミッチーももしかしたら……がある。そうでなくても、無理やり土下座でもして見にきてもらおうかな、なぁんて。どんだけ好きなんだよ、いや、大好き……今だけ。高校の間だけ。せっかくだし、見にきてくれる人は多い方がいいし。
「伊東ープログラムって駅に置いてあるよね?」
「うん、そだよ」
「高校の……友達に配るわ。何人か見にきてくれそうだし」
 わたしがそういうと、伊東はニヤニヤと笑って「〇〇駅にあるぞー」なんて言う。うるさいな、恋じゃないって言ってんじゃん、友達に、だって言ってんのに。
 
   ◆
 
「先生が見にきてくれないと、英検受けないんで」
 真顔でそう言ってやった。向こうは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、こっちを見ている。してやったり。
「お前、どういう……」
 ミッチーは、何を言ってるかわからない、と言いたげな瞳でわたしを見ている。
「だからー、うちらのバンドのチケットノルマを捌かないとダメなんですよ。まあ、一応、無料みたいな感じなんで見にきてください」
 わたしは胸ポケットからフライヤーを取り出して、ミッチーに押し付ける。ミッチーは流れで受け取ってしまったあと、しまった! みたいな表情をした。なにそれ、どんだけ嫌なわけ。
「このハコ、結構おっきいんですよ。うちらの時だけ白けてるってのも嫌なんで、最前で騒いでください。お願いします」
 嘘だ。チケットノルマもクソもない。ただの市民会館での花火大会前の余興。
 他のバンドもサークルみたいな素人か、ちょっとだけ地方を巡業するプロみたいな人が来るだけ。チケットも一人五百円だし、何にも立派じゃない。
「来いって言われてもなあ……」
「じゃあ、英検受けません。先生が言ってた大学も、受けないです」
 我ながら無茶苦茶な言葉で脅してるなあ、と思う。でも、そこまでしないと一生見にきてくれなさそうだし。嘘も平気でついてしまう、必死だから。
 逆に言えば、わたしは先生が来てくれるなら英検でも受験でもなんでも、本気でやる気だった。
 先生が選んでくれた大学なら、絶対大丈夫だという謎の自信がある。
「……お前、マジで言ってる?」
「はい、本気です」
「はぁ……」
 ミッチーは馬鹿みたいにでかいため息をつきながら、机の上でゲンドウみたいに腕を組んだ。
「マジで下手くそだったら金返せよ……」
「それは絶対ないんで、大丈夫です!」
 やったやったー‼︎
 内心、飛び跳ねたいくらい嬉しいけど、絶対にそんなことはしない。
 わたしはニヤニヤする口元を我慢しながら、必死に一文字に結んだ。
「本当に来てくれなかったら、訴えますよ」
「どこにだよ!」
 あー、最高。
 いつの間にか歌詞を口に出して歌うたび、ミッチーのことを考えてた。
 期間限定の恋愛ごっこだけど、やっぱり好きな人に来てもらえるっていうのは、めちゃくちゃ嬉しいな。青春って感じ。
「お前みたいなめちゃくちゃな要求してくるやつ、初めてだぞ」
 ミッチーは本当に可愛いな。こんなにドン引きしてる顔も可愛い。わたしに向かってその顔をしてるってのも、いい。
「絶対に後悔させないんで、期待しててください」
 よし、絶対に頑張って最高のステージにするからなー!
 
   ◆
 
「マジで無理……帰る……」
 本気で吐きそうだった。ここに来る途中でちょっと熱中症気味になってグロッキーだったのと、いつものライブハウスのちっちゃいハコで慣れていたからこの大きさにビビってしまったのとで、原因は両方だった。
「ねえマジで大丈夫?」
「だっ、大丈夫じゃないって……」
 心配してくれるメンバーの優しさはありがたいが、現在パニックに陥っているわたしはそのありがたみに感謝する余裕なんて全くなかった。むしろ、わかってるのに言ってる? なんて後ろ向きに考えてしまうくらいには、だめだ。
「ゲロ出そう」
「出すならトイレで出しなよー」
 本番直前、昨日のリハでは全く意識しなかった人の目で狂いそうになる。わたしたちの出番の二つ前のバンドが舞台袖から出ていった。スタッフが不安そうにわたしを見る。絶対棄権はしない。絶対に立たないと。
 ……今日はミッチーが来るんだから。
 それだけが理由じゃないけど、わたしは絶対に膝をつくわけにはいかない。逃げちゃダメ絶対に。
 それに、わたしたちは今日で最後かもしれないから。
 わたし含め、このバンドのメンバーは全員受験生だ。勉強しろと圧をかけてくる親を無視して、高三のくせにギターなんか弾いてるわたしと同じものを、みんなは抱えている。これから先、解散するかは全く決めていないけれど、この出番が終わればおそらくわたしたちのバンドは凍結する。もしかしたら、一生それは元に戻らないかもしれない。
 みんなそれをわかっていてあえて口には出さなかった。アジカンのコピーから始まって、最後はオリジナルで終わる。それでいいじゃん、学生のバンドなんてそんなモンだよ、とぼんやり思うけれど、心の中ではデビューを諦め切れないでいる。何かになりたくてバンドやってる。でも多分、今のわたしたちには足りないものが多すぎる。
 目を閉じて深呼吸すれば、三井先生のことが浮かんできた。この数週間、ずーっとそのことだけ考えてうたってきたんだから、この場に来てくれなきゃぶっ殺す。マジで。
 ……そんなことを考えていたら、自然と吐き気は止まった。うん、大丈夫。多分、あの中にミッチーもいるし。
「ねえ、こっちきて」
 みんなを手招くと、わたしたちは五人で円陣を組んだ。
「わたしたち、めっちゃ練習した。だから大丈夫、絶対やれる」
「さっきまでゲロ吐きそーとか言ってた人の言うことかー?」
「うるっさいな!」
 ゲラゲラ笑われた。マジで萎える。さっきまでのわたし本当に情けなさすぎだし。
「今ここで、やれること全部やるよ」
 なんとなく、本当にこれで最後になる気がした。明日から受験勉強にスイッチを切り替えなきゃ、だし。でも今だけはそういうのは全部忘れる。今ここでやれる演奏を、全力でする。それだけだ。
 
   ◆
   
「英検二級、取ってきましたよっと」
 職員室でドヤ顔をしながら紙を突き出した。ミッチーの眼前に突き出してやると、なんだか気分がスカッとした。
「おー、偉い偉い。頑張ったじゃねえか」
 まあね、とわたしは思う。バンド活動をやめて、わたしは馬鹿みたいに勉強する機械になった。いきなりスイッチが入ったみたいにそうなったのだ。
「んじゃ、推薦の件はよろしくお願いしまーす」
「それはオレじゃなくて担任に言えよな」
 そうだった。ミッチーはあくまで進路「指導」担当であって、実際の手続きをするのは担任だったんだった。ま、どっちでもいいや。
 わたしは急いで職員室から出ると、英検の証明書をクリアファイルに挟んで懐に抱えた。見せびらかすものでもないし。
 ──なーんか、ときめかなかったな。
 夏休み以前のわたしだったら、ミッチーに褒められたらそれはそれは喜んでいただろうに。もしかして、女子校病治ったかも。うん……、なんていうか、よかったね? おめでとう? なんで他人に言うみたいになってんの?
 わたしの中で、伊東がせせら笑う顔を思い浮かべる。悪いけど、今回はわたしの勝ちかもしれない。何にも賭けてないけど。
 ミッチーに対して萎えた原因はちょっとわかってる。あの時、必死で演奏して歌ってたせいで客席のことなんて一ミリも見えてなかった。だから、ミッチーがあそこにいたかなんてわからなくて、その時に、ああ、わたしは先生がいなくても別に平気なんだなーって、考えちゃったから。
 そしたら、魔法が解けたようにどうでも良くなった。つまり、そういうこと。女子校マジックが解けたミッチーは、いい先生だしイケメンだったけど、要はただの先生だった。──アラサーのおぢにガチ恋とか恥ずかしいから絶対墓場まで持って行くわ、コレ。
 聞けるなら、本当にあの場所にいたのかどうか問い詰めてみたい気持ちがある。でも、聞いたら野暮なような気がして……気持ちが二つある。
 十年後とかに同窓会があったら、本気のおじさんになったミッチーに聞いてやろうかな。その日がちゃんと来れば、だけど。
 自分の中で一応の結論が出てしまったので、わたしはちょっと機嫌が良くなって、自販機でいつもは買わない炭酸ジュースを買う。
 もうしばらく、多分歌わないから。
 ……ああ、そっか。わたしってもう歌わないかもしれないんだ。
 センチになっていると、ガコンと激しい音がして、ジュースが落ちてきた。ノロノロと拾って蓋を開けると、プシュッと間抜けな音がする。
 サイダーをギュッと飲み干すと、なんだか泣けてきて、つまり……わたしは何もかも終わらせちゃったんだなーなんて、少し胸に穴が空いたような気がした。
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