未設定の場合は「ミョウジ ナマエ」表記になります
遊戯王
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
通学路の自販機でお茶を買ってから学校に行くのが、わたしの日課だ。今日はレモンティーがいいかな、なんて思いながら小銭を自販機に吸い込ませていると、見慣れない野良猫が道路を横切った。足が白くて、体が真っ黒の小さな猫。このあたりにいる猫は、どれも白か茶色だったはずだから、きっとあの猫は新入りだ。
猫の観察はわたしの小さな楽しみの一つである。ここ近辺の飼い猫と野良猫の情報はある程度頭に入っている。こんなことを覚えるより、脳をもっと有意義に使え! と母に怒られたことがある。受験に向けて英単語の一つでも詰め込んだ方がいいのはわかってる。けど、たまには息抜きも大事だってことをあの人はわかっているんだろうか。
いつものメーカーの見慣れたパッケージ。開けるのは学校についてから。鞄のサイドポケットにペットボトルを差し込んで、いつもの坂道を自転車で駆け降りた。
昼休み前になって教室がざわつき出した。昼の陽気に当てられて寝落ち直前だったわたしも顔を上げた。廊下側の生徒が少し浮足だったようにヒソヒソと声をあげている。先生授業どころじゃないじゃん。可哀想だな。とかそんなことを考えていたら、教室の後ろのドアがガラッと開いた。おお、と思わず声をあげてしまった。紺色の学生服に身を包んだ海馬くんが、何ヶ月かぶりに登校してきた。
まるで動物園のパンダでも見るように挙動を見守るわたしたちクラスメイトの目線など気にも留めないで、彼はさも朝早くやってきたみたいに自然に自分の席に足を運んだ。この一連の流れが、一瞬だけどわたしにとっては永遠のように思えた。映画のワンシーンのように、教室にざわめきと興奮をもたらして。
彼が鞄を下ろして席に座ったところでちょうど授業終了を告げるチャイムが鳴った。台風が過ぎ去った後みたいに一瞬静かになって、慌てた古典の先生が授業終了の合図を出した。
普段売店に走っていく人たちも、海馬くんのことが気になるのか、チラチラと気にしている様子。わたしも横目で彼のことを見た後、教室をでた。何となく、誰も近づき難いようで、彼の周りには結界が貼られているように誰も近寄らない。
廊下には既に人だかりが出来上がっていて、ああ、彼はやっぱり有名人なんだな、と他人事のように思った。
体育館横の自販機でカロリーメイトを買って、朝家から持ってきたピザパンと一緒に咀嚼する。体育館の横はちょうど教員用の駐車場になっていて、次に体育が控えている生徒以外は誰も寄り付かない。木の下が湿っていないことを確認して、静かに腰を下ろした。耳にイヤホンをつっこんでラジオでも流しておけば、そこはわたしだけの空間になる。一緒に昼ごはんを食べるメンバーは、クラス替えによって散り散りになり、向こうは向こうで新しい友達と連んでいるらしく、何となく声をかけにくくなったってだけで、別に友達がいない訳じゃないんだぜ。誰に聞かれた訳でもなく、一人で言い訳しておく。
校門近くの駐車場は、春風に吹かれて、コンクリートを突き破って生えてくる雑草は逞しく根を張って、雑草なりに綺麗な花を咲かせている。
雨の日は使えないってことを差し引いても、ここって結構いいランチスポットじゃないんだろうか。日陰でパンをむしゃむしゃと食べていると、わたしの真横を猫が通りがかった。おや。珍しい。学校に野良猫が出るなんて、結構レアじゃん。よく見ると、それはわたしの近所の猫にちょっぴり似ていたりして。黒猫だけど、顔のところに少し白い斑点がある。猫は、わたしの目をじっと見つめた後、校門の方へ走り抜けていった。
ワンチャンあるかもなんて思って伸ばした手は見事に空を切り、ここにあるのはパンの残りとカロリーメイトの袋を持った寂しい女子高生が一人。それだけだった。
猫好きが猫に好かれないなんて、珍しくもなんともない。おそらく向こうは野良だし、そんなにホイホイと人間に愛想を振り撒きはしないだろう。
残ったパンをちぎりながら、空をぼーっと眺めていると、駐車場に人影が現れた。先生かと思ったら、学生服を着ていたので思わず隠れる。いや、やましいことなんて何もないんだけど。なんとなく。
ものかげから少し顔を上げて、誰がきたのかこっそり覗いて見ることにした。すらりと背の高い男子生徒──の後を一人の女子生徒が追いかけてくる。二人とも、顔がよく見えない。
「あの、好きです。付き合ってください」
おお!
超ベタな告白シーンに遭遇してしまった。出歯亀は悪趣味で申し訳ないなと思うけれど、人がいないか確かめずに告白されたから不可抗力だ。
女子生徒の渾身の一撃に、相手はどう答えるのだろう。勝手に女子生徒に肩入れしつつ、聞き耳を立てる。
「却下だ。オレは忙しい」
即答。
しかもとてつもなく偉そうな口調だ。あー、女子泣いちゃってない? 大丈夫? 人の一世一代の告白を無下に断るなんて、失礼な人がいたものだ。ちょっと男子ー! 断るにしても言い方ってものがあるでしょー! なんて茶化してみたり。いや、ここで盗聴しているわたしが文句なんてつけようもないんだけれど。
この後発した女子生徒の呻きについて書き記すことは憚られる為、省略。彼女はそのまま逃げるように校舎の中へと入っていった。
こんなバッサリと告白を断った恥知らずの顔を一眼見ようと、身を乗り出した──はずが大きく前のめりしすぎたせいで、上半身が地面を這うように前転した。
わたしがガサガサ動いた音で、男子生徒は振り向き、わたしを見た。
「なんだ、貴様か」
男子生徒──海馬くんはわたしの覗き見なんてとっくに見通していたような、そんな目でわたしを見下ろす。よりにもよって、学校の有名人の告白現場を盗み見していたなんて、バレたらちょっと面倒なことになる。
でも、逃げる訳にもいかず、上体起こしじみた姿勢で彼の顔を見上げていると、ため息と一緒に手が差し伸べられた。あ、意外と優しい。
好意に甘えて、よっこいしょと立ち上がる。転んだのが土の上じゃなくてよかった。
「あ、ありがとう……」
遠慮なく掴ませてもらった彼の手は、冷たくて、無駄な肉なんて一つもついていないような細い指がついていた。
パタパタと汚れを落とし、心底つまらなさそうな顔をして駐車場の方を眺めている海馬くんに向き合った。
テレビで見るような有名人が、同じ服を着て、同じ学校に通い、自分の目の前にいて、わたしの存在を認識している。なんだか仰々しいな。
「余計な時間を取られた」
わたしに語りかけるつもりもないのだろう。独り言のように淡々と呟きを繰り返す。ああ、これは告白に驚いているんだ。なぜか、わたしはそう直感した。意外と本当にそうだったりするかもしれない。
なんて考えると、目の前の海馬くんのことがめちゃくちゃ可愛く見えてきて、口角が吊り上がるのが止まらない。そっか、そういうことか。ニヤニヤした口元を隠して、わたしは海馬くんの独り言に耳を傾けていた。
「そういえば、登校してくるの久しぶりだね。始業式のときはいたっけ」
「……その日は欠席した」
「そっか。単位足りてるのかなって不思議でさ。もしかして夏休みとか補修に来たりとか……」
意外と、話せる人だ。
なんだかテレビで見る堅苦しい喋り方と、高圧的な口調のせいでなんとなく怖い人かと思っていたけれど、わたしの言葉にちゃんと受け答えしてくれる程度には、海馬くんは社交性がある。
天上人てんじょうびとみたいに思っていた自分が、バカみたいだ。
「そういえばさっき学校で野良猫がいてさ、真っ黒で可愛かったんだよね」
「お前は迷信を気にしないのか」
「えー、猫って可愛いじゃん。黒でも白でも会えたらラッキーって感じ。うちってペット禁止のマンションだからさ、野良でも他の家のペットでも、猫が吸えるだけでハッピー的な」
わたしもわたしでそこそこ緊張しているせいかすごく口が回って、完全に会話のドッヂボールみたいになっているんだけど、海馬くんはつまらない顔ひとつ見せず、わたしの一言に頷いたり、リアクションを返したりしてくれた。
「ってわたしばっかり喋ってごめんね。海馬くんの貴重な昼休み無駄にしちゃったかも」
「そんなことはない。参考になった」
「庶民Aのサンプルにでもなったらよかった。次の授業科学だったし、教科書取りにいこうよ」
「その必要はない」
「えっ」
「2時から会議に出席する必要があるので授業には出ない」
「そっか。お仕事がんばってね」
「ああ」
わたしがロッカーから科学の教科書を取り出して、ペンケースと携帯をポケットに突っ込んでいる頃、学校の西門から海馬くんを乗せたリムジンが発車した。うちの教室はちょうどそれを見下ろせる位置にあるのでその様子を見ることができる。わたしは、授業開始前になると海馬くんなんていなかったみたいに普通に過ごしているクラスメイトを見て、まあ、そんなものかと勝手に思うのだった。
後日。教室のドアを開けると先日の昼休みに体育館に海馬瀬人を呼び出し、告白した人がいるという噂がまことしやかに流れ出した。人の噂が流れるのは早いものだなあ。なんて他人事のように(実際他人のことだし)考えているわたしを、みんなジロジロとみては小声で何かを囁き合っている。聞き耳を立ててみると、わたしが海馬くんに愛の告白をしたものだという間違った噂が流れているらしい。
めんどくさいことになった。けど、人の噂なんて1ヶ月もあれば入れ替わるものだ。気にしないでいこう。そう思っていたのに、珍しく連日登校してきた海馬くんが、教室に入って早々わたしの名前を大きな声で呼んだ。あーあ、黒猫が横切ると不幸になるっていうのは、本当だったらしい。