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遊戯王
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地元のハロワに、来た。
たったそれだけのことだけど、それにはわたしの人生の進退がかかっている。だから、今日は人生でも特別重大な日なのだ。でも、それは他の誰にもわからない。受付のおじさんも、カウンター業務をしている職員の、誰にも。
もらった書類に色々書いてから、カウンターに呼ばれるまでの間を埋める術を、わたしは何も持ち合わせていない。だから、色々と思い出してみることにした。
専門学校を出てから、こっちに帰ってくるのは久しぶりだった。この町は相変わらず、ベッドタウンとして寂れず廃れず、かといって盛況というわけもなく、そこそこに田舎で、都会のまま。
高校の時の友達は、大体ここから近い都会に進学するか、地方や海外に散り散りになっていった(わたしが通っていたのは、ここらではそこそこ有名な進学校だった)わたしもその例に漏れず、上京して、卒業後そのまま就職もしたわけだけど、なんだか疲れてしまって、早々と退職してしまった。
実家に戻ったのが今から一ヶ月前で、いつまでもニートで脛齧りをするわけにもいかないからと就職活動を始めたのが、今週に入ってからだ。
実家の子供部屋で漬物石の如くうずくまった、奨学金の返済の目処が立たない我が子を、両親は冬眠中のクマを見るような目で見ていた。
わたしはその視線に耐えかねて、リビングで求人誌に目を通すなど、親への就職意欲のアリバイを作ることにした。
──というのが、わたしはハローワークに足を運んだ理由です。
なーんて。そんなもの、絶対に聞かれはしないと思うけれど、一応心の中で言い訳を述べておこう。
わたしの番号札の数字が読み上げられるまで、しばらくかかりそうだ。
あらましを喋ってしまって暇なので、人間観察でもしようと思う。今はバリバリ平日の夕方で、あと二時間でここは閉まってしまう。待合椅子に座っているのは、わたしを含めて子連れの女性が一人、男性が二人。わたしを入れて、計五人。絶対に職員の数の方が多いでしょって感じ。
ちょっと人が少ない時期なのかもしれないなあ、と考える。
……まあ、失業者で賑わってしまっていたら、それはそれで最悪なんだけど。
目の前の平らな椅子に座っている男性は、ロン毛でブリーチしてるし、なんだか自由って感じだ。専門学校でこういうタイプの人、いたなあ。高校まで抑圧されてる分、進学ではっちゃけるタイプ。
「受付番号、五番の方、六番カウンターまでどうぞ」
わたしの番号が呼ばれた。すっと立ち上がって、手を上げている人がいるカウンターまで、歩く。
その時、背中に何か鋭いプレッシャーを感じて、少し動きを緩めた。なんだか、野生動物が獲物を狙う時のそれに近いものを、こんな区役所の近くの、お堅い施設で感じる感じることがあるなんて、思ってもいなかった。ちょっと、いや、結構気味が悪い。
でも、その時はそれをスルーした。だって、呼ばれたし、早くいかないといけなかったし。この違和感は、座席に座ると解除された。わたしは少し息をついて、受付の職員の人に書類を手渡した。
いくつかの求人の案内と、一社だけ面接の取り決めをして今日の面談は終わった。
一歩進んだような、進んでいないような。うまいこと手応えを感じられずにハローワークを出た。出たところには、なぜかニコニコと微笑んだおばさんが立っていて、ちょっとしたアンケートに答えてみませんか、なんて言いながら紙を差し出された。もちろん、お断りした。
ハロワって結構怖いところなんだな。次からはもっと用心しようと心に決め、歩き出したところで、わたしは再び呼び止められた。
「ナマエ……だよな?」
わたしの行く手を通せんぼするように、ぬっと男の影が現れた。
こっちの名前を知っているなんて、只事ではないし、もしかしてヤバい人に捕まってしまったかもしれない。最悪だぁ! なんて考えながら、わたしはそっと目線を上げた。
「もしかして、き、鬼柳…………京介」
今思えば、本当に何年振りかに、わたしはこの名前を口にした。わたしの目の前に立つ、ロン毛に黒いジャケットを着たこの男は、高校時代から変わらぬ声とファッションで、まるで亡霊のように、そこにいたのだ。
鬼柳京介とわたしは、高校の時一瞬だけ付き合っていた。一瞬だけ、というのは彼氏だった時間だけを換算した場合、そうなるという話で、本当は高一からの付き合いなので、結構長い間一緒にいたってことになる。
付き合ったきっかけは本当に些細なことで、別れたわけもそんなに深刻って感じではなかった。
わたし達は、なんとなくで友達になり、なんとなくで恋人同士になり、その蜜月を味わう前に受験がやってきて、成り行きで恋人関係を解消した。
そういえば、そんなこともあったな、と時々思い出さないこともなかった。わたし達は結局、友達同士でいれば長続きしたかもしれない、と考えることもある。でもそれは、卓上の空論にすぎず、結果は変わりようがない、と結論づけて自分の考えにピリオドを打つのが恒例だった。
この男のことを考えると、毎回嫌ったらしいアカが溜まったような感じになる。でもそれは、鬼柳が悪いのではなくて、わたしが面倒臭い人間だから、そうなるのだ。
あれ以来、彼氏も作っていないのは、この鬼柳という男が、わたしにとってオレンジの片割れのような、離れ難い存在だったのが大きいと思う。彼は完璧な男友達だったけれど、最良の彼氏、ましてや良き未来を築くパートナーにはなり得なかったのだ。
外で立ち話もアレだし、と流されてしまい、わたし達はハロワの最寄りの、バス停近くの喫茶店に入った。そこの中で、わたしはケーキセットを頼み、鬼柳は無職のくせに一番高いパフェを頼んでいた。
「せっかくだし、奢ってやるよ」
「……無職なのに、そんなにお金使って大丈夫なの?」
「平気に決まってんだろ。高校の時は、黙って奢られてたくせに」
「そうだっけ」
「…………そうだったんだよ」
高校時代のこと、と言われてもかなり記憶が曖昧だ。大きな出来事については、歴史の年号を誦じるように、そこそこ詳細に思い出せるが、日常の一コマ、つまり放課後にどこどこに遊びに行ったとか、そういう情報の引き出しは、かなり限られている。
「鬼柳はあんま勉強してなかったからね、そういうことまで思い出せるんじゃない?」
わたしは少し、嫌味で返した。というか、直接的に喧嘩を売った。ああ、ヤバい。高校の時、わたしたちは「こう」だった。こうだったし、お互い針で刺すようなコミュニケーションで、周囲を威嚇していたから、わたしたちは結びついていたのだ。
「かもな」
前だったら、売り言葉に買い言葉で、皮肉の応酬をしたはずだったのに、鬼柳は、軽く受け流した。
軽いジャブを打ったつもりが、特に手応えがなく、わたしは置いて行かれたような気がして、少し怖かった。思ったよりも、彼はわたしよりも大人になっていた。
「ナマエは勉強勉強、ってしてたからなぁ」
「…………まあね、結局大学は行かなかったけど」
お冷やを飲みながら、わたしは目の前の「今の鬼柳」を見つめていた。
いつの間にかロン毛になってるし、ブリーチしてるのは、相変わらずで、やっぱり私服は黒で固められている。まるで漫画から出てきたような出立ちに、少し安心感を覚える。そのくせ、言動は以前より落ち着いているのだから、そこが逆にヒヤヒヤする。
わたしの方は、というと、高校生の時から大きく変化しているつもりはない。だから、鬼柳はすぐにわたしを見つけられたんだろう。
「それよりも、さ。鬼柳はなんでハロワに来てたの」
「あぁ? それ聞くか?」
「だって、わたしそっちの進路も知らないし……やっぱ今無職してるわけ?」
「お前だって、なんで東京行ったのに、こっちに戻ってんだよ」
「色々あったの!」
「こっちだって……同じだ」
お互い、無職であることは同じなのだ。でも、わたし達がこうなってしまった理由は、それぞれ異なっている。わたしは新卒の就職で失敗して、鬼柳は……なんでだかわからないけれど、とにかく何かあったんだろう。
わたしの方はというと、別にしゃべっても構わなかった。
東京は、というか、あの仕事は、いや、あの職場がめちゃくちゃだったわけで、わたしは悪くないし。でも、わざわざこっちから喋り出すのもなあ、と思って、黙っていた。
まあ、こういう話はお互い詮索しない方がいいかもしれない。
両方うまく行かなかった者同士で、ナイフを振り回し合うのは、健康上、あまりよくない。
「チョコレートパフェをご注文のお客様〜」
わたしたちが、じっと黙りこくっていると、沈黙を破るように店員の人がお盆を持ってやってきた。
「あ、俺です」
机の上に置かれた、カロリーの塊たるそれは、堂々と、山のように聳え立っていた。
「うわー、でっか」
「メニューの写真よりデカくね?」
「うん、でっかい」
ばか丸出しの単調な会話を人間から引き出す作用を、パフェは持っている。まるで引力にひかれあうかのように、わたしたちは明らかに大きすぎるパフェを見つめていた。
「あ、先食べていいよ」
わたしの頼んだケーキセットは、まだ来るまでにもう少しかかりそうだったし。
わたしがそう言うと、鬼柳は、まるで今日初めてご飯を食べるみたいに、それに思いっきりがっついていた。食べる時、犬みたいに急ぐのは、昔から変わらないな、と思った。
高校の時のことはあんまり覚えていないって言ったけれど、一緒にお昼を食べたり、放課後マクドナルドに行ったり、ラーメンを食べたりしたのは、もう、数えきれないほどあるから。だから、そこは特別。
やがて、わたしの元にも注文したケーキセットが無事に届いた。紅茶に砂糖をドバドバと入れながら、いちごにフォークをブッ刺した。それはいちごの下のスポンジにまで貫通して、柔らかな反動がわたしの手に伝わってきた。
そして、それを口にした瞬間、わたしの意識の中に断片的な記憶がわっ、と入り込んできた。まるで、電波を受信したみたいに。
「あのさ、この店って一回来たことなかったっけ?」
「……さあ、勘違いじゃないか?」
鬼柳が怪訝そうな顔をして見せたが、わたしは確信していた。絶対に、ここには一度来たことがある。確たる証拠はないけれど、鬼柳とわたしはこの店に一度来ていたのだ。そして、わたしは全く同じショートケーキを食べた。
記憶にはあるのに、いつだったかは思い出せない。
けれど、記憶の中の鬼柳は高校の時の制服を着ていて、窓の外から見える外の風景は、夕暮れを描いていた。
「スワン家の方に」で、マドレーヌを紅茶に浸して過去の情景にトリップしたみたいに、わたしの脳内では、ビリビリと電流が走っていた。
「ねえ、マジで思い出せない?」
「そう言われてもな……」
わたしたちは、ウンウン頭を悩ませながら、具体的な思い出の断片を探っていた。
店自体は、高校生が入店しても別におかしくないような感じだし、高校から、わたしの住んでいる家の方へはこのバス停と方角が同じだし、行っていないという証拠もまた、ないのだ。
「……それ、デジャヴってやつじゃないか?」
「で、でも、絶対に、あったし、だってここのケーキ、前にも食べたことあるし」
「……ここのケーキ、駅前のビルの中に入ってるとこのやつと一緒だって書いてある」
鬼柳が指差した先を見て、わたしは腑に落ちたと同時に、少し苛立った。夢をぶち壊されたような気がした。
「……」
以前の鬼柳だったら、こんなことは言わなかったと思う。もっと面白がって、色々と考えてくれていたはずだ。結果が同じだったとしても、最後には「オチがついたな」なんて言って、ゲラゲラ笑ったはずなのに。
あの光景はなんだったんだろう。夕焼けと逆光を浴びる鬼柳の姿は、わたしのみた幻だったのか。
わたしは手元のフォークでケーキをちくちくと刺しながら、ぼんやりと考えた。鬼柳はもう、謎を面白がってくれる子供じゃなくて、大人になってしまったんだな、と思った。
その後の会話というのは、まあ、大して盛り上がらなかった。
昔みたいに、ばかな話題で盛り上がれるほど、わたしたちは打ち解けることはなかった。
わたしは東京での学生生活の事をポツポツと話した。彼は、「東京なら俺のやりたいこと、あるかもしれない」なんて言った。
おいおい、そんなに甘くないぞ、と思ったわたしも、もう「おとな」なんだろうか。
わたしが立ち上がると同時に、鬼柳はサッと伝票を掴み、颯爽とレジまで持っていった。一応、建前としてお礼くらいは店の人の前で言いたかったのに、と思った。黙って奢られてる女だと思われたくなかったし。そういうところ、察してくれないんだな、と思った。だから、わたしたちは恋人同士でいられなかったんだと、今ここで理解した。
店の外に出ると、わたしはバス停に並び、鬼柳は「歩いて帰る」と言った。なんて言って別れたらいいかわからずに、バスに乗らないくせに、鬼柳はわたしの横に立っていた。早く帰れよ、と思ったけれど、別に嫌ってわけじゃなかったので、わたしは何も触れなかった。
わたしの心の中で、鬼柳京介という人間をどこの位置に収めていいかわからなかった。再び会った今、どうにか心境が変わるかと思ったけれど、大して変わらなかった。別にそれは悪いことじゃないけれど、この土地にいる以上、わたしにそれはついて回ってくるのだ。落ちない錆のように、わたしの心に住み着いている。
バスが来た。前乗り後ろ降りのローカルバスの中は、がらんとしていた。
「じゃ、今度会う時は就職できてるといいね」
「ああ、そうだな。また見かけたら、その時は──」
その後に続く言葉を聞く前に、バスのドアは閉まった。座席に座って、わたしは家族に「もうすぐ帰る」とメッセージを送った。
その後、足りなかったパズルのピースがかちりとハマったみたいに、わたしは最初に面接をした会社から内定をもらってしまった。
朝九時に家を出て、働くスタイルにも、ちゃっかり適応してしまった。まだ勤めて一ヶ月だけど、雰囲気はいい感じで、若いスタッフとは息があった。だから、しばらくはこの会社に居ようと思った。
なので、わたしはもう、ハローワークに行く必要は無くなったわけだ。
あの市役所の近くの寂れた建物の、自動ドアの前にポツンと立っている亡霊みたいな鬼柳の姿を、わたしはもう見ることはできなくなる。
鬼柳は、無事に就職できただろうか。
もしかしたら、今でも彼は、わたしと会う事を考えながら、今もハローワークに足を運んでいるかもしれない。
もし、そうだとしたら少し申し訳ないかな、とも思うけれど、わたしたちはもう他人なわけだし、就職するのはいい事だから、早く鬼柳も仕事を見つけて、ハローワークを卒業しちゃえばいいんだ。
それでも、時々市役所の前を通りかかると、鬼柳の姿が見えた気がして、ドキッとするのは、彼が元彼だったからかも、しれない。……いや、そういうことにしておこう。
たったそれだけのことだけど、それにはわたしの人生の進退がかかっている。だから、今日は人生でも特別重大な日なのだ。でも、それは他の誰にもわからない。受付のおじさんも、カウンター業務をしている職員の、誰にも。
もらった書類に色々書いてから、カウンターに呼ばれるまでの間を埋める術を、わたしは何も持ち合わせていない。だから、色々と思い出してみることにした。
専門学校を出てから、こっちに帰ってくるのは久しぶりだった。この町は相変わらず、ベッドタウンとして寂れず廃れず、かといって盛況というわけもなく、そこそこに田舎で、都会のまま。
高校の時の友達は、大体ここから近い都会に進学するか、地方や海外に散り散りになっていった(わたしが通っていたのは、ここらではそこそこ有名な進学校だった)わたしもその例に漏れず、上京して、卒業後そのまま就職もしたわけだけど、なんだか疲れてしまって、早々と退職してしまった。
実家に戻ったのが今から一ヶ月前で、いつまでもニートで脛齧りをするわけにもいかないからと就職活動を始めたのが、今週に入ってからだ。
実家の子供部屋で漬物石の如くうずくまった、奨学金の返済の目処が立たない我が子を、両親は冬眠中のクマを見るような目で見ていた。
わたしはその視線に耐えかねて、リビングで求人誌に目を通すなど、親への就職意欲のアリバイを作ることにした。
──というのが、わたしはハローワークに足を運んだ理由です。
なーんて。そんなもの、絶対に聞かれはしないと思うけれど、一応心の中で言い訳を述べておこう。
わたしの番号札の数字が読み上げられるまで、しばらくかかりそうだ。
あらましを喋ってしまって暇なので、人間観察でもしようと思う。今はバリバリ平日の夕方で、あと二時間でここは閉まってしまう。待合椅子に座っているのは、わたしを含めて子連れの女性が一人、男性が二人。わたしを入れて、計五人。絶対に職員の数の方が多いでしょって感じ。
ちょっと人が少ない時期なのかもしれないなあ、と考える。
……まあ、失業者で賑わってしまっていたら、それはそれで最悪なんだけど。
目の前の平らな椅子に座っている男性は、ロン毛でブリーチしてるし、なんだか自由って感じだ。専門学校でこういうタイプの人、いたなあ。高校まで抑圧されてる分、進学ではっちゃけるタイプ。
「受付番号、五番の方、六番カウンターまでどうぞ」
わたしの番号が呼ばれた。すっと立ち上がって、手を上げている人がいるカウンターまで、歩く。
その時、背中に何か鋭いプレッシャーを感じて、少し動きを緩めた。なんだか、野生動物が獲物を狙う時のそれに近いものを、こんな区役所の近くの、お堅い施設で感じる感じることがあるなんて、思ってもいなかった。ちょっと、いや、結構気味が悪い。
でも、その時はそれをスルーした。だって、呼ばれたし、早くいかないといけなかったし。この違和感は、座席に座ると解除された。わたしは少し息をついて、受付の職員の人に書類を手渡した。
いくつかの求人の案内と、一社だけ面接の取り決めをして今日の面談は終わった。
一歩進んだような、進んでいないような。うまいこと手応えを感じられずにハローワークを出た。出たところには、なぜかニコニコと微笑んだおばさんが立っていて、ちょっとしたアンケートに答えてみませんか、なんて言いながら紙を差し出された。もちろん、お断りした。
ハロワって結構怖いところなんだな。次からはもっと用心しようと心に決め、歩き出したところで、わたしは再び呼び止められた。
「ナマエ……だよな?」
わたしの行く手を通せんぼするように、ぬっと男の影が現れた。
こっちの名前を知っているなんて、只事ではないし、もしかしてヤバい人に捕まってしまったかもしれない。最悪だぁ! なんて考えながら、わたしはそっと目線を上げた。
「もしかして、き、鬼柳…………京介」
今思えば、本当に何年振りかに、わたしはこの名前を口にした。わたしの目の前に立つ、ロン毛に黒いジャケットを着たこの男は、高校時代から変わらぬ声とファッションで、まるで亡霊のように、そこにいたのだ。
鬼柳京介とわたしは、高校の時一瞬だけ付き合っていた。一瞬だけ、というのは彼氏だった時間だけを換算した場合、そうなるという話で、本当は高一からの付き合いなので、結構長い間一緒にいたってことになる。
付き合ったきっかけは本当に些細なことで、別れたわけもそんなに深刻って感じではなかった。
わたし達は、なんとなくで友達になり、なんとなくで恋人同士になり、その蜜月を味わう前に受験がやってきて、成り行きで恋人関係を解消した。
そういえば、そんなこともあったな、と時々思い出さないこともなかった。わたし達は結局、友達同士でいれば長続きしたかもしれない、と考えることもある。でもそれは、卓上の空論にすぎず、結果は変わりようがない、と結論づけて自分の考えにピリオドを打つのが恒例だった。
この男のことを考えると、毎回嫌ったらしいアカが溜まったような感じになる。でもそれは、鬼柳が悪いのではなくて、わたしが面倒臭い人間だから、そうなるのだ。
あれ以来、彼氏も作っていないのは、この鬼柳という男が、わたしにとってオレンジの片割れのような、離れ難い存在だったのが大きいと思う。彼は完璧な男友達だったけれど、最良の彼氏、ましてや良き未来を築くパートナーにはなり得なかったのだ。
外で立ち話もアレだし、と流されてしまい、わたし達はハロワの最寄りの、バス停近くの喫茶店に入った。そこの中で、わたしはケーキセットを頼み、鬼柳は無職のくせに一番高いパフェを頼んでいた。
「せっかくだし、奢ってやるよ」
「……無職なのに、そんなにお金使って大丈夫なの?」
「平気に決まってんだろ。高校の時は、黙って奢られてたくせに」
「そうだっけ」
「…………そうだったんだよ」
高校時代のこと、と言われてもかなり記憶が曖昧だ。大きな出来事については、歴史の年号を誦じるように、そこそこ詳細に思い出せるが、日常の一コマ、つまり放課後にどこどこに遊びに行ったとか、そういう情報の引き出しは、かなり限られている。
「鬼柳はあんま勉強してなかったからね、そういうことまで思い出せるんじゃない?」
わたしは少し、嫌味で返した。というか、直接的に喧嘩を売った。ああ、ヤバい。高校の時、わたしたちは「こう」だった。こうだったし、お互い針で刺すようなコミュニケーションで、周囲を威嚇していたから、わたしたちは結びついていたのだ。
「かもな」
前だったら、売り言葉に買い言葉で、皮肉の応酬をしたはずだったのに、鬼柳は、軽く受け流した。
軽いジャブを打ったつもりが、特に手応えがなく、わたしは置いて行かれたような気がして、少し怖かった。思ったよりも、彼はわたしよりも大人になっていた。
「ナマエは勉強勉強、ってしてたからなぁ」
「…………まあね、結局大学は行かなかったけど」
お冷やを飲みながら、わたしは目の前の「今の鬼柳」を見つめていた。
いつの間にかロン毛になってるし、ブリーチしてるのは、相変わらずで、やっぱり私服は黒で固められている。まるで漫画から出てきたような出立ちに、少し安心感を覚える。そのくせ、言動は以前より落ち着いているのだから、そこが逆にヒヤヒヤする。
わたしの方は、というと、高校生の時から大きく変化しているつもりはない。だから、鬼柳はすぐにわたしを見つけられたんだろう。
「それよりも、さ。鬼柳はなんでハロワに来てたの」
「あぁ? それ聞くか?」
「だって、わたしそっちの進路も知らないし……やっぱ今無職してるわけ?」
「お前だって、なんで東京行ったのに、こっちに戻ってんだよ」
「色々あったの!」
「こっちだって……同じだ」
お互い、無職であることは同じなのだ。でも、わたし達がこうなってしまった理由は、それぞれ異なっている。わたしは新卒の就職で失敗して、鬼柳は……なんでだかわからないけれど、とにかく何かあったんだろう。
わたしの方はというと、別にしゃべっても構わなかった。
東京は、というか、あの仕事は、いや、あの職場がめちゃくちゃだったわけで、わたしは悪くないし。でも、わざわざこっちから喋り出すのもなあ、と思って、黙っていた。
まあ、こういう話はお互い詮索しない方がいいかもしれない。
両方うまく行かなかった者同士で、ナイフを振り回し合うのは、健康上、あまりよくない。
「チョコレートパフェをご注文のお客様〜」
わたしたちが、じっと黙りこくっていると、沈黙を破るように店員の人がお盆を持ってやってきた。
「あ、俺です」
机の上に置かれた、カロリーの塊たるそれは、堂々と、山のように聳え立っていた。
「うわー、でっか」
「メニューの写真よりデカくね?」
「うん、でっかい」
ばか丸出しの単調な会話を人間から引き出す作用を、パフェは持っている。まるで引力にひかれあうかのように、わたしたちは明らかに大きすぎるパフェを見つめていた。
「あ、先食べていいよ」
わたしの頼んだケーキセットは、まだ来るまでにもう少しかかりそうだったし。
わたしがそう言うと、鬼柳は、まるで今日初めてご飯を食べるみたいに、それに思いっきりがっついていた。食べる時、犬みたいに急ぐのは、昔から変わらないな、と思った。
高校の時のことはあんまり覚えていないって言ったけれど、一緒にお昼を食べたり、放課後マクドナルドに行ったり、ラーメンを食べたりしたのは、もう、数えきれないほどあるから。だから、そこは特別。
やがて、わたしの元にも注文したケーキセットが無事に届いた。紅茶に砂糖をドバドバと入れながら、いちごにフォークをブッ刺した。それはいちごの下のスポンジにまで貫通して、柔らかな反動がわたしの手に伝わってきた。
そして、それを口にした瞬間、わたしの意識の中に断片的な記憶がわっ、と入り込んできた。まるで、電波を受信したみたいに。
「あのさ、この店って一回来たことなかったっけ?」
「……さあ、勘違いじゃないか?」
鬼柳が怪訝そうな顔をして見せたが、わたしは確信していた。絶対に、ここには一度来たことがある。確たる証拠はないけれど、鬼柳とわたしはこの店に一度来ていたのだ。そして、わたしは全く同じショートケーキを食べた。
記憶にはあるのに、いつだったかは思い出せない。
けれど、記憶の中の鬼柳は高校の時の制服を着ていて、窓の外から見える外の風景は、夕暮れを描いていた。
「スワン家の方に」で、マドレーヌを紅茶に浸して過去の情景にトリップしたみたいに、わたしの脳内では、ビリビリと電流が走っていた。
「ねえ、マジで思い出せない?」
「そう言われてもな……」
わたしたちは、ウンウン頭を悩ませながら、具体的な思い出の断片を探っていた。
店自体は、高校生が入店しても別におかしくないような感じだし、高校から、わたしの住んでいる家の方へはこのバス停と方角が同じだし、行っていないという証拠もまた、ないのだ。
「……それ、デジャヴってやつじゃないか?」
「で、でも、絶対に、あったし、だってここのケーキ、前にも食べたことあるし」
「……ここのケーキ、駅前のビルの中に入ってるとこのやつと一緒だって書いてある」
鬼柳が指差した先を見て、わたしは腑に落ちたと同時に、少し苛立った。夢をぶち壊されたような気がした。
「……」
以前の鬼柳だったら、こんなことは言わなかったと思う。もっと面白がって、色々と考えてくれていたはずだ。結果が同じだったとしても、最後には「オチがついたな」なんて言って、ゲラゲラ笑ったはずなのに。
あの光景はなんだったんだろう。夕焼けと逆光を浴びる鬼柳の姿は、わたしのみた幻だったのか。
わたしは手元のフォークでケーキをちくちくと刺しながら、ぼんやりと考えた。鬼柳はもう、謎を面白がってくれる子供じゃなくて、大人になってしまったんだな、と思った。
その後の会話というのは、まあ、大して盛り上がらなかった。
昔みたいに、ばかな話題で盛り上がれるほど、わたしたちは打ち解けることはなかった。
わたしは東京での学生生活の事をポツポツと話した。彼は、「東京なら俺のやりたいこと、あるかもしれない」なんて言った。
おいおい、そんなに甘くないぞ、と思ったわたしも、もう「おとな」なんだろうか。
わたしが立ち上がると同時に、鬼柳はサッと伝票を掴み、颯爽とレジまで持っていった。一応、建前としてお礼くらいは店の人の前で言いたかったのに、と思った。黙って奢られてる女だと思われたくなかったし。そういうところ、察してくれないんだな、と思った。だから、わたしたちは恋人同士でいられなかったんだと、今ここで理解した。
店の外に出ると、わたしはバス停に並び、鬼柳は「歩いて帰る」と言った。なんて言って別れたらいいかわからずに、バスに乗らないくせに、鬼柳はわたしの横に立っていた。早く帰れよ、と思ったけれど、別に嫌ってわけじゃなかったので、わたしは何も触れなかった。
わたしの心の中で、鬼柳京介という人間をどこの位置に収めていいかわからなかった。再び会った今、どうにか心境が変わるかと思ったけれど、大して変わらなかった。別にそれは悪いことじゃないけれど、この土地にいる以上、わたしにそれはついて回ってくるのだ。落ちない錆のように、わたしの心に住み着いている。
バスが来た。前乗り後ろ降りのローカルバスの中は、がらんとしていた。
「じゃ、今度会う時は就職できてるといいね」
「ああ、そうだな。また見かけたら、その時は──」
その後に続く言葉を聞く前に、バスのドアは閉まった。座席に座って、わたしは家族に「もうすぐ帰る」とメッセージを送った。
その後、足りなかったパズルのピースがかちりとハマったみたいに、わたしは最初に面接をした会社から内定をもらってしまった。
朝九時に家を出て、働くスタイルにも、ちゃっかり適応してしまった。まだ勤めて一ヶ月だけど、雰囲気はいい感じで、若いスタッフとは息があった。だから、しばらくはこの会社に居ようと思った。
なので、わたしはもう、ハローワークに行く必要は無くなったわけだ。
あの市役所の近くの寂れた建物の、自動ドアの前にポツンと立っている亡霊みたいな鬼柳の姿を、わたしはもう見ることはできなくなる。
鬼柳は、無事に就職できただろうか。
もしかしたら、今でも彼は、わたしと会う事を考えながら、今もハローワークに足を運んでいるかもしれない。
もし、そうだとしたら少し申し訳ないかな、とも思うけれど、わたしたちはもう他人なわけだし、就職するのはいい事だから、早く鬼柳も仕事を見つけて、ハローワークを卒業しちゃえばいいんだ。
それでも、時々市役所の前を通りかかると、鬼柳の姿が見えた気がして、ドキッとするのは、彼が元彼だったからかも、しれない。……いや、そういうことにしておこう。
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