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遊戯王
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蛇の脱皮した後の抜け殻を財布に入れておくと、金運に恵まれるらしい。
何年か前に伝えきいたおまじないを正直に信じた私の財布の中には、庭で見つけた蛇の抜け殻が入っている。海外通販で買ったうさぎのステッチの入った薄桃色の財布から、ざらざらした蛇の皮が出てくる様は、ミスマッチである。気色悪い、と親や友達からそれとなく止められたこともある。
それでも私は、頑固たる意志でこれを譲らなかった。頑固もの? なんとでも言えばいい。
忙しい彼氏が、珍しくLINEを送ってきた。プールに行こうだなんて、全く彼らしくない。正確には提案ではなく命令である。今週の日曜を開けておけ。水着の用意が
なければこちらから送る、なんて愛想のない一行メール。まあ、いつものことだ。幸いにも日曜は塾も予定も入れていなかった。
「水着持ってないから欲しい。 日曜は空いてる(いいねマーク)」
私も私で、普通の返事を返しておく。ついでに、「ビキニとかは着ないからね」と付け加えて、動くクマのキャラクターのスタンプも添えてみた。まぁ、どうせいつもみたいに既読無視だろうけど。
私は自分の彼氏に、世間一般の恋人に求めるようなサービスを期待しない。期待しても無駄ということを、この数ヶ月で嫌というほど思い知らされた。彼の性格から考えて、試し行動なんて子供みたいなことをしたら、逆に嫌われるのがオチだ。逆に、信頼されているからそっけないのだと、思うことにしている。
水着か。
以前一緒に買い物をしたことがあるから、サイズは把握されているのだろう。やばい水着を送ってこられたら、その場でビリビリに破いてやる。くだらない冗談みたいなことを、あの人は本気でやってしまうんだ。
約束の日になった。通販で買ったラッシュガードとサンダル、替えの下着とバスタオル、防水仕様の日焼け止めを鞄に突っ込んで駅まで歩いた。向かう先はどこだか知らないけれど、夜の7時には家に帰っているはずだ。
曇り空でよかったと思った。まあ、雨が土砂降りでもならない限り、彼は予定を強行するだろう。日差しが強すぎると、肌がジリジリと焼かれて辛いものがある。雲が眩しい太陽を隠してくれてよかった。
「時刻ジャストか」
駅前の駐輪場前に停められたリムジンに滑り込むと、夏だというのに暑苦しい長袖の彼氏が、私を待っていた。クールビスの会社員かよ、と突っ込んでみようかと思ったけれど、彼のことだから早朝からウェブ会議をこなしてやってきたなんてこともあり得るから、黙っておく。私、察しのいい彼女なので。
休みなど関係ないというように、手には分厚い書類の束を持っている。
「はいはい、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないからね」
口では冗談めかして言ってみるけれど、実際、私は世界に名を轟かせる大企業のトップの時間を食い潰しているわけだ。今回のデートは彼の提案だからそこまで気負いしなくていいのだが、やっぱり気負うものがあるのである。
海馬は、タブレットやらファイルやらを全部いつものジュラルミンケースに突っ込んで、運転手に合図した。冷房の効いた車内で、BBCのニュース映像を見ながら、私たちはああでもない、こうでもないと高校生らしからぬ硬い話題に興じている。
石油がどうとか、どこかの国で戦争が起こっているとか、日本に住んでいるとフワフワしたことに思える世界の出来事も、彼にとっては経営というコマを動かす際の重要な指標である。馬鹿な女と無駄な時間を過ごすつもりはない、という言葉も全くの冗談ではないのだろうと思って、私も必死に食らいつく。こういうのって、普通大学生になってから語らうトピックなのではないだろうか。なんてツッコミも野暮である。
クーラーボックスからオレンジジュースの缶を取り出して、一気に飲み干した。窓の外の風景は、どこへ向かっているのか。高速道路を進んでいることはわかるのだが、いくつかの分かれ道のどれにも降りる気配はなかった。東京からズンズンと離れていく。そうなんだろうと肌で感じる。9割くらい聞き取れない英語で喋くってるアナウンサーの声も、遠くに聞こえてくる。私たちはすでに喋り疲れて、柔らかい座席のシートに背中を預けて、それぞれの窓から代わり映えのない企業広告を眺めていた。
10cmくらい窓を開けて、生暖かい風を車内に入れてみる。運転席から隔離された車内に、太陽の匂いが入ってくる。
「そろそろ着くぞ」
どこかもわからない田舎道を、数分走った。本当の田舎って感じがする。畑とガソリンスタンドしかない盆地から、車は山の中へと突っ込んでいく。一応補装されているからかろうじて車道として機能している山道を走って、いきなりペントハウス風の建物が出てきた。
「ここだ」
それだけいうと、彼はさっさと車を降りていってしまった。私も続いて、車を降りる。重厚そうな門はすでに開いていた。山の中だからかだろうか。若干平地よりも暑い気がする。
「ここってなんの建物なの」
「接待に使われていた建物らしい。俺も詳しくは知らん」
「へぇ……」
中に入ると、いくらか年季の入った家(と呼んでいいのだろうか)特有の木と古布の混じった変な匂いがした。ざっと見て、築30年はくだらないのだろう。白い壁にはシミひとつない。
「大方、建てるだけ建てておいて寝かせてあったのだろう」
「そうみたいだね」
悪口ではないのだけれど、昔の地方のホテルってこんな感じだったような気がする。ひぐらしの鳴く声と蝉の合唱が混ざっていて、綺麗な洋館なのになんだか田舎のおばあちゃんの家にきたような気持ちになる。
私がぼーっとしながらふらふらと散策していると、彼は私に紙袋を投げ出した。
「早く着替えてこい」
「あー、うん。了解」
ゲストハウス風の部屋で、渡された水着に着替えてから庭にでた。落ち葉の浮いたプールがどんと構えていた。アメリカのドラマに出てくるような、学校のプールよりも小さいけれど、立派なものがそこにはあった。
「おー、すごいすごい」
大した広さはないけれど、二人で使うなら十分すぎる大きさだった。
「馬子にも衣裳か……」
向こうはというと、海パンにパーカーを羽織って、優雅にもビーチチェアに腰かけて私の方を見ている。サングラスなんてかけて、セレブ気取り──じゃなかった、金持ちだったんだこの人は。
「サイズちょうどだったよ」
「当たり前だ。俺がお前のことで知らない情報などない」
「サラッと個人情報集めてますって言っちゃってるけど」
「フン」
町中に監視カメラをつけてカードの情報を抜いていた男のことだ。本当に私の身辺を興信所に依頼して探っていたとしても、不思議ではない。いや、そんなところに依頼せずとも、謎の巨大ネットワークで監視されているかもしれない。「かもしれない」妄想で一人あたふたしていると、「泳がないのか」と不機嫌そうな声が飛んでくる。
「わかった、わかった。入るってば」
律儀に準備体操をする私を、何が面白いのか椅子に座ってじっと眺めてくるのだ。
「ねー、そんなに見られたらちょっと恥ずかしいんだけど」
「お前のことだから、何もせずにいきなり飛び込むものだと思っていたが、予想を外してしまったらしい」
「準備体操せずに足攣って溺れて死んだら、海馬は責任とってくれるの」
「そんな馬鹿なことがあるわけないだろう」
「嘘でも俺が助けに行く! くらい言って欲しかったなあ」
多分、落としたのが自分の愛するカードたちなら、たとえ金槌だったとしても飛び込んで助けに行くのだろう。細かいことで嫉妬してるなあ、私。
一通りの準備体操を済ませて、プールに恐る恐る足をつけてみる。水面が揺らいでわかりずらいけれど、水深何センチくらいなのだろう。
「海馬ー! このプール深い?」
「知らん」
「先に入ってよ! 頭まで浸かったら嫌だからさぁ」
「……仕方ない」
こんなに渋るのなら、どうして私をプールになんてつれてきたんだろう。緩慢とした動作でラッシュガードを脱ぎ、水際まで歩いてきた後、するりとプールに入った。
「これで満足か」
「結構深いっすね」
彼の胸の下あたりに水面があった。遊び用のプールにしては結構深いような気がする。セレブが避暑地でガッツリ泳ぐわけでもないだろうに。
「お前がきても大丈夫だ。早くこい」
お互い、体育の授業で着るような水着を着ているから、一瞬ここが学校のように錯覚した。
えいっと入水すると、私のちょうど肩の辺りまで水に浸かっていた。
日差しが私の黒髪を焼くので、思い切って頭まで水の中に突っ込んだ。水中は音が通じないらしい。けれど、私の耳には、水の中の音━━と言ったらいいかわからないけれど、密封された部屋の中みたいな、そんな音がする。
目を開けると、目の前に海馬の顔があった。驚いて水から顔を上げると、少し眉を吊り上げた彼が、重たい前髪をかき上げて、私を憂うように見つめていた。あ、眉毛見えた。
「どうして笑った」
「だって、目の前にいたんだし」
「俺が泳いで不思議だったか」
「あれって泳いでたんだ」
深海魚にいきなり遭遇したような顔をしていた。なんて言われてしまった。私は、アウトドアもスポーツも、海馬からは全くかけ離れたもののように感じていたので、水中で泳ぐ姿なんて1ミリも想像できなかったのだ。だから、深海魚に遭遇したという比喩は全く持って的外れではないと思う。
「何秒息止めてられるかゲームしよう」
「構わん」
私は思いっきり息を吸い込んで、潜水した。今度はゴーグルをつけて、ちゃんと海馬の顔が見えるように。10秒、20秒とカウントしていくうちに、水面から差し込んでくる光と、全部歪んだように見える水の中の風景、それらが私たちの周りを包んでいること。こんな水中で、溺れ死ぬなんてことは絶対にありえないけれど、私の脳内には心中の二文字が浮かんでいた。
入水自殺したカップルなんて、世界中に五万と存在する。こんな綺麗な景色が最後にみる光景なら、意外と悪くないかもしれない。
ふと不安になって、私は彼のそばへと泳いで行った。手をとって、ちゃんと生きていることを確認したくなった。
向こうは、それをどう思ったか。同時に水面に顔を出すと、水の中でなくても青白い顔の色を見て、どうしようもなくさっきの考えが馬鹿げているような気がして、少し悲しくなった。なんて、言えない。
「あはは、引き分けだね」
自分がどんな顔をしているのかわからなかった。彼とどういう話をしたかも。
なんとなく、浮き輪に捕まってダラダラ水と遊んでいると、もう夕方になっていた。水でふやけた指と、わかめみたいに広がった髪を、ふわふわしたタオルに包んで乾かしていると、彼の背中の小さな傷が目に入った。
「ね、その傷さ」
大丈夫? と声をかける前に、私の顔に大きなタオルが覆いかぶさった。
「えっ」
「見るな」
今まで聞いたことのないような、冷たい声だった。見るなと言われたけれど、私の目に、実に鮮明に刻み込まれていた。火傷の跡、みみずの這ったような小さな傷を。
「ごめん」
「お前のせいじゃない」
何をどうしたらいいかわからずに棒立ちでいると、私の頭に乗ったバスタオルがそっと外された。今まで見たことのないような、迷子の子供のような表情で、彼は私を見ていた。
「悪かった」
そう言って、彼は小さな部屋の中に戻っていく。その後ろ姿を追って、私は自分の個室に戻った。
服を着替えて、帰りの車の中で私たちは一言発するにも重苦しい雰囲気を抱えていた。苦し紛れにつけたローカルのラジオでは、陽気なDJが最新のヒットソングを流している。脳で歌詞を理解することに努めて、私は鞄を胸に抱える。ギンギラ照りつける昼の日差しが消えて、薄暗い夕方に差し掛かっている。ふと、私は子供の時のことを思い出した。プールの帰りに、家族でコンビニのアイスを食べた。そんなささやかな思い出。けれど、この重っ苦しい空気を打開するチャンス。
「アイス食べたい」
私のガキっぽい要望に、海馬は迅速に応えた。すぐに高速を降りた脇にあるコンビニに車をつけ、ハーゲンダッツのキャラメル味を私に買い与えた。
「昔さ、家族とプールに行った時によく食べたんだよね。ダッツみたいな高級なのじゃなくて、パピコを分けたりさ、雪見大福で喉詰まらせかけたりしてさ。そういうの、したかったんだよね」
駐車場で、硬いアイスを手のひらで溶かしながら一人ごちるようにつぶやく。
「高校生のデートって、そういうのだよ。多分」
「……今日は楽しかったか」
「うん。また来年もプール行こうね。今度は貸切じゃなくってさ、市民プールでも、遊園地のプールでも」
懇切丁寧に私の最寄り駅まで送ってもらった後、私は財布の中の蛇の皮を捨てた。誰に言われたわけでもないのに、そうした方がいい気がした。あの背中の傷が、蛇に締め付けられた跡のように見えたから。平和ボケした私でも、あの傷が誰かの手によってつけられたものであることはしっかりとわかった。どうして私に見られたくなかったのかも、ちゃんと理解している。今日のデートは愉快なものではなかったけれど、私が彼と今後付き合っていくのに必要な儀式であったと、受け入れよう。
「高校生らしいデートを次回は所望す。」
私のメッセージに既読がつくのは、いつになるやら。
何年か前に伝えきいたおまじないを正直に信じた私の財布の中には、庭で見つけた蛇の抜け殻が入っている。海外通販で買ったうさぎのステッチの入った薄桃色の財布から、ざらざらした蛇の皮が出てくる様は、ミスマッチである。気色悪い、と親や友達からそれとなく止められたこともある。
それでも私は、頑固たる意志でこれを譲らなかった。頑固もの? なんとでも言えばいい。
忙しい彼氏が、珍しくLINEを送ってきた。プールに行こうだなんて、全く彼らしくない。正確には提案ではなく命令である。今週の日曜を開けておけ。水着の用意が
なければこちらから送る、なんて愛想のない一行メール。まあ、いつものことだ。幸いにも日曜は塾も予定も入れていなかった。
「水着持ってないから欲しい。 日曜は空いてる(いいねマーク)」
私も私で、普通の返事を返しておく。ついでに、「ビキニとかは着ないからね」と付け加えて、動くクマのキャラクターのスタンプも添えてみた。まぁ、どうせいつもみたいに既読無視だろうけど。
私は自分の彼氏に、世間一般の恋人に求めるようなサービスを期待しない。期待しても無駄ということを、この数ヶ月で嫌というほど思い知らされた。彼の性格から考えて、試し行動なんて子供みたいなことをしたら、逆に嫌われるのがオチだ。逆に、信頼されているからそっけないのだと、思うことにしている。
水着か。
以前一緒に買い物をしたことがあるから、サイズは把握されているのだろう。やばい水着を送ってこられたら、その場でビリビリに破いてやる。くだらない冗談みたいなことを、あの人は本気でやってしまうんだ。
約束の日になった。通販で買ったラッシュガードとサンダル、替えの下着とバスタオル、防水仕様の日焼け止めを鞄に突っ込んで駅まで歩いた。向かう先はどこだか知らないけれど、夜の7時には家に帰っているはずだ。
曇り空でよかったと思った。まあ、雨が土砂降りでもならない限り、彼は予定を強行するだろう。日差しが強すぎると、肌がジリジリと焼かれて辛いものがある。雲が眩しい太陽を隠してくれてよかった。
「時刻ジャストか」
駅前の駐輪場前に停められたリムジンに滑り込むと、夏だというのに暑苦しい長袖の彼氏が、私を待っていた。クールビスの会社員かよ、と突っ込んでみようかと思ったけれど、彼のことだから早朝からウェブ会議をこなしてやってきたなんてこともあり得るから、黙っておく。私、察しのいい彼女なので。
休みなど関係ないというように、手には分厚い書類の束を持っている。
「はいはい、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないからね」
口では冗談めかして言ってみるけれど、実際、私は世界に名を轟かせる大企業のトップの時間を食い潰しているわけだ。今回のデートは彼の提案だからそこまで気負いしなくていいのだが、やっぱり気負うものがあるのである。
海馬は、タブレットやらファイルやらを全部いつものジュラルミンケースに突っ込んで、運転手に合図した。冷房の効いた車内で、BBCのニュース映像を見ながら、私たちはああでもない、こうでもないと高校生らしからぬ硬い話題に興じている。
石油がどうとか、どこかの国で戦争が起こっているとか、日本に住んでいるとフワフワしたことに思える世界の出来事も、彼にとっては経営というコマを動かす際の重要な指標である。馬鹿な女と無駄な時間を過ごすつもりはない、という言葉も全くの冗談ではないのだろうと思って、私も必死に食らいつく。こういうのって、普通大学生になってから語らうトピックなのではないだろうか。なんてツッコミも野暮である。
クーラーボックスからオレンジジュースの缶を取り出して、一気に飲み干した。窓の外の風景は、どこへ向かっているのか。高速道路を進んでいることはわかるのだが、いくつかの分かれ道のどれにも降りる気配はなかった。東京からズンズンと離れていく。そうなんだろうと肌で感じる。9割くらい聞き取れない英語で喋くってるアナウンサーの声も、遠くに聞こえてくる。私たちはすでに喋り疲れて、柔らかい座席のシートに背中を預けて、それぞれの窓から代わり映えのない企業広告を眺めていた。
10cmくらい窓を開けて、生暖かい風を車内に入れてみる。運転席から隔離された車内に、太陽の匂いが入ってくる。
「そろそろ着くぞ」
どこかもわからない田舎道を、数分走った。本当の田舎って感じがする。畑とガソリンスタンドしかない盆地から、車は山の中へと突っ込んでいく。一応補装されているからかろうじて車道として機能している山道を走って、いきなりペントハウス風の建物が出てきた。
「ここだ」
それだけいうと、彼はさっさと車を降りていってしまった。私も続いて、車を降りる。重厚そうな門はすでに開いていた。山の中だからかだろうか。若干平地よりも暑い気がする。
「ここってなんの建物なの」
「接待に使われていた建物らしい。俺も詳しくは知らん」
「へぇ……」
中に入ると、いくらか年季の入った家(と呼んでいいのだろうか)特有の木と古布の混じった変な匂いがした。ざっと見て、築30年はくだらないのだろう。白い壁にはシミひとつない。
「大方、建てるだけ建てておいて寝かせてあったのだろう」
「そうみたいだね」
悪口ではないのだけれど、昔の地方のホテルってこんな感じだったような気がする。ひぐらしの鳴く声と蝉の合唱が混ざっていて、綺麗な洋館なのになんだか田舎のおばあちゃんの家にきたような気持ちになる。
私がぼーっとしながらふらふらと散策していると、彼は私に紙袋を投げ出した。
「早く着替えてこい」
「あー、うん。了解」
ゲストハウス風の部屋で、渡された水着に着替えてから庭にでた。落ち葉の浮いたプールがどんと構えていた。アメリカのドラマに出てくるような、学校のプールよりも小さいけれど、立派なものがそこにはあった。
「おー、すごいすごい」
大した広さはないけれど、二人で使うなら十分すぎる大きさだった。
「馬子にも衣裳か……」
向こうはというと、海パンにパーカーを羽織って、優雅にもビーチチェアに腰かけて私の方を見ている。サングラスなんてかけて、セレブ気取り──じゃなかった、金持ちだったんだこの人は。
「サイズちょうどだったよ」
「当たり前だ。俺がお前のことで知らない情報などない」
「サラッと個人情報集めてますって言っちゃってるけど」
「フン」
町中に監視カメラをつけてカードの情報を抜いていた男のことだ。本当に私の身辺を興信所に依頼して探っていたとしても、不思議ではない。いや、そんなところに依頼せずとも、謎の巨大ネットワークで監視されているかもしれない。「かもしれない」妄想で一人あたふたしていると、「泳がないのか」と不機嫌そうな声が飛んでくる。
「わかった、わかった。入るってば」
律儀に準備体操をする私を、何が面白いのか椅子に座ってじっと眺めてくるのだ。
「ねー、そんなに見られたらちょっと恥ずかしいんだけど」
「お前のことだから、何もせずにいきなり飛び込むものだと思っていたが、予想を外してしまったらしい」
「準備体操せずに足攣って溺れて死んだら、海馬は責任とってくれるの」
「そんな馬鹿なことがあるわけないだろう」
「嘘でも俺が助けに行く! くらい言って欲しかったなあ」
多分、落としたのが自分の愛するカードたちなら、たとえ金槌だったとしても飛び込んで助けに行くのだろう。細かいことで嫉妬してるなあ、私。
一通りの準備体操を済ませて、プールに恐る恐る足をつけてみる。水面が揺らいでわかりずらいけれど、水深何センチくらいなのだろう。
「海馬ー! このプール深い?」
「知らん」
「先に入ってよ! 頭まで浸かったら嫌だからさぁ」
「……仕方ない」
こんなに渋るのなら、どうして私をプールになんてつれてきたんだろう。緩慢とした動作でラッシュガードを脱ぎ、水際まで歩いてきた後、するりとプールに入った。
「これで満足か」
「結構深いっすね」
彼の胸の下あたりに水面があった。遊び用のプールにしては結構深いような気がする。セレブが避暑地でガッツリ泳ぐわけでもないだろうに。
「お前がきても大丈夫だ。早くこい」
お互い、体育の授業で着るような水着を着ているから、一瞬ここが学校のように錯覚した。
えいっと入水すると、私のちょうど肩の辺りまで水に浸かっていた。
日差しが私の黒髪を焼くので、思い切って頭まで水の中に突っ込んだ。水中は音が通じないらしい。けれど、私の耳には、水の中の音━━と言ったらいいかわからないけれど、密封された部屋の中みたいな、そんな音がする。
目を開けると、目の前に海馬の顔があった。驚いて水から顔を上げると、少し眉を吊り上げた彼が、重たい前髪をかき上げて、私を憂うように見つめていた。あ、眉毛見えた。
「どうして笑った」
「だって、目の前にいたんだし」
「俺が泳いで不思議だったか」
「あれって泳いでたんだ」
深海魚にいきなり遭遇したような顔をしていた。なんて言われてしまった。私は、アウトドアもスポーツも、海馬からは全くかけ離れたもののように感じていたので、水中で泳ぐ姿なんて1ミリも想像できなかったのだ。だから、深海魚に遭遇したという比喩は全く持って的外れではないと思う。
「何秒息止めてられるかゲームしよう」
「構わん」
私は思いっきり息を吸い込んで、潜水した。今度はゴーグルをつけて、ちゃんと海馬の顔が見えるように。10秒、20秒とカウントしていくうちに、水面から差し込んでくる光と、全部歪んだように見える水の中の風景、それらが私たちの周りを包んでいること。こんな水中で、溺れ死ぬなんてことは絶対にありえないけれど、私の脳内には心中の二文字が浮かんでいた。
入水自殺したカップルなんて、世界中に五万と存在する。こんな綺麗な景色が最後にみる光景なら、意外と悪くないかもしれない。
ふと不安になって、私は彼のそばへと泳いで行った。手をとって、ちゃんと生きていることを確認したくなった。
向こうは、それをどう思ったか。同時に水面に顔を出すと、水の中でなくても青白い顔の色を見て、どうしようもなくさっきの考えが馬鹿げているような気がして、少し悲しくなった。なんて、言えない。
「あはは、引き分けだね」
自分がどんな顔をしているのかわからなかった。彼とどういう話をしたかも。
なんとなく、浮き輪に捕まってダラダラ水と遊んでいると、もう夕方になっていた。水でふやけた指と、わかめみたいに広がった髪を、ふわふわしたタオルに包んで乾かしていると、彼の背中の小さな傷が目に入った。
「ね、その傷さ」
大丈夫? と声をかける前に、私の顔に大きなタオルが覆いかぶさった。
「えっ」
「見るな」
今まで聞いたことのないような、冷たい声だった。見るなと言われたけれど、私の目に、実に鮮明に刻み込まれていた。火傷の跡、みみずの這ったような小さな傷を。
「ごめん」
「お前のせいじゃない」
何をどうしたらいいかわからずに棒立ちでいると、私の頭に乗ったバスタオルがそっと外された。今まで見たことのないような、迷子の子供のような表情で、彼は私を見ていた。
「悪かった」
そう言って、彼は小さな部屋の中に戻っていく。その後ろ姿を追って、私は自分の個室に戻った。
服を着替えて、帰りの車の中で私たちは一言発するにも重苦しい雰囲気を抱えていた。苦し紛れにつけたローカルのラジオでは、陽気なDJが最新のヒットソングを流している。脳で歌詞を理解することに努めて、私は鞄を胸に抱える。ギンギラ照りつける昼の日差しが消えて、薄暗い夕方に差し掛かっている。ふと、私は子供の時のことを思い出した。プールの帰りに、家族でコンビニのアイスを食べた。そんなささやかな思い出。けれど、この重っ苦しい空気を打開するチャンス。
「アイス食べたい」
私のガキっぽい要望に、海馬は迅速に応えた。すぐに高速を降りた脇にあるコンビニに車をつけ、ハーゲンダッツのキャラメル味を私に買い与えた。
「昔さ、家族とプールに行った時によく食べたんだよね。ダッツみたいな高級なのじゃなくて、パピコを分けたりさ、雪見大福で喉詰まらせかけたりしてさ。そういうの、したかったんだよね」
駐車場で、硬いアイスを手のひらで溶かしながら一人ごちるようにつぶやく。
「高校生のデートって、そういうのだよ。多分」
「……今日は楽しかったか」
「うん。また来年もプール行こうね。今度は貸切じゃなくってさ、市民プールでも、遊園地のプールでも」
懇切丁寧に私の最寄り駅まで送ってもらった後、私は財布の中の蛇の皮を捨てた。誰に言われたわけでもないのに、そうした方がいい気がした。あの背中の傷が、蛇に締め付けられた跡のように見えたから。平和ボケした私でも、あの傷が誰かの手によってつけられたものであることはしっかりとわかった。どうして私に見られたくなかったのかも、ちゃんと理解している。今日のデートは愉快なものではなかったけれど、私が彼と今後付き合っていくのに必要な儀式であったと、受け入れよう。
「高校生らしいデートを次回は所望す。」
私のメッセージに既読がつくのは、いつになるやら。