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遊戯王
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海馬コーポレーションが主導する童実野町開発計画によって、駅前の区画に新しい商業施設が建設されることが決定した。
それに伴い、土地の一定面積の確保が必要となるのだが、ここで一つ、企画の段階から懸念されていた問題が、浮かび上がった。
持ち主のわからない空き家が、ちょうど建設予定地の中に建っている。聞くところによると、役所も以前から頭を悩ませている問題のようだった。
せっかく再開発によって街が大きく発展しようとしているのに、この問題をどうにかしなければ、計画は動かすことができない。この街を牛耳る海馬コーポレーションの力を持ってしても、この問題を強引に解決することは困難を極めた。
資料や戸籍をどれだけ調査しても、結局持ち主を割り出すことはできなかった。もう何十年も人がよりついていないであろう平屋の窓は、人の視線を遮るように固く閉ざされている。郵便受けには、払われることのない公共料金の封筒や、何年も前の選挙チラシなどが杜撰ずさんに突っ込まれており、建物全体が、人を寄せ付けないような薄暗い雰囲気を纏っていた。
いくら経てども事態が改善しない。毎日代わり映えのない報告を受け、痺れを切らした海馬は、自分が直々に調査に当たる、と業務を強引に引き継いだ。日頃の敏腕苛烈ぶりを目の当たりにしている社員の中に、口答えをする者はいなかった。
こうでもしないと、どうにもならない。国がどうにも動かせないことでも、この人なら動かせる。そんな淡い期待と信頼を背中に受けて、海馬は問題の空き家に足を踏み入れた。
夏も盆を過ぎた頃、午後2時15分。空き家には鍵がかかっておらず、強引に突破を試みていた海馬は、横開きの扉の軽さにまず驚いた。埃っぽい玄関に、黒いリボンのついたサンダルが一足、無造作に並べられている。他の靴箱であるとか、壁に飾られた20年前のカレンダーは日焼けして色褪せているのに対して、今月のファッション誌に「トレンドのシューズはこれ!」などと掲載されていそうな、若向きの靴であった。それは、モノクロの写真の中で唯一色を持っているかのように、異様な輝きを持っていた。
中に誰かいる。断固たる確信を持って、海馬は靴を脱ぎ、鞄を脇に抱えて家の中に足を踏み入れた。廊下一面には埃という埃が湧き出ている。不潔で、その姿は遊園地のお化け屋敷──チープな和製ホラーも連想させる。
入口から細い廊下を経て、台所だったであろう場所へと足を踏み入れる。ガラス戸を開くと、赤いチェックのテーブルクロスの上に、小さな扇風機があった。鈍い音を立てて、それは回転している。
思わず背中の筋肉が強張るのを感じた。卓上扇風機は、コンセントに繋がれ、生ぬるい風を送風している。窓の外ではうるさいくらいに蝉が鳴き声をあげている。
「不法侵入」
耳元で声がしたのと同時に、腰に電流が走る。
「何だ貴様ッ!」
「は? こっちのセリフなんですけど。人様の家に無断で入って。ってこれ、電流弱! 気絶しねぇし、不良品だぜこれ」
スタンガンを持っていない方の腕で腰を固めて──ほぼ抱きつくような形になっているが──突如として現れた女は気怠げに手に持ったスタンガンを投げ捨てた。
「海馬瀬人、だっけ……あんたが来るのは知ってたよ」
「質問に答えろ。貴様は何者だ」
「幽霊」
「真面目に言っているのか」
「いやいや、わたしは幽霊だって。本気で。呼びにくかったら、そうだな。Xとでも仮称してもらえばいいか」
両方の腕はがっしりと海馬の腰をホールドしていた。少しでも動くと自称幽霊女──もとい仮称Xの生暖かい脂肪が、無遠慮に当たってくる。これだから女相手はやり難い、と海馬は思った。
スイッチの切られていないスタンガンを足で押しやり、Xは半ば呆れたようにため息をついた。
「つっまんね。海馬コーポレーションの社長がこれとは、泣いて呆れるぜ。若い乙女にヘタクソなプロレスかけられて、反応うっす。あーあ、本当馬鹿みてぇ」
「貴様の一人芝居を聞いている暇はない。この家の所有者を探している。知っていることを言え」
「この家の持ち主? それならわたしってことになるかもしれないし、そうでもないかもしれない」
「随分曖昧な言い方だな」
「わたしがいる限り、この家はどうすることもできないってこと」
自信ありげにそう言い張ったXを横目に、次に打つ一手を思想する。羽交い締めにも満たない、子供が親に抱きつくような姿勢の中で、この電波女が次に何を打って出てくるか、全く読めないのだ。初対面の相手は、行動の理屈がわからないだけに、挙動ひとつとっても油断できない。緊張した場面のはずなのだが、絵面だけが恋人同士のじゃれあいのようで、なんとも奇妙なバランスでそこに存在していた。
脅迫にしては随分間の抜けた行動であり、とにかく出て行けという要求を、子供のわがままのように繰り返すだけだった。
ビジネスの場の読み合いに慣れている海馬でも、少女とのままごとじみた駆け引きにはどうするのが最適であるのか、判断することは困難であった。
「あっつい」
気まぐれに手を離したXは、冷風など期待できない扇風機の動きを強引に停止し、一人風を独占していた。風に揺らいだ白いワンピース、田舎の夏のような小さな光景が、廃墟と化した都会の空き家に顕現けんげんしていた。
白い首を伝う汗は紛れのない人間の証である。しかし、幽霊の美人画のように、非現実じみた、骨董的な美しさがあった。耳をすませば車が往来を走る音が聞こえてくるというのに、山陰さんいんのサナトリウムに迷い込んだかのように錯覚してしまう。
暑い暑いと言いながら、Xは棒付きアイスを冷蔵庫から取り出し、延々と食べている。「やらんぞ」と言って睨んでみたり、本当に幽霊らしく振る舞う気もないのか。と海馬は呆れた目で見つめた。
「海馬瀬人、あんたはここをどうすることもできないんだよ。ここはいつまでだって停滞している。死んだ家なんだ。死んでるってことはどうしようもないの」
「貴様はどうしてここに居着いている」
「そう望んでいるから」
「くだらん戯言だな」
「人を動かせるだなんて錯覚している。その考えが気に食わないんだ。今だって、自分のことは世界中の誰もが知っていると思い込んで、傲おごっている」
「オレは忙しい。言いたいことがあるなら手短に話せ」
Xは机に腰掛けてそっぽを向いた。重さに耐えきれずに、古い食卓はギシギシと音を立てて軋む。
「無視か」
「あんたが嫌い」
数十分ほど、無言が続いた。少女はずっと、机の上で膝に顔を埋めて俯いていた。
「いいことを教えてやろうか。貴様はここを不法に占拠している。つまり、警察に通報すれば動く──「わたしは幽霊だぞ! 司法で裁けるような存在じゃねえんだよ!」そうか。貴様はあくまで芝居を続ける気か」
「お前、マジで性格悪いな。知ってたけど」
「いい歳して空想ごっこに他人を巻き込むような奴に言われたくはないな」
「芝居じゃねえっつってんだろ! 祟るぞ!」
もう二度とくるんじゃねえ。
某アイスを片手にXが強引に彼を家から追い出した後、海馬はまっすぐに帰宅し、すぐに資料に当たった。あの自称幽霊は、この家の所有権は部分的に所有しているというような発言をした。言い換えれば、この家の持ち主と親族にあたるような関係でだと白状したようなものである。
あの少女が本物の幽霊であるとか、精霊のような存在であるといったファンタジーな考えを持つこと。それはこの男の脳の構造上、あり得ない。
かつて、身をもって経験したありとあらゆるオカルト的事象を考慮しても、非現実的で空想じみた結論に行き着くことは、今の海馬瀬人には起こり得ないことである。
部下から手渡されたデータと、役所の戸籍情報などと照らし合わせ、それらしい人物がいないかと手当たり次第に検索していく。あの女が正真正銘の幽霊であるというようなことは、絶対にないのだから、と。
謎の女という存在はフィクションの中でしか成立しないことである。ありとあらゆるデータの中に、手がかりは必ず含まれている。
計画が白紙になるか否か、あの電波女にかかっていると海馬は思い込んでいた。
停滞していた調査に、やっと手がかりらしい手がかりが浮上したのだから、そう考えるのも不思議ではない。
巨大な液晶モニターが複数並べられた書斎で、宝物を探すように海馬は必死の手つきでキーボードを叩き、ありとあらゆるデータベースを当たった。
明朝、朝焼けの中で重い瞼を腫らすまで特定作業にあたったが、目ぼしい成果は得られなかった。
次の日、社内サーバーの不審アクセスを受けて、メンテナンス作業を行うことになった。クラッキングを受けることは大企業ではよくある話である。今回の場合は被害はごく小規模で、小蠅が侵入した程度である。
「今年に入ってから断続的に発生しています。犯人の見当はついているのですが、末端データのファイアウォールすらも突破できない、素人でしょう」
本部からそのような報告を数度聞き、受け流していた海馬であったが、今回に限って、何か予見めいたものを感じるような気がした。犯人はIPを串刺しして所在を誤魔化しているが、そのために日本のフリーツールを使っていることが判明していた。
弁護士に連絡をつけ、すぐにでも発信者の情報開示をするよう勧告する手筈が組まれた。
あの邂逅から一週間が経つという頃。分刻みのスケジュールの合間に、再び空き家を訪ねることにした。
世間では夏休みも後半を迎え、そろそろ8月も終わるという頃である。夕方の6時を見計らって、コインパーキングに停車していた公用車から降り、あの空き家へと接近する。夏の終わりの午後6時といっても、存分に明るく、蒸し暑かった。
Xは、家の扉に鍵をかけていた。夕陽を影に立つ彼女の目は真っ直ぐにこちらを見据え、淀みのない二つの瞳が、揺らぐことなく海馬を睨みつけている。
「貴様のことは全て調べさせてもらった。残念だが、もうごっこ遊びはお終いだな」
「……そうかよ」
「この夏の間、貴様には困らせられたものだ。このオレが、まさか未成年の子供ごときに妨害をされるとはな」
「ゴーストだよ」
「なんだと?」
「わたしが正真正銘の幽霊だってこと」
「まだそのネタを引き摺るつもりか? ……もうとっくに調べはついている。貴様の本名は──で、実家の所在はXX県某市。県立高校の学生だということも、大学の推薦入試に合格し、暇を持て余して我が社のデータサーバーにクラッキングを仕掛けたことも、全て知っている」
少女はため息をついて、大袈裟に首を振った。
「違うなあ。そういうことじゃねえっつーの。わたしには本当に幽霊が憑いてる」
「フン……馬鹿馬鹿しい」
「……あんたのご自慢のカード、ブルーアイズホワイトドラゴン……どうやって手に入れたか、わたしは知っている。最強のカードなんだろ。でもそのカード、本当にお前が自分で引き当てたものじゃない。お前の愛する竜の本当の持ち主は、わたしの兄だ」
ゆっくりと空が暗くなっていく。
少女の突き刺すような視線が海馬の目を射抜いた。全てを見透かすような預言者めいた瞳が、怒りと憎しみを抱いた鋭い視線。これと全く同じ目をした人間を星の数ほど見てきた。
そして、何度思ったかわからない、呆れの感情が脳を満たす。また何度めかの個人の復讐劇に付き合ってやらなければならない。
己の生き方を曲げない以上、ついてまわる課題である。
面倒だと感じる一方で、一般家庭に育った普通の学生が、一企業に対してここまで手を煩わせたことに対して素直に感心を覚える感情も、あった。
要は、気に入ったのだ。その気骨を、精神を。
きっと我が社に入れば優秀な人材になったはずだ。大きい魚を逃してしまったような気持ちに襲われる。
「あんたのせいで、あんたが無理やり脅して兄からカードを奪ったんだ。知ってるか? あのあと兄さんは自殺した。汚い脅しと戦って、兄は死んだんだ……コレクションを奪われてどれだけ苦しんだか、あのカードは兄の情熱を全て注いだ、命そのものだったんだ……」
「それでこんな手の込んだ悪戯を仕組んだのか? 随分暇なようだな」
「故人の無念を晴らす為だ、なんでもするさ」
「で、どうしたい」
「は?」
「オレの計画の邪魔をして、それだけか。お前はオレを、殺してやりたい程憎いんじゃないのか」
「殺しはやらない」
「フン、チンケな復讐だな。具体性も何もない。自己満足のために貴重な夏休みを浪費したようだが」
「違うなぁ、わかってないよ、今自分がどういう状況に置かれているか、お前は全く理解していねえんだよ」
「何──」
「殺しはしないけど、苦しんでもらう」
黒いリボンのついたうさぎの形をしたハンドバックから、バールのようなものが取り出された。
遠慮や緊張など全く感じさせない、一種の殺陣のような淀みない手つきで、海馬の右腕に向かってそれが振り下ろされる。
「苦しめっ! 二度と決闘デュエルなんてできないような体にっ、なれっ!」
半狂乱になって叫びながら、暴力を振るう少女を、当然のように横から出てきた黒服がすぐに拘束した。この間3秒にも満たない時間で、少女の真夏の復讐劇は崩壊した。泣きながら引き摺られていく少女の鞄には、ありとあらゆる人間を傷つけられる凶器が収められていた。暴れた彼女の膝は、コンクリートの凹凸に引っかかって赤い生傷ができ、白いワンピースが汚れ、ところどころほつれた。
甲高い少女の絶叫が、響いた。
叫び声はどんどん小さくなり、やがて消える。派手に抵抗したせいで脱げた黒いサンダルが、片割れを探すように道路に転がっていた。
帰り道で、油蝉が地面に落ちていることが気づいた。この通りの蝉の鳴き声は、もうすでに止んでいた。
あの事件の直後、家主の遠縁の親戚にあたる人物を特定することに成功し、プロジェクトは一気に軌道に乗り出した。家を取り壊す許可を貰い、ショベルカーで家を粉砕している様を見学していると、ふと瓦礫の中に小さな扇風機を見つけた。それを一瞥すると、海馬はヘルメットを外し、車に乗り込み、本社へ向かって発進させた。
まだ夏の余韻で蒸し暑い日が続いています。季節の変わり目には体調を崩しやすいので気をつけましょう。
テレビのアナウンサーが、グリーンバックを背景に差し障りのない日常のアドバイスを、毎日毎日違う内容で、ひたすら繰り返す。
白いワンピースと、扇風機と棒キャンディー、そしてスタンガン。夏の日差しを取り込んだ暗い部屋。そこまでは、写真のように鮮明に思い起こすことができた。食卓の上で猫のように丸まった少女の顔だけが、モヤにかかったように不明瞭である。
これまで見てきた数多くの人間の顔の中で、彼女が最も印象に残らない顔だったのかもしれない。
一種の幻想のような空間も、忙しい日々の中で揉まれて消えてしまう。死者の怨念など、受け取る人間がいなければ無意味。つまり、消えるしかない。
白い囲いで覆われた建設途中のビルの枠組みが、車窓の風景として流れて、遠くへ消えていった。
それに伴い、土地の一定面積の確保が必要となるのだが、ここで一つ、企画の段階から懸念されていた問題が、浮かび上がった。
持ち主のわからない空き家が、ちょうど建設予定地の中に建っている。聞くところによると、役所も以前から頭を悩ませている問題のようだった。
せっかく再開発によって街が大きく発展しようとしているのに、この問題をどうにかしなければ、計画は動かすことができない。この街を牛耳る海馬コーポレーションの力を持ってしても、この問題を強引に解決することは困難を極めた。
資料や戸籍をどれだけ調査しても、結局持ち主を割り出すことはできなかった。もう何十年も人がよりついていないであろう平屋の窓は、人の視線を遮るように固く閉ざされている。郵便受けには、払われることのない公共料金の封筒や、何年も前の選挙チラシなどが杜撰ずさんに突っ込まれており、建物全体が、人を寄せ付けないような薄暗い雰囲気を纏っていた。
いくら経てども事態が改善しない。毎日代わり映えのない報告を受け、痺れを切らした海馬は、自分が直々に調査に当たる、と業務を強引に引き継いだ。日頃の敏腕苛烈ぶりを目の当たりにしている社員の中に、口答えをする者はいなかった。
こうでもしないと、どうにもならない。国がどうにも動かせないことでも、この人なら動かせる。そんな淡い期待と信頼を背中に受けて、海馬は問題の空き家に足を踏み入れた。
夏も盆を過ぎた頃、午後2時15分。空き家には鍵がかかっておらず、強引に突破を試みていた海馬は、横開きの扉の軽さにまず驚いた。埃っぽい玄関に、黒いリボンのついたサンダルが一足、無造作に並べられている。他の靴箱であるとか、壁に飾られた20年前のカレンダーは日焼けして色褪せているのに対して、今月のファッション誌に「トレンドのシューズはこれ!」などと掲載されていそうな、若向きの靴であった。それは、モノクロの写真の中で唯一色を持っているかのように、異様な輝きを持っていた。
中に誰かいる。断固たる確信を持って、海馬は靴を脱ぎ、鞄を脇に抱えて家の中に足を踏み入れた。廊下一面には埃という埃が湧き出ている。不潔で、その姿は遊園地のお化け屋敷──チープな和製ホラーも連想させる。
入口から細い廊下を経て、台所だったであろう場所へと足を踏み入れる。ガラス戸を開くと、赤いチェックのテーブルクロスの上に、小さな扇風機があった。鈍い音を立てて、それは回転している。
思わず背中の筋肉が強張るのを感じた。卓上扇風機は、コンセントに繋がれ、生ぬるい風を送風している。窓の外ではうるさいくらいに蝉が鳴き声をあげている。
「不法侵入」
耳元で声がしたのと同時に、腰に電流が走る。
「何だ貴様ッ!」
「は? こっちのセリフなんですけど。人様の家に無断で入って。ってこれ、電流弱! 気絶しねぇし、不良品だぜこれ」
スタンガンを持っていない方の腕で腰を固めて──ほぼ抱きつくような形になっているが──突如として現れた女は気怠げに手に持ったスタンガンを投げ捨てた。
「海馬瀬人、だっけ……あんたが来るのは知ってたよ」
「質問に答えろ。貴様は何者だ」
「幽霊」
「真面目に言っているのか」
「いやいや、わたしは幽霊だって。本気で。呼びにくかったら、そうだな。Xとでも仮称してもらえばいいか」
両方の腕はがっしりと海馬の腰をホールドしていた。少しでも動くと自称幽霊女──もとい仮称Xの生暖かい脂肪が、無遠慮に当たってくる。これだから女相手はやり難い、と海馬は思った。
スイッチの切られていないスタンガンを足で押しやり、Xは半ば呆れたようにため息をついた。
「つっまんね。海馬コーポレーションの社長がこれとは、泣いて呆れるぜ。若い乙女にヘタクソなプロレスかけられて、反応うっす。あーあ、本当馬鹿みてぇ」
「貴様の一人芝居を聞いている暇はない。この家の所有者を探している。知っていることを言え」
「この家の持ち主? それならわたしってことになるかもしれないし、そうでもないかもしれない」
「随分曖昧な言い方だな」
「わたしがいる限り、この家はどうすることもできないってこと」
自信ありげにそう言い張ったXを横目に、次に打つ一手を思想する。羽交い締めにも満たない、子供が親に抱きつくような姿勢の中で、この電波女が次に何を打って出てくるか、全く読めないのだ。初対面の相手は、行動の理屈がわからないだけに、挙動ひとつとっても油断できない。緊張した場面のはずなのだが、絵面だけが恋人同士のじゃれあいのようで、なんとも奇妙なバランスでそこに存在していた。
脅迫にしては随分間の抜けた行動であり、とにかく出て行けという要求を、子供のわがままのように繰り返すだけだった。
ビジネスの場の読み合いに慣れている海馬でも、少女とのままごとじみた駆け引きにはどうするのが最適であるのか、判断することは困難であった。
「あっつい」
気まぐれに手を離したXは、冷風など期待できない扇風機の動きを強引に停止し、一人風を独占していた。風に揺らいだ白いワンピース、田舎の夏のような小さな光景が、廃墟と化した都会の空き家に顕現けんげんしていた。
白い首を伝う汗は紛れのない人間の証である。しかし、幽霊の美人画のように、非現実じみた、骨董的な美しさがあった。耳をすませば車が往来を走る音が聞こえてくるというのに、山陰さんいんのサナトリウムに迷い込んだかのように錯覚してしまう。
暑い暑いと言いながら、Xは棒付きアイスを冷蔵庫から取り出し、延々と食べている。「やらんぞ」と言って睨んでみたり、本当に幽霊らしく振る舞う気もないのか。と海馬は呆れた目で見つめた。
「海馬瀬人、あんたはここをどうすることもできないんだよ。ここはいつまでだって停滞している。死んだ家なんだ。死んでるってことはどうしようもないの」
「貴様はどうしてここに居着いている」
「そう望んでいるから」
「くだらん戯言だな」
「人を動かせるだなんて錯覚している。その考えが気に食わないんだ。今だって、自分のことは世界中の誰もが知っていると思い込んで、傲おごっている」
「オレは忙しい。言いたいことがあるなら手短に話せ」
Xは机に腰掛けてそっぽを向いた。重さに耐えきれずに、古い食卓はギシギシと音を立てて軋む。
「無視か」
「あんたが嫌い」
数十分ほど、無言が続いた。少女はずっと、机の上で膝に顔を埋めて俯いていた。
「いいことを教えてやろうか。貴様はここを不法に占拠している。つまり、警察に通報すれば動く──「わたしは幽霊だぞ! 司法で裁けるような存在じゃねえんだよ!」そうか。貴様はあくまで芝居を続ける気か」
「お前、マジで性格悪いな。知ってたけど」
「いい歳して空想ごっこに他人を巻き込むような奴に言われたくはないな」
「芝居じゃねえっつってんだろ! 祟るぞ!」
もう二度とくるんじゃねえ。
某アイスを片手にXが強引に彼を家から追い出した後、海馬はまっすぐに帰宅し、すぐに資料に当たった。あの自称幽霊は、この家の所有権は部分的に所有しているというような発言をした。言い換えれば、この家の持ち主と親族にあたるような関係でだと白状したようなものである。
あの少女が本物の幽霊であるとか、精霊のような存在であるといったファンタジーな考えを持つこと。それはこの男の脳の構造上、あり得ない。
かつて、身をもって経験したありとあらゆるオカルト的事象を考慮しても、非現実的で空想じみた結論に行き着くことは、今の海馬瀬人には起こり得ないことである。
部下から手渡されたデータと、役所の戸籍情報などと照らし合わせ、それらしい人物がいないかと手当たり次第に検索していく。あの女が正真正銘の幽霊であるというようなことは、絶対にないのだから、と。
謎の女という存在はフィクションの中でしか成立しないことである。ありとあらゆるデータの中に、手がかりは必ず含まれている。
計画が白紙になるか否か、あの電波女にかかっていると海馬は思い込んでいた。
停滞していた調査に、やっと手がかりらしい手がかりが浮上したのだから、そう考えるのも不思議ではない。
巨大な液晶モニターが複数並べられた書斎で、宝物を探すように海馬は必死の手つきでキーボードを叩き、ありとあらゆるデータベースを当たった。
明朝、朝焼けの中で重い瞼を腫らすまで特定作業にあたったが、目ぼしい成果は得られなかった。
次の日、社内サーバーの不審アクセスを受けて、メンテナンス作業を行うことになった。クラッキングを受けることは大企業ではよくある話である。今回の場合は被害はごく小規模で、小蠅が侵入した程度である。
「今年に入ってから断続的に発生しています。犯人の見当はついているのですが、末端データのファイアウォールすらも突破できない、素人でしょう」
本部からそのような報告を数度聞き、受け流していた海馬であったが、今回に限って、何か予見めいたものを感じるような気がした。犯人はIPを串刺しして所在を誤魔化しているが、そのために日本のフリーツールを使っていることが判明していた。
弁護士に連絡をつけ、すぐにでも発信者の情報開示をするよう勧告する手筈が組まれた。
あの邂逅から一週間が経つという頃。分刻みのスケジュールの合間に、再び空き家を訪ねることにした。
世間では夏休みも後半を迎え、そろそろ8月も終わるという頃である。夕方の6時を見計らって、コインパーキングに停車していた公用車から降り、あの空き家へと接近する。夏の終わりの午後6時といっても、存分に明るく、蒸し暑かった。
Xは、家の扉に鍵をかけていた。夕陽を影に立つ彼女の目は真っ直ぐにこちらを見据え、淀みのない二つの瞳が、揺らぐことなく海馬を睨みつけている。
「貴様のことは全て調べさせてもらった。残念だが、もうごっこ遊びはお終いだな」
「……そうかよ」
「この夏の間、貴様には困らせられたものだ。このオレが、まさか未成年の子供ごときに妨害をされるとはな」
「ゴーストだよ」
「なんだと?」
「わたしが正真正銘の幽霊だってこと」
「まだそのネタを引き摺るつもりか? ……もうとっくに調べはついている。貴様の本名は──で、実家の所在はXX県某市。県立高校の学生だということも、大学の推薦入試に合格し、暇を持て余して我が社のデータサーバーにクラッキングを仕掛けたことも、全て知っている」
少女はため息をついて、大袈裟に首を振った。
「違うなあ。そういうことじゃねえっつーの。わたしには本当に幽霊が憑いてる」
「フン……馬鹿馬鹿しい」
「……あんたのご自慢のカード、ブルーアイズホワイトドラゴン……どうやって手に入れたか、わたしは知っている。最強のカードなんだろ。でもそのカード、本当にお前が自分で引き当てたものじゃない。お前の愛する竜の本当の持ち主は、わたしの兄だ」
ゆっくりと空が暗くなっていく。
少女の突き刺すような視線が海馬の目を射抜いた。全てを見透かすような預言者めいた瞳が、怒りと憎しみを抱いた鋭い視線。これと全く同じ目をした人間を星の数ほど見てきた。
そして、何度思ったかわからない、呆れの感情が脳を満たす。また何度めかの個人の復讐劇に付き合ってやらなければならない。
己の生き方を曲げない以上、ついてまわる課題である。
面倒だと感じる一方で、一般家庭に育った普通の学生が、一企業に対してここまで手を煩わせたことに対して素直に感心を覚える感情も、あった。
要は、気に入ったのだ。その気骨を、精神を。
きっと我が社に入れば優秀な人材になったはずだ。大きい魚を逃してしまったような気持ちに襲われる。
「あんたのせいで、あんたが無理やり脅して兄からカードを奪ったんだ。知ってるか? あのあと兄さんは自殺した。汚い脅しと戦って、兄は死んだんだ……コレクションを奪われてどれだけ苦しんだか、あのカードは兄の情熱を全て注いだ、命そのものだったんだ……」
「それでこんな手の込んだ悪戯を仕組んだのか? 随分暇なようだな」
「故人の無念を晴らす為だ、なんでもするさ」
「で、どうしたい」
「は?」
「オレの計画の邪魔をして、それだけか。お前はオレを、殺してやりたい程憎いんじゃないのか」
「殺しはやらない」
「フン、チンケな復讐だな。具体性も何もない。自己満足のために貴重な夏休みを浪費したようだが」
「違うなぁ、わかってないよ、今自分がどういう状況に置かれているか、お前は全く理解していねえんだよ」
「何──」
「殺しはしないけど、苦しんでもらう」
黒いリボンのついたうさぎの形をしたハンドバックから、バールのようなものが取り出された。
遠慮や緊張など全く感じさせない、一種の殺陣のような淀みない手つきで、海馬の右腕に向かってそれが振り下ろされる。
「苦しめっ! 二度と決闘デュエルなんてできないような体にっ、なれっ!」
半狂乱になって叫びながら、暴力を振るう少女を、当然のように横から出てきた黒服がすぐに拘束した。この間3秒にも満たない時間で、少女の真夏の復讐劇は崩壊した。泣きながら引き摺られていく少女の鞄には、ありとあらゆる人間を傷つけられる凶器が収められていた。暴れた彼女の膝は、コンクリートの凹凸に引っかかって赤い生傷ができ、白いワンピースが汚れ、ところどころほつれた。
甲高い少女の絶叫が、響いた。
叫び声はどんどん小さくなり、やがて消える。派手に抵抗したせいで脱げた黒いサンダルが、片割れを探すように道路に転がっていた。
帰り道で、油蝉が地面に落ちていることが気づいた。この通りの蝉の鳴き声は、もうすでに止んでいた。
あの事件の直後、家主の遠縁の親戚にあたる人物を特定することに成功し、プロジェクトは一気に軌道に乗り出した。家を取り壊す許可を貰い、ショベルカーで家を粉砕している様を見学していると、ふと瓦礫の中に小さな扇風機を見つけた。それを一瞥すると、海馬はヘルメットを外し、車に乗り込み、本社へ向かって発進させた。
まだ夏の余韻で蒸し暑い日が続いています。季節の変わり目には体調を崩しやすいので気をつけましょう。
テレビのアナウンサーが、グリーンバックを背景に差し障りのない日常のアドバイスを、毎日毎日違う内容で、ひたすら繰り返す。
白いワンピースと、扇風機と棒キャンディー、そしてスタンガン。夏の日差しを取り込んだ暗い部屋。そこまでは、写真のように鮮明に思い起こすことができた。食卓の上で猫のように丸まった少女の顔だけが、モヤにかかったように不明瞭である。
これまで見てきた数多くの人間の顔の中で、彼女が最も印象に残らない顔だったのかもしれない。
一種の幻想のような空間も、忙しい日々の中で揉まれて消えてしまう。死者の怨念など、受け取る人間がいなければ無意味。つまり、消えるしかない。
白い囲いで覆われた建設途中のビルの枠組みが、車窓の風景として流れて、遠くへ消えていった。